第16話青春の苦悩

聖香は僕の家の洗面所でメイクを落としていた。

それを僕が咎めるようなことは一切ない。

彼女が出来るだけ僕の前では鬼ギャルのメイクで居たくないことを理解していたからだ。

彼女はメイクを完全に落とすと僕の自室へと顔を出すのであった。


「おまたせ…」


少しだけ照れくさそうな表情を浮かべて椅子に腰掛ける彼女のことを僕は真っ直ぐに見つめることが出来ずにいた。

単純に照れくさいのとなぜだか本日は彼女の顔をしっかりと確認することが出来ない。

少しの恐怖と戸惑いにも似た感情が僕の胸を締め付けているような気がしていた。


「そっちに行っても良い…?」


「あ…え…」


戸惑いの情けない言葉が口から漏れ出て僕は挙動不審だったことだろう。

僕が許可を下す前に聖香は僕が腰掛けるベッドの縁の隣にやってくる。

動悸が激しく胸の高鳴りや鼓動の早まりを肌で感じていると聖香は僕の手の上に自らの手をそっと置く。

ドキンと一気に胸が高鳴り…

それから僕の鼓動は徐々に安らかなものへと変化していく。

聖香の肌に触れている部分が僕を安心へと誘っているようだった。

やましい想いよりも安心感や愛情にも似た感情が心に渦巻いている。

この感情を恋や愛と呼ぶとしたら…

僕の心は完全に聖香に傾いている。

それは誰かに言われて気付いたわけでもなく。

なにかの書物を読んで参考にしたわけでもなく。

僕は自分自身の心が思うがままに聖香を好きなのだと気付いていた。

しかしながらこの想いを彼女に伝えて良いのだろうか。

僕の戸惑いは彼女の秘密に直接関わっている。

この僕の想いを彼女は正面から受け入れられるのだろうか。

甚だ疑問が残る中で僕は沈黙を選ぶのであった。


「もっと近づいても良い…?」


聖香からの積極的な言葉に僕は苦笑のような表情を浮かべていたことだろう。

彼女も自らが抱えている問題に気付いているようで僕の反応が正しいものだと理解している。

聖香の抱えている問題とは…

実にシンプルな話ではある。

彼女が鬼ギャルのメイクをしている理由は父親の過保護の他に別の理由が存在していた。

単純に自らに好意を向けられないようにするためでもあったのだ。

ではどうしてその様なことをしているかと言えば…

彼女は他人に好意を向けられると冷めてしまう体質らしい。

自らが好きになった相手であっても。

相手が好意を向けてきた途端に冷めてしまう。

身勝手な話なのを理解している聖香は鬼ギャルのメイクで自らも周りも騙していた。

自らに好意を向けぬように…

自らもなるべく他人を好きにならぬように…

そう努め続けてきた。

彼女が僕に好意を抱いていることは明確な事実である。

僕も彼女を好いている。

けれどこの関係を終わらせないためにも僕は彼女に好意を伝えることが出来ないのだ。


「私を好きにならないでね…」


いつだったかバイトで一緒になった聖香に告げられた衝撃的な言葉だった。

彼女が僕を好きになった経緯は定かではないが…

自らが抱えている問題を僕に打ち明けてくれた瞬間から彼女が僕を好いていることには気付いていた。

僕はこの遣る瀬無い想いを抱えたまま…

今後もクールで何事にもなびかない男子を演じながら過ごさなければならない。

僕と聖香のチグハグな関係を終わらせないためにも…。


「良いですよ。別に」


ベッドの隣に腰掛けている聖香に僕は何事にも動じてないふりをしながら返事をする。

聖香は僕と肌が重なるほど直ぐ側までにじり寄ってくると…

そのままの勢いで僕にキスをする。

心の中は完全にはちきれんばかりの想いを抱いていたのだが…

僕は何事もなかったかのようにしてやり過ごすのであった。



夕方が過ぎて母親が帰ってくる前に聖香は家を後にして。



数時間後。

彼女からの連絡で僕の心は複雑に左右するのであった。



「私のこと…もう…好きになっても良いんだよ…?」


以前とは正反対な言葉に僕はなんと返事をすれば良いのだろうか。

これは何かを試すような試練なのだろうか…

返事に戸惑いながら…

僕はしばらくスマホの画面を睨みつけていたのであった。

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