本棚

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読書

 僕の読書全盛期は小、中学生の頃。今も本棚に残っているものを片っ端から羅列してみる。ハリーポッター、獣の奏者、No.6、シャーロックホームズ、パスワードシリーズ、謎解きはディナーの後で、放課後はミステリーとともに、カラフル、The MANZAI…

 ファンタジーやミステリーを中心に、当時の話題作は一通り抑えていたようだ。学校の図書室からメジャーな古典小説やら伝記やらを借りていたことを考えると、読書量もバリエーションも年齢の割には豊富だったようだ。


 しかし、僕の読書史はそこで途切れる。高校、大学と年を経るにつれ時間が無くなった…わけではない。確かに周りには優秀な人が多い環境であったから必死に勉強したし、部活は体育会だったから土日も休まず練習練習だった。それでもゲームをする時間はあったし、アニメのイベントやライブにもたくさん行った。単純に、読書という存在を忘れたのだろう。

 読書を思い出したのは本当に最近のことである。朝、出勤するのが憂鬱でふらふらと迷い込んだ駅の本屋。話題作すら知らず何を手に取ればいいかわからない、かといって立ち読みもせず本棚を眺めるだけで去るのは悔しい。そんな葛藤の中で結局僕は偶然視線と同じ高さにあった一冊の小説を持ってレジに直行し、そのまま会社に向かった。その日の帰りの電車は運良く座ることができた。そして、その本を数ページ読んで、僕は読書を思い出したのだ。


 読書を忘れる、思い出すとはどういうことか。思い出すまで本を一切読んでいなかったのか。そんなことはない。むしろ、世間の平均よりたくさん読んでいると思う。ただ、その本は小中学校の頃に読んでいたようなものではなく、資格の教科書だったり、自己啓発本だったりする。

 僕がそれらの本では得られなかったものがある。手に取った時の高揚感、世界に入り浸って外界からの刺激が完全に遮断される数時間、前触れもなく突然我に返る瞬間がやってきて、外が真っ暗になっていたときの何とも言えない気持ち。こういう経験を与えてくれるものが僕にとって読書であるらしい。


 あの本を手に取ってから、僕はまた読書に没頭するようになった。昔のように時間が余っているわけではない。自由があるのは仕事が終わる20時から睡魔に抵抗できなくなる24時前後の間のみ。ご飯を食べるし、風呂に入るし、ゲームもする。それでも本を読む。時間を、現実を無視するというのは素晴らしい癒しだ。

 そして、昔と変わったことがもう1つ。本を読み終わった後のどうしようもない虚無感をアウトプットする手段がある。今僕が書いているこれである。誰に読まれたとかそんなのを度外視して、本から与えられたものを言語化して不特定多数に押し付けることができる。これも、最高のメンタルケアだ。

 そんなわけでこれから本を読むたびに、僕は僕の体験をここに垂れ流していく。そうして、自分の好きなものを他人に無責任に押し付けることができたら満足だ。

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