第19話
背骨が柵の冷たく硬い圧迫感のせいで凝ったように痛くなる。姿勢を動かそうとすると足元のブルーシートがかさりと鳴った。
手にはさっき購買で買ったコッペパンが握られている。隣りに座っているハクは私の財布についた鍵のキーホルダーをくるくると回している。
鍵は規則的に線を描くように回っていて、カシャカシャと音を奏でていた。
風が意外に強くて制服の繊維を通り抜けて素肌に冷気を訴える。自然と腕には鳥肌が立っていた。
朝に美咲さんから「気温差が激しいから風邪に気をつけてね」と言われたのを思い出し、屋上に来るまでに羽織を持ってこなかったのを少しばかり悔やんだ。
空は曇り空なため一面全部が真っ白だが、ところどころ青がかった影ができている。
日差しがないせいで余計寒く感じるのかもしれない。
「そういえば、早退したこと何も言われなかった、先生に。」
「でしょ、だから言ったじゃん、大丈夫だって。」
ハクがにいーっと唇を横に伸ばすとその赤黒い隙間から照らされて白く輝いた八重歯が覗いた。
その八重歯は鋭利なもので、ハクのきれいで整った顔には少し意外に見えた。
くるくると回していた鍵を止めて、手のひらで包むように少し欠けた鍵の頭をいじっている。
私はそれを何も言わずに眺めていた。
横顔だとハクの高い鼻が際立って見える。
「なんかあった?」
すると突然、ハクが鍵から目を離さずにそう言った。
力の抜けたように少し伏せてハクを眺めていた目がパッと開く。
瞳が光を取り込む面積が増えたからか、目を開く瞬間曇り空ではあるが空が光って見えた。
図書館でハクが言った「話そうよ」という声が脳内の音声プレーヤーで再生される。あの時とは違ってハクは無表情だったが、不思議と私にはあの時の笑顔が被って見えた。
ハクの流れる髪は太陽の日差しがない曇り空だとオフホワイトみたいな色をして綺麗だった。
「朝学校に来たら、机が濡れてた。アミたちじゃなくて、クラスの人がやったみたい。」
ハクは鍵の輪郭線をつつ…と指でなぞった。ハクの白い柔らかい指が鍵の上をふわりと乗って、少しだけその古びた鍵がきれいに見えた。
頬の熱が思い出したかのように鈍く傷んだ。
それでも頬に手を当てるとヒヤリとしてて、中の熱とは矛盾する感覚に脳が変になる。
クラスの人がアミたちに脅されてやったのかわからないが、むしろそのほうが妥当だと思える。でも、朝教室に入った冷たい空気のせいで嫌な方へと考えが引っ張られてしまう。
今まではまだ、傍観を貫いていても内心はアミたちを避難している人だっているだろうとは思っていたが、この前の徒競走のこともあって壊れた線路を進んでいるかもしれないと一人残され憂わしげな気分になる。
それでもまだこの屋上で、ハクといるときだけは現実逃避ができた。
「ミクにはハクがいるよ。…まあ、わかっているとは思うけども。」
ハクは鍵のキーホルダーを私の財布に付け直しながら言った。
軽々しくハクはそう言うけれど、そのセリフは私の小さな穴の空いた胸の中に染み渡った。
キーホルダーを付けるのに意外と苦戦しているのか、ハクは目を細めながら真剣そうな表情になる。眉が目と距離が近くなるとハクは少しきつい印象になって大人っぽく見えるようになる。
とうとう諦めたのか、ハクは失敗をごまかすかのようにまたまっすぐに立てた人差し指に鍵を引っ掛けた。
きっとハクがこうして人差し指を立てるときはなにか私にアドバイスをするときの合図みたいなものなのだろう。私はハクを見つめた。
「意外と出会いって身近にあるものだし、きっかけも小さなものなんだよ。例えば、友達となんで仲良くなったっていうきっかけを問われてもきっと具体的に応えられない人はわりかしいると思う。きっかけさえあればあとはなんとかなるんだよ。」
ヴァイオリンみたいな声だった。この前お店で流れていた曲のメロディーみたいな。
ハクは風で顔にかかった髪を避けることなく話し続けた。
「だから、自分から出会いのきっかけを掴みに行くんだよ。そのためにはまず行動。」
ハクが今まで言った中でも随一に何を言っているのかよくわからない。
でも無駄なことや関係ないことは言わない人物だということはそれなりに理解していたので、口を挟まず私も真剣に聞いた。
「ということで」と、ハクは珍しく終始真面目な顔で話し続け、何やら後ろから物を取り出した。
「これ、この前行った図書館に返してくれない?」
それは、表紙に「羽のない僕たちは」と書かれていて、きれいな白い肌をした人が目を閉じて横たわっているイラストが書かれていた。
ニコリとお手本のようなほほ笑みを浮かべてハクはそれを私に手渡した。
クエスチョンマークが頭に浮かぶってこういう事かもしれない。
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