第40話 抑止力

 世界樹の近辺にドラゴンが住み着いた。

 そんな噂が街で流れるようになったのは何時からだったか。実力派で有名だった男女4人の探索者たちが世界樹の根元を調査しに行って殺されかけた事件からだったか、それともその数日後に軍隊と見間違うほどの人数を投入した世界樹の調査が、突如現れた赤いドラゴンによって全て吹き飛ばされ、調査に向かった人間の半数が死亡した事件の後だったか。

 人類にとって世界樹という謎の樹木がもたらす影響はとんでもないものなのではないかという仮説は出ているが、その二度の失敗で世界樹に近づく者はいなくなった。

 評議会は全会一致で世界樹の根元に住み着いたドラゴンを刺激することを禁止、セルジュ大森林の開拓計画は全てが白紙となった。無論、今は白紙になっただけで今後絶対に開拓しない訳ではないだろうが……メイの情け容赦のない攻撃で多数の死者が出た以上は、評議会も強く推奨することができない状態になっている。


 結果的にとは言え、世界樹の根元に住んでいる俺たちにとってもっとも理想的な結果になったと言えるだろう。勿論、その為にメイと戦って多大な犠牲が出てしまっていることから目を逸らすつもりはないが……彼らが自ら望んで戦った結果だ。無慈悲だと言われようとも俺は彼らの命を助ける気にはならなかった……それだけのことだ。


「目の前で人が殺されることを許容できる人間はそう多くない。誰もが人が死ぬ瞬間を見ることを恐れているし、たとえ目の前の人間が全く知らない誰かだったとしても、通常の倫理観を持っている人間ならば目の前の人間を助けようと思考するだろう。しかし……自分の知らないところで虐殺事件が起きてもそれは関係のない出来事でしかない。戦争が起きて数百人、数千人がいきなり死んだとしても……遠い出来事でしかないと人間は認識する」

「……それがお前の言い訳か? 私が大量に人間を殺したことに対する言い訳はそれでいいんだな?」

「言い訳しているつもりはないんだが……言い訳になるのかな」


 彼らも覚悟していたはずだ、なんて言って切り捨てたいところだが……実際に自分が死ぬことを本気で覚悟している人間がどれだけいるか。メイによって消し飛ばされた人間の中には、死ぬことを覚悟している人間なんてそう多くなかっただろう。

 結果的に、俺は彼らの命を消費することで世界樹の根元に住むというエゴを押し通した。直接手を下していないとか、そんなことは関係ないのだ。


「……私としては、人間がいくら犠牲になろうが知ったことではないがな。世界樹を守ること……それこそが我々森の守護者が存在している意味なのだから、人間と敵対して絶滅戦争になろうとも世界樹を守るつもりだった」

「ありがとう……慰めてくれて」

「慰めてない」

「えぇ!?」


 今のは完全に俺のことを慰めるために言ってたでしょ!? 慰める言葉じゃなかったとしたらよくもこんなタイミングでそんなこと言ったねって感じだよ!?


「良かったんですか? 評議会がセルジュ大森林の開拓を禁止したってことは、ラクリオン商会とやらもここまで来られないのでは?」

「あくまでも禁止されているのは開拓する行為だけだからな……多分、ラクリオン商会がやってきてそこに住んでいる人間と取引するのは開拓行為じゃないだろ」

「屁理屈にもなってないとんでも理論だと思いますけど……まぁ、確かに」


 ラクリオン商会の会長であるクレア・ラクリオン……その父親である評議会議長ならば、既に娘から世界樹の根元に住んでいる俺と、現状の話は一通り聞いているはずだ。人間が立ち入ることを全て禁止している訳じゃない所からも、恐らくはラクリオン商会がやってくることは想定されているはずだ。


「……セルジュ大森林は世界樹が無ければ人に見向きもされないぐらい資源のない場所だから、唯一の資源である世界樹の根元に危険なドラゴンが住み着いているとわかればしばらくは大丈夫だと思うけど」

「既に人間は私の敵だ。世界樹を害する気があろうがなかろうが……近づいた人間は全て殺す。それでいいのだ」


 良くないけどな。本当なら全然良くないんだけど……森の守護者や獣人族のことを考えると今はそうするしかない。世界樹を守りながらも人間を殺すな、なんて無茶苦茶なことを要求できるほど契約の縛りは甘くない。無茶な要求を通してメイを契約で縛り付けるには、こちらからも譲歩しなければならない。それはできない……これ以上の譲歩は俺の大切な人を傷つけることにしかならないからだ。

 色々なことはあったが、俺たちは自分の住む家を守ることができた。人間と敵対しているような気がしなくもないが……それに関しては追々何とかしていくしかないだろう。

 俺は今回のことで自らのエゴを押し通すことの大変さを知った。これからこの世界樹の根元で生きていくことに関しては覚悟が必要になり、その覚悟をすることはできたと思うが……まだまだ自分が甘いことは理解している。選択の時はまたそのうち訪れる……人間の人生というのは選択と後悔の連続だと思うから。それでも……俺は大切な人を守る為に他人を犠牲にする覚悟を決めた。一度決めたのならば、やり通さなければ。




「グレイ、飯の時間だぞ」


 外を無邪気に走り回っているグレイを呼び、肉を投げ渡す。ゆっくりと近寄ってきたグレイは足元に落ちている肉を見つめてから俺の方に視線を向け、顔をべろべろと舐めてから肉を頬張り始めた。


「誰から教わったんだ、そのお礼の仕方……もっと違う方法で躾けてやるからな」


 毎回お礼を言われる度に顔を舐められては困る。グレイは4足歩行の状態でも俺の頭より高い位置に口があるのだから……そんな大きさの犬に舐められると顔が大変なことになるのだ。


「私にも肉を寄越せ」

「……お前は自分で狩って来いよ」


 ドラゴンの姿になっているメイが俺とグレイのやり取りを眺めながら肉を要求してくるが、グレイは俺のペットとして飼われているがメイはペットではないので餌は用意していない。世界樹を守ればそれ以外は何をしてもいいと言っているのだから、腹が減ったら自分で狩りに行けばいいのに……何故か人の姿になって家まで飯を食いに来るんだよな。


「そもそもドラゴンってなに食うんだ? 人間?」

「そんな小さいものを食べて満足できると思うか?」


 いや、知らんし。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る