第4話 43

 未知の魔道器によって身体と魔道の自由を封じられたわたしは、屋敷の外れにある離れの部屋に囲われる事になった。


 人の出入りを制限しているのか、わたしの世話をするのはリグルドの妻――フローラの役目となったようだった。


 アルサス陛下の仲立ちで、リグルドに嫁いできたのだという彼女はセンディール伯爵家の生まれなのだという。


 ――センディール伯爵家。


 新興の家だけれど、世情に疎いわたしでも知っている家名だった。


 当主のランディ殿は庶民の生まれで、冒険者として活動していたところをラグドール辺境伯に見出され、我が国では数十年振りに勇者認定された方だとか。


 その後、三十代を迎えた彼は冒険者を引退し、王宮騎士の騎動剣術指南役として王宮に招かれて叙爵されている。


 たしかミハイルくんやサリュートくんも教わっていたはずだわ。


 ランディ殿は指南役なのだから本来は戦場に立つ必要はないのだけれど、弟子だけを戦線に向かわせるわけにはいかないと、自ら進んで数々の戦の最前線に立ち、その度に戦功を立て続けて陞爵を繰り返し、いつしか伯爵にまで上り詰めた――生きた立身出世物語とも言える人物よ。


 フローラはそんな彼の長女なのだという。


 武人そのものという印象の父親と違って、フローラは人当たりの良い、柔らかな――春の木漏れ日のような印象の人だった。


 滅多に社交の場に顔を出さないわたしだったけれど、それでも家での祭事には強制的に引っ張り出される事はあったわ。


 そこで陪臣家の令嬢と交流を持つ機会も何度かあった。


 彼女達は王太子のミハイルくんと親密な姉さんや、いずれ主家を継ぐ事になる弟には、それはもうはちきれんばかりの愛想を振りまいていたけれど、床付いて長いわたしにはまるで見向きもせず――中にはあからさまに嫌がらせや嘲笑を浴びせてくる子もいたくらい。


 けれど、フローラはあの令嬢達と違って、まるで反応を見せない――人形のようになったわたしに対しても丁寧で優しい態度を崩さなかった。


 食事の時間になると現れる彼女は、わたしの世話をしながら日々の事を語ってくれたわ。


 彼女との触れ合いは、文字通りわたしに残された数少ない情報収集の機会だった。


 魔道を封じられたわたしだったけれど、食事の際や身を清める際に彼女が触れてくれるお陰で、わたしは彼女の魔道を介して霊脈に接続し、周囲の状況を探る事ができた。


 とはいえ、人の魔道を仲介したからか、それともやはり魔道器の影響なのか――わたしが探れるのはコートワイル屋敷の一部でしかなかったけれど。


 可能ならコートワイル候の思惑を探りたかったのだけれど、彼の居室は離れていて叶わなかったわ。


 歯痒い感情と焦燥感を募らせる日々の中で、いつしかフローラとの触れ合いがわたしの心の拠り所となっていった。


 そうしてなにもできないまま、一年が過ぎて――

 

 



「今日は良い天気なのですよ。イリーナ様」


 と、いつものようにフローラが部屋のカーテンを開けながら、わたしに語りかける。


 それから身支度を整えてくれて、パン粥や煮潰した野菜、果汁などを丁寧にスプーンですくっては、わたしに食べさせてくれた。


 彼女は……コートワイル候がわたしにリグルドの子を孕ませようとしているのを知っている。


 彼女がわたしの世話を始めてすぐに、彼女のローカル・スフィアを読み取ったから間違いない。


 だというのに、彼女はわたしを恨む事なく――それどころかわたしの境遇に同情すらしていた。


 いつだったか、彼女は耐えかねたように涙しながら、その内心を吐露したのよ。


 ――幼い子供達の為にも、ご当主様に逆らえない、弱いわたくしを許して、と。


 決して強い魔動を持つわけではないフローラだったから、わたしも彼女の記憶を読む事はできても感情まではわからなくて……だからその告白には驚かされた。


 ……貴女は悪くないと、そう声をかけてあげたかった。


 わたしの為に、貴女が苛まれる必要なんてないの、と彼女の手を取って告げたかった。


 けれど、人形となった今のわたしには、そんな簡単な事さえ不可能で……できる事といったら、彼女の幸いを<三女神トリニティ>に祈る事くらいだったわ。


 その日、食事を終えると、フローラはわたしの口元を拭いながら、恥ずかしそうに告げた。


「ねえ、イリーナ様。わたくし、三人目を身籠ったみたいなの」


 顔を赤らめながら、そっと囁くように告げられた言葉に、わたしは身じろぎひとつできない身体の中で、驚きの声をあげたわ。


「月のモノが来なくてね……さっきお医者の先生に診てもらったら、たぶんそうだって」


 ああ……彼女に祝福の声をかけてあげられないこの身が恨めしい!


「もし、わたくしの子がご当主様の願いに叶うなら――ひょっとしたらあなたは解放されるかもしれないわ。

 ……だから……だから、決して希望を捨てないで……」


 と、フローラはわたしに額を付けながら頬を撫で、涙を浮かべながら囁く。


 ああ、そうか。


 彼女の懐妊は……コートワイル候に対する、リグルドと彼女なりのささやかな抵抗なのね……


 その気遣いが、想いが……すごく嬉しい。


 でもね、フローラ。


 わたしにとって、運命っていうのはいつだって残酷で、決して逃げられないようにできてるのよ……


 ……今だってそう。


 突如、激しい足音と共に部屋の扉が開け放たれ、リグルドの後ろ襟を掴んで引き摺ったコートワイル候がやってきた。


「――イリーナ、喜べ! ミハイル殿下がレリーナと床を共にしたぞ!」


 喜悦を浮かべてそう叫んだコートワイル候は、一年前とは別人のようだった。


 髪は抜け落ちて禿げ上がり、痩せこけた顔に目だけがギョロギョロと強い光を湛えてわたしを見据えている。


 ミハイルくんと姉さんが結ばれたという事実を喜びたい気持ちより、これからわたしに降りかかる事態に、意識が遠のきそうになる。


「――父上! 先程もフローラが懐妊したと申し上げたではないですか! この子が生まれるのを待ってからでも――」


 リグルドが食い下がる。


「――その女からは貴様と同じ第八世代型……いや、そのもどきしか生まれん!

 アルサス陛下が推すから番わせてみたが、とんだハズレを掴まされたものだ!」


 自身の子を卑下されて、フローラは涙を浮かべて両手を握り締めるのが見えた。


 その間にも、コートワイル候はリグルドの首を掴んでわたしが横たわる寝台に放り投げる。


「さあ、リグルドよ。見ててやるから、その女を犯して孕ませるのだ! 無能な貴様でも生かしておいてやったのだ。種馬の役目くらいは果たせ!」


 と、骨張った老人とは思えない力で、コートワイル候はリグルドの衣服を引き裂いて、わたしの上に跨がらせた。


「む? 犯せと命じているのに、なんだは……」


 それからコートワイル候は寝台のすぐ横で縮こまるフローラに顔を向ける。


「女、貴様に仕事をやろう。これが役に立つようにしろ。いつも寝室でやってる事だ。簡単だろう?」


 下卑た笑みをフローラに向けて、コートワイル候はフローラもまた、寝台に上がらせる。


「無駄撃ちはさせるなよ。さあ、早くしろ!」


 いつもフローラがわたしの世話をする際に使っている椅子に腰を降ろし、コートワイル候は冷酷にそう命じる。


「……あなた……」


「すまない。フローラ、こんな僕でごめん……」


 そうして、身動きできないわたしの上で、ふたりの睦ごとが始まった。


 コートワイル候は冷徹な目でそれを眺め続けて。


 やがてリグルドのそれが反り返ったのを待って、強引にフローラを引き剥がす。


「さあ、役目を果たせ!」


「ですが父上!」


 フローラに手を伸ばすリグルドに、コートワイル候は歪んだ笑みを浮かべる。


「外で待たせている連中に、この女の相手をさせても良いんだぞ?」


 誇張なく、本気を感じさせる言葉だった。


 フローラが身を竦ませ、リグルドが唇を噛む。


 ……こんな外道、物語の中だけだと思っていたわ。


 怒りでどうにかなってしまいそう。


「おお、最初からこう脅せばよかったな。さあ、早くしろ!」


 それでも躊躇するリグルド。


 だから、わたしはわたしに触れているリグルドの足から魔道を通す。


 届くかどうかわからない。


 でも、彼の気持ちが少しでも楽になるのなら……


『……いいわ。言う通りになさい』


 封じられたわたしの魔道から彼の魔道を通し――ありったけの想いを込めて、彼のローカル・スフィアに響かせる。


 弾かれたように彼がわたしを見た。


 ……届いたのね。


「――済まない! イリーナ嬢!」


 そうして、彼が覆いかぶさってくる。


 感覚を封じられたわたしは……感情さえも凍てつかせて、まるで他人の事ようにその行為を見つめ続けた。

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