エメラルドグリーンの飴玉

区隅 憲(クズミケン)

エメラルドグリーンの飴玉

 結婚指輪を渡された時、彼氏を振った。

理由はあたしが欲しかったエメラルドグリーンの指輪じゃなかったから。


 19歳と28歳。一年間のお付き合い。

長いようで短かった恋人関係が、昨日の夜あっさりと終わりを迎えた。


 

 梅雨の15時アパートの部屋で、あたしは彼に連絡を取った。

『おかけになった電話をお呼びしましたが、お出でになりません』

今日は彼の会社も休みの土曜日なのに、音信不通だった。


 馬鹿みたいだと思って、彼の履歴を全部消す。

それに割り込むように、今流行りの『A-NON』のミュージックが流れた。


「もしもし、真奈美?」


 あたしは、スマホを耳にあてる。

明るくてちょっとチャラい雰囲気の声が返ってきた。


「ああ~、もしもし祐季~? 今日って暇ぁ~?」


「……うん、暇だけど?」


「あっ、そうなの? 私てっきり三俊さんとデートしてると思ったんだけど」


 遠慮のない真奈美の声。

それは半分からかうようでもあった。


「……ううん、全然。だってあたし、三俊さんのこと昨日振ったから」


「えっ!?」


 途端に真奈美の朗らかな声が、ピタリと止む。

けれど気まずい空気は一瞬で、いつものチャラい感じの声にすぐ戻った。


「……ああ~、そうなんだ。まぁ、そういうのって相性もあるからね。何があったかわからないけど、あんまり気に病まないほうがいいんじゃない?」


「……うん、それで、用事って何?」


「ああ~、ええ~っと」


 話を促すと、真奈美は少し言いよどむ。


「実はコンパやろうと思ってさぁ、祐季に付き合ってもらおうって思ってたの。だって周りの友達で彼氏いなかったの私だけじゃん? 短大卒業するまでに、やっぱ恋人って作っておかないとだし」


「うん、わかった。じゃあ、どこでやるの?」


「えっ!? いいの?」


 躊躇いなく承諾したことに、真奈美は驚いた声を上げる。


「うん、いいよ。だってあたしも今フリーだもん。彼氏募集中。もし真奈美に彼氏できたら、あたしだけボッチになるじゃん」


「ええ~、何それぇ?」


 真奈美は半分笑ってあたしのジョークに受け答える。

けれどあたしの声は、自分でも少し震えているのがわかった。



*****



 真奈美と約束を交わし、あたしはコンパのための洋服を買いに出かけた。

いつも利用してる街中のデパートに辿りつく。


 今日はそこで、彼とデートする約束の日でもあった。

雨のなか傘を差し、キョロキョロと入口の辺りを見渡す。


 けれど、彼の姿はどこにもない。

約束の時間なのに、知らない人影ばかりが目に映る。


 それは、そうか。

あんなひどい振り方をしたのだから。


『こんな地味なシルバーリングなんていらない!』


 その一言をいってから、それっきり。


 愛想を尽かされて当然だった。

あたしはふと、彼との出会いについて思いだす。



 彼と出会ったのは、真奈美が開いたコンパの席だった。

地味で冴えない感じのおじさん。それがあたしの第一印象。

コンパの中で一番年上なのに、もじもじして俯いて、一言も喋らない。


 それをあたしが空気を読んで、声をかけた。

そうしたらあたしが好意を持ってるって勘違いして、やけに向こうは饒舌になった。

それで何となく雰囲気がよくなって、そして、そのまま――


 あたしは彼に甘えてばかりだった。

彼も、彼女はできたのは初めてだからと、甘えられると嬉しがった。

デートの時はいつもランチを奢ってもらったし、欲しいものは何でも買ってくれた。


 だから、それが当たり前になって、あたしは彼に我が儘ばかり言うようになった。

それがどんどんエスカレートして――


 傘を打つ雨音が大きくなる。

それに伴って、街中の喧騒も大きくなった。

あたしは今、ひとりぼっち。

じんわりと、目頭が熱くなる。


 慌てて目を擦った。

自分から振った癖に、馬鹿みたいだ。

こんな既に破綻した待ち合わせの場所にいたって、彼が来るはずない。

だからあたしは踵を返し、闇雲に雑踏の中を歩いた。



*****



 地図アプリも開かずひたすら歩くと、寂れた商店街に入った。

シャッターで閉じられた店が多く、開いてるのは半分ほど。


 あたしは自分で自分の行動に呆れてしまった。

こんなとこ来たって、ダサい服しかないでしょ。


 それでも、デパートから遠ざかるための言い訳みたいに、商店街の奥深くまで進む。

すると、小さな洋服店を見つけた。ガラス扉の中は薄暗く、経営してるのかどうかすらわからない。


 それでも他に行く宛てもないから、あたしは店の中に入る。

すると「いらっしゃい!」っていうおばあさんの声が響いた。

あたしの他に客はいない。


 何となく気後れして、あたしは声を無視して店中を散策する。

意外なことに、有名アパレルメーカー『ミューズ』の洋服があった。

ネットでファッションサイトをチェックしてるから知ってる。

これ、今大流行してて、有名人のチャンネルでも紹介してるやつだ。


 でも、かなり高い。値札を見ると、2万3000円。

学生のあたしじゃかなり厳しい値段だった。

どうしようか迷う。


 時計を見ると、コンパの時間までもう少しだった。

今あたしが着てる服は、彼から買ってもらったものだった。

でも今となってはトレンドから外れてるし、古臭くてダサい。


 こんな姿で行っても、きっとコンパで笑われる。

真奈美は今日来る男子はみんなハンサムだって言ってたのに。

だからけっきょく、あたしは『ミューズ』の洋服を購入した。



*****



『ミューズ』の袋を持って出ると、真向かいに駄菓子屋があることに気づいた。

店の前には、兄妹らしき小さな子供がいる。

みずほらしい恰好で、兄のほうが壊れかけの傘を差して、妹と肩を寄りそっていた。

見るからに、貧乏って感じの子供。


 ――子供はいいよなぁ。見た目なんて気にしなくてよくて。


 皮肉交じりにあたしは、心の中で呟いた。

何となく、時間が押してるのに足を止める。


「佳苗、何がいい? 兄ちゃんが何でも買ってやるからな」


「じゃあ私、これがいい」


 妹が指差したのは、メロン味のキャンディだった。

たった一本、白い棒の部分を掴んで兄に渡す。

それはあたしも知ってる。たった10円で買える安物だった。


「本当にコレでいいのか? 兄ちゃん、もっと高いやつ買ってやるぞ?」


「ううん、これでいい」


 妹はブンブンと頭を振る。


「じゃあ、もっといっぱい買ってやろうか?」


「ううん、1本だけでいい」


 妹はまたブンブンと頭を振る。

そしてキャンディから兄の顔へ視線を移して笑った。


「だって、兄ちゃんが買ってくれるものなら何でも嬉しいから」


 雨音がさっと耳の奥でざわめいた。

胸がキュッと締め付けられて、何か心の奥でもやもやと膨らんでいた気持ちが、破裂した。

ショックを受けて、あたしは一歩も動けなくなる。


 気が付いたら、兄妹はもう買い物を済ませ、店を出ていた。

妹は包み紙からキャンディを取り出した。

肩を寄せ合う兄の傍ら、白い棒が刺さった飴玉を、空に翳す。

にわか雨が降る曇り空の下、わずかに太陽の光が差しこんで、飴玉はキラキラと反射する。


 それはエメラルドグリーンの宝石よりも、きれいだった。



*****



 あたしは押しかけるように洋服店にもう一度入ると、ついさっき買ったばかりの『ミューズ』の服をレジカウンターに置いた。


「これ、返品させてください!」


「えっ!?」


「お代は入りません! 返品させてください!!」


 そのまま強引におばあさんのほうに突き返すと、急いで外に出て、電話をかける。


「ごめん真奈美! 今日のコンパ、あたしキャンセルするから!」


「えっ? どうしたの急に?」


「大事な用事ができたの!」


 あたしは電話を切る。

そしてすぐに、彼に電話をかけた。

『おかけになった電話をお呼びしましたが、お出でになりません』

それでもあたしはスマホに、メッセージを吹きこむ。


「三俊さん、ごめんなさい。やっぱり今日のデート、一緒に行きませんか? あと5分で、向かいますから」


 メッセージを残すと、あたしは街を走りだした。

水たまりを踏みしめて、靴がびしょびしょになって、何度も足がもつれて。

傘だって店の中に忘れてしまったから、全身が雨ざらしになった。


 それでも、彼に会いたい。今すぐ、彼に会いたい。

その気持ちだけが、ひたすらあたしをがむしゃらに走らせた。


 息を切らせて、デパートに辿りつく。

視界がべっとりと雨で滲む中、彼の姿を探す。


 彼が、いた。

スーツ姿で、軒下で何度も、腕時計をチラチラと見ていた。

けれどふいに、その顔が上がる。


「祐季ちゃん!」


 あたしに気づくと、慌てた様子で彼が駆け寄ってきた。

すぐにあたしに傘を差し出して、雨からあたしを守ってくれる。


「祐季ちゃん、大丈夫? ごめん、今日は急に会社から出勤しろって言われて。だから、連絡する時間もなくて……怒ってる?」


 あたしは顔を伏せたまま、ブンブンと頭を振る。


「ごめんね祐季ちゃん……エメラルドグリーンの指輪なんだけど、今ちょっとお金が足りなくて……また、貯金がたまったら、ちゃんとした指輪を渡すから」


 その言葉に対しても、あたしはブンブンと頭を振る。

そして彼に、勢いよく抱きついた。


「祐季ちゃん?」


「エメラルドグリーンの指輪なんて、いらない」


「えっ!?」


「三俊さんが買ってくれた、最初の指輪がいい」


 抱きついたまま彼に向かって、ずぶ濡れになった笑顔を上げる。


「だから、いま、指輪を嵌めてください。あたしも、三俊さんと結婚したいです……」


 あたしと彼は、抱きあったままじっと見つめ合う。

けれどやがて彼が腕をそっと離すと、静かに返事した。


「うん、わかった。結婚しよう、祐季ちゃん」


 そして彼はカバンからシルバーリングを取り出し、あたしの左手の薬指に嵌める。

その結婚指輪はエメラルドグリーンの指輪よりも、きれいだった。

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