第12話 感謝

 まずエルトゥーダが感じたのは全身を襲う鈍い痛みだった。

 その痛みを感じながらゆっくり目を開けると、薄汚れたトタンでできた距離が近くて圧迫感がある見慣れた天井が目に入る。

 頭は霞んでおり、周囲の状況を把握するのに時間がかかった。

 目を凝らすと、自分の腕に何か細長い物が刺さっているのが見えた。

 それは透明な管で、そこから伸びたチューブが、ベッドの横に立てられた金属製のスタンドに掛けられている透明な袋に繋がっている。

 その透明な袋は薄汚いカーテンで隠された金網の窓から入ってくる淡い夕陽に照らされて、薄いオレンジ色に輝いて見えるため、今が夕方であることが予測できた。

 その袋には何か液体が満たされていて、ゆっくりと滴り落ちるようにして管を通り、腕の中に流れ込んでいるようだった。

 腕に刺さった場所は少し赤くなっていて、かすかに腫れているが、他の部分に比べればその痛みはさほど強くない。

 こ……ここは……僕の家か? 何で僕は生きているんだ……確か……僕は……あの黒帽子の仮面に止めを刺されるところで……そこから……誰かが……

 エルトゥーダの思考が混乱の中で渦巻く中、突然、部屋の扉が開いた。

 ドアが長年の使用によってできた錆へ抵抗するかのように、金属同士が擦れ合う音を響かせて、リトが部屋に入ってくる。

 リトの小さな手には、透明な袋が握られていた。

 その袋はエルトゥーダの腕に繋がれたものと同じように、透明な液体で満たされている。

「お、起きましたか」

「リト……」

 そうだ。

 思い出した。

 あの絶体絶命の時に、どこからともなく現れたリトが僕を助けてくれたんだ。

「リト、僕は……深夜から夕方まで眠っていたのか?」

「いえ3日間ぐらい眠っていました。全く大変だったんですからね。」

「そうか……なんというか……というか僕の腕に刺さっているものは何だ?」

「静脈注射による輸液と輸血です。まぁ点滴というものです」

「な……なにそれ?」

「エルトゥーダは、水分と電解質と血液を大量に失ってましたからね。このままだと臓器不全や出血性ショックで確実に死ぬということで、この静脈注射で失った水分と電解質と血液を直接体内にぶち込んでいるのですよ。」

「そ……そうか……詳しいんだな……」

「師匠は医者なので、その手伝いを色々とさせられていましたから……それに……一体何の魔法を使ったんです? 魔法関連の生体回路だけでなく神経系がズタズタになっていましたよ。」

炎矢魔法フランマストリェラーをレベル27で発動しました……」

「はぁ……全く貴方は超絶おバカさんのようですね。自殺行為ですよそれ。私が多種多様な回復魔法を掛けて、神経系と魔法関連の生体回路が完全に崩壊する前に繋いだのでどうにかなった……いえ、それでもあのまま死んでいた確率のほうが高かったです。 正直、エルトゥーダが助かったのは運です。 たまたま繋ぎやすい形で神経系と魔法関連の生体回路が崩壊していていたという偶然がなければ私にはどうしようもなかったですから。」

「その後は回復系の魔法で何とか命を繋ぎつつ、隙を見て静脈注射キット、輸液パック、輸血パックを買ってエルトゥーダに繋ぎ、そして目覚めた時用の食料品、衛生用品、ゴミ袋、洗剤、ドライシャンプー、ボディシート、医薬品などなどを沢山買ったという感じです。」

「ちょ……ちょっと待ってくれ! 一体どこからそんな金が!?」

「この頭の変化に気づきませんか。」

 リトが銀髪の頭皮を見せつける。

 そしてエルトゥーダは先ほどからリトに僅かに抱いていた違和感の正体に気付く。

 リトの頭にあった小さな宝石が埋め込まれているシルバーのティアラがなくなっていたのだ。

「リ……リト……売ったのか……」

「はい。ペンダントと一緒に売りました。金がないので。」

「リト……今回の買いものにいくら掛けたんだ? 今すぐは無理だが絶対に返すから……」

「345000エセリウムぐらいじゃあないですかね。」

「3……345000エセリウム……」

 返済に何十年掛かるだろうか……

「別に返済はしなくていいですよ。」

「リトには、一体何って礼を……」

 待て。

 何で、僕はこの命の恩人に感謝の言葉を伝えていない。

 いや、理由はわかっている僕は関連の話題を避けている。

 僕は話を進展させたくないのだ。

 リトが僕の秘密を知っていることを知りたくない。

 でもわかっているリトがあの場に現れたということは。

 それはつまり。

「リト……尾けていたのか……」

「……はい。」

「じゃあ……僕がやっていることも知っているということだな……」

「……はい。」

「……あれ見て……どう思った……?」

「……そうですね……見ていて、いい気分はしませんでした……」

「……じゃあ……何で助けてくれたんだ……?」

「……私が家出した理由は、師匠が1年に1度しか出ない私の大好物のプリンを全て食べたことに対して、腹が立ったからという今考えるととても幼稚な理由です。」


「私はそんな幼稚な動機でこの貧民街に入り、そのまま軽い気持ちでエルトゥーダの家の床で寝ていました。そしてエルトゥーダに軽い気持ちで魔法を教えて、ある程度したら師匠の所に帰るつもりでした。」


「エルトゥーダを尾けていたのも軽い好奇心でした。そこで知識としては理解しているつもりでいたエルトゥーダの現状を目撃しました。」


「夫婦を集団で強盗する様子を見た時は、正直怖かったです。しかし、やはり気になって距離を保ちながらエルトゥーダ達を尾行していき、エルトゥーダ達が隠れ家らしき場所に入っていくのを目撃しました。」


「それからはその隠れ家の少し離れたところでうろちょろしながら師匠の所に帰るという選択肢とエルトゥーダに向き合うという選択肢で悩みました。で、エルトゥーダが悪人かどうか考えてみて、そして思い出したんです。初めて会った時、エルトゥーダは床に寝そべっている高価なモノを身に着けた私に何もしないどころか、今すぐ逃げろと忠告したことを。」


「何て言うか……上手く言語化できないんですけど……今ここでエルトゥーダを最低だと心のなかで断罪して師匠の所に帰るのは……何というか……非常に無責任だと感じたんです。私だって、エルトゥーダが強盗したお金で色々食べてきたりしたわけですし。それにエルトゥーダが魔法を悪用すれば、それは私の責任です。ならば、私が今すべきことはエルトゥーダが真っ当な手段で働ける方法を見つけることじゃないかって……まぁ……これはエルトゥーダの根っこは悪人ではないと結論付けての判断なんですけどね。で……そんなこと考えてたらエルトゥーダ達がいた家の方向から爆発音が聞こえて……という流れです。」


「……リト一つ言い忘れていたことがあった。」

「なんですか?」

「ありがとう。」


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