第4話 42
転移特有の一瞬の感覚の喪失。
視界が白一色に染め上げられ、けれど感覚が戻ってくると共に視界も正常に周囲を映し出す。
さして広くもない――魔道大学でわたしに与えられている研究室くらいの大きさの、窓のない石組みの部屋。
「――な、何者だ!?」
不意にかけられた背後からの声にわたしが振り返ると、そこには数人の魔道士達。
「……ここは?」
呟くわたしに、魔道士達のひとりが叫ぶ。
「――イリーナ・ベルノール!?」
「ベルノールの魔女だと!? ということは、ドニール師は――」
どうやら彼らはドニールの配下みたいね。
どいつもこいつも宮廷魔道士級の強い魔動を放っているわ。
「――捕らえろ! ここを漏らされるわけにはいかん!」
そして判断も早い。
即座に攻性魔法を喚起しだした彼らに、わたしは呻く。
侵災調伏とドニールとの対決という連戦を経た今、わたしの身体は限界に近い。
いいえ、ドニールとの戦いの最中に、わたしの身体を巡る細い魔道はとっくに悲鳴をあげていて、身体が発熱しているのがわかる。
もはや、まともに魔法を喚起なんてできないでしょうね。
わたしは生き延びる為、必死に思考を巡らせる。
捕らえろと叫んだことから、彼らは即座にわたしを殺すつもりはないみたい。
恐らくはドニールがどうなったのか、聞き出したいのね。
なら、今は怪我をして後の行動に支障が出ないように、大人しく捕まる方が賢明かしらね。
時間をおけば、魔道を整調して魔法を喚起できるようになる。
そうなれば逃亡は容易いはずだもの。
わたしは無言のまま、抵抗する気がないのを示す為に両手を挙げる。
魔道士達は慎重にわたしを取り囲むと、ロープを持ってきて厳重に拘束した。
瀕死のドニールが転移先に選んだのだから、きっとここは彼の拠点なのでしょう。
……ドニールに騙されてしまった罪滅ぼしの為にも、この場所の情報を少しでも持ち帰らなきゃね。
そんな事を考えている間にも目隠しをされた。
「おい、捕らえたは良いが……どうするんだ?」
「ドニール師の思惑がわからん。まずは閣下にご判断頂こう」
ひそひそと交わされる魔道士達の囁き。
そのままわたしは魔道士達に連れられて部屋を出る。
目隠しをされていても、反響する足音から石組みの通路を歩いているのはわかったわ。
少しするとわたしは抱え上げられた。
上下する歩みから、階段を昇っているみたい。
昇り切ったところで再び降ろされる。
変化した足音から、どうやら絨毯が敷かれているらしい通路を歩かされ、しばし歩いて魔道士の一人が扉を開いたのがわかった。
「――座れ」
と、椅子に強引に座らされ、背もたれごとさらに身体をぐるぐる巻きに拘束されると、ようやく目隠しが外される。
使用人部屋のような、寝台と書机だけの狭い部屋だった。
採光用のガラス張りの窓があって、ここが二階なのだとわかる。
そうしている間にも、部屋の外から足音が近づいて来て――扉が開かれた。
「――なんと……」
現れた人物は二人。
ひとりは金髪を後ろに撫で付けた初老の男性。
もうひとりは二十代後半と思しき青年だった。
顔立ちが似ているから、親子なのだろうか。
二人とも上等な出で立ちで、ひと目で貴族だとわかる。
わたしを見て驚きの声をあげたのは、初老の男性だ。
「……あなた達は?」
姉さんと違って社交界に縁のなかったわたしは、貴族の顔なんてほとんど知らない。
わたしの問いに、初老の男性は胸に手を当てて紳士の礼を取る。
「これは失礼。お初にお目にかかる、イリーナ嬢。
――私はレオン・コートワイル。こっちは息子のリグルドだ」
「――コートワイルですって!? じゃあ、ドニールはコートワイル家と繋がっていたという事なの!?」
わたしが声を荒げると、コートワイル候は意外そうな表情を浮かべる。
「ふむ。その様子では、導師は失敗したようだな? 貴女の信用を勝ち取ったと豪語していたが、どうやら彼は魔道の扱いはともかく、女の扱いまでは秀でていなかったようだ」
「ええ、そうね。魔道士としての彼の知識は素晴らしいと思うけど、男性としては御免こうむるわ」
ましてわたしに近づいた理由が、我が家に託された浄化の宝珠の入手だったと判明し、その為に侵災まで引き起こした彼には憎しみしかわかない。
「まあ、ミハイル殿下が出立した時点で、どの道うまくは行かないだろうと思っていた」
「……彼があんな事をしたのは、あなたの指示?」
わたしの問いに、コートワイル候は首を横に振る。
「彼はこの地の霊脈に興味を持っていたようでね。あ~……なんと言っていたか?」
「――恣意的に整調されて、歪められているんだとか。まるで目的があってそうされているような……それを成したとされる大賢者様にも興味を持っているようでした」
と、コートワイル候に促されて、リグルドが応える。
「そうそう。アレの言う事は時折意味がわからんのよ。まあ、知識は役立つと思って飼ってやっておったがな。
……イリーナ嬢がここに送られた理由はわからんが、戻らんところを見ると、死におったか?」
どうやら彼らもドニールの目的そのものは理解できていなかったようね。
姉さん達が駆けつける前――彼を追いかけたわたしと対峙した時、彼は言っていたわ。
――青の鍵の在り処を探る為、と。
それがなんなのかはわからないけれど――彼は霊脈に触れる事でそれを成そうとしていた。
思考を巡らせるわたしをよそに、コートワイル候はわたしに歩み寄って腰を折り、わたしの顔を覗き込む。
「……ふむ。見事な金色の瞳――噂通り、姉のレリーナ嬢と違って、強い魔動を持っておるようだな。
ドニールめ、最後の最後に良い仕事をしてくれたわ!」
と、コートワイル候はリグルドに振り返り、両手を広げる。
「リグルドよ! 貴様はこの小娘を犯し、子を設けよ!」
「――は!?」
図らずもわたしとリグルドの声が重なった。
「なにを驚く? すでにドニールの存在はミハイル殿下に知られておる。ならばヤツとの繋がりを感づかれない為にも、この娘を帰すわけにはいかんことくらいわかるだろう?」
「――で、ですが! わ、私の妻は……フローラです! そんな不貞を……」
「愚か者め! 貴族たるもの、女のひとりふたり囲えんでどうする!?」
室内に響くコートワイル候の怒声に、リグルドはビクリと身を縮こまらせた。
「……で、ですが、それはアグルス貴族の常識で……」
「だから貴様は軟弱だと言うのだ!」
小声で反論するリグルドを、コートワイル候は容赦なく殴りつけた。
床に叩きつけられ、リグルドは口から血の筋を垂らしながらコートワイル候を見上げる。
「第八世代型の貴様がその体たらくだから、ワシは次代――第九世代型たる貴様の子に期待するのだ!」
まるで熱に浮かされているような不安定な目で、コートワイル候は虚空を見上げて呟く。
「ああ……そうだ。ワシは不良品ではない……血が……アレの血が薄かったに違いない。
純血を今もなお維持しているグランゼスとベルノールの子――イリーナ嬢を使えば、今度こそ成功するはずだ……」
狂気とも思えるその表情に、わたしは言葉を失ってしまった。
コートワイル候のその歪んだ色を湛える瞳が、再びわたしを捉える。
「……ああ、そうだ。イリーナ嬢は導師級の魔道士だと聞いたな。抵抗されても困る。
――おい、彼女にアレを!」
その言葉に、部屋の隅に控えていた魔道士が懐から漆黒をした首輪を取り出す。
魔道士は慣れた手付きでそれをわたしの首に巻き付け――
「あ……」
瞬間、全身の魔道が抜け落ち、身体の感覚が失われた。
突然の事に理解が追いつかない。
なにが起きたの!?
「リグルド! いつまで這いつくばっておる! 小娘を離れへ運べ!」
その間にも、コートワイル候に蹴りつけられて、リグルドはよろよろと立ち上がり、辿々しい手付きでわたしの拘束を解く。
「ああ、まだ手は出すんじゃないぞ? 追って指示するまで待て。
王宮の<耳>と連絡を密にせねばな!」
「……父上、いったいなにを……」
呟いたリグルドは、再びコートワイル候に殴り飛ばされた。
「この絶好の機会がわからんから、貴様は無能だというのだ! 少しは自分で考えるという事を覚えろ!」
そう怒声をあげたコートワイル候だけど、不意に激しく咳き込み始める。
「……ぐぅ……」
口を抑えた手の平に、血が吐き出されているのが見えた。
「――閣下!」
よろめくコートワイル候に魔道士達が駆け寄って支える。
「――興奮し過ぎです!」
「むぅ……少し休む。リグルド! イリーナを移しておけ!」
そう言い残し、コートワイル候は魔道士達と共に退室して行って。
残されたリグルドは、身じろぎひとつできないわたしに歩み寄り、鼻血と涙にまみれた顔を歪めて、わたしの顔を覗き込んだ。
「……すまない。イリーナ嬢。本当にすまない……」
そう呟く彼に……身体の自由を奪われたわたしは、なにも応える事ができなかった。
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