第10話 何でも屋:桜宮日色の場合
もちろんそんなにも勉強漬けの夏にしたいのではない。夏休みにだけ会えるあの子との再会を楽しみにしていたからだ。日色の家はさほど裕福ではない一般家庭だ。日常的に予備校に通うとバカにならない金額になる。なので長い夏だけ夏期講習に通っていたのだが、そこで出会った少女と友だちになり、日色は予備校に通うのを楽しみにしていた。
彼女がどこの学校に進学したのかは風の噂で知っている。この近辺では有名なお嬢様学校、清心女子高だ。指折りの進学校であり、風紀が厳しいことでも知られている。なのに胸を強調した制服なのはどういうことだと突っ込みたくなるのだが。
あの制服を着た
地味目な、メガネの、文学少女っぽい彼女だが、日色の目からはとてもかわいく見えた。予備校で他に友だちを作るでもなく、休み時間になると屋上に上がって、日色が弾くギターに合わせて一緒に歌ったりもした。一緒に過ごした3回の夏。そのどれもが懐かしい。
「どーして僕は連絡先を聞かなかったんだろう」
スマホを眺めつつ、日色は本日何度目かの独り言を呟く。
陰キャの日色にしてみれば、他校の女子の連絡先を聞くなんてことは恥ずかしくてとてもできなかった。その難易度は筆舌しがたい。しかしその勇気を絞り出せなかったことを、今は激しく後悔している。清心女子高の前をうろついてみようかとまで考えたこともある。しかしそれではストーカーだ。不審者として通報されても不思議ではない。
なのでサーチに勤しむ日色である。キーワードは清心女子高。何かイベントの報告でもあって、その中に悠里がいないかを探すのだ。
我ながらヘタレだと日色は思う。
今日も清心女子高の有名人、
どうやら今回、初めての動画が完成したらしい。日色は興味を持ってそのリンクをクリックし、動画を見て、唖然とした。
右端で懸命に踊っているメンバーの1人を認めたからだ。
――彼女だ!
メガネはしていないが、間違いなく悠里が、いかにもアイドルっぽいコスチュームをまとって躍っていた。文学少女の悠里がスクールアイドル活動を始めるなんて、日色には想像もできなかったが、これは朗報だ。やっと掴んだ彼女の消息だ。しかし、しかしだ。どうやって彼女とコンタクトをとればいいんだ……
日色は30分近く悩んだ挙げ句、結局、連絡先の一つをタップした。
『そろそろ連絡をくれる頃だと思っていたよ、下僕4号』
くっ……と日色はここは堪える。3年間、真凜にパシられた暗い記憶が彼女の声とともに蘇ってくる。辛い。
「な、なんでそう考えた?」
『もったいつけるつもりはない。悠里ちゃんと知り合いなんだって? 下僕4号の分際であんなにかわいい子と知り合いだなんて、これはおしおきが必要だね!』
中学時代の日色の女王様、湯島真凜は実に面白そうな声で答えた。
「知り合いで悪いか?」
『いやいや。感心したところだよ。隠れてやることはやっていたんだねえ。見直したよ。悠里ちゃんは夏期講習に行けないってことを教えてあげようと思って』
そうか。彼女も夏期講習には行けないのか。それを知って少し安心した日色だ。少なくとも彼女が自分がいなくて残念に思うことはない。少々自意識過剰だと思わなくもないが、そんな風に思って貰えたら嬉しいと考えていたことも事実だ。
「スクールアイドル活動のためか?」
『そうそう。ウチもやってるんだけどさ。動画、見た?』
「ああ。頑張ってるな」
『だけどあれが今の限界点なんだ。もっともっと限界を上に上げないとならない。それにはウチらだけの力では無理だと思うんだ』
「またパシる気満々だな!」
中3の夏休み、彼女のショートムービーを撮るのに散々こき使われたのだ。しかも猫を被ってお嬢様風にして、タチが悪い。
『下僕1号は喜んで来るそうだぞ』
下僕1号とは日色の中学時代のクラスメイトでもある、
「……え? 来る?」
『そう。スクールアイドル研究会の映像担当として下僕1号を招集した。有能な下僕4号は来てくれるかな? 今なら鼻先にニンジンがぶら下がっている気分だろ? 「夏休みにだけ会えるあの子」に夏休みじゃないのに会えるんだからさ』
「僕が清心女子高に出入りできる――ってこと?」
『そうそう。下僕4号は有能だからね。作詞作曲、ギターが弾けて、料理ができて、大道具も作れる。単なる雑用にするにはもったいない』
清心女子高に出入りできると言うことは悠里に会えるということでもある。
『招集に応じるかい』
完全に真凜には日色の弱みを握られていた。
「……応じる」
『最初から答えは決まっていただろうに』
全て見透かされている。それが真凜の怖いところだ。
『じゃあさ、悠里ちゃんを驚かせたいから、週末、清心女子まで来てくれないかな。せっかくだからウチらの練習光景も見て欲しいし』
「ああ」
『詳細は連絡入れる』
そして真凜との音声通話が終わった。
跳び上がりたいほど嬉しい気持ちと真凜にパシられること間違いなしの閉塞的な感情とが複雑に入り交じったが、数秒後には嬉しい気持ちが圧倒的に勝った。
今年も悠里に会える。
半ば諦めていただけにこのことは陰々滅々としていた日色にとって、このことは特効薬になったのだった。
あの男の子が早月ちゃんの思い人かあ。
そんな風に悠里はステージの上から、講堂の観客席に入ってきた男子を眺める。キャップを被り、黒基調の服を身にまとい、ギターのソフトケースを背負っているところは日色に似ている。顔は、結構違う。早月ちゃんの思い人は、いい男だ。一方、日色はどちらかというとかわいいと言った方が適切だ。
悠里はステージ衣装なのでスカートに気を付けて、中身が見えないよう気を付けてしゃがみ込み、ため息をつく。
「日色くん、動画、見てくれたかな……」
SNSに精通している真凜に世間の感触を聞こうかと思って、悠里はステージの上に彼女の姿を探したが、いつの間にかその姿は消えていた。なお、彼女が呼んだ助っ人は先週来てくれて、今週は練習の最初から動画を撮ってくれている。
早月がステージ脇の階段を駆け上り、ステージ脇で制服から
全員着替え終わったら通しでリハだ。新しい動画の撮影を兼ねている。日色からリアクションがあるまで、動画を撮り続けて欲しい。もしリアクションするなら、動画投稿サイトでもできるのだから。
早月が舞台袖からコスチュームに身をまとって出てきて、真凜がステージ前の階段を駆け上ってきて、全員が揃った。
リーダーの澄香が8Kビデオカメラをセットしている真凜が呼んだ助っ人、下僕1号こと、羽山望に合図を出す。8kビデオカメラは固定で、もう2台をリモートでコントロールしている。
音楽が始まり、全員がセットする。
そして4分23秒のスクールアイドル研究会の最初の1曲が始まった。
どうにかこうにか悠里は
「OK!」
羽山からOKが出てようやく、スクールアイドル研究会9名は脱力する。今日はもう何度も踊って歌っているので、もう力が入らない。完全にスタミナ切れだ。
悠里はその場にまたしゃがみ込み、嘆息してしまう。
「見ててくれたら、きっとがんばれるのにな……」
他の子たちの助っ人がそれぞれ仕事をしているのを目の当たりにすると悠里はどうにも寂しくなる。彼女がスクールアイドルを始めたのは日色とコンタクトをとりたいからなのだ。
「悠里ちゃん! すごくよかったよ」
「へ!?」
悠里は日色の声が聞こえた気がして面を上げた。
ステージ下のすぐそこに、やっぱり黒基調の服を着て、ギターのソフトケースを背負った日色がいた。早月の助っ人とそっくりな格好で、見間違えたのかと、思わず2度目してしまった。
「ひ、日色くん! どうしてここに?!」
「下僕4号が僕のあだ名なんだ……」
日色は恥ずかしそうに頭を掻いた。
真凜は自分の助っ人のことを下僕1号と呼んでいた。さてはショートムービーを撮ったときのスタッフの1人が日色で、真凜は当然、悠里の「夏休みにしか会えないあの子」が彼だと言うことを分かった上で、悠里に秘密裏に話を進めたのだ。
「真凜ちゃん!?」
真凜と悠里のステージ上での並びは近い。真凜はすぐ側でこの面白すぎる邂逅を眺めて楽しんでいた。悠里は立ち上がって、真凜をぽかぽかと軽く叩く。
「ごめんごめん。でもさ、サプライズの方が嬉しいだろ」
「嬉しいけど、嬉しいけど~~!!」
「積もる話もあるだろ。しばらく休憩だから、一緒に休んだらどうかな?」
真凜はイタズラっぽく笑った。
舞台袖に休憩スペースを作ってあるので、着替えさえしていなければ、男子でも入ることができる。最後に着替えていた早月の名誉のために、先に制服を畳んであげてから、悠里は日色を案内する。
舞台袖には学校机を向かい合わせに置いて、椅子を4脚用意してある。机の上にはアイスティーが入っている保冷ポットとロリ枠のメンバー、
「日色くんが突然来てくれてびっくりしたよ。来るの知らなくてよかった。知っていたら踊れなかったかも」
「そうなの? びっくりしたのは僕も同じさ。まさか悠里ちゃんがスクールアイドルを始めるとはね」
「なりゆきかな」
悠里も椅子に腰掛け、焼き菓子を口にする。未梨亜の焼き菓子はプロ顔負けだ。しっとり、それでいて重くてバターがしっかり効いている。美味しい。
「僕は高校の夏期講習で十分だって、予備校の夏期講習には行けないことになったから、こんなカタチで君と会えて本当に嬉しいよ」
かわいい笑顔で日色に言われ、悠里は自分の頬が赤くなったのが分かった。
「私もそう。学校の夏期講習だけでも手一杯の上、何も考えないでスクールアイドル始めちゃったでしょ? だからスクールアイドル研究会に入ったのを少し後悔していたんだ。でも、これでその後悔もなくなった。吹き飛んだよ!」
「え!?」
日色の反応で、思わず心の内を言葉にしていたことに気付き悠里は動揺した。これでは日色に会いたかったと口にしたも同然ではないか。ならばいっそ、言ってしまおうと悠里は開き直る。
「――そう。私も日色くんに会いたかったんだ」
「僕も……でも、清心女子高に出入りするためには、スクールアイドル研究会に参加しないと許可が出ないって聞いた。だから僕もスクールアイドル研究会を手伝いたい。この夏も、君に会える夏にしたいんだ」
ふふふ、と悠里は笑ってしまった。それは悠里が思っていたことでもあるからだ。
「君に会える夏にしたい――それは私もだよ」
「僕は割と器用なんだ.知っての通り、作詞も作曲もできるし、ギターも弾けるし、大工仕事も料理もできるんだ」
「そんな必死にならなくたって、私はいなくならないよ」
悠里は嬉しすぎてにやけが治まる気配がない。
「そうだ! それはそれとして、忘れちゃいけないことがある!」
日色はスマホを取り出して、QRコードを悠里に見せた。
「はい!」
「……うん」
悠里はスマホのカメラでそれを読み込み、日色がスマホがメッセージの着信を知らせた。これで2人は繋がった。
こうして「夏休みにだけ会えるあの子」はいなくなった。
秋の文化祭に向け、スクールアイドル研究会のステージを成功させるべく、これから熱く燃える夏が始まる。
その中には悠里と日色の2人もいるのだ。
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