転生したら神の祝福を貰いました ~え⁉️ 邪神⁉️~

十卜或斗

第1話

 001


 その大聖堂はだだっ広く、教会にはある筈の、参列者達が座る長椅子が一つもなかった。その代わりとでも言わんばかりに、上階にはテラスのような出っ張りが等間隔で配置され、それらはまるで無限に続くようにも思える連なりで宇宙に届くのではないかと錯覚するほどの階層を構築していた。


 さながらローマのコロッセウムのような階層構造の大聖堂には、不気味で不快なフルートのような管楽器と、酷く鈍い打楽器の音色が重たく響き渡り、その演奏者たちはきっと、先程に述べた奇妙なテラスの奥まった、影のように闇を広げる場所に居るのだろう。


 彼らは憐れみと慈しみと、それ以上の侮蔑を以て、今この場に現れた場違いな存在――俺を睥睨した。その間もなお、演奏の手と口を止めることは決してせず、誰かがとちったり、あるいはアクシデントによって音階が狂った時に、その他全員が即座にそれを補うような、奇妙な連帯を絶えず行っていた。


 赤のような、紫のような、形容しがたい色彩にまみれたカーペットは、大聖堂の中心を上書きするかのように横たわり、前にも後にも終わりのない道程を演じている。


 その先、一段高くなっている大聖堂の最奥にて中心の場所。教会であれば聖体や、あるいは十字架が祀られているようなその場所に、“それ”は居た。


 この世の全ての幾何的性質を嘲笑い冒涜するように、矛盾という言葉を矛盾のままに体現したような、おおよそ言い表すことなど出来ようもない、不可解で、不可思議で、不遜な存在がそこに居た。


“それ”は常に生まれ、常に滅び、常に変わり、常に変わらず、存在し、存在せず、眠り、そして目覚めている。

 世界でただ“力”と呼ばれる、そのような性質を、誰にも――神にも――慮る事なく体現したらこのようなモノになるのであろう、吐き気を催す邪悪が、遍く全てを冒涜するモノがそこに居た。


 それを直視し、紫色の聖殿の厳かなカーペットに胃の内容物を全て吐き出した俺は、その吐瀉物の香り――この場においてただ唯一、現世を感じさせる安心の香りによって、ここに来る以前の事を思い出した。


 齢二十余年。

 俺は、死んだ。



 002



 突如として途切れた意識が再び舞い戻ってきた時、俺の視界はずいぶんと小さくなっていた。手のひらはクリームパンのように丸みを帯びていて、身体を少し動かすだけでもずいぶんと気を張って動かさなければならなかった上に、期待よりもずっと小さな動きしか出来なかった。


 眼の前には、見たことのない程に美しい金髪碧眼の女性が慈愛の念を携えた表情で俺を見て、何某かを喋っている。英語でもない、中国語でもない、もちろん日本語でもない。響きはドイツ語に似ているが、フランス語のような柔らかさも感じ取れた。けれど、俺はその言葉を理解することは出来なかった。


 転生。異世界転生。ライトノベルなどでよく見た第二の人生が始まったのだろうという直感的理解は、しかし思ったほどの混乱も、期待も、何をも抱かせることはなかった。


 目が覚めた俺の脳裏を支配していたのはただ一つ。つい先程(あるいはずっと以前のようにも思える)垣間見た、あの冒涜的な聖殿の光景。鎮座せしめる邪悪の王の姿。歪で不快な管楽器の音色と、それに呼応するくぐもった打楽器の響きだけだった。


 眼の前で、男性が――おそらくは父親だろう――ものすごい剣幕で何かをまくし立てている間も、そのような俗世の些事に気にかけるような心の余裕は存在していなかった。ただただ、頭の中でぐるぐるとリフレインし続けているおぞましいあの世の光景が、何をも言い出せないか細い喉を少しだけ鳴らして。涙すらも飲み込む暗黒の恐怖を浸透させた。


 底冷えするほどの冒涜的な記憶から身体を護る反射なのか、俺のまぶたはすぐに重たくなり、意識もまた意志に反して遠のいていく。俺は三度、眠りについた。


 003



 その日、エイリーク辺境伯領に稲妻のような衝撃が走った。

 辺境伯の長子の誕生という祝事は、その主役がこの世に生まれ落ちた瞬間、忌むべき啓示に成り果てたのだ。


「なんだ、これは……」


 それが、自らの息子を見たカシウス・ドラクロワ竜のような・エイリーク辺境伯の第一声だった。


 薄らと生えた髪の色は、父にも母にも先祖にも似つかぬ白髪で、瞳の赤色を帯びた紫色は見るものに不安と恐怖を抱かせる色合いをしていた。


 それだけなら……それだけならば、まだ何かの異変がこの子の身に起きたのだろうと嚥下することも出来ただろう。だがしかし、見逃すわけにも目を逸らすわけにもいかぬ異常・・が、彼の長子には存在していた。


 その右腕を覆う、亀裂のような、あるいは噂に聞く海洋の魔物のような、見たこともない神紋ルーンの刻印は、ただ一瞥しただけで、冒涜的であることを確信させる異常であった。

 ――冒涜。そう、冒涜だ。この刻印は、神紋ルーンは、神を冒涜しているのだ。


「災厄だ。わが領に災厄が生まれ落ちた!」


 辺境伯は、自らの内心に抱えた重荷を下ろすため、人目をはばからず大声で宣った。

 そして、その場に居合わせた使用人は皆、彼の言葉に心の底から頷いた。

 ただ一人、赤子を産み落とした母だけが、困惑のまま、弁明するように口を開く。


「何を仰るのですか、カシウス様! この子は貴方の息子、長子です! いずれこのエイリーク領を継ぐ男子おのこですよ!」


「ならん! このような怪物に我が領を継がせるものか! お前や民が許そうと、“正義エクイタス”が赦すものか!」


「そんな……律神アルコーンに誓うほどの決意だと言うのですか」


「あぁ、そうだとも。見よ、このおぞましき刻印を。私は王都にて多くの神のしるしを学んだが、かように冒涜的な神紋ルーンなぞ一度たりとも見なかった。すなわちこれは、人の世に在ってはならぬ神の刻印。そのようなモノを帯びて生まれたこの者は、人類の災厄に他ならない」


 辺境伯の意志は固く、生まれ落ちて一日と経たぬうちに、その赤子を殺せという指令が下ったのであった。


「こんなのって……あんまりだわ……」


 人払いを済ませた寝室で、赤子の母、王家の末子たるエレイン・フラウロア麗しき・エイリークは、あと数刻で失われる息子の寝顔に涙をこぼした。ただ一人、その様子を沈痛な面持ちで見届けるのは、彼女の最も古い使用人――王家の籍、彼女がまだ赤子だった頃より仕えていた――である執事のマルコだけだった。


「エレイン様。旦那様が自らの子を生まれ落ちたその日に殺めたとなれば、酷い醜聞がエイリークの名を汚すでしょう」


「マルコ……」


「ゆえにこそ、その咎をこのマルコめに背負わせていただきたい」


 執事は忠臣であった。幼子の頃より仕えた主の心からの涙をどうにか取り拭ってやりたいと、不遜にも自ら主君の子を殺めると、その主に申し出たのだ。


「マルコも、この子が恐ろしいのね」


「えぇ。王都にすら記録の残らぬ律神アルコーンともなれば、悪神の類に他なりません。それも、予測不能なほどの

「ですが、如何に厄災の胤であろうとも、首を削ぎ、血を流せば、その悍ましきは貴女の名すらも穢します。王家たるアウレリオの名すらも」


「私はもうエイリークよ。アウレリオではないわ」


「民や、内地の者達は、そう考えません」


「では、この子を生かせば」


「なりません。カシウス様の命は、如何にエレイン様とて覆せません。故に、このマルコめにお任せいただきたい」


「考えがあるのね?」


「はい。この子をハドロン川に流すのです

「さすれば醜聞たる流血はなく、カシウス様の命にも背きません。或いは、本当に微かな可能性ではありますが、御子息が生き延びる事も考えられましょう」


 執事は忠臣であった。忠臣であるがゆえに、辺境伯の大義からあえて目を背けた。わが主、エレインへの慰みを、災厄の胤であるから殺すという大義よりも優先した。それが、この執事の忠誠の現れであった。


「川に……」


 エレインもまた、王家の末席に連なるものであり、辺境伯の妻であった。いかにかわいい我が子であろうと、夫の……辺境伯の命令は絶対であり、その意義も王血を宿すものとして理解していた。

 故に、迷う。――確実に・・・殺すべきなのではないかと、君臨者の血が理性的に囁いてくるその声と、母の情との間で迷うのだ。


 しばらくの沈黙の後、ガタガタと得物を持って戻る夫の足音が廊下から聞こえてくる。

 彼女はつばを飲み込み、自らの従僕に対して頷いた。頷き、そして、赤子を優しく手渡した。そしてしもべも頷いて、静かに裏口へと消えていった。


 カシウスがエレインの寝室に戻った時、既に赤子の姿も、マルコの姿もなかった。


「アレをどこにやった」


 辺境伯は、努めて低い声でそう言った。


「貴方が手を汚す必要はありません。マルコに頼みました」


 沈黙が二人の間に流れ、カシウスは佩いた剣を床へと放った。


「そうか……あやつに報いねばな」


「えぇ、絶対に」


 カシウスはエレインの肩を抱き、悲しむ彼女を自らの胸に抱き寄せた。


「なに、私もお前も未だ未だ元気だ。世継ぎは改めて子を成せば良い。今はただ、ゆっくりと休みなさい」


 エレインはカシウスの腰に手を回し、声を上げて泣いた。

 その日は大雨で、ハドロン川はうねりを伴って荒れに荒れた。

 誰も、あの怪物が生き残るなどとは、露ほども思わなかった。



 004




 目が覚めたら、なんか川に浮いてるんですけど。





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