第2章 預かり子
1.山賊の帰還
ユーシェッドの屋敷は、相変わらず素っ気なくも堅牢そうな構えだ。おれは正面玄関の門扉を開け、中へずかずかと入っていった。
「誰だ!? 勝手に入ってくるな!」
若い召使いが慌てて出てきておれの前に立ちはだかった。
「お前、新入りか?」
「それが何だ!」
「おれは、召使いに顔を忘れられるほど長く家を空けちゃあいねえぞ」
そいつは目をぱちくりさせると、
「正面から押し入ってきたちんぴらとはお前のことか、サイード。十五になって、海賊から山賊に転職したか?」
「抜かせ」
おれとシャヤールは睨み合った。隊商宿で手紙を受け取ってすぐ、おれだけ単騎で帰ってきたから確かに山旅の格好だ。頭は長い
「髭も生えない小僧がそんなものを提げて、一丁前になったつもりか」
「てめえこそ、髭だけはご立派だがその貫禄に見合う嫁さんは見つかったのかよ?」
「何だと!? 貴様、年長への口の利き方をどこへ置いてきた!」
シャヤールは気色ばんだ。ハフェズと親父殿が現れたのを見て、おれを指さしながら彼らに食ってかかった。
「父上! 叔父上はこいつを躾け損ねたようですよ! 今すぐ性根を叩き直さないと手遅れになりますよ!」
残念ながらその訴えはまるで取り合ってもらえなかった。親父殿は軽く片手を上げて奴を制すると、おれに歩み寄った。
「あとでな、シャヤール。サイード、よく帰ってきた」
「ああ、すっ飛んで来たぜ」
ハフェズも並ぶ。
「ちょうどよく間に合ってくれて、ホッとしたぞ」
「間に合う?」
「今夜は、父上が連邦総督に就任した祝いの宴だろう。その手紙を受けて帰ってきたんじゃないのか」
「あ? あー、そうだな、それもあった」
「? 他にも急用があったのか?」
おれは答えず親父殿に目配せした。親父殿は自室におれを招いていき、改めて
「仕事中に呼び戻してしまったな」
「どうせ帰り道だったし、到着が三日早まっただけさ」
「オーランとはうまくやってるか」
「あたぼうよ。シャヤールも、もっぺんオーランに付いて勉強し直した方がいいんじゃねえか」
おれが初めて叔父オーランの隊商に参加してから数年が経っていた。最初の旅から戻った後、おれはまたいつもの商船に乗り組んだ。大陸沿いだが少し遠くの航路にも出張るようになり、帰ってくると隊商の南回りルートにも参加した。その後は隊商と商船に交互に参加して過ごしていた。この生活の中で、それぞれの旅の知識はもちろん、取引相手との駆け引きから山賊海賊との渡り合い方まで、覚えられそうなことは手当り次第覚えた。もうすぐ十五になるが、とっくに剣も酒も覚えていた。
「それより」
おれは懐から手紙を取り出した。折りたたんだ紙をひろげ、さらに包まれるように小さくたたまれていたもう一通の紙をひろげて親父殿に示した。配達人が隊商のルートを逆にたどっておれたちのいた隊商宿に着き、至急だと言ってこれを届けた。確かにおれにとっては最優先すべき内容だった。だからすぐさま戻ってきたんだ。
「姉上がおれを呼んでるってな本当か」
「うむ」
この数年、屋敷には稀にしか顔を出すことができなかった。いつも滞在時間が短すぎて、姉上に直接会うことができずかろうじて親父殿から消息を確認できるだけだった。
それが、初めて姉上からの手紙を受け取った。それには、『サイード、時が来ました。あなたに会いましょう』とだけ書かれていた。なんと直筆だ。姉上は字が書けたのか。まあ、読み書きできる女は少ないが、天上の主の威光があれば教育を要求することはできるだろう。
「何があった?」
「まずはお前に話すと言っている。行ってやれ」
「おう」
何がっつっても、やっぱ「お務めを果たす」って話だろうけどな。
部屋を出ると、召使いたちが忙しく右左に走り回っていた。おっつけ宴の客たちもやってくるだろう。おれは、足早に女部屋の扉へ向かった。
* * *
隠し廊下にさっと入ると、当たり前ながら「開かずの部屋」の扉は変わりなくそこにあった。
かつて母上が居た部屋は、今はハフェズの妻子が入ってる。近しい間柄の人間がいなくて女部屋に立ち入りにくくなったのも、姉上においそれと会えない原因の一つだった。だが、今日は来るべき理由がある。
おれは扉を薄く開けてすべり込み、同時に中へ声をかけた。
「入るぜ、姉上」
姉上は、昔見たのと同じ定位置にいた。もう小娘ではなく、成長した若い女の姿だ。無事に追い出されずにいてホッとするぜ。
小部屋の前まで行くと、姉上は相変わらずの棒読みで挨拶した。
「お久しぶりです、サイード。ご無沙汰していました」
おれは眉根を一瞬ぎゅっと寄せた。大股で小部屋に上がり込むと二歩で姉上の傍らに迫り、いきなりその膝に頭を預けて寝転がった。
「サイード?」
「ご無沙汰してました、じゃあねえだろ姉上。家族ならこんな時、何て言うべきだ?」
「…お帰りなさい」
「そうそう。間違えんなよ」
姉上の顔を見上げてにやりとすると、おれは起き上がった。他人行儀にしたらいつでもこうして、家族の絆を思い出させてやるからな。
改めて、あぐらの上に頬杖して姉上を眺める。いま多分十八歳のはずだ。けどもっと大人っぽい妙齢の女のようにも見える。普通ならもう嫁に行っててもおかしくない。娘盛りをこんな穴ぐらに押し込めてるなんて、天上の主はとてつもない大損をさせてるぜ。
「サイードは大きくなりましたね」
「ああ、お陰さんで」
「もう大人ですね」
念押しみたいに言われると、どう返したものかと思ってしまう。まさか、隊商宿でどんな部屋に泊ってたのかまでは知らねえだろうな。
おれはあぐらの足首を両手でつかまえ、ちょっと肩をゆすると話を継いだ。
「それより、姉上も元気だったかよ? 飯はちゃんと世話されてそうだな」
「はい。ですが、少し問題が起きています」
「問題?」
「ばあやさんがお辞めになって、世話をする者が代替わりしました。それもあって、私のことを秘密にしておくのが次第に難しくなってきているようです」
「そりゃあそうだろ。もともと無理があったんだ。今までほとんどばれてないのが不思議なくらいだぜ」
「これまで察した方々には、知らぬふりをしていただくようお父様が命じていました」
ん? じゃあ実は知ってる奴って結構いるんじゃねえのか? 皆で茶番をやってたってのか。
「お父様も、以前はお母様のお部屋を訪ねる名目でこちらへも顔を見せていたのですが、今はそういった口実を作ることができず」
「家長なんだから、変な細工しねえでどこでも好きなとこへ出入りしたらいいじゃねえか」
おれは真っ直ぐここへ来たぞ。
「家長なので、どうしても人が注目してしまうのですよ」
「面倒なこった」
「それで、第一夫人のパリーヤ様のお部屋に泊まられたときに寄っていただいていたのですが…」
「パリーヤにばれたのか」
「そのようです」
それで、親父殿はパリーヤを納得させるために事情を話してしまったらしい。
「しょうがねえな。もう開き直ってこの部屋から出た方がいいんじゃねえか?」
「その予定です。手紙にも書いたでしょう」
「おうそうだ! 『時が来た』って、例のお務めを果たす時が来た、ってことか?」
おれは膝を打って身を乗り出した。
「はい」
「それで? おれは何か手伝えるのか」
「あなたには…」
姉上は、珍しく言い淀んだ。
「いえ、少し込み入った話になるかもしれません。今日は屋敷の中が立て込んでますし、明日落ち着いてお話ししましょう」
「わかった」
おれは立ち上がった。
「さあ、あなたは宴に出る支度をなさい。髪も服も砂だらけ」
おっと、お節介な台詞も言えるようになったじゃねえか。いいぞ姉上。
つい笑みが漏れたが、もう背を向けてたので見られはしなかった。
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