ハイエンドガールズ~そしたらキッカがくつがえりました。

学倉十吾

プロローグ

第1話

 ぱたん、と柔らかく床に着地して、せめぎ合う内包物同士がやや硬質な悲鳴の音を立てた。

 日月たちもりキカが、ペンケースの中身を床へ盛大にぶちまけていた。

 そこに一斉の視線を傾ける、教室の皆。

 やっちゃった。そんな言葉でも飲み込んだのだろうか、大きく見開かれたキカの瞳は、この集団の中では特別な蒼い色をしている。それが周囲をきょろきょろとさせ、美少女然とした丸い二粒はやがて床下へと注がれる。

 口元に手を当てたまま席から身を乗り出すと、黒いリボンでまとめられた長い髪の毛が一寸重力を忘れ、散り散りに宙へとたなびいた。窓から差し込む朝の陽光を照らし返して、幾房の淡い銀や金の共鳴し合う色彩をそこに撒いてゆく。

 どうしよう。誰かに助けを求めるでもなく、その丸い視線は泳ぐようにぐるり巡ると、舌に乗せた言葉を飲み込んで、逡巡する唇を閉じてしまった。

 居場所の椅子からはみ出てしまった、華奢な膝小僧。いつまでも似合いそうにないぶかぶかの生地がそれを覆い、真新しい折り目をなして、彼の輪郭を暈かしているのだった。


 唐突ではあるが、日月キカは、男だ。

 俺達がそういう類の口上で彼についてを説明しはじめる場合、誤解を恐れずもう一つだけ――それももっとも実態を的確に現しているであろう――注釈を付け足す事が許されるならば。

 更に唐突だが、日月キカは滅茶苦茶可愛い。

 何よりもまず、生まれながらにして持ち得たその血。日本人の父親と白人ハーフの母親の間に生まれた所謂クォーターで、日本社会が高度経済成長期を経て現在までに歩んできた文化コード的に免れない事情までもを鑑みると、おそらく同世代最強クラスの美少年補正をゼロ歳児時点で標準装備していてたという、チート能力保持者を体現する男子なのだ。

 まさに身体的優位。こと可愛さにおいては、ここ三奈鞍みなくら高校ヒエラルキーの頂点に君臨する存在。そして無闇やたらと好奇心旺盛な我ら若者世代だ、その時点でクラスの他の男子どもに勝ち目なんてない。

 お陰で女子の皆々様方におかれましては。


「――先生、日月君が不可抗力で床に筆記用具を散らかしてしまったので授業中大変恐縮ですが拾ってあげるためにあたしたち席立ってかまいませんか!」


 疑問形ですらない。それどころか教科担任の応答も待たず、周辺の女子がこぞって離席しキカの傍らに集まってくる。一寸の時間差を置いて、ドッと教室内が笑いに包まれる。背を向けたまま黒板に向かう教科担任が女子連中の強弁に反応すら見せないのは、これが当クラスのごくありふれた日常風景だからに他ならない。


「おまえら、小学生みたいなこと言ってんじゃねえぞ」

「何、小学生? あんたが?」

「静粛にしてよ。授業中でしょ」

「なあ、キカっちもさー。ほらキカっち超困ってんじゃん、やめたげてよぅ」


 口々に吐き出される身勝手な言葉の数々。しかし怨嗟なんて大層なもんじゃなく、喧騒とするには低くささやかなものだった。だが、それらにすらうずもれるような彼――日月キカの声に、控えめながら困惑の色が読み取れる。

 横目をそちらにやると、席を離れた近隣の女子が二人。クラス内でも人一倍我が強いタイプのグループだ。彼女らはキカと肩を並べ床に屈み込んで、散らばったシャープ芯やら何やらを拾い集めては、互いにぎこちなく手を重ね合うお花畑的空間を形成している。一体何だろう、授業中にもかかわらずのこの空気は。

 キカはうしろに長く束ねた淡い色の髪が床に触れるのを嫌ってか、しきりに胸側へと手繰り寄せては、腰を落とす都度背に跳ね返らせてしまっている。そこがまた人工的な〈男子の理想像的女の子〉の姿を妙に体現しているように見えて、傍目にも複雑なのだ。

 そんな不器用なキカの振る舞いに不機嫌そうな面構えを寄越す奴が、俺以外にもう一人。

 その女子、通路をまたいで俺の左隣に座る彼女は、苛立たしげに前髪の赤い髪留めをいじくる仕草を突然止め、返す視線ついでにギロと睨み付けてくれる。阿吽の呼吸を介して、彼女なりのをおすそ分けいただいてしまったのだった。


「――おっ、キカっち、啓太のほう見た!」


 神納が、これまた授業中とは思えない通りのよい声で、ふざけた横槍の台詞を、こともあろうにこの俺目がけてねじ込んできた。

 啓太というのは俺自身の名前で、こいつの言う通りキカと普段からつるんでいるのも事実だ。ただ、この神納という男が揶揄するのは当然そういう意味ではない。


「その切なげに取り交わされる互いの視線! おいおい、マブの日月を玩具にしやがる女子なんてこの俺が許せねえ! いや、こりゃあオトコとオトコの友情だね! ……それとも、

混じりっけゼロのピュアネス・ラヴ?」


 したり顔でのたまう神納のそれは、悪友らしい悪友を素で演じる彼の性格からして、まあわざとなのだろう。けれどもさすがに教科担任もそれを見過ごすつもりはないらしい。教科担任は小言の少ない、眉目秀麗なご婦人ではあったが、さすがに乱れた授業風景を軌道修正すべく、生け贄の山羊・神納久利じんのうひさとしをジェスチャーで教壇まで呼び付ける。


「啓太おめえ、キカっちに助け舟してやれよぉ。つれねえヤツだな」


 俺の横を通り過ぎる際にも、へらへらと軽口を叩いて寄越す神納。反対側からは、例の髪留めの彼女が奴の尻を埃が出る勢いではたき付けた。そのまま神納は嬉しそうに悲鳴を上げつつ、颯爽と教壇へと上がって行った。


「……あの、ごめん。もういいの、片付いたから、


 神納の台詞で場の空気が迷走方向に転じたお陰で、床に座ったままぽかんとしていた女子二名に、席の上からたどたどしい言い回しでキカが声をかけた。


「――あー、じゃないや、……でした」


 照れくさそうに髪の毛の先を摘んで、俯き気味にそう言い直す。彼のあどけない声はようやく落ち着きを取り戻した教室に、そっと響いた。

 誰も気に留めてなどいない、そんな些細な間違い。そう、キカの一人称は『わたし』なのだ。矯正しようにも、さる家庭環境上の都合で母親から譲り受けたらしいその癖は、彼の口に馴染み未だに淘汰される素振りすらない。

 そのように、どこまでも、どこまでも女の子な日月キカだった。

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