第3話 21

「――これが怒らずにいられますかっ!」


 テーブルに空になった木杯を叩きつけ、リディアはあたしに詰め寄る。


「イ、イライザ、なんでリディアは怒ってるの? あたし、なんか気に触る事言っちゃった?」


 あたしは左に座ったイライザに助けを求めたけど――


「ん~、たぶん、それがわかってらっしゃらないからじゃないのですか?」


 彼女もまた、顔は笑っているのに目の奥が笑ってない。


 リディアと違って表情を崩してないのは、それだけ彼女が伯爵令嬢として、そして商会の会頭として研鑽を積んできたからだと思う。


 そう。イライザは今、感情を押し殺す為に貴族令嬢の仮面を着けている。


 逆にリディアは、それまでの女男爵としての仮面をかなぐり捨てたんだろうね。


 正反対な示し方だけど、共通してるその感情は――あたしへの怒り。


「はぁ……」


 と、そこへマチネが頬杖を突いて木杯を傾けながら、深々と溜息を吐く。


「ちょっと、マチネ! あんた、まるで場末の酒場でふてくされて深酒してる、おっさんみたいだよ!?」


 まるで七歳には見えない、哀愁を漂わせてるもん。


「そりゃ、そうもなるよ!

 アリシアお姉ちゃんってば、アルお兄ちゃんの事をアレコレ言ってたクセにさぁ……」


「――へ!?」


 驚くあたしの左右で、イライザとリディアが深々とうなずく。


「あれほどまでにアルの事を考えてらっしゃって、なんで親友なんて言葉に逃げるのですか!?」


「――に、逃げる? あたしが? そ、そんなワケ……」


 リディアの言葉に目を丸くすれば、彼女は逃さないとばかりにあたしの手を取る。


「いいえ。アーくんと違って、アリシア様はご自身の気持ちに気づいてないワケじゃないでしょう?

 だから、リディアの言う通り、あなたのそれは逃げですわ」


 その間に、もう一方の手もイライザに抑え込まれた。


 あたしの力なら、ふたりの手を払うなんて簡単だよ。


 でも、そうさせないだけの勢い――気迫が、ふたりの目にはあった。


「アリシアお姉ちゃんさぁ……」


 居酒屋特有のざわめきの中だというのに、テーブルの向こうでマチネが木杯を置く音が、やけにはっきりと響いて聞こえた。


 そしてあの子は、決定的な一言を告げる為に、小さな唇を開く。


 ――ダメだ。その先を言わせてはいけないよ!


 そう思うのに、喉が張り付いたように声が出てこない。


「――アルお兄ちゃんの事、大好きでしょ?」


「――あああああっ!!」


 あたしは思わずテーブルに額を叩きつけた。


 顔が酔いや痛みとは別に、赤く、熱くなっていくのを感じる。


 身体能力に優れたグランゼスの男達が暴れても良いようにと、裏面を鉄材で補強されたテーブルは、あたしの頭突きにも見事に耐えてくれた。


「そうやって突飛な行動を取っても、逃しませんわよ?」


 と、イライザが笑顔を浮かべ。


「そうです。アルやクロちゃんのお陰で、わたし達はすっかり慣れっこです。それくらいじゃ驚いたりしません」


 クソぅ、慣れっこって……アイツら、ふたりになに見せたってのよ……


 あたしは呻きながら顔を上げ、唇を尖らせて三人を見回す。


「――なによぅ。そろって人の気持ちをわかった風にさ……

 こっちは長い事かけて、ようやくコレにフタをしたつもりだったってのに……

 ――この気持ちはさ、きっとふたりがアイツに抱いてるような……恋とか愛とかいう甘ったるいものじゃないんだよ」


 ああ、もう白状してしまおう。


 このふたりになら、話したって構わない。


 マチネには、少し難しい話かもしれないね……


「……あたしはアイツに、この気持ちを受け入れてもらう資格なんてないんだよ……」


 ……思い出すのは、アルが両親を亡くして、大伯父様がアイツの立太子を内々に告げた翌日の事……


 王宮の中庭――アイツが両親とよく過ごしていた東屋のそばの茂みで……アイツは身体をうずくまらせて泣いていたんだ。


 ――僕は一人ぼっちになってしまった。


 大粒の涙を零して、吐き出すように告げたアイツの顔が今でも忘れられない。


 アジュアお婆様との鍛錬で、ベソを掻く事はあっても、歯を食いしばって泣くのを堪えていたアイツが、あんな風に涙を零したのは――後にも先にもあの時くらいだった。


 ――ひとりじゃない、と。


 大伯父様もあたしもいるじゃないか、と。


 そう告げても、すでにアジュアお婆様から王族教育を受け始めていたアイツの心には届かなかったんだ……


 大伯父様は、アルの祖父である前にローダイン王国を統べる国王で。


 あたしは再従姉はとこ――血縁と呼ぶには、遠すぎる存在だ。


 ……あの時、あたしがもう少し、賢い子供だったなら、ひょっとしたらまた違う未来があったのかもしれない。


 でも、当時のあたしは騎士に憧れて武にのめり込んだだけの――ただの子供だったんだ。


「……それでもあたしは……親友としてのあたしを頼って欲しかったんだけどさ……」


 両親を失って涙するアルに、あたしは余りにも無力だった。


「ううん。アイツが陰口を叩かれてた時だって、あたしはなんにもできなかった。

 ――その原因を作ったくせにさ……」


 恋物語のお姫様みたいに、アイツを抱き締めて慰めるなんてマネもできずに。


 あたしはただただ拳を握りしめて、ボロボロと泣き続けるアイツの姿を見つめ続けるしかできなかったんだ。


「日が暮れるまで、ふたりでそうしてたっけ……」


 いつしか侍女が探しに来て。


「翌日に会ったら、アイツはもう王太子の仮面を被ってた」


 前日の号泣がウソのように、泣きも笑いもしない人形のような表情。


 唯一感情を露わにするのは、怒りを覚えた時だけ。


「アイツをあんな風にしてしまったきっかけがあたしなら、その後、アイツが拗らせる事になったのも、あたしの所為なんだよ……」


 ――あの日、あの時……もし、あたしが別の――アイツにもっと寄り添った対応を取れていたなら。


 ずっとずっと悔やみ続けて来た。


「――ああ、考えてみれば、拗らせた事が原因でアイツは城を追われてるんだから、それさえもあたしの所為って事になるのかな?」


 酔いの所為もあって、なにもかもを白状した勢いのままに、あたしは自嘲気味に笑ってみせる。


「……そんなあたしが、どうしてアルに想いを告げられるっていうのさ?

 ――そんな身勝手な女、誰が赦そうと、あたし自身が赦せないんだよ」


 そもそもアイツには恨まれたって、おかしくないんだ。


 なのにアイツは、表向きはともかく、鍛錬の時なんかの私的な時間には、あたしに変わらずに接してくれていたんだ。


「――だからさ、あたしはアイツにこの気持ちを知らせるつもりはないんだ」


 あたしの手を掴む左右のふたりを交互に見て、あたしは鼻を鳴らす。


「……いまだに親友って思ってくれてるだけでさ、十分なんだよ。

 だから、あたしの事は考えず、ふたりでアイツを――あたしの大切な親友を幸せにしてやってよ」


 そう結ぶと、あたしの両手はより強く握り締められた。


「そんな話を聞かされて、ハイ、そうですか――と、素直にうなずくような女に、わたし達が見えますか?」


「それができるなら、ウチらそもそもアーくんみたいな面倒臭い子を慕ったりしてないわ」


 ふたりの顔から怒りの色は消えていた。


 ただただ困ったような苦笑が、そこにはあって。


「アリシア様がわたし達を応援すると仰るなら、わたし達はアリシア様を応援しちゃいますから!」


「そうそう。あの偏屈男は、ウチら三人で面倒みて、ようやくちょうどいいくらいだわ!」


「まあまあ、アリシアお姉ちゃんはまだまだ呑みが足りないね。

 ここまで来たら、全部、吐き出しちゃおう?」


 と、マチネはあたし達の木杯に次々と蒸留酒を注ぎ、氷を落としていく。


「ささ、アリシア様」


 リディアに木杯を握らされ、彼女自身も自分の木杯を捧げ持つ。


 イライザもまたリディアに倣って木杯を掲げ、あたしはそんなふたりに促されるように、同じく木杯を掲げた。


 マチネもまた、椅子の上に立ち、テーブルの上に手を突いて身を乗り出して木杯を突き出し――


「――女泣かせな朴念仁にかんぱ~い!」


 そんな音頭を取った。


 みんなで吹き出しながら、木杯を打ち合わせ、中身を一気に呑み干す。


 こんな呑み方をするような弱いお酒じゃないんだけど、なぜかそうしなければいけない気がしたんだよね。


 そして、今度はイライザが顔を寄せてくる。


「アリーは――あ、そう呼んでも良いわよね? これだけ胸の内を話し合った仲だもの。良いわよね? そうしよう!」


 すっかり泥酔してるイライザは、あたしの同意を待たずにひとりでうなずき、あたしと肩を組んで、話を続ける。


「アンタの事だもの。旅に出たのにも、今の話みたいな、重い、おも~い理由があるんでしょ? この際、話しちゃいなさいよ……」


「ああ、それ、あたしも思いました。

 アルがああなってしまった事に責任を感じてるはずのアリシアが、それでも旅に出るなんて、理由があったんですよね?」


 む、一見酔ってないように見えるリディアも、いつの間にかあたしへの敬称が無くなってる。


 まあ、そんな事、いちいち指摘しないけどね。


 むしろ、仲良くなれたみたいで嬉しい、かな?


 だから、あたしも気安い口調で応える。


「――お、重いってなんだい!? ちゃんと考えがあっての行動だよ!?」


 あたしの気持ちどうこうは、この際置いておくとして。


 このふたりには、その話もしておくべきだとは思うんだ。


 話題を逸らすわけじゃないよ?


 むしろ、これを話す事で、あたしがもう親友という立場に納得してるって、ふたりにわかってもらう為に話すんだ。


「ちょっと長くてややこしい話しになるからね。

 ふたりとも、途中で寝ちゃわないでよ?」


 幸い時間はまだ宵の口でたっぷりある。


 それでも時間が足りないなら、三人をあたしの部屋に招いたって良い。


 マチネが言う通り、この際だから、全部話してしまうのも良いかもしれない。


 なにせふたりとも、あたしと同じくらい、あいつを大切に想ってくれているのだから。


 ……マチネだけは――なんか上から目線で謎だけどね……

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る