第2話 14

 ローゼス領は西アベル渡河街道を通って、王都の南西に馬車で三日ほどの距離にあるわ。


 馬車駅を使って飛ばすなら、その期間は半分ほどに短縮できる。


 西にグランゼス公爵領を望み、ローゼス、グランゼスの両領の南には観光名所として名高いランカート渓谷が雄大に横たわっているわ。


 そのランカート渓谷の南向こうがトランサー領よ。


 アーくんがゴルバス将軍や<竜牙>騎士団と訓練していたと語った山地は、グランゼス公爵領側のランカート渓谷ね。


 あちら側の渓谷はローゼス側と違って、山地の間を縫うように走っていて、その高低差が騎士達の訓練にうってつけなのだと、アーくんは言っていたわね。


 窓の外を流れる景色を眺めながら、そんなどうでも良いことを考えてしまう。


「――イライザ……大丈夫かい?」


 と、ぼんやりしていたからか、心配そうにヘンリーお義兄様が声を掛けてきたわ。


「ええ。ちょっと考え事をしてただけよ」


 そう応えて笑みを浮かべれば、お義兄様は深々とため息をつく。


「家同士の事なのに、君を巻き込む事になってしまって、すまない……」


「あら、家同士の事だからでしょう?

 本当の家族と思って欲しい――と、仰ってくださったのは、ウソだったのですか?」


 お義父とう様やお義母かあ様、そしてお義兄様も――父さんを失くしたウチを優しく迎え入れてくれたわ。


 特に伯爵夫妻は「ずっと娘が欲しかったんだ」と仰ってくれて、そのお言葉通り、本当の娘のように可愛がってもらった。


 十歳上のお義兄様もまた、両親のようにべたべたとした可愛がり方はしなかったけれど、勉強を教えてくれたり、商会を立ち上げる時は成人前のウチに代わって、会頭を務めてくれたりと、お義兄様なりにウチを大切にしてくれたわ。


 ヘンリーお義兄様は困ったような表情を浮かべて、肩を竦める。


「君には敵わないな……」


「口は商売人の武器ですもの!」


 そう言って見せれば、お義兄様の顔に苦笑とはいえ、笑みが宿ったわ。


 道中でのお義兄様の説明によれば。


 トランサー伯爵――ビクトール様は、ある日、一方的に訪問日時を記した手紙を送りつけて来て、返事をする間もなく領屋敷に訪れたのだそうよ。


 そしてウチを結婚相手に指名し、不在とわかると屋敷に滞在し続けているんですって。


 お引取り願おうにも、彼はすでに婚姻承諾書を用意していて……その後見人には、彼の父、宰相リグルド・コートワイル様の署名までされていたようなの。


 ……あとはウチとお義父とう様が署名するだけの状態。


 当然、お義父とう様は、なぜウチなのかを訊ねたそうよ。


 そうしたら……


 ――かつて我がトランサー領で起こったは、ローゼス家によって引き起こされたものである!


 と、切り出し……


 ――事の発端であるローゼス家が、よりにもよってその被害者の娘を引き取る事などあってはならない!


 そう続けて。


 ――本来ならば、ローゼス家ごと陛下に訴えるところだが、当時の記録はすでに抹消されているだろうから、せめて被害者の娘を私が娶り、救い出すことで被害者の弔いとするのだ!


 ……と、彼は堂々と言い放ったんですって。


 あの事件のなにをどう解釈したら、「ローゼス家が事の発端」でウチが「ローゼス家に引き取られる事などあってはならない」事になるのかしら……


 そこからは水掛け論。


 ビクトール様は、とにかくウチを出せの一点張り。


 ウチを隠すのは、後ろ暗い事――虐待をしているからだとまで言い放ったんだとか。


 ……それにしても、なんで今さらあの事件を引っ張り出してまで、ウチなんかを……


 ビクトール様の思惑がわからず、ウチは不安な気持ちを抱いたまま、再び窓の外に目を向ける。


 遠く、ローゼス領都の市壁が見え始めて来たわ。





「――おお、イライザ! 忙しいところ、本当に済まなかったね!」


 屋敷に着くと、お義父とう様とお義母かあ様が出迎えてくださったわ。


「……あなた、ちゃんとご飯食べてるの? 痩せたんじゃない?」


 取引先との調整の為、このところずっと忙しく動き回っていたから、化粧で隠していても同じ女性のお義母かあ様にはわかってしまったみたいね……


「お久しぶりです。お義父とう様、お義母かあ様。

 少々、お仕事でバートン男爵領まで出かけていたので、疲れが出ているのかも……それでそう見えるのかもしれませんわね」


 優しく抱き締め、頬を撫でてくれるお義母かあ様に心配させないよう、ウチは笑顔で応える。


「バートン男爵領というと……」


 お義父とう様は白いものが混じり始めたアゴヒゲを撫でながら、ウチに問いかける。


「……が、おまえに後を託した土地だったね?」


 現在、この屋敷にはビクトール家の護衛騎士も滞在しているのだという。


 チラリと向けられたお義父とう様の視線を追うと、玄関ホールの隅――出入り口には、軽甲冑を着込んだ見知らぬ騎士の姿があったわ。


 ローゼスの騎士ではないわね。


 そもそもローゼス家では――お義父とう様は、騎士は領民の為にあるとして、屋敷ではなく領都内の団舎に常駐させているのだもの。


 屋敷に騎士がいる事の方が珍しいのよ。


「ヘンリーから聞いているだろうが……トランサー伯はあの事件の真犯人がウチだと言い張っていてね。

 コートワイル候から王宮騎士を護衛として借り受けて来たようなんだ……」


 それが今、屋敷に滞在しているというワケね……


 本当に途方に暮れたように眉尻を下げて、お義父とう様はため息を吐く。


 王宮を追放されたアーくんの名前を口にするのは、現在の貴族社会では禁忌のようなものなのよね……


 だから、お義父とう様はアーくんの名前を出さず、『彼のお方』という言い方をしたんだわ。


 アーくんが王宮を追われて行方知れずとなった後も、ウチがバートン領と取引を続けている事をお義父とう様も知っているわ。


 それはお義父とう様が仰った通り、あの地との取引は、アーくんに託されたものだから……居なくなってしまったあの人に代わり、ウチがあの地を守ってみせる――と、そんな風に考えていたからなんだけど……


 ウチは入り口の騎士を横目で見ながら、彼に見えないように、お義父とう様に抱擁の挨拶をするフリをして、耳元に口を寄せる。


「……お義父とう様。私、あのお方を見つけました。今回の訪問は、その確認だったのですわ」


 お義父とう様にしか聞こえないように、小さくそう囁やけば――


「――なっ!?」


 お義父とう様は驚きの声をあげかけ、慌てて口をつぐんだわ。


 本当か、と、問うように目を見開いてウチの顔を見つめる。


「ええ。実際にお会いして、お話もさせて頂きました。

 ……色々とあったようですけど――お元気でしたわ」


 途端、その見開かれた目が涙に潤み、お義父とう様はぐっとまぶたを閉じて顔を上に向ける。


「……そうか。そうかぁ……」


 様々な――本当に様々な感情がこもり、そして溢れ出た呟き。


 その時、ホール階段の向こう――二階の廊下から、こちらに向かってくる足音が聞こえてきたわ。


 ウチはお義父とう様のお背中をさすって。


「ええ。お義父とう様のお時間が許されるのでしたら、一緒に会いに行きましょう?

 今、私達、とある事業を計画中ですのよ?

 ――ですから……」


 ウチは足音のする階段の上を見据える。


「――おお、待っていたぞ! イライザ嬢!」


 そう声高々に訴えながら現れた金髪の男性――ビクトール様を睨みながら。


「……この茶番をさっさと終わらせましょう」


 お義父とう様にだけ聞こえるように囁き、ウチはお義父とう様との抱擁を解いて、階上に向けてカーテシーして見せる。


「――大変お待たせしたようで、申し訳ありませんでした。

 で馳せ参じました、イライザ・ローゼスですわ」


 まずは先制攻撃よ。


 同じ伯爵位のクセに、偉そうにその家の者ウチを呼びつけた事に対する皮肉を交えて、ウチはそう名乗った。


 さあ、ここからは伯爵令嬢イライザ・ローゼスとしての戦いよ!

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