第2話 16

「――だが、貴女は別だ。イライザ嬢。

 貴女は救われなければならない……」


 レントン殿がウチを見つめて告げる。


 ビクトール様がウチを憐れむような目で見つめながら、彼の言葉を引き継いだ。


「ああ、そうだ。

 ……イライザ嬢。聞けば君は幼い頃から、商会でこき使われてきたそうじゃないか」


「――ハァッ!?」


 驚きの余り、淑女らしくない声をあげてしまったわ。


「大丈夫。調べはついてるんだ。ローゼス商会は君の商才を利用する為に発足されたんだろう? 

 事実、君が成人するまでは会頭はヘンリー殿だったが、君が実務を行なっていたのはわかってる」


 ……わかっているもなにも、ウチの顧客の間では有名な話だわ。


 ただ……


「――自らの懐を潤す為に、幼い子供を働かせるのは赦せない。きっとイライザ嬢はローゼス家でひどい扱いを受けているだろう、と、陛下は仰せでね」


 ……そんな風に解釈されてしまうなんて……


「――そんな事実はありません!」


 ウチはテーブルを叩いて反論したわ。


「大丈夫だ。イライザ嬢。我々は貴女の味方だ」


 レントン殿は本気でウチを気遣っている表情で、優しくそう告げてくる。


 それから……彼は腰に括り付けていた文筒ふみつつから中身を取り出した。


 それはカイル陛下の署名と玉璽による押印が成された、正式な命令書だったわ。


「ローゼス伯爵に陛下のご下命を伝える!

 ただちにイライザ嬢を解放すること。また、彼女が有する権利・資産のいっさいの共同所有及び相続を禁ずる!」


「――君も父親のように暗殺なんてされたら困るからね」


 と、ビクトール様は片目を瞑って微笑む。


「なお、イライザ嬢の身柄保護と貴族位の維持の為、ビクトール・トランサー伯爵との婚姻を認めるものとする!」


「つまり、この結婚は君を守る為であり、そのまま伯爵家の生活を保つ為のものなんだ」


 ……こんな手を使うなんて……


 ウチは絶句して、言葉が出てこなかったわ。


 明らかにウチとローゼス商会を、伯爵家から切り離す事が目的の命令。


 正直なところ、ウチを娶りたいなんて、目的はそれしかないとは思っていたわ。


 だって、ビクトール様とは社交シーズンに二、三度挨拶を交わした程度の交流しかなかったのだから。


 商会欲しさに婚姻を求めるのなら、なんとか反論して断ろうと考えていたのだけれど……甘かったわ。


 ビクトール・トランサーの実の父親が、コートワイル宰相だという事を完全に失念していたのよ。


 まさか王命を使ってくるなんて……


「――ふざけるなっ! こんなバカな話があるか!!」


 と、お義父とう様が激昂して立ち上がったわ。


「我が伯爵家がなにを言われようと構わない! それは公平と真実の女神テラリス様がいずれ明らかになさってくれるだろうからな!

 だが、イライザを巻き込むな! この娘は――この娘はなぁっ!」


「――待って、お義父とう様っ!!」


 怒鳴りながら、ビクトール様に掴みかかろうとするお義父とう様を、ウチは慌てて抱きついて止めたわ。


「おやおや、すでに悪事はバレているというのに、なお娘を想う父親のフリか……ローゼス伯爵は演技がお上手だ。

 イライザ嬢に稼がせるのではなく、ご自身が役者になってはどうかな?」


 ビクトール――もう、様なんて付けたくないわ――は、勝ち誇った笑みを浮かべ、お義父とう様を嘲るようにそう言ったわ。


 顔を赤くして唸るお義父とう様をソファに座らせて、ウチはビクトールを見据える。


 ……手詰まりね。


 王命を出された以上、ウチに打つ手はない。


 ウチにできるのは、せめてローゼス家に被害が及ばないように立ち回る事だけだわ。


 ……ああ、バートニー村で過ごした日々が、すごく遠い昔のように感じるわね。


 たった数日だったけれど、アーくんとリディア、それにクロちゃんや村の子供達との時間は、本当に本当に楽しかった……


 ……アーくん、ごめんね。銀晶鉱脈事業への協力、できそうにないわ……


 仮面に覆われた彼の顔を思い描きながら、ウチは心の中で謝罪する。


 ため息をひとつ、ウチは覚悟を決めて。


「――ひとつ、約束してください。

 今後、ローゼス家に害を成さないと」


「それはローゼス家次第だが……少なくともこちらからなにかする事はないと約束しよう」


「口約束ではなく、文書にしてください。

 あとでが明らかになっても、困りますので」


 ……これくらいの皮肉は許されるでしょう?


「……わかった。紙とペンを」


 ウチはお義父とう様に目線を送る。


「おい、イライザ……」


 顔をしかめるお義父とう様に、ウチは首を振る。


「……今は、これが最良なのですわ」


 そう応えると、お義父とう様は唇を噛んで、テーブルの上のベルを鳴らしたわ。


「――お呼びでしょうか?」


 と、ドアから現れたのは、執事長とミリィで。


 お義父とう様が執事長に契約に使う制式紙の用意を伝えている間、ミリィは廊下からカートを引き込み、お茶の用意を始める。


 無言でお茶の用意を進めた彼女は、それぞれの前にティーセットを配膳して行き――


「……お嬢様、こんな時になんですが、アタシ、少々、お暇を頂こうと思います」


 ウチの前にカップを置くと、不意にそう告げて来た。


「え?」


 驚くウチに、ミリィはビクトールに見えないように片目を瞑る。


「ホラ、このところ忙しくて、ぜんぜんお休み貰えなかったじゃないですか。

 お嬢様、嫁がれるって話ですし、今を逃すとお願いする機会がなさそうなので。

 ちょっとまとまったお休み頂いて、旅行でも行きたいな~って思ったんですよね」


「ああ、メイドよ。気にする必要はないぞ。イライザ嬢の身の回りの事は、ウチの者にさせる。存分に休日を楽しんでくるが良い」


 と、ミリィの主人でもないくせに、ビクトールが勝手に許可を出す。


「わぁ! さすがトランサー伯爵様! ありがとうございます!」


 ミリィは両手を合わせて喜び――


「これで本場のバートニー芋を食べに行けるんですね! 嬉しいっ!」


「ミリィ! アナタ、アーく――」


 ――アーくんを巻き込もうというの!?


 という、ウチの驚きの言葉は、抱きついてきたミリィによって留められたわ。


「……巻き込まない方が、あの方は怒りますよ?」


 そう、ウチにだけ聞こえるように耳打ちしてきて。


「――すぐに戻りますので、お嬢様はトランサー家で待っててください! 数日はひとりで大変かもしれませんが、頑張ってくださいね!」


 笑顔でそう続けると、彼女は一礼する。


「失礼しました。それではアタシ、さっそくお休みに入らせていただきます!」


 と、ミリィは満面の笑みを浮かべて退室して行こうとする。


「――ミリィ!」


 お義父とう様が思わずといった風に彼女を呼び止め。


「……その、なんだ。私からもよろしく頼む」


 多くを語れない為に、お義父とう様は顔を苦渋に歪めながら、絞り出すようにそう言ったわ。


 ミリィは顔だけ振り返ると、親指を立てたわ。


「任せておいてくださいよ。旦那様にもしっかりお土産持ってきますから!」


 そうしてミリィは今度こそ退室して行き、入れ替わるように執事が用紙とペンを持って戻ってくる。


 ……巻き込まない方が、あの方は怒りますよ?


 ――ミリィがそう言ってくれたから。


 ウチはもうちょっとだけ、頑張ってみようと思うわ。


 きっと、あの人なら、きっとウチらでは思いもしない方法で、この行き詰まった状況を打ち砕いてくれると信じて……

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