第39話 ドラゴンの力
人間の欲望に底などないということはよく知っている。自分自身が人間だからそう思うこともあるし、それ以上にそうやって欲を深めてきた人間というのは今までの人生で何度も見てきたものだ。
人間が持つ欲望のことを汚らしいと思ったことはない。何故ならば、それは人間が生きていくのに必要なものだと思うから。欲のない人間というのは大体が空虚で中身のない人間になってしまうものだ。聖人と呼ばれるような人はその空虚さを持っている人間なのかもしれないが、俺は少なくとも空虚な人間のことを尊敬したいとは思わないし、浮世離れした人が必ずしも素晴らしい人だとは思わない。まぁ……欲にまみれて身を滅ぼしていく人間が愚かだとは思うが。
一度手に入るかもしれないと思ったものを簡単に手放せるほど、人間が賢い生き物ではない。それはどの世界の人間も変わらず……今また、俺の前に一つの実例が生まれようとしている。
世界樹がセルジュ大森林に存在し、それが人間にとって大きな恩恵をもたらしてくれるとわかっているのならば、もう止まることはない。
「これが噂の、世界樹か」
「大きいですね……城より大きい」
「当たり前だ……世界樹だぞ?」
いつも通りの日常を過ごしていた俺の耳に入ってきたその人間の言葉は、目の前に存在している世界樹を見て感嘆の声を漏らしている物だった。
やってきた人間の顔を見るために畑から世界樹の方に近寄ったら、その場にいた複数人の人間から武器を向けられたので両手を挙げた。
「これが学者殿の言っていた、攻撃してきた奴か?」
「恐らくはそうだと思います。世界樹の権利を主張している人間で、元探索者らしいですよ」
「へぇ……この世界樹の権利を主張したって何も面白いことなんてないだろ」
男女2人ずつのグループのように見えるが……恐らく彼らは先遣隊で、後ろからもっと多くの人間が近づいていることだろう。少なくとも、シルバーウルフのグレイとマリーによって脅しをかけられた学者がこの程度の戦力で戻ってくるとは思えない。
「む、なんだ……本当に仕事があるのか」
「もう1人来たぞ」
「捕まえておいた方がいいんじゃない?」
世界樹の根本でやいやいと騒いでいると、それを聞きつけたメイがやってくる。その立派な角にはまだ気が付いていないのか、捕まえておいた方がいいのではないかと呑気に相談している横で、メイは獰猛な笑みを浮かべて指を鳴らしていた。
「こいつらは殺しても契約違反にならないんだよなぁ……久しぶりに狩りと行こうか」
「え、あの女……頭に角が──」
最初に角があることに気が付いたのは、俺の腕を掴んでいた男。メンバーに対してメイに角があるぞと伝えようとした次の瞬間には、紙屑の様に吹き飛ばされていた。
なんてことはない拳による一突きで人間が風に飛ばされる屑のように吹き飛んでいく姿を見ると、本当にドラゴンの力強さを感じてしまう。
「っ!? 警戒しろっ!」
「ふははははっ! 足掻いてみろ人間」
「このっ!」
仲間がやられたことに対して怒りながら武器を振り上げた女に対して、メイは反応することなく肌でその刃を受け止めて破壊する。ドラゴンの強靭な皮膚は、人間の姿になっていても変わらない強さを持っているらしい。
自分の手の中の武器が砕けたことに呆然としている女性に対して、メイは無造作に貫き手を放って吹き飛ばす。
「んー? 貫通したと思ったが……力加減が難しいな?」
「下がれっ! ここは逃げるぞ!」
「無駄なことを……自ら戦いを挑んでおいて速攻で逃げるなど許す訳ないだろう?」
仲間がやられたことを考えて速攻で撤退の判断を下した男は正しい。勝てない相手に対して真正面から戦うことほど馬鹿なことはないし、実際にメイと相対して逃げださない方が命を捨てていると思う。しかし……問題は逃走するにはある程度の力が必要であるということ。
逃げ出した男女に対して、メイは大きく口を開いて魔力を放出した。全てを粉砕するドラゴンブレス……人間の姿で放たれたそれはドラゴンの姿をしている時とは威力も違うだろうが、正面の森ごと人間を消し飛ばすぐらいはできるらしい。
「……うむ! 恐らく死んでおらんな」
「今ので?」
「んぁー……やはり人間の身体ではイマイチ調子が出ない。本当の姿だったらここから人間の街まで消し飛ばすこともできたかもしれんが、今のでは森も超えてないだろう?」
「そりゃあ……ねぇ」
逆に、ここからマグニカまで巻き込めるような自身がある方が凄いわ。
「しかし、小さい身体というのも案外便利だな。入れない場所にも簡単に入れるし、逃げ出した奴を追いかけるのも楽だろう? なにより普段より身体が軽い! 調子は出ないから本気で戦うのは無理かもしれんが、身体が軽いから速い動きに翻弄されることもない」
「元々翻弄されてなかっただろ」
「気分の問題だ」
そうですか。
今の先遣隊が生きていようが死んでいようが俺には関係ないことだが、あれくらいで諦めるほど人間は素直な生き物じゃない。特に、意地でも世界樹みたいなものを研究したい学者みたいな奴らは、多少の犠牲は止む無しで突っ込んでくるだろう。ただ……先遣隊が無惨な姿で帰ってくれば多少の猶予はできるかもしれない。その間にこちらもしっかりと準備しておいた方がいいか……いっそのこと、俺は顔を出さずにメイに任せた方がいいのか。
世界樹がドラゴンの縄張りになっていると強調するのならば、俺は姿を出さずにメイだけを出した方がいいのだろうが、そうするとドラゴンの討伐すれば世界樹を手にすることができると思われてしまう。ドラゴンがどれだけ強くても、絶対にどんな人間が来ても勝てる保証がある訳ではないのだから……人間とドラゴンが共存しているのだと教えておくのがいいのかもしれない。勿論、メイは絶対に嫌だって言うだろうけど。
「……それにしても人間はつくづく無力な種族だな」
「そう思うのはメイが強いからだろ。俺からすればさっき来ていた探索者たちは充分に強い人間だったと思うけど……弱く見えた?」
「あぁ……惰弱だったな。少し小突いただけで吹き飛んでいくし、仲間がちょっとやられただけですぐに逃げ出す……昔となーんにも変わらない弱い者のままだ」
「俺だって同じ判断すると思うけどな」
「いいや、お前は絶対にあの場面で逃げ出さない。逃げても無駄なことを知っているからな」
そうかなぁ……そりゃあ、今だったら無駄だと思って逃げ出さないかもしれないけど、もっと若くて馬鹿な頃だったら逃げ出していたと思うぞ?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます