月影明けの黒い黎明

第1 to 0話 闇路を拓く、黎明の子。


 それは、9年前の出来事であり、運命の分岐点であった。


 2015年……人間と『累人ルイン』の間で、暴力を伴った果てなき抗争が繰り広げられていた頃。

 

 

 そんな時代から逃げた様な荒れ果てた小山の頂上に、とある見窄らしい小屋があった。


 鬱蒼とした木々によって外界から遮られるそれは、屋根や壁がわずかに歪んであり、素人目にも雑に建てられた物であることは明白であった。


 その小屋は、雑然と言うより混沌と形容した方が良い。中に引き込まれたケーブルはとある『装置』に接続されており、そのリングの中、裂け目が収まってる。

 そのすぐ手前には手術台が一つ、壁沿いにはメス等の動画が収められたワゴン、心電計等々のモノに加え、二つの茶色い小瓶の中に、それぞれ紅蒼の小石が水の中に浮かんでいた。

 そう。今まさに、とある『実験』がこの小屋で行われようとしていた。



 「——皆、用意はできた、ようだね。じゃ、始めようか。先ずは切開っと言うわけなのだが。」

 台で仰向けに眠る子供を眺め、手術着の——蒼月稜馬あおづきりょうまが声を上げた。


「‥‥‥‥」

「今更何を躊躇うのだい?黎宮君‥‥‥この為に『デザイアチルドレン』を作ったのだろう?」

「すまない」


 黎宮創旬れいのみやそうじゅんはそう答えたが、心配の表れか、手術台に向けて頻繁に瞬きを繰り返している。

 

「‥‥‥行こう。」

 蒼月はその言葉を飲み込んだ。

 黎宮は私より四つ下の二十五だ。まだ青いひよっ子だ。

 ‥‥‥最悪、私が1人で——

 蒼月はそう考え、顔を横に向け、

「ああ。では永見君、頼んだよ。」と。


 蒼月の呼び出しによって、部屋の隅に控えていた黒コートの男——永見荘吉ながみそうきちが、小瓶を手に取り、背中を預けていた壁から中央の手術台へ進み出た。

 

「では、行かせて貰います。」

 茶色い小瓶の蓋を開け、てのひらにあの小石を取り出し、蒼い片方を蒼月に渡し、彼自身は紅い片方を手に取り、握りしめた。


 

 粘液を纏っていた青いそれは、数多の生物の肉片が集まり、心臓のような鼓動音を発して、淡く、それでいて強い赤と青の光が握り拳から漏れ出ていた。

 永見の方は……金属のような何かが、その石ころの内部にある。


「これが、所謂『原石』……例の、オーパーツ。今回は青が『ルイン』の、赤が『us soul being』の元となる原石でありますので……」


 永見は拳から漏れ出る光を眺めながら語る。黎宮は、蒼月の掌に乗った細かに震える塊に魅入られたかのように固まり、息を呑んでいた。

 

「そんな御託はしなくとも分かる、ハナから知ってる。早く仕上げてしまおう」

 大きく深呼吸をした蒼月が、「よし、」との掛け声と共に子供の薄い胸にメスを入れ‥‥数センチ下に下げ、皮膚を開き、鼓動する心臓へと到達し、すかさず黎宮が鉗子で開かれた胸を固定する。


「では、、、」

 蒼月が息を吐き、メスの切先を心臓に当て‥‥軽く挿入。

 赤い液が糸屑ほど表面に滲んだ瞬間、心臓を一気に縦へと切り裂いた。


「これを。」 「ああ。」

 蒼月、永見がそれぞれ指につまんだ小石を互いに合わせる。

 チンッ、と小さな、それでいて清浄な音が響く。石の境目から神秘的、それでいて古屋をどぎつく染める紫の光が煌々と照る。 

 そして、彼らは石を上下に、何度も擦り合わせた。先程とは違い、ただの石が擦れた不快な音がした。

 

 そして、何かが降った。

 擦れた石から、粉のような何かが降った。


 降った紫の粉は、その子供の心臓に染み込み徐々に傷を塞いでいく。それにつれ、徐々に彼の心臓に紫の色が混ざっていく。



 ……これこそ、ルインの能力を持ちながら、『USB』を継承し、目覚めさせる為の礎なのか?


 蒼月は目をそばめ、訝しがった。

 そのような神聖な存在が、この様にグロテスクな人体実験で生まれるものなのか?

 

 

 だが、思考を巡らせる暇もなく「心拍数が200を超過!」と叫ぶ声がした。

 2名が振り返り、声の主である黎宮創旬と心電図を僅かに視界に入れた途端、永見の顔から色が消えた。 

 

「実験は……実験は、どうすれば……!」

 被験体の子供の心電図の如く、創旬の焦りと汗が増したが、

「続けろ。」


 焦る黎宮創旬の言葉を遮った男が居た。

 スツールに足を組み座るその漆黒の背広に身を包む、太い唇の、肌が焦茶に焼けた男——末陽輪巡すえひりじゅんである。

 その容貌、振る舞いに圧。どれを見ても、誰がこの小屋を覗いて見ても、彼こそがこの集団の長である事くらい一目瞭然であった。


「ですが南斗が負担に耐えられません!この子を死なせる気ですか!?」

 輪巡から帰ってきたのは無言だった。見かねた蒼月が代わりと言わんばかりに語る。


「いい加減にしたまえ、ここで誰かが犠牲にならなければルインとの平和共存は不可能になる、青いんだよキミは。」

 帰ってきたのはまたしても無言。否、創旬には返す余地が無く、他は同調を示す無言だった。


「あ、あっああああッ!!」

 突然、子供が目を覚まし叫ぶ。焦る創旬の目を通り過ぎたのは、心拍数300を超え、異常な程乱れた心電図だった。


「南斗!?南斗!おい麻酔はした筈だろ!」

「極度の興奮状態でしょう。」

 抑揚のない声で告げる永見の言葉に、希薄な感情を貫いてきた末陽の口角が釣り上がる。正に凶笑。蒼月はこの実験の結果を悟り、目を細く側め、平静な声を作る。


「漸く成功、と言う訳かな?」

「ああ、我らの悲願たる安寧がすぐそこに」

 末陽の笑みが、更に角度を鋭くした。

 蒼月は誰にも知られぬように、小さな溜め息を吐いた。


 粒子を浴びたカケラは、心臓やその周囲に根を張り巡らせる。粒子が降り注ぐ度により彼の心臓に強く根を伸ばすそれは、明らかに被検体を蝕んでいるだろう。

 だが止めない。人類とルインの間に掛かるかも知れない掛け橋を作る為に、狂った彼らは既に倫理を捨てていた。


「い、たい‥‥いたい、よぉ‥‥おとおさんン‥‥!!」

 我が子の悲痛に助けを求める叫びに、創旬は「がんばれ」としか反復出来なかった。

 そしてその小さな手を、天井の光を求めて伸ばした時、一瞬、肉体が判別のつかない程混沌とした生物的な姿へと変異した。

 そして、その変異が解けたと同時、彼の脇腹を破り、端子部分が青いメモリ型の異能、そう、『us soul being』、通称USBが排出された。


「ねぇ永見クン、これで彼は『ルインの先祖返り』が出来たと言うのかい?」

「……この青いUSBが、『ルイン』であれば、成功です。」永見は俯いて伝えた。「それに、目的の一つであるUSBの排出は成功しました。これで、きっと……」





 ——そしてこの後、この一件によって人間、ルイン問わず全ての者に『us Soul Being』の資質が、大勢が力を得た事で溝は更に深まる事になったなど、誰も知る余地がなかった。




 青いメモリを排出した途端、被検体の心拍が安定し、安心したかのように彼は意識を手放した。


 そんな彼に目も向けず、小屋の男達はみな外へ出て、皆が既に陽が落ちていた漆黒の空に浮かぶ、輝く一等星に其々の思いを馳せていた。



 これこそが、被検体の子供……黎宮南斗れいのみやみなとの人生が一度死に、新たにゼロから始まった瞬間であった。




——何処かで、野蛮ながなり声がした。

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