理想的で完璧な粗食

 目が覚めれば、部屋の外の方から何やら物音が聞こえてくる。


「……八時か」


 誰か帰ってきたか、もしくは——。


 とりあえず自室を出て、リビングに向かう。

 部屋の扉を開ければ、


「おはよう、焔」


 予想は後者の方が当たったか。

 エプロン姿の幼馴染み——芹澤せりざわ水月がキッチンで作業をしていた。


「……なんでいんの? 水月」


「昨日、学校帰りにここのカードキーを借り受けたからよ。あなたの面倒を見てほしいって」


「誰からだよ」


燈莉あかりちゃん」


 ああ、なるほど、姉貴か。

 それなら納得だ。

 ……いや、納得はできるけど、自分の鍵を渡してどうすんだよ。

 一人暮らしとはいえ、実家ここの鍵なきゃ困るだろ。


「あいつ、家に帰ってくる気あんのか……?」


「話をした限りだと当分はなさそうね。今日から全国回るって言っていたから。帰ってくるのはお盆だそうよ」


「……なんで弟の俺よりお前の方が姉貴の生活事情に詳しいんだよ」


「あなたがコミュケーションを取らな過ぎなだけよ。それよりもさっさと顔洗ってきなさい。その間に朝食の準備を済ませるから」


「あいよ」


 大人しく指示に従い、洗面所に向かうことにした。


 今みたいに水月が俺の家に来るのはそう珍しいことではない。

 俺と水月が住んでいるのは、同じマンションの同じ階——部屋はちょっと離れているけど——なのに加えて、幼い頃から家族ぐるみの付き合いが続いているので、その気になればすぐに互いの家に行き来できる関係にある。

 そして、俺も水月も両親が仕事でよく家を空けがちなので、こうしてどっちかの家で飯を食うことは日常と化していた。


 ——だとしても、こんな朝っぱらから鍵持った状態で来られるのは初めてだけど。


 洗顔と歯磨きを済ませてリビングに戻れば、水月が既に椅子に座って待っていて、テーブルの上には食糧らしき何かが並べられていた。


「あの……テーブルに乗ってるそれは何でしょうか?」


「何って、見れば分かるでしょう。朝食よ」


 平然と言いのける水月。

 しかし、俺の目の前に映るそれは、朝食とは到底表現し難いものだった。


 幾つかの仕切りで小分けされたスチールトレイに盛られているのは、あまり味のしなさそうなクラッカーと無色透明な球体型のゼリー、それから赤、黄、緑と信号機カラーに並べられた何か。

 軍用食よりも人間性を捨て去って栄養補給だけを目的にしたような一皿は、はっきり言って……うん、見るからに全くもって食欲が唆られない。


「はあ……もう作ったのかよ、ディストピア飯」


「ええ。昨日言ったでしょう。これで手打ちにしてあげるって」


「聞いたけど……まさか朝飯からとは思わねえよ」


 ちゃんと食うけどさ。

 昨日の禊でもあるわけだし。


 観念して席に付き、もう一度プレートに視線をやる。


「一応確認するけどさ、ちゃんと食べられるんだろうな?」


「勿論。味は一切保証しないけど、栄養価は自信を持って保証するわ」


 できれば逆がよかったな。

 切実に、マジで。


「……ま、いいや。頂きます」


 手を合わせてから早速クラッカーを一口齧ってみる。


「おー、相変わらず小麦粉の味しかしねえ」


「小麦粉と塩と油だけで作っているもの」


 つまりいつものプレーンクラッカーだな。

 これだけは安心安定の最低限、問題なのはここからだ。


「あのさ、食う前に訊いとくけど、この透明のプルプルしたのなに?」


「それはミネラルウォーターをゼラチンで固めて冷やしたものよ。コップを使わずに水分補給ができることをコンセプトに作ったわ」


 それ普通にミネラルウォーター単体でよくねえか?


 思ったが、こういうのは言わぬが仏か。

 何事も試してみないと分からないこともあるし。


「……じゃあ、この信号機みたいなのは?」


「赤いのは、大豆ミートをトマトと人参、それからアセロラと一緒にミキサーにかけてから塩胡椒とスパイスで味を整え、最後に焼き固めたもの。黄色いのは、茹でてからペースト状にした鶏のささみをゆで卵とふかしたカボチャ、じゃがいもと混ぜてマヨネーズで味付けしてマッシュしたもの。そして緑のは——ほうれん草に小松菜にブロッコリー、ケール、ゴーヤ、それから大葉、えんどう豆、ピーマン、キャベツ、アボカド、青リンゴ、キウイフルーツ……あとセロリとパセリとクレソンをミキサーにかけてから寒天で冷やし固めたものよ」


「とりあえず最後のやつだけ地雷臭がえげつないのだけはよーく分かった」


 要するに青汁ゼリーじゃねえか。

 これだけは食う前から間違いなくクソマズいやつだって分かるわ。


「なあ、毎度のことだけど、なんでこれ作ろうと思った?」


「そんなの栄養が良いからに決まっているじゃない。いい、焔? フルダイブ下でのパフォーマンスは、コンディションの良し悪しによって大きく左右されるの。あなたもそれはよく分かっているでしょう」


「それは……うん、まあ」


 フルダイブ中は動かすのが脳だけである分、実際に体を動かす以上に体調不良による悪影響は顕著に出る。

 風邪を引いてる時とか睡眠不足の時なんかはガチで最悪で、普段の六割の実力を発揮できれば御の字レベルにパフォーマンスが低下してしまう。

 だからなるべく徹夜を避けて睡眠時間は確保するようにしているし、昨今のプロゲーマーの多くは、アスリート並みに体調管理に気を遣っているそうだ。


「完璧なパフォーマンスは、健康的な生活から。健康的な生活はしっかり栄養の摂れる食事から。この完全栄養食プレートは、その重要なコンディションを整える第一歩なのよ」


「代わりに人間性をかなぐり捨ててるけどな。それにどれだけ栄養があっても食えなきゃ元も子もないだろ」


「そこは……ほら、気合いで食べるのよ。人間、何かを得るためには何かを代償にしなきゃならない場合もあるのだから」


 言って水月は、徐に自分の皿に盛った青汁ゼリーをスプーンで掬うと、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべた。


「……おい、作った本人がめちゃくちゃ躊躇ってどうすんだよ。余計、怖くなるじゃねえか」


 ったく、こうなるんだったら作らなきゃいいのに。

 けれど、水月の性格的にそれは無理な話か。

 摂取する栄養を一切妥協しなかったからこそ、こんなディストピアが作られるわけだし。


 ——仕方ない、俺も腹を決めて食うとするか。


 一つ深呼吸。

 スプーンを手に取り、


「「いただきます」」


 自然と声を揃えて、青汁ゼリーを口に運ぶ。

 そして、俺も水月もあまりの不味さに悶絶、撃沈するのだった。




————————————

体調不良がフルダイブ中のパフォーマンスに影響するように、カフェインブーストも現実以上によく効きます。ですが、その分カフェイン切れた時の反動もデカいので、用法・容量には細心の注意が必要なようです。

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