第9話 覚醒

 車が走っていると、円禍がバックミラー越しに後ろの車を気にし出した。


「嶺慈、そのまま聞いて」

「ああ」


 何気ないくつろいだムードを装いながら、嶺慈は円禍に話を合わせる。


「中心街に入ってから尾行してきてる車がある。妖気は抑えていたはずだけど、多分あなたの鬼憑きの気配を察知したんでしょうね。多分法師陰陽師が追ってきている」

「……やるか?」

「ええ。相手も人目を忍ぶはず。適当な廃墟に誘い込みましょう」


 円禍が車をメインストリートから脇道に逸らした。

 相手も意図に気付いたのだろう。乗ってきた。

 嶺慈は内心ドキドキしつつ、深呼吸。


「大丈夫よ、あなたはやれるから」


 円禍がそう言って、嶺慈の赤い羽織の裾に触れた。

 嶺慈は「ああ」と答えて、まっすぐ前を見据える。往来する車の間を超えて見てきたのは一軒の廃ビル。

 円禍はその廃ビルの路地に車を停め、降りるよう促した。嶺慈たちはすぐに降りて、廃ビルに入る。

 階段を駆け上がって三階に来たところで、背後から矢が放たれた。円禍が嶺慈を突き飛ばし、彼女自身もその場で突っ伏す。


「すぐに転がって!」


 返事をするまもなく嶺慈は転がった。するとそこに矢が突き刺さり、嶺慈は肝を潰す。のんびりしていれば貫通していた。

「結界は張ったわ!」という円禍の声と同時にすぐに跳ね起きて腰のカバンから拳銃を抜き、発砲。乾いた銃声が二発、響く。

 弾丸は敵のスーツを着込んだ男陰陽師の太ももを掠めていく。


「ちっ」


 相手は若い男が二人組。うち一人は、以前見たローブの男だ。彼は弓を構え、円禍に向けて放つ。

 円禍は素早く手首を噛み切って血を溢れ出させると術式〈操血術サングリアス〉を発動。波打つ血が左腕前腕を覆って凝固し、即席の籠手となって矢を弾く。

 嶺慈は喉の調子が悪い気がする——とこの場で思うべきではないことを考えつつ、発砲。

 三十代の男陰陽師は短刀を握り、無言で切り掛かってきた。

 青い妖力弾を、同じく妖力らしき力を纏った短刀で弾いていく。嶺慈はすぐに距離をとって、後ろに下がった。


 円禍はローブ男で手一杯だ。この男は嶺慈が直接どうにかするしかない。

 発砲を繰り返す。狙いは、やはり足。男は低姿勢で弾丸を切り払い、確実に距離を詰めてきた。

 嶺慈は焦燥にかられて思わず狙いを頭部に向け、発砲。しかしそれこそ敵の狙いだった。


「かかったな」


 射線を読み切って首を捻る最低限の動作で回避した男は、その場で踏み込み、嶺慈の肩口に短刀を突き立てた。


「ぐぁあっ」


 鋼鉄仕込みの羽織と着物を切り裂いた——やはり、あれは呪具だったのだ。あるいは、この着物だったからこそこの程度の傷で済んだのかもしれない。

 右肩が切り裂かれ、腕が上がらない。嶺慈は激痛に耐えながら、飛んできた蹴り足を左腕でブロックする。だが思わぬ威力の蹴りに、体が吹っ飛んだ。


「嶺慈!」

「よそ見?」


 ローブの男が、男にしては高い声で言った。矢をつがえ、放つ。

 あの声——どこかで。

 そう思うまもなく、嶺慈の胃に蹴りが飛んできた。

 カフェラテとワッフルが混じる吐瀉物があふれ、嶺慈は苦鳴を漏らしながら悶える。


「バケモノの分際で、人間様みたいに苦しみやがって。てめえらがいなきゃ、俺は今頃違った人生を——!」

「加賀美さん、仕事を忘れないで」


 ローブ男が矢を放って円禍を牽制しながら忠告した。

 加賀美と呼ばれた男は嶺慈の頭をがっちりと踏みつけ、聞いてくる。


「てめえに取引だ。影法師を抜けろ」

「……なに」

「あのガキがてめえを飼ってくれるそうだ。式神としてな。悪かねえだろ。奇跡の——」

「——再会なんだから、


 ローブのフードを、男がおろした。


「そんな……嶺儺れいな……?」

「やあ、兄さん。迎えにきたよ」


 なぜ嶺儺が……?


「誰、知り合い?」

「弟だ! 俺の——なんで……」

「会ってたパパにこっちの業界の人がいてさ。半年前かな。実入いいし雇ってもらったんだよね。ああ……父さんは急性アルコール中毒で死んだよ。あっけなかった」

「……お前が殺したんじゃないのか? 近親相姦に嫌気がさして……」

「やだなあ。っていうか知ってたんだ。次は兄さんを誘惑しようと思ってたんだ。僕が飼ってあげる。おいで?」


 弟が美しい顔貌ににっこりと笑みを浮かべ、手を差し出してきた。

 加賀美が汚らしいものを見るような目で、一瞥。


 ——ああ、弟も。狂っている。


 この世界は、どうしようもなく歪んでいる。

 嶺慈は震える足に喝を入れて立ち上がった。胃液を垂らし、それを拭いながらまずは加賀美を睨む。


 その、嶺慈の頭部に狐耳が、腰からは三本の尾が滲むように生えた。


「おい東雲、こいつは——!」

「やば、怒らせちゃったかな」


 嶺儺が下がった。嶺慈は、次の瞬間言い放つ。


「"ぶっ飛べ"」


 加賀美がその場からノーバウンドで十メートル吹っ飛んだ。後方へすっとんだ彼は柱に背中を打ちつけ、ずり落ちる。

 嶺慈は己の力を自覚しているタイプのアヤカシだった。稀にいるタイプの、強いタイプのアヤカシ。


「言霊! すごいよ兄さん!」

「"ぶっ飛べ"」


 嶺慈が命じる。直後、弾けるように発生した衝撃波が嶺儺を襲った。彼は瞬時に札で結界術を発動し、防ぐ。

 が、薄い桃色の結界はヒビが入り、一気に広がった。


「僕は帰るけどさ、兄さん! その気になったらおいでよ、天城民間陰陽師事務所に! 僕が犬として可愛がってあげる! あははっ!」

「"ぶっ飛べ"!!」


 嶺儺は素早く窓から飛び出した。窓ガラスを割って三階から落下。遅れて衝撃波が炸裂し、コンクリの壁に亀裂を入れる。

 陰陽師なら三階から飛び降りても無事ということだろうか。円禍が驚いたような感心したような顔で嶺慈を見て、それから気絶している男を見やった。


「あいつは拷問する。夕月と灼宵に任せる」

「わかった。担いでいくよ」


 嶺慈は自然と狐耳と尻尾を隠し、当たり前のように男を担いだ。体重は七十キロほどはありそうだが、平然と抱える。


 円禍がふふ、と微笑んだ。


「やっぱり、狐だった」

「さてはそれで俺をスカウトして、恋人にしたな?」

「さあ、どうかな」


 円禍がそう言って、微笑む。


「帰ったら、尻尾モフらせてね」


 おまけのようにそう言い添えて、やはり、微笑むのだった。

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