Freewheel Burning (3)
突然上がった炎に、その場に残っていたママ友連中が蜘蛛の子を散らすように退散していく。
――なんだ?何が起こった?雷が落ちたのか?いや、違う。何かがおかしい。雷が落ちたのなら、僕だってタダでは済んでいない。それに、この青白い炎は何なんだ……
とにかく何か火を消せるものを、と辺りを見渡した平の耳に声が聞こえてきた。
「おお、ちょこまか動いてるからよく見えなかったけど、やっぱり輪入道じゃん! 僥倖僥倖!」
飄々とした生意気な口調。平はふと首を傾げる。聞き覚えのある声だった。辺りを見渡し、声の主を探す。だが、人影らしきものは見えない。
「さて、それじゃあ、とっととやりますか」
また、どこからともなく声がする。その声は何か祝詞のような文言を唱え始めた。途端、炎がバチバチと火花を上げてより一層燃え盛り、ワッチは激しい苦悶の声を上げ始めた。
平は相変わらず混乱していたが、何となく状況を掴み始めていた。つまり、何者かがワッチを――輪入道という妖怪を――退治しようとしているのだ。響き渡る文言は神社の祈祷で聞く大祓に似ていたが、それよりもずっと不穏な雰囲気を含んでいた。
――とにかく、なんとかしないと……でもどうすれば……
そのとき、あるものが平の目に飛び込んだ。燃え盛る車輪の頂点で、ヒラヒラと何かが揺れている。人型に切り抜かれた白い紙。いわゆる形代だった。
あれだ。そう直感したとき、既に平は燃え盛る炎の中へと飛び込んでいた。やはり平の睨んだ通り普通の炎ではないらしく、ほとんど熱さは感じなかった。平は何とか車輪の上部に手を伸ばす。と、
「アンギャギャギャッギャッギャ・ギャギャギャラガァ!」
形代を掴んだ瞬間、平はエキセントリックな雄叫びを上げた。全身に強烈な電撃が走ったのだ。手を離そうにもショックで筋肉が硬直して離せない。かといって車輪から形代を剥がすこともままならない。
「ギャラギャラガガガガノエルカリアムカ! アンビバレントビャラビャラモンティパンソン! ガビガビペンタグラムクラッシュジャンクチャンクオトリノラリンゴロヒア! ジャンジャンバリバリジャンジャンバリバリチョウキュウメイノチョウスケジツハイクラチャン!」
平の身体が奇妙な踊りを始める。もちろんふざけているわけではなく、強烈な電撃による身体の痙攣であり、それは即ち平が非常に危険な状態にあることを意味していた。
「あれ? あれれれれ?」
平は頭上に声を聞いた気がした。が、きっと幻聴だろう。
「ちょ……何してんの、平先生」
訂正:幻聴ではなかった模様。平は声のした方を見る。
塾講師としての記憶はやはり確かだった。そこには彼のよく知る顔があった。
「アバババ……何してんの……アバークロンビー……じゃない! 君こそ……アブアルアブー……何をやって……アッバース……るんだ、篠田!」
かつて平が塾で教えていた生徒、篠田晴が、額に垂らした長い前髪の間から平のことを不思議そうに見つめていた。篠田は「何言ってるんだコイツ」という顔で平の顔をまじまじと見ると、平然と言ってのけた。
「何をやってるって、妖怪退治だよ。見ればわかるでしょ」
「そういうこ……ゴゴゴ……とじゃなくてだな……いや、とりあえ……ジュジュジュジュ……ず、この電撃をなんとかしてくれ!じゃないとまずボキュウゥゥンッ……僕が死んでしまう」
必死で懇願した平に、篠田は態とらしく嫌な顔をして見せた。
「ええ、ダメダメ。それじゃあ輪入道を退治できないじゃん。それより先生が離れてよ」
「は、離れぇ……レレレ……ないからアァァアビャビャアァ」
痙攣する元恩師を見て、元教え子は呆れた顔でかぶりを振る。
「いやいや、もうそんなジェジェジだのギョギョギョだのいうほどじゃないでしょ。さっきから手を離せるくらいには弱めてるよ」
平は「え?」と人型を掴んだ手を見る。確かに電撃は電気マッサージ器の『中』ほどまで弱まっていた。汗顔極まってワッチから離れようとした平だったが、ふと手に力を込めなおした。
「ダメだ。これは離せない。篠田、今すぐ火を消すんだ」
突然冷静な口調になった平に、少年は目を丸くした。
「何言ってるんだよ、先生。ていうか、なんで先生が妖怪を庇ってるわけ? そもそも先生、《見える人》なの? まったくもって意味不明なんですけど」
「いや、それはだな……」
平は少し口ごもったが、篠田の目をじっと見据えると、再び口を開いた。
「笑わないで聞いてくれ。コイツは……ワッチは僕の……」
「アンタたち、何考えてんだい! 生徒はまだしも、こともあろうに授業をサボって外に出る教師がいるかい! とっとと戻りな!」
平の言葉がドスの効いた声に掻き消された。タマモの声だった。
――え?
「平先生、いい加減にしてください! ていうか、なに燃えてるんですか! また性懲りもなく生徒とケンカしたんですか? なんなんですか、もう!」
――クズハ先生も……まさか、僕たちを探しに来たのか?
タマモとクズハは公園の入り口に仁王立ちし、柳眉を吊り上げていた。どうやら二人からは篠田が見えていないらしい。ちょうど平とワッチの影になっているのだ。自分たちの声に反応を示さないバカ生徒とバカ教師を怪訝な顔で見つめている。
篠田は二人の姿を確認すると、乾いた笑いを漏らした。
「ちょっと、なになに? 狐まで来たの? こりゃまた僥倖じゃないですかァ!」
懐から新たに二枚の形代を取り出す。平の心臓が奈落に落ちていった。
「ちょっとまて、篠田。だめだ。あの二人は敵じゃない。いや、というか、この輪入道だって敵じゃないんだ」
「は? 何言ってんの? さっきだって幼女を攫おうとしてたじゃないか。ノータッチを貫けない奴なんてエネミー確定でしょ。その仲間なんだから彼女たちもエネミー。そう、emeny」
少年はさらりと髪をなびかせてニヤつくと、英語教師をからかうようにねちっこい発音で言った。平はその口調に苛ついたが、それ以上に妙な感覚を覚えた。冷徹とか厭味とかではなく……だが、その時の平には、そんなことを考えている余裕などなかった。
「だ、ダメだ! タマモ先生、クズハ先生、こっちに来ちゃいけない!」
平は二人に対して叫んだが、逆効果だった。その声音にただならぬ事態を悟ったのか、無情にも二人がこちらへ駆け寄ってくる。
「ささ、こっちにおいでよ、カワイイ狐ちゃんたち……」
篠田はいかにも楽しそうに二人へ狙いを定める。平は絶望に顔を歪めた。
と、思いもかけず、電撃と炎が消え去った。
「あらまあ、マジか……」
呆然とする平を尻目に、信太は目を丸くしてそう呟いた。かと思うと、やけに爽やかな笑みを平に向け、颯爽と逃げ去っていった。
いつのまにか人の形に戻り、プスプスと煙を上げているワッチをタマモが抱え込む。それを見た平は一気に全身の力が抜け、クズハの胸にしなだれ込んだ。その手には、形代がしっかりと握られていた。
※
電撃ですっかりアフロヘアになった平と、ケロリとはしているものの未だプスプスと煙を上げているワッチが、二人並んで保健室の床に正座させられていた。その前には、クズハとタマモが仁王立ちしていた。
「ホント、呆れた殿方だねぇ……」
タマモが口を開く。
「小池さんに聞いたよ。アンタ、輪入道除けの札を使ったんだってね。まあ、生徒相手に酷いことを云々なんて言うつもりはないよ。授業をサボるバカは自業自得だからね。でも浅はか過ぎるだろう。この脳味噌筋肉野郎が逆上するかもしれないとは考えなかったのかい? それとも、アンタ一人でこの筋肉馬鹿をどうにか出来るとでも思ったのかい? ムージーの一件で分かり切っているじゃないか。アタシはこれまで馬鹿な殿方をたくさん見てきたけど、アンタみたいなのは始めてだね」
平は俯いて、じっとタマモのお叱りを受けていた。返す言葉は無いし、言い返す権利もない。タマモはさらに続ける。
「生徒のためなら怪我しても死んでも構わないと思うのはアンタの勝手だ。ああ、熱血教師、大いに結構だよ。だけどね、今回はそのせいで退魔師なんかに見つかって、生徒を危険な目に遭わせたんだ。良い大人なら、一生懸命と無鉄砲の区別くらいつけな!」
ぐうの音も出ない正論に、平はすっかりしょげ返ってしまった。今回ばかりはニヤニヤしている余裕などなかった。ワッチは隣でふんぞり返っていたが、ふと、
「へッ。別にあんな奴、俺一人でブチノメしてやったんだよ」
と吐き捨て、不満そうに鼻を鳴らした。特に誰に向けたわけでもない、ただの強がりだったのだろう。だが、「アンタねぇ……」とタマモが矛先をワッチに向けようとした瞬間、彼の右頬が高らかに鳴っていた。
「ワッチ君、あなたは平先生がどんな思いで魔除け札などを使ったと思っているのですか?」
頬を張られたワッチはもちろん、タマモも目を丸くしていた。中でも、一番驚いていたのは平だった。
「どんな思いで小池さんに相談したと思っているのですか? どんな思いで、酷い目に遭わされてもなお、あなたと話をしようとしたと思っているのですか? あなたが暴走したとき、どんな思いであなたを追いかけたと思っているのですか? そして……」
クズハはそれまでに見せたことのないほど厳しい顔で、しかしながら淡々と、ワッチを問い詰める。
「あの形代には、退治する相手だけではなく、それを妨げようとする者にも耐えがたい苦痛を与えるような術式が施してありました。にも関わらず、どうして平先生は形代から手を離そうとしなかったのでしょうか? あなただって、本当は分かっているはずです」
ワッチは黙り込んでしまった。心なしか、顔が赤くなっているようにも見えた。が、やがて「ケッ」と吐き捨てると、のっそりと立ち上がって保健室を出ていってしまった。少しの間を空けて、タマモも軽くため息をつくと、すれ違いざまに平の肩をポンと叩いて退出した。
気まずい静けさが保健室を支配していた。平は正座のまま、クズハに言うべき言葉を探していた。だが、どの言葉も間違っている気がして、彼はいつまでも俯いていた。
「平先生」
先に静寂を破ったのはクズハだった。
「もう、絶対に無理はしないでください」
ふわりと、平の体が温かい感触に包まれる。
「平先生は、今まさに、この世界で必要とされているのですよ」
子どものように泣きじゃくる声が、保健室に響いた。
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