2.近所のストーカー女に、夫としての永久採用通知を送られた件


〜数日後の朝。「おにいさん」宅のインターホン〜




ぴんぽーん!


ぴぴぴんぽーん!




おはようございます、おにーさん。

私が、来ましたよ。



驚きました?

いやー朝早くにすみませんね。



ちょっと、どうしても早めに伝えておきたいことがありまして。


それでおにいさんが会社に行く前の、この時間からお話したいな、と思ったんです。



あっ、別にわざわざ着替えて玄関に出てこなくてもいいですよ。


いまさらおにいさんの寝起きの姿を見ても、「だらしないなあ」なんて思いませんから。


むしろお馴染み過ぎて安心を感じるくらいです。



はあい、それじゃあお願いします〜。



(ドアが開く)



ドア、開けてくれてありがとうございます。


ちょっと外寒いので、中に入れてもらってもいいですか?




いえいえ、別に散らかってても構いません。

こちらがいきなり押しかけてきただけなんですから、そんなにかしこまっていただなくても。



ふふ、ありがとうございます。

ほんと、優しいですね。



それじゃ、お邪魔しま〜す。


ーーーーーー


〜部屋の中〜



おじゃましまーすぅ……。



ああ、別に恥ずかしがらなくても。

ええ、このくらい散らかってるのは見慣れてますから。


いつも忙しくて、辛くて、掃除する余裕なんてないですもんね。


生きてるだけで、えらい、えらい。



いえ、お茶も別に出していただかなくてもいいですよ。


もう家族になるんですから、お客さんに接するみたいにしなくてもいいんです。



「どういうこと」か?


ふふ、すぐに分かりますよ。




……さてと、それじゃあ早速本題に入りましょうか。




これっ、差しあげます!


開けてみてください。



封筒…ですね。


中身、見てみてもらえますか?




そうですね、そんな感じで。


中に紙が入ってると思うので、それを読んでください。





……………。




ふふ、驚いてますね。



…と、いうよりも、唐突すぎて理解が追いついていない感じでしょうか。


まあ、こんな内容を見たら誰でもそうなりますよ。



その紙、貸してください。


私からも読み上げてみますね。




えー、こほんっ。



「採用通知書。


親愛なるおにいさん、兼、私の旦那さまへ。




あなたは私の夫として、この先死ぬまで永久就職することになりました。





つきましては、今この瞬間から私とあなたは夫婦として、仲睦まじく暮らしていくことになります。



毎日嫌な会社に出勤して、死んだ顔で日々を過ごす必要もありません。


それどころか、生きる金を稼ぐために働く必要もありません。



二人で暮らしていくお金や家も、私が全て用意しています。



あなたに不自由をさせることはありません。


これから残りの人生、あなたへのご褒美だと思って、ゆっくりとした、穏やかな生活を提供し続けます。




『なぜ?』と思いますよね。


当然の疑問だと思いますから、理由を伝えましょうか。





私はあなたが好きです。


大好きです。



もはや「愛してる」と百万回言っても足りない。


好きなところが多すぎて、数え切れないくらいです。




あなたの優しいところ。


勤勉で真面目なところ。


しかめっ面が可愛いところ。




その他にもたくさん好きなところがあります。



胸元のほくろが可愛いとか、寝起きにいつも同じところに寝癖が出ているところとか、えっちなサイトを見ている時の顔とか。



正直言って、おにいさんの全部が好きです。



カッコいいところだけじゃなくて、情けないところも含めて、全部好きです。




ずっとあなたを見ていました。



人知れず、頑張り続けるあなたを、私は陰で見ていたのです。




最初はただの好奇心でした。


どうにもヒマな日々が続いていて、退屈しのぎをしたかったんです。


その退屈しのぎのために、他人の人生を覗き見してみたいなっていう出来心が出てきて、おにいさんに目をつけたんですね。




「ただ遠くから見ているだけでも分かるくらいに、心が壊れている人」




街中であなたを最初に見た時の印象は、そんな感じでした。


もう、びっくりですよ。


あなたほどに壊れている人なんて、他に探してもいなかったんですから。




だから、純粋にどんな生活をしているのかなって気になっちゃって、ストーカーをしてみることにしました。




それで、最初は街中で、遠くからおにいさんの行動を観察していただけだったのですが。



だんだんと、あなたという男性に興味が出てきて…。



あなたの職場、自宅、ご実家、行きつけの飲食店………。



いろいろな場所に監視カメラや盗聴機器を設置したり。


実際に私の足でおにいさんをストーキングしたり。


ときにはお金の力で人手を借りて、おにいさんの監視を強化させたりもしました。




ちょっとやりすぎちゃったかな、とは私でも思いますけど。


まあ、おかげで24時間365日フル稼働でおにいさんを監視する環境が出来上がったのだ、結果オーライですね。




こうしておにいさんの人生を覗き見ていくと。


私の心にもだんだんと、変化が現れていくようになりました。




私が、おにいさんのことを好きになってしまったんです。




最初は、ただの観察対象でした。



ひたすら死にかけの表情で、行きたくもない職場で、罵声に耐えながら仕事で忙殺されている。



そんな環境で、人間はどんな精神状況になってしまうのか。


どんな生活行動を取るようになるのか。



その実例として………要は実験動物を見るみたいな感覚で、おにいさんを見ていただけなんですよね。




だから、最初は好意や愛情なんてなく、ただの好奇心のはけ口だったんですが。




それがですね。


ある意味、ミイラ取りがミイラになる、という感じでしょうか。



ただの観察対象でしかなかったおにいさんを。


どんどん、かけがえのない存在に感じてくるようになっちゃいました。


しょうがないですよね。



ずっと。


ほんとにずうっと、おにいさんのことを見ていたら、おにいさんと一緒に暮らしているような感覚になっていたんです。



おにいさんの独り言、寝る時の横顔、おにいさんですら知らない哀愁漂う後ろ姿。



恋人のような、夫婦のような距離感でずっと観察しているうちに、胸がドキドキしてしまって。



最初は盗撮がバレるんじゃないかっていう緊張感でドキドキしていたのかなって思っていたんですけど、どうやらそうじゃないみたいで。



カメラの映像越しや遠巻きに見ているだけじゃ、もう我慢できなくなってしまったんですよね。




それで、ある日からおにいさんに接触するようになりました。


偶然を装って、おにいさんと会話するところからのスタートです。



今思えば、私の関わり方はどう見ても怪しさの塊でしたが、おにいさんは案外受け入れてくれました。



優しい、というのもあるのでしょうが、これに関しては、おにいさんの心が壊れているのが、ある意味では幸いしましたね。


普通の人なら裏があるんじゃないかって怪しむところですが、おにいさんにそんなことを考える余裕はなかったのでしょうから。




あなたが私を受け入れてくれた後は、だんだんと仲を深めることができました。



楽しかったなあ…。





今まで見ているだけだったおにいさんが、私に反応してくれる。


私のことを認識して、言葉を与えてくれる。


私の肌で、直に触れることができる。





こんな、こんな幸せな時間があっていいのだろうか……。


人生の幸運を使い切ってしまって、私は明日死ぬのではないか?




そう思うほどに。



あなたが私に向けてくれる視線、声、好意。


その全てが、私を満たしてくれました。



しあわせ。




私はあなたに会うたびに、いつも震えるような幸せを噛み締めていましたんですよ?



あなたは私の好意には気づいていたでしょうけど、そこまでの想いを抱えていたとは、流石に気づかなかったでしょう。





実を言うとですね。


私、こう見えて臆病な質でして。



おにいさんに拒絶されるのではないか、なんて考えた日には、不安で眠れなくなるくらいなんですよ。




お恥ずかしい話なんですけども。


どうにもおにいさんへの気持ちが大きくなればなるほど、嫌われるんじゃないかって不安に潰されそうになるんですよね。




だから、おにいさんへの好意はなるべく隠そうとしていました。


まあ、想いが強すぎて、必死で抑えてもダダ漏れでしたが…。




そうすると、困った事になりまして。


ある程度のところまでは仲良くなれるのですが、なかなかその先に踏み込むことができない状態が続いていたんですよね。



どこまでいっても、近所の知り合いとか、良くても友達未満、みたいな関係性でしかなくて。




最初はそれでも満足していたんです。


ただ、おにいさんをリアルに見れて、私を認識してくれるだけで、私は満たされていました。





でも、人間の欲望って、底がないって言うじゃないですか?


たぶんそれって、本当のことだと思うんですよね。



だって、私のおにいさんを欲する気持ちが、際限なく大きくなっていくのを感じましたから。




もっともっと、おにいさんと深い関係になりたい。


おにいさんと一緒に時間を過ごして、肌と肌で触れ合いたい。


おにいさんと愛を育んで、私の奥深くまで来て欲しい。




そんな想いが、あふれて止まらないんです。





想いがあふれて、身を壊しそうになって。


とうとう我慢できなくなっちゃいました。





それで、こんなふうに思い切って告白することにしたんですね。





正直、断られるのが怖いです。


おにいさんに拒絶されて手に入らないのが、何よりも恐ろしいです。





でも、あなたと恋人として触れ合えるような関係になれるなら。


あなたを自分のものにできるのなら。




そう思うと、立ち止まるわけには行きませんでした。




私は、あなたが大好きです。




ずっと、一緒にいてください。


あなたのそばで、あなたの愛しい横顔を誰よりも見続けていたいです。




あなたと、幸せになりたいです。




だから、私の夫になってください。



私と結婚してください」





……………。



……こんな感じですね。


どうでしたか?



ふふ、驚かせてしまったみたいですね。


まあ、突然こんなこと言われたら、そうなっちゃいますよね。





でも、私は本気です。


私は心からおにいさんが好きなんです。




おにいさんのお嫁さんに………いえ、流石に気が早いと言うなら、彼女からでもいいです。



仕事でそれどころじゃないと言うなら、私が養ってあげます。


そのための備えもしてます。


私、結構お金を待っているんで、おにいさんはもう仕事もしなくていいんですよ。


私が、一生守ってあげますから。




だから、私と一緒にいてくれませんか?





……………。




…………迷っているようですね。




どうしてでしょう?




「会社の仕事がある。

今日も行かないといけない。


だから付き合う余裕がない」と。




そう言うんですね。




でも、会社の仕事ってそんなに大事ですか?


おにいさんが疲れて余裕がないのって、会社の仕事とか、人間関係のせいですよねえ。



私といれば、そもそもそんな辛い職場に通わなくても済むんですよ?





「みんなに迷惑がかかる」なんて、そんなのどうでもいいじゃないですかあ。


あなたをこんなに壊している連中は、あなたにずっと迷惑をかけまくっているんですよ。




それなのに、あなたばかりが責任を感じるのは、ちょっとおかしいと思うなあ。





はあ………おにいさん、どうにも社畜精神が極まっているようですねえ。


会社に都合の良い考えだけするように洗脳されすぎて、合理的な判断ができなくなっちゃったのかな。





それとも………他にも理由があるとか?





あ!


……まさかとは思いますが……私のことが嫌だとか……?


……………。






「そういうわけじゃない。

いつも気にかけて声をかけてくれて、感謝している。


ただ………」と。




「ただ」………なんですか?




「怖い」




……………。





怖い…?


今、「怖い」と言いましたか?


私のことを?






………どうして?



私は、おにいさんが怖がるようなことなんて、何一つしていませんよ?



私は、おにいさんのことを想って、ずっと見守っていただけなのに。




…………。




「盗撮とか、盗聴でずっと監視されているとは思わなかった。


正直、恐怖を感じた」というわけですね。




……なるほど。





…確かに私、当たり前のようにおにいさんを盗撮していました。



私にとって当たり前の日常過ぎて、おにいさんが怖がるとまでは考えが及んでいませんでしたね。





…ふーむ。



そっかぁ。


四六時中全てを丸裸にされてたら、そりゃあ怖いか。


私の不注意で、おにいさんを怖がらせてしまったのは、確かに私の落ち度ですねえ。




すみません。



確かにそれは反省しないといけませんねえ。





……………反省、しないと。



……はん…せい。





……………。





………実はですね……今、泣くのを我慢してました。





ちょっと、流石の私もくらってまして。


おにいさんに怖がられるなんて、あまりに予想外で、本当にショックで……。





私にとっておにいさんを監視することは、生きることそのものなんですよね。



動物が呼吸をしたり、鳥が空を飛んだり、魚が水の中を泳ぐのに等しい営み………というのが近いでしょうか。




私の日常は、おにいさんが全てなんです。



朝起きたらまず一番に、おにいさんの監視映像を確認するし、おにいさんの部屋から拝借してきた私物の匂いも堪能するし、おにいさんの声や吐息の音声で耳を満たすんですよ。




全てがおにいさんで満たされているのが当たり前なんです。




それがないと生きていけない。



おにいさんの存在を認知していない時間が続くと、脳が震えて、手足が歪んで、世界が崩壊するような感覚に襲われるんです。




だから、おにいさん成分は、私が生きていくために接種しなければならないものなんです。



私にとっての基本的人権は、「おにいさんで満たされること」と言っても過言ではないんですよ。





だから、おにいさんが私を怖がっているのはショックと言うか…。



ただ生きてるだけで、おにいさんに怖がられてしまったような感覚というか……。





もちろん事前に断られるかもしれないって想定はしていたんですけど、いざ実際にお付き合いを渋られるのは辛いですねえ。


ましてや、恐怖の対象として見られてしまうとは…。





つらい。




とてもつらいです。








………でも、しょうがないかなあ……。




今までずっと、おにいさんを24時間体制で監視して、生活の全てを覗いてたストーカー女なんて、恐怖の対象で当然ですよね……。





一回そんな印象を持たれてしまったら、覆すのもけっこう大変だろうしなあ………。






うーん、こまったな。



…そうなってくると、正攻法でこのまま同意してもらうのは、難しいか。


もうおにいさんは私のことを怖がっちゃってますからねえ。




このあといったん時間をおいて考えていただいたとしても、私を受け入れる決断をしてくれるとは考えにくい。




脈は限りなく小さい…。


でも、おにいさんを諦めるくらいなら、自分の首を切って死ぬほうがマシだしい……。





そう考えると………ふむ。






ここはあえて、もっと怖い人として振り切っちゃいましょうか。





おにいさんを恐怖で支配して、私の檻に一生閉じ込める。





そんなプランBを実行しますっ。




うふふふふふふふふふふふふふふ…。







======

あとがき・解説


二話目。

次で終わりです。



ストーカーさんの言動が無茶苦茶すぎる。

おにいさんのプライバシーはボロボロ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る