第2章 声、響かせて

第8話 熟れた果実

 嶺慈は一時間ほどの睡眠から覚醒した。

 二段ベッドの下、上には円禍の重み。彼女は嶺慈の毛布を捲って潜り込んできており、側で寝息を立てている。鬼のように強い彼女も寝顔はまるで少女だ。吸血鬼ということで血色は悪いが、もっちりした頬は見るからにやわらかそうで、長いまつ毛が伏せられている。

 寝る前に口にしていたシトラス系ミントガムの匂いが鼻腔をくすぐる。シャンプーもシトラスオイルで仕上げているらしく、柑橘系の匂いがした。

 薄っぺらいネグリジェ越しに、豊満な乳房が形を歪めて潰れている。右腕を動かすと、胸がぐにぐにと動いた。


「円禍、朝だ」

「あと……五分」

「五分したら、無理にでもベッドから出るからな」


 嶺慈はそう言って円禍の頭を撫でた。ベッド枠の外では凛が怨嗟をたたえた形相で嶺慈を睨んでいたが無視。彼女はそれが気に食わないようでふん、と鼻を鳴らした。

 部屋に並ぶ狐グッズがブラインド越しに差し込む薄明かりに照らされて、妖しく浮かび上がっている。嶺慈は電子時計を掴み、数字を見た。

 時刻は八時少し過ぎ。八月一日の木曜日。学生にとっては夏休み真っ只中である。

 嶺慈の失踪はそろそろ知られているだろうか。学校は八月ギリギリまであったので、無断欠席が二日は連続した。真っ当な高校なら親に連絡を入れるだろうが、うちの親がまともではない。

 まあ、影法師が上手く処理してくれるだろうから、気にする必要もないが——。


 五分ほどが経った。嶺慈は円禍を揺すってやる。


「起きろ円禍。今日はデートだって言ったのはお前だろ」

「ぇあ……そうだっけ……」


 円禍が頭をもたげ、寝ぼけ眼で嶺慈を見た。

 すでに肉体関係を持っていて(しかも乱交という極めて異質な性行為で)戦いを共にした仲——そんな男女が今さら平凡なデートというのも不思議な話だが、昨晩円禍と肌を重ねている最中に出た言葉がそれだった。

 今後仕事で互いを知り合うために、その理解を深めるためデートをする。そう、お互いに取り決めたのだ。はっきり言って嶺慈と円禍の関係が交際関係に位置するのかどうかはわからないが、順序がめちゃくちゃでも構わないと、そう思っていた。恐らくは、お互いに。


 円禍が寝ぼけ眼を擦りながら嶺慈の上を跨り、ベッドから出る。のっそりとした動きで小型冷蔵庫からトマトジュースを取り出し、缶のプルを引いて一口二口飲む。一九〇ミリのそれを十分ほどかけて飲んだ彼女は、その間に凛には待機を命じていた。

 何色を示す彼女だが、戻ってきた時のために部屋の掃除をしていて欲しいとか、洗濯物を畳んでおいてもらったら嬉しいとか言いくるめ、ことなきを得ていた。

 ちなみに慈闇はサキュバスがあるので今日はいない。この事務所の地下二階は風俗店であり、慈闇をはじめとするサキュバスや、女装インキュバスが勤めていた。客層は主にアヤカシ、たびたびアヤカシの協力者である人間が極上の快楽を求めてやってくる。

 九〇分二〇万円というソープ・デリヘルだ。高級風俗店である。


 嶺慈たちは諸々の準備を済ませ、一階に降りた。

 一階はごく普通の雑居ビルのワンフロア。受付があり、来客用のチェアがあり、自販機が置いてある。出入りできる業者も限られるが、それを思うと影法師やアヤカシ勢力はかなりのものだと思い知らされた。


「服を買いに行きたいって言ってたわね」

「ああ。和服が欲しい。洋服も悪くないが、和服に憧れててな」

「いいんじゃない? 私も吸血鬼らしいワンピースでいることが多いし、アヤカシとしての自覚が出たんならそうすべきだわ」

「ありがとう」


 円禍が隣接する駐車場に入った。彼女の自家用車である青いコンパクトSUV。円禍は世間の戸籍では別の名前を持っており、その年齢は二十一歳。表向きには紫電物流事務所の秘書ということになっている。年収も、一般的なサラリーマンの比ではない——という処理だ。

 怪しまれないために縁故によるものとしており、世間一般には羨望と嫉妬の対象だろう。実際は、そんな眼差しを向ける人間を始末する狩人なわけだが。


 嶺慈たちは車に乗ってシートベルトをした。

 ミント系の芳香剤の香りが、夏の熱気に蒸された空気と混じっている。エンジンをかけると同時に円禍はエアコンをつけた。街の構造は把握しているからか、カーナビは設定しない。


「いいお店を知っているの」


 円禍はそう言って微笑み、車を発進させた。

 溟月市のメインストリートに入って道を進む。片道二車線道路のそこを北上して行く。途中、ローゼンというコンビニに車が立ち寄った。

 嶺慈たちは運送トラックが停まるコンビニで降り、店内に入る。


「コーヒー、奢ってくれる?」

「うん」


 円禍にお願いされ、嶺慈は頷いた。二人は手を繋いで店舗に入り、先にトイレを済ます。

 ちょっとした焼き菓子を購入し、店頭でアイスカフェラテをオーダー。氷の入ったカップを受け取り、レジ横のコーヒーサーバーでカフェラテを作る。

 円禍はシュガーを一個、嶺慈はシュガー入れないがキャラメルシュガーパウダーを振り入れ、蓋をした。


「ワッフル?」

「うん。たまに食べたくなる。円禍はティラミス? いいよな、それ」

「ええ。甘くて苦いのが、ミスマッチにならない不思議な感じ」


 二人は車に戻り、甘味を摘んだ。店内で食べるとイートインの扱いで税率が上がるので、車で食べる。というか、昨今のコンビニでは屯されるのを防ぐ名目で店内に席を置かないことが多い。ここもそうだった。

 嶺慈はワッフルの三分の一をちぎり、円禍に分けた。彼女は微笑みながら受け取り、ティラミスを一口「あーん」してくれる。

 外から窓越しに若い嶺慈カップルの様子を見ていた壮年の男が舌打ちでもせんばかりの目を向けてきたが、気にならなかった。そもそも人間じゃあないのだ、こっちは。こそすれ、順応する気はない。

 食べ終わり、ゴミをコンビニに捨ててきた。


 車が駐車場を出て、一旦赤信号で止まる。流行りのロックナンバーを流し、街の中心を逸れつつさらに北上。山の付近の北上町きたかみちょうに入った。

 落ち着いた町並みの坂道の途中、車が三台止まったらいっぱいになる駐車場に停まった。隣には呉服店・礼文あやぶみとある。


「れいぶん?」

「あやぶみ、ね。アヤカシがやってる呉服屋よ」


 呉服屋に入る。

 店内には数多くの和服が並んでいた。奥は小上がりの畳敷きで、一人の四〇過ぎくらいの外見をした女性が正座して、本を読んでいた。

 美しく、儚げで鋭い目つき——なんとなく、鶴を思わせる女性だった。


「お客かい? ……おっと、闇咲のお嬢ちゃんじゃないか。なにか入り用かい?」

「あちら、鶴野さん。……こっちの子に、嶺慈にいいのを売ってあげて。お金は充分だから」

「坊や、おいで。なに、取って食ったりしないよ」


 鶴野というらしい美しい熟女が手招いた。決して豊満な肉体ではない。細身で、その手は骨張っていて見るからに職人の手、という感じだ。

 だが匂い立つような女の魅力に、嶺慈は思わず緊張した。

 鶴野は隣に立った嶺慈のそばで立ち上がる。女性にしては背が高く、一七五センチはあろう上背だ。

 細い指で嶺慈の体を触診する。


「肉付きは悪くないね。ちょいと筋肉が足りてない気もするが……鬼憑きってとこだし、あんたのアヤカシの本性は——まあそれはいいか」

「思わせぶりですね」

「自覚した方が飲み込みが早いだろう。人から指摘されたことより自分で気づいたことの方が何倍も大事さ」


 円禍は立てかけてある新聞を手に取って、読み始めた。

 溟月市のローカル新聞で、市議会の記事を読み始めた。去年、令和六年の市議選挙で選ばれた溟月市市長の暗い噂を社説で語っている。

 彼女は「アヤカシ寄りの市長ってことで期待してんだけどね」とぼやく。


「今の市長って、そうなの?」

 鶴野が答えた。「そうだよ。アヤカシの後押しで市長になった男さ。金遣いが派手とかなんとかってね。所詮は人間ってことだろう。操り人形になってくれるだけマシさ」


 嶺慈の体をひとしきり触った鶴野は、「ちょっと待ってな。周りのもんいじるんじゃないよ」と言って棚を開く。

 その中から黒い袴と赤い羽織を、替えも含め数枚、取り出した。


「鋼鉄を編み込んだ専用の着物さ。荒っぽく使っても問題ない。値段は……そうさね、こんなものかね」


 鶴野が見せてきた電卓には二〇万——ではなく、二〇〇万の文字。


「嘘だろ」

「嘘言ってどうすんのさ。足りなきゃ頭金入れてくれればいいよ。秋月の小僧からローンとしてあんたの給料天引きしてもらうし」


 嶺慈は円禍に聞こうとして、やめた。

 ここは自分で考え、判断するところだ。

 嶺慈は財布を取り出す。危険な仕事で得た報酬は、存外に多い。そのうちの八割ほど——四〇万円を、鶴野に渡す。


「まずは、これだけで足りますか」

「ああ。紫電物流は実入がいいからね、すぐ返し終わるよ。ふふ……こいつはいい金づるができそうだよ。ご贔屓にね」

「……どうも」


 金づる、と明言されていい気分になる者は少ない。少なくともこれからアヤカシになる嶺慈はそうだった。


「着ていくかい?」

「はい。着方も教えてもらえると……」

「いいよ。おばさんが教えてやろう」


 そう言って、鶴野は舌なめずりした。

 すかさず彼女は嶺慈のズボンのベルトを引き抜いて下げ、パンツ越しに陰茎の匂いを嗅ぐ。


「ご無沙汰だったからねえ……摩羅の匂いなんて久しぶりさ」

「お、おい……」

「これを期待していたんだろう? 童貞を筆おろしするのもおばさんの——」

「俺は童貞じゃないよ。円禍……たちと済ませた」


 その円禍は素知らぬ顔だ。彼氏が他の女とまぐわうことにはあまり興味がないらしい。いまだに新聞を読み漁ったり、流れているラジオに耳を傾けている。


「競馬中継なんて聞いてないで助けてくれよ!」

「オンラインで馬券買っちゃったから……気になって。大丈夫、鶴野さん凄く上手だから」

「ほら、おばさんに任せな。女の悦ばせ方を教えてやるよ」

「ちょ、ちょっと……」


 待ったを聞かず、鶴野は長い舌を這わせてきた。竿をぐるぐるに包み込み、情熱的で淫靡なフェラチオをする。

 和服越しに見える薄い乳房が、その先端の黒ずんだ肉粒が見えた。年増の使い古された女の体が、その白い肌と鎖骨が色に耽って赤く上気している。

 嶺慈は若い女だけが全てではない——と認めてしまった。年増も、それはそれで悪くないと。

 になった嶺慈に、鶴野は着物の帯を解いて着崩した。

 たまらず嶺慈は放ってしまう。鶴野は全て受け止めて飲み込み、誘うように半分ほど体を寝かせた。


「おいで、坊や」

「鶴野さんっ」


 嶺慈は鶴野を押し倒し、自らが放った精を受け止めた口を吸った。円禍たちとのキスも情熱的でしっとりとして大好きだが、鶴野のそれはまさしく口吸いというにふさわしい、獰猛で性を貪るようなものだった。

 嶺慈はあばらの感触さえする胸を揉む。薄いが確かに脂肪があり、柔らかい。先端をつまみ、くりくり刺激すると鶴野が明らかに感じていた。

 呉服屋の女主人とまぐわっている——今時、滅多に経験しないことだ。嶺慈は鶴野の女陰に手を伸ばし、中指と薬指をそっとインサートする。


「なんだい坊や、っ、上手じゃないか……」

「円禍や、サキュバスの先輩社員がいろいろ教えてくれた」

「最近の若い子も、捨てたもんじゃないね……秋月に教えてやった時より、最近の子はずっと上手になってるじゃないか」

「他の男の話なんてしないでくれ」

「あん……おばさんに、本気になってどうすんのさ」


 嶺慈は限界までイキリ立った陰茎を、どろどろに濡れた鶴野の秘部にあてがった。鶴野も求めるように腰をかすかに浮かせ、色素が沈着した秘部を引くつかせ、待ち構えている。

 ぬるり——と挿入して、嶺慈は使い古された年増の女陰を味わった。


「っ、あ……やばっ」

「ふふ……おばさんも悪かないだろう? 何百人と喰ってきた女陰さ。悦ばせ方は熟知してるのさ」


 腰をうねらせ、鶴野は嶺慈を刺激する。

 円禍がその様子を観察していた。

 彼氏があっけなく絞られている様を、まるで嘲るような目で見て口元に薄ら笑いを浮かべている。


「まど……か」

「いいよ、続けて?」

「じぶんの女に、馬鹿にされてるよ、あんた、っ——あぁ……っ」


 嶺慈は怒りとも興奮ともつかない感情を、腰を振って吐き出そうとした。

 命の座の奥に、その入り口をノックしてこじ開けるように打ち付け、着物を乱してよがりくるう熟女を、その征服感を存分に味わいながら腰を振り、絶頂しそうになったら止め、それを繰り返す。

 鶴野がすっかりメスのように鳴き始め、腰を大きく逸らせて痙攣し始めた。


「もうっ、よしな……私はっ——もう限、界……」

「何言ってんだよババア、誘ってきたのはそっちだろ!」


 嶺慈は獰猛なオスの本性を剥き出しにし、ケダモノのように腰を振る。

 円禍が「がんばれ♡ がんばれ♡」と煽ってくるせいで、余計に股間がイラつく。

 鶴野のあからんだ顔に、汗と涙が浮かんだ。長らく男の味に飢えていたのだろうし、自分がまだメスになれることを自覚した顔だった。

 次第に嶺慈も限界を迎え、思い切り中に放った。


 吐き出した後もしばらく繋がっていたが、五分ほどして呼吸が落ち着くと引き抜く。

 ぬるん、と抜け落ちたそこから白濁液が逆流してきた。

 鶴野は「はぁっ……はぁーっ」と荒っぽく呼吸している。


「……乱暴なことだいぶ言ってすみません。でも、誘った鶴野さんがいけないんですから」

「いいさ……でも、あんたが円禍に好かれる、理由が……わかったよ……。なるほど……そんなに、獰猛なら……吸血鬼やなんかの相手も、つとまるさね……」

「鶴野さんも、まだまだ現役ですよ。困ってる鬼憑きやアヤカシの子に、いろいろ教えてあげたらどうですか?」

「ふ、ふ……悪かないね、それも。人間の相手は嫌に、なっちまうが……うん、悪くない」


 鶴野も呼吸を整えた。

 ややあって裏でシャワーを借り、嶺慈は黒い袴と赤い羽織を着込んで、それから鶴野に「ローンは直にお渡しします。そのとき、今度はみんなで会いましょうよ」と思わせぶりなことを言って、うっとりとした顔の鶴野にキスをして去っていった。

 嶺慈もすっかり、プレイボーイになっていた。

 円禍はその様子を見て、『強いオスとしての自覚は育めている。あとは実力ね』と考えていた。

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