2.同窓生

 声の主はおれとピートの首根っこを掴んで引き剥がし、間にあった書きかけの証文をさっと取り上げた。上品な暗色のコートを着て薄茶の髪をやはり上品になでつけている。眼鏡越しの顔がおれらを等分に冷たく見下ろすので、おれとピートの返事にも反感がこもる。


「ん〜? なんだ、エリート眼鏡じゃねえか」

「ロナルド!? お前はこのクラブの会員じゃないだろう。何しに来た!」


 ガレンドールでは、貴族や業界の紳士たちが交流するための社交クラブが数多く存在する。もとは貴族の子息たちから広まった文化だが、ピートのような裕福な市民が立てたクラブもある。そういうとこではおれのような外国人でも会員になれる。

 ロナルドはおれと同年だが、エリントン侯爵家の嫡男だし職業はお堅い検察官だしで、商売人の集まるこのクラブには全くもって場違いな存在だった。


「友人と待ち合わせだ。ピート、お前はちょっと見ないうちにまたでかくなったな」

「美食家の必然さ。贅沢してせっせと金を回すのは富豪の義務だからな」


 二人はもともと知り合いだ。学生の頃、王立学園でアーノルドの取り巻きをやっていた。おれも実は留学時代にロナルドやアーノルドと同じクラスだったが、当時はほとんど交流してなかったからこいつとはピートの方が気安い仲だろう。


「流通業の鑑だな」


 ロナルドは挨拶を済ませると、手にしたおれの証文を指先で弾いた。


「カードの賭け金か。こいつのレートもちょっと法外じゃないか?」

「ここのクラブじゃそういうルールだ」

「ほう? ちょっと調べてみようか?」

「…チッ!」


 途端にピートは立ち上がった。でかい腹がテーブルを突き上げ、まだ残っていたグラスの中身が盛大に踊った。


「おっと」


 おれがグラスを押さえているうちにピートはどかどかとラウンジから出て行った。

 ロナルドはその背中を見送ると証文を破り捨てた。近くから椅子を引き寄せて腰を下ろす。


「まったく、何て体たらくだ」

「だよな。あれでファッションリーダー気取りだってんだから笑かすぜ」


 酒がかかった手を舐めながら相槌を打つと、ロナルドは真顔でおれに指を突きつけた。


「お前のことだ、サイード!」

「はあ?」

「殿下の大親友にしてシェヘラザード妃殿下の信頼厚い弟のお前が、こんな酒浸りの賭け狂いになってるなんて、二人が聞いたら大嘆きするぞ」


 なんか説教が始まった。だりーな。

 おれはテーブルの上でひじ枕をし、眼鏡を見上げた。


「あいつらなら、わざわざ言わなくたって知ってるだろ」

「開き直るな! お前、本当に殿下と一緒に南洋で大冒険をこなしてきたのか?」

「ああ、アーノルドは実にいい相棒だったぜ。あいつの今があるのは、百パーおれのおかげと言っても過言じゃねえな」


 余った手をひらひらと振ると、ロナルドは片頬を引きつらせた。歯ぎしりの音が聞こえそうな形相だ。


「こんな…こんな軽薄で不敬千万な奴、俺たちを差し置いて殿下が親密になさっているとは…信じられん。許せん」

「うはは」


 おれは笑い出した。身を起こして、今度はテーブルに両足を乗せる。

 『親密に』って、そんな言い回しをすんのはお前だけだ。普通は『親しく』だ。


「お前こそ口のきき方に気をつけろ。本音がこぼれてるぞ」


 眼鏡は一瞬眉を動かしたが、それ以外は平静を装った。隠し慣れてるな。


「あいつがお前に、望んだほどには心を開いてくんなかったのは自業自得だろ」


 いい機会だから説教返ししてやるか。こいつもまた、じっとりしたもんをおれに向けてくるんだよな。うぜーぜ。


「不敬とか何とか、そうやって子どもの頃からお前らが崇拝してばっかいるから、あいつだって背伸びするしかなかったろ。気の毒だと思わねえか」

「将来は臣下なのだから仕方のないところもある。だが、悩みがあればいつでもいくらでも力になるし、実際そうしてきたつもりだ」

「なーにが。重いだけだろそんなん。おれはあいつとは身分なんか関係ねえ付き合いをしてたんだ。大体身分なんか意味がねえ世界だったしな。あいつはただの『冒険者のアーノルド』になれて、ずいぶん生き生きしてたぜ」


 おお、唇噛んで耐えてるぞ。


「ただ素のままのあいつを見りゃ良かったのに。眼鏡をしてても、目そのものが曇ってりゃ世話ねえな」

「…お前は見ることができたと言うのか?」


 言外に『の殿下を』って台詞を乗っけてきてる。


「あのなあ」


 おれはロナルドの喉元を掴んで引き寄せた。周りに聞こえないように囁く。


「そういうねちっこいこと言ってっから、あいつに振られんだろ」

「ばっ…」


 眼鏡はてきめんにうろたえた。


「ふっ…不敬もいい加減にしろ! そんな事実はないし、俺は…何も言ってない。言わなかった」

「ほう」


 ロナルドは身をよじって逃れたが、もういっぺん掴んで引き戻す。


「じゃあいっぺんくらいチャレンジしてみても良かったんじゃないか? あいつの器は底なしだからな、慈愛の心で受け入れてくれたかも知れねえぜ」


 今度は奴はおれの手首をぎりりと握って引き剥がした。耳まで赤くしてるのがとにかく滑稽だ。


「くっははは!!」

「…冗談もほどほどにしろ。俺はただ、俺とお前じゃ何が違うのか…ずっと気にはなってた」

「もう言った」


 おれはグラスの残りを飲み干した。


「大体よ、おれと比べんのが間違いだろ。姉上と比べろよ。一発で分かるだろ」


 ロナルドは不満そうに顔を脇に向けた。


「ま、それだけじゃなくアーノルドはな、実は超弩級に好みがうるせえんだ。並のじゃあ奴を射止められねえんだよ」

「……」

「もういいか。このネタで二度とおれに絡むなよ」


 あと、何で堕落したとかも言うなよ。その辺の説教は秘書の担当だ。


 おれはテーブルから足を下ろして立ち上がった。思ったより体が揺れて、またテーブルに手をつく。ついでにロナルドにもう一言囁いた。


「過去を邪推するより、今カレを大事にしな」


 そしてピートに吹っ掛けられた臭い息を耳元におすそ分けしてやる。奴はびくりと体を震わせたが、もう放っといておれはラウンジを出た。ロビーには見知った顔が突っ立って、さっきからこっちをうかがってた。


「よう、オーギュスト」

「ああ」


 蜜蝋色の髪をし、狼のような野性味を感じさせる若い男だ。こいつも外国人の会員で、隣国の紡績商だ。おれに軽く手を挙げると、ラウンジへ入っていった。つまりロナルドの待ち合わせ相手だ。あとは任せるからちゃんと面倒みろよ。


 ふらつきながらクラブの外へ出ると、いま一番会いたくない女がおれを待っていた。


「――サイードさんっ!!」


 おれの秘書だ。丸眼鏡をかけた小柄なフィニーク人の娘で、あおい髪から青白い憤怒の炎が上がってる。怒鳴られておれは思わず前をかばうように腕を上げながら、軽く身をすくめた。


「お、おうミナ。…早かったな」


 居どころがばれるのが。


「いっつもここにいるじゃないですか! 明日もスケジュールみっちりなんですから、とっとと帰りますよ!」


 ミナはおれの腕を一本捉えて自分の両腕で挟み込むと、ずんずんと馬車へ引っ張っていった。アルコールが何回かおれをつまずかせ、ミナにぶつかる。


「またこんなになるまで飲んで…東方大陸こっちのお酒はフィニークのよりずっと強いんだから、控えるようにっていつもお願いしてるのに」

「ほっとけ」

「そんなわけには参りません!」

「わかったからガミガミ言うな」


 馬車に放り込まれ、ぐだぐだとなりながらも辛うじて座席に尻を引っかける。猛烈に眠くなってきた。


 おれはここで一体何をやってんだろうな。


 アーノルドはめでたく結婚相手を見つけたし、姉上は天上の主を引退しなかったものの、人間の女として生きることにした。アーノルドと一緒になって子どもも生まれて、家族ごっこを十分味わってる。


 おれは姉上にとっては用済みのはずなのに、まだガレンドールにもユーシェッドにも縛られてる。


 役割しごとが終わっても、人生は続く。果てしなく退屈な人生が。


 窓の外を見上げると、きんとした冬空に冷たい色の月が浮かんでいた。酔いでかすんだ目には星までは見えない。一つでかい欠伸をし、おれは胸の中で呟いた。


 ――姉上、いい加減に弟離れしてくれよ。




――――――――――

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