第22話

パラパラ…と乾いた空気に紙が擦れる音が染みる。

 体を動かすと布団の布がこすれてその隙間から外の空気が滑り込んでそこだけが冷える。

 電気代を減らしたくてそばに置いたランプの温かい光があたりにグラデーションを作りながら手元の本を照らしている。

 ふと気がつくと、半分ほど読み終わっていることに気がつく。左手で掴んでいたページの厚さが薄くなっている。

 時計を見ると長針は十一時を差していて、いつも寝ている時間をとうに過ぎていることに気づき驚く。

 時計を見上げた瞬間に、頬を生暖かいものが流れた。

 頬の産毛さえも濡らして滑るそれは、パタと手の上に着地した。

 あのあと、ハクから預かった本を司書さんに延長してもらって読んでみることにした。

 もともと本を読みはするが、暇つぶしだったり学校の休み時間から逃避するための手段くらいでしかなかった。だからこそ、純粋に物語を楽しんだことなんていつぶりだろうか。ましてや感動で涙を流すなんて。

 安楽死が認められた世界観を描いた物語。

 まだ半分ほどしか読んでいないが、物語の特徴的な表現から世界観にすっかり飲み込まれてしまっていた。

 こもった空気で温められた布団を惜しみながらもベッドから起き上がる。

 長い間同じ姿勢でいたせいで、体が固まってもつれながらベッドから降りる。

 裸足の足に冷えた床が触れる。

 物語の世界から覚めて眠気を訴える目をこすってよたよたと廊下へ向かう。

 カタッと足になにか硬いものが当たった。

 なにかと思って足元を見ると、古びたスケッチブックと絵の具セットが適当にいれられていた。 

 懐かしい、と思ってしゃがみ込む。スケッチブックをペラペラめくっていくと幼稚なイラストがたくさん出てきた。花の絵だったり人物絵だったりいろいろな絵が沢山の色を使って思いのままに描かれている。

 私の絵だ。

 お母さんとお父さんが亡くなるまで私はお母さんが絵描き教室を開いていたこともあって絵を書くのが好きだった。

 お母さんの描く絵は暖かくて優しかった。一枚の絵に幾つもの色が水彩で混じり合っていて、素敵な世界観が出来上がる。

 パレットを片手に薄く笑みを浮かべながら真っ白なキャンパスに命を乗せるお母さんの線の細い横顔を見ているのが好きな時間だった。私が近づくとすぐに気づいてくれてテーブルに道具を置いて絵の具の飛んで鮮やかに色づけた手で私の頬を優しくなぞってくれた。

 お父さんは趣味で画家もやっていて、目を貫くような明るい色を使って抽象画を描いていた。いつも顔に濃い色をつけて血管の浮き出たキャンパスみたいに白い肌の手で私を持ち上げてくれた。

 そんな二人を見て育ったから、私も画家になりたいと思っていた。

 いつか展示会を開けるほどの画家になってお母さんとお父さんを招待するという夢を小さな体で抱えていた。

 でも、小さい頃に友だちに言われた「有名になるのは難しいんだよ。」という何気ない一言から絵がうまく描けなくなって、お母さんとお父さんが亡くなってからは絵を描こうとすると二人のことを思い出してしまって描けなくなった。

 それ以来、スケッチブックも絵の具セットも使うことがなくなってここにしまっていた。

 私はスケッチブックを持つ手にぐっと力を入れた。暗い部屋の中でもかすかな光をすがるように反射して、力を込めたところが湾曲している。

 ふっと息を吐いた。

 スケッチブックから手を離して元あった場所へ戻した。しまい終わったあと、変わらないだろうがぐっと奥に押し込んだ。

 しゃがみこんだ足はなかなか持ち上がらず、ちょっとの間自分の膝を撫でた。

 布団でのぬくもりは消えていて、もう肌は冷たくなっている。少し乾燥した膝は指に突っかかり、そのまま下げていくと膝よりは潤った太ももに触れる。

 ふと隣においたスマホを手に取った。

 裸のそれを見ていたら、カバーをつけたほうがいいのだろうかと考えを巡らされる。

 画面が明るくなり、十一時二十分と表示されている。

 人差し指をその冷たい金属の上で滑らせる。連絡先には一番上の部分にカオリと書かれている。

 通知が一つ溜まっていて、カオリから「連絡先交換してくれてありがとうございます」というメッセージとともに可愛らしい猫のスタンプがついている。

 スマホにつけていたキーホルダーのキャラクターだろうか。

 私も「こちらこそ」と打ってみたが、これだけでは冷たいかもしれないと思いスタンプを添えた。

 それを見て私は画面の上を左手で覆い、触れないように撫でた。

 耳の奥でハクの言葉が響く。

 明日、また屋上に行ってこの話をしよう。そう思った。



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