第33話 揺るがぬ決意

 ハッ、ハッ!



   どうか間に合って…


 必死に馬に鞭を打ちながら一心不乱に祈った。曲がりくねったあぜ道の先に人だかりが見える。皆、両手で口を押え苦痛の表情を並べている。彼らの視線の先に幼い子達が土の上にうつぶせで倒れているのが見えた。二人の背中は赤い血で染まりピクリとも動かない。そのすぐ近くでは少年がうずくまっている。やはり背中に血がにじんでいる。少年の少し後ろで処刑人らしき大男が斧を頭上で大きく振り回しているのが見えた。


       「やめて!!」


 私は叫び声と共に背中から弓と矢を取り出し構えた。途端にバランスは崩れ両足で馬を挟んでいるのがやっとだったが、すぐに後ろで誰かが手綱を握っているかのように馬と私の体は安定した。


 私は呼吸を整えもう一度前方を見据えた。その瞬間、奥飛鳥の野原へ林臣りんしんについて狩猟に出かけた時の事を思い出した。


 私が獲物に向かい弓を構えると、彼は私の背後に立ち目線の高さを合わせるように顔を寄せ、私の腕をそっと支えた。その場面がスローモーションのように頭の中で流れ、そして彼が耳元でささやいた。


 (矢を弓につがえ、引き固めたあと、狙いを定めて…一、二、三…)


 フッと大男に向け射放った矢はビュンと大きな音をたて、見事斧を掲げた男の腕に命中した。ウギャーという男の叫び声と共に、見物客達がどよめきながらこちらを振り返った。隣にいたもう一人の処刑人らしき男が私の姿をとらえると弓を構え矢を射ってきた。矢は私の頬をビュンとかすめ後方に飛んで行った。


 私はもう一度矢を弓につがえるとその男に向けて放った。矢は再びビュンと音を立て男の胸に命中した。男が地べたに倒れこむと今度は藪の中から昼間の役人が現れ、刀を振り上げながらこちらに突進してきた。


       「ハッ!!」


 私は馬の速度を落とし、手綱を思い切り引いた。馬はヒヒィーンと鳴き声を上げながら棹立ちになると、前足を高く上げそのままドーンと役人を思い切り蹴り上げた。男は空高く飛ばされ草むらに落ちた。私は少年のそばに馬を寄せ飛び降りると、彼の体を抱き上げた。


 「しっかりするのよ!!」


 「きょ、兄弟たちが…」


 少年が途切れ途切れの声で答えた。私は彼の体をゆっくりと地面に戻した後、幼い兄弟達のもとへと走った。一番小さな子を抱き上げたが棒打ちに耐えられなかったのか既に生き途絶えていた。


     なんて酷いことを…


怒り、悲しみ、虚しさが一気に胸に込み上げた。


 「た、助けて…」


 もう一人の幼い男の子がか細い声をあげた。まだ、生きている!私は彼のもとに駆け寄り小さな体を抱き上げた。


 「もう大丈夫よ。あなたも兄さんも必ず助ける、しっかりするのよ」


 涙が溢れるのをぐっとこらえ、ぬかるんだ土に足を取られながら必死で少年のもとに走った。馬の手綱をたぐりよせ無我夢中で少年と弟を馬の背に乗せた。そして小さな弟が振り落とされないように彼の体と馬の首に領布を巻き付けきつく縛った。


 「さぁ、振り落とされないように手綱をしっかり握るのよ!急いで遠くまで逃げて、絶対に生きのびるのよ!」


 「と、燈花とうか様…」


 少年がかすれた声で呟いた。私は彼の頬をなでると、手綱をしっかりと握っているのを確認し、ハッッと声をあげ馬の尻を枝で思い切り叩いた。


 焦る思いとは裏腹に馬は全く走ろうとしない。私は髪からかんざしを抜くと歯を食いしばり馬の尻に思い切り突き立てた。驚いた馬は悲鳴をあげ勢いよく走り始めた。徐々にスピードを上げ遠くへ遠くへと離れていく。


 そうよ、その調子…遠くまで行って…追っ手に捕まることなく誰にも知られぬ土地で、自由に生きるのよ…


 彼らの姿が見えなくなると私は一気に体の力が抜けその場にへたへたとしゃがみこんだ。しばらくすると大勢の武装した兵が詰め寄せあっという間に周りを取り囲んだ。


 「あ、あの女人の矢にやられたのです。あいつの胸にも矢が…」


 腕に矢が命中した男は傷口を押さえながら言うとその場に倒れ込んだ。


 「あの女人を捕らえよ!!」


 指揮官らしき男が叫び、数名の兵達が私を囲み縄をかけたが、この時私はなんの恐怖も感じなかった。


       …これでいい…


 「すぐにこの女人を捕罪の牢屋に連れていけ!残りの者は怪我人の手当てをしろ!!」


 私は両脇を兵に抱えられ引きずられるように歩き出した。頬をかすめた矢の切り口から生暖かい血が伝りポタッと肩に落ちた。その時、遠くから王妃の馬車が近づいてくるのが見えた。馬車は行列の目の前を遮るように止まると中から王妃と小彩こさが真っ青な顔で飛び出してきた。


 「そなたたち、我々を誰だと思っているのだ!!すぐにその者を離すのだ!」


 王妃が兵達に向け怒鳴った。


 「これはこれは王妃様、お久ぶりでございます。こんな所でお目にかかるとは…」


 兵を先頭で率いていた指揮官らしき男が一歩前に出て拝礼をした。


 「わかったのであれば、その者の縄を解かぬか!」


 王妃が真っ赤な顔で命じた。


 「それは出来ませぬ」


 指揮官の男がきっぱりと答えた。


 「なんと、その者は時期王家の一員になるのだぞ。無礼な振る舞いは許さぬ!」


 王妃が言うと、


 「お言葉ですが王妃様、この者は先ほど数名の兵に大けがを負わせた上、罪人を逃したのです。真偽のほどを確かめた後、それ相応の決定に従って頂きます」


 指揮官の男は落ち着き払った様子で淡々と答えた。


 「お、おぬし誰に向かって物を申しておるのだ!!」


 王妃が憤慨して言った。


 「王妃様、私どもとて末端の豪族ながら軽家の出身です、山代王様とは古くから朝廷でお付き合いがある旧知の仲。あいにく傷を負った兵たちは全て、私共の親類でございます。私共の主人がこの事件を黙って見逃すとは思えません。よって公平な裁きを受けていただきます」


 指揮官の男はむしろ悠然としている。


 「なんと、生意気な…」


 「それまでこの者を耳成山の麓にある牢屋に連れて行きます。明日の朝一番で刑部省にて真偽のほどを確かめますので、処罰の決定をお待ちください」


 指揮官の男はもう一度拝礼をし兵を引き連れ歩きはじめた。


 「と、燈花とうか様!」


 小彩こさが泣きじゃくりながら叫ぶ。


 「小彩こさ、ごめんなさい。でも大丈夫。なんの心配もいらないわ。どうか王妃様をつれて宮に戻ってちょうだい」


 私はそう告げると再び歩き出した。


 「燈花とうか様!燈花とうか様!」


 背後から小彩こさの泣き叫ぶ声が聞こえる。


 「小彩こさ、こうしてはおれん、大変なことになってしまった…急ぎ王様にお伝えせねば…」


 王妃がガタガタと肩を震わせながら言うと、小彩こさは彼女の体を支え馬車に乗り込んだ。


北上之宮きたかみつのみやでは


 バタバタ、バタバタと騒がしく廊下を走る音が響き渡った。


 「王様!!王様!!」


 王妃の尋常ではない叫び声を聞いた山代王と冬韻とういんが部屋から飛び出してきた。


 「王妃よ、そんなに慌ててどうしたのだ?」


 フラフラと倒れ込んできた王妃の体を支えながら王が言った。


 「い、一大事なのでございます。た、大変な事態になってしまいました」


 しどろもどろに答える王妃に、


 「まあ、落ち着くのだ王妃よ。とにかく部屋に入りなさい」


 と言い、山代王は彼女を部屋の中に連れて入った。部屋の中からその様子を見ていた白蘭はくらんが驚いて立ち上がり、王妃に拝礼した。王は王妃を目の前に座らせると彼女の顔を覗き込んだ。



 「で、どうしたのだ?今日は燈花とうかと共に市に行ったのだろう?良い品は手に入ったか?」


 「王様、そんな悠長なことを言っている場合ではありません。燈花とうかが…」


 「燈花とうかがどうしたのだ?」


 「まずは、小彩こさを部屋の中に通してもよろしいですか?」


 「あ、あぁ構わぬが…」


 すぐに顔面蒼白の小彩こさが部屋の中へと入ってきた。


 「小彩こさ、今日の出来事をすべて王様にお話しするのだ」


 王妃が言うと、小彩こさがためらいがちに口を開いた。


 「はい。実は…」


 小彩こさが市で起きた詳細を山代王に話すと、


 「なんということだ!!すぐにでも刑部省に向かわねば、冬韻とういん、馬の用意を!!」


 王が床を叩き立ち上がった。


 「王様、お待ちください。今一度話を整理しましょう」


 冬韻とういんが冷静に言った。


 「でも、いてもたってもいられぬ!!」


 王が怒鳴った。冬韻とういんはそれでも冷静さを失うことなくなく淡々と話し始めた。


 「小彩こさや王妃様がおっしゃった事が事実であれば、燈花とうか様もまずは刑部省で真偽を確かめられるのが筋でありましょう。ましてや、深手を負った兵士が軽家とゆかりのある者たちとなると、話は更に厄介です。刑部省長官も軽家出身ですし、朝廷の群臣の中にもゆかりあるものが数多くいます」


 「ではどうすれば良いというのだ、このまま指をくわえて見ていろというのか?」


 王が悔しそうに顔を歪めた。



 「明日の審議を取り仕切るのは長官と大連ですね。きっともう耳に入っていることでしょう。今から早馬を使い大連の屋敷に向かい打開の方法を模索してまいります。しばし、お待ち下さい」


 「では私も共に行こう」


 山代王が言うと、


 「なりません、王様が出向けば我々の落ち度を認めるようなものです。ただでさえ、軽家とは昔から敵対関係にあります。この機会をいい事に、我々を執拗に責め立てるでしょう」


 冬韻とういんが冷静に返した。


 「まったく、かような事態に何もできぬとはなんと情けないのだ…今頃燈花とうかは一人、牢の中で怯えているにちがいない」


 王はしゃがみ込んで頭を抱えた。静けさの中、王の床をたたく音だけが鳴り響く。


 「しばしお待ちください。私が必ずや打開策を探してまいります」


 冬韻とういんは更に付け加えた。


 「それと胆津いつ様に、朝廷の外薬寮の書庫に保管されている帳簿に不正がないか早急に調べてきて頂きたいのですが…」


 「わかった、すぐに胆津いつに命じよう。それと冬韻とういん、念のため文屋ふみやも連れていけ」


 文屋ふみやもまた王家に長年仕える三輪一族の末裔で従順で信頼を受ける王の寵臣だ。冬韻とういんは軽く会釈をし部屋を去った。王はさらに側近の一人である胆津いつを呼び寄せると、手短に事の次第を話した。彼もまたとても有能な書記官で、調査となると徹底して調べるプロだ。命を受けた胆津いつは静かに頷くと足早に部屋を去った。



 がらんとした部屋の中で小彩こさが堰を切ったように泣き始めた。


 「王様。私がついていながら誠に申し訳ありません」


 「済んでしまった事だ、仕方あるまい。冬韻とういんが戻り次第、燈花とうかが囚われている刑部省の牢屋に行くゆえ、小彩こさよ、後宮に戻り急いで燈花とうかに必要な物を準備してまいれ」


 「はい…」


 小彩こさは泣き腫らした目を袖で擦りながら部屋を出た。


 燈花とうか様の、馬車から降りた時のあんな眼差し見たことがない。あれは確かに覚悟を決めた瞳だった…

 小彩こさが再び王の屋敷に戻っても、まだ冬韻とういんやその他の臣下達の姿はなかった。王は屋敷の門付近をウロウロと歩きながら、通り過ぎる侍女達を呼び止めひっきりなしに時刻を聞いている。


 日が沈み夜を迎えようやく臣下達が戻った。王は彼らを急かすように部屋の中に入れると、座るのを待たずに尋ねた。


 「で、大連はどうであった?」


 王が尋ねると、冬韻とういんが答えた。


 「はい、先方が言うには、燈花とうか様が明日の真偽の場で過ちを認め謝罪をすれば、すぐに釈放するそうです」


 「ま、まことか?!」


 王は大きく息を吐いた後、冬韻とういん文屋ふみや胆津いつの三人をようやく座らせた。王が落ち着いたところで、冬韻とういんが話を続けた。


 「実は大連と話している時に、胆津いつ様が何枚もの木簡と帳簿を抱え屋敷を訪れて下さったのです。それらを照らし合わせた所、思わぬ事実がわかりました。燈花とうか様の言う通り、あの市の薬草屋の店主と軽家の役人達が裏で結託して偽の薬草を長い間販売し多額の利益を民より搾取していたようでございます。不正を働いていたのです。大連と軽家は親しい間柄なので向こうから譲歩してきました」


 「不正だと?誠の話なのか?」


 「はい、裏帳簿に記されており事実かと」


 胆津いつが手に持った袋から紐で繋がれた木簡をジャラジャラと取り出し床に広げた。


 「では、燈花とうかは何の落ち度もないではないか!」


 王は床に置かれた木簡にさっと目を通すと声を荒げた。


 「はい。しかし、燈花とうか様が矢を射り数名の兵に深手の傷を負わせてしまったのも事実でございます。兵士一人は矢が腕を貫通し重症だそうです。馬で蹴られた役人はあばらの骨が数本骨折したようで数か月の療養が必要だそうです。胸に矢をうけた兵士は…先ほど息を引き取ったそうです…」


 冬韻とういんの後ろに座っていた文屋ふみやが低い声で答えた。


 「…さようか…」


 「役人を殺めるのは大罪でございます。いくら燈花とうか様とはいえ無罪放免になるのは難しいかと…そこで先方が事を荒げぬ代わりに薬草店との不正癒着に目をつぶるよう条件を出してきたのです。あと逃げた少年らを追跡し刑部省に差し出すように要求してきました」


 冬韻とういんが答えると、


 「ふむ。わかった、ご苦労だった」


 王は疲れ切った表情をし三人を労った。


 「冬韻とういん様、万が一燈花とうか様が謝罪を拒否されたらどうなりますか?」


 小彩こさが小声でおずおずと尋ねた。


 「そ、その時は恐らく死罪にはならぬともそれ相応の罰が下されるかと…」


 冬韻とういん小彩こさを見ると躊躇しながら言った。


 「大丈夫、燈花とうかはそんなに愚かな女子ではない。私が直接話をするゆえ心配はいらない。小彩こさ燈花とうかの荷物を」


 王が小彩こさに言うと、彼女は麻の袋に入った着換えを王に手渡した。


 「まさか、今から燈花とうか様のもとにいかれるのですか?」


 冬韻とういんが驚いたように言った。


 「そうだ」


 「しかし、夜も更けておりますし、面会は出来ぬはずですが…」


 冬韻とういんがためらいがちに言うと、


 「構わぬ。むしろ暗闇なのが好都合だ」


 王が小彩こさから受け取った麻袋を持ち立ち上がった。


 「…しかし王様、万が一にも見つかってしまったら…」


 臣下の文屋が困惑気味に言うと、それまで静かに話を聞いていた白蘭はくらんが口を開いた。


 「王様、刑部省の牢屋の番人に私の部民で阿椰あやとう名の者がおります。私の玉佩をその者に見せれば燈花とうか様とお会いできるかと」


 「なんて運が良いのだ。わかった、そうしよう」


 王が乗った馬車は牢屋のある耳成山の麓に向け真っ暗な夜道を走り出した。



 役人に連れられてきた場所は検討もつかないが、馬屋のような掘っ立て小屋だ。中は木の柵でいくつかに区切られていて灯りはない。床は藁で覆われ悪臭が鼻をついたが想定の範囲内だった。



 ふう…これが私の本当の運命だったのかも…


 大きなため息をついたが私の心は落ち着いていた。


 天気が崩れていくのか空は厚い雲で覆われ月の光もなく真っ暗だ。小屋の外では時折人の咳払いやガサガサと草を踏む音が聞こえたがそれ以外は静かだった。


 秋の訪れを知らせるかのように草むらの中でリーンリーンと鈴虫が鳴いている。美しい虫の音色に耳を澄ましていると、遠くから馬の蹄の音がし、ザッザッザッという音と共に足音が近づいてくるのが分かった。足音は戸口の横でピタッと止まり、かすかに誰かがボソボソと話す声が聞こえた。


 「足元にお気をつけください。こちらです」


 一人の門番らしき若い男が、小さなかがり火を片手に小屋の中に入ってきた。後ろに人影が見える。


      「燈花とうか!!」


 戸口から現れた王が叫んだ。


 「や、山代王様…」


 門番の男が柵の扉を開けると、王は私に近寄り両手を私の頬にあてた。疲れ切った目は赤く充血し声はかすれている。


 「燈花とうかよ、怪我はないか?あっ、頬が…」


 王が、顔をしかめて私の頬に手をあてた。温かい手だ。


 「かすり傷なので大丈夫です。それよりも…此度の件で王家に多大なご迷惑をおかけしてしまい、なんとお詫びすべきか…言葉が見つかりません…」


 青白い顔で見つめる彼の目を直視することが出来ない。私は言葉に詰まって下を向いた。


 「構わぬ。牢を出た後改めて話を聞くゆえ。まずはここから出るのが先決だ。明日の朝、そなたの今回の件の審議の場が設けられる。そなたが負傷させた役人や兵士たちはみな軽家の出身で朝廷で働く群臣の親戚や甥にあたる。だが、そなたが過ちを全て認め謝罪すれば、その罪を深追いすることなく、咎めはしないと言っている。そなたが謝罪すれば、まずは一件落着だ。たやすいことであろう?」


 王は諭すように優しく言った。私はしばらく沈黙したあと、別の事を尋ねた。


 「…私が放った矢の兵士はどうなりましたか?」


 「二人は重症で、一人は死んだ。なれど、そなたも矢で命を狙われたではないか、仕方のなかったこと。臣下に外薬寮の帳簿を調べさせたところ、市で扱われる薬草の取引で軽家の長年の不正と横領が明るみになった。不正横領は重罪だ。どちらにしても奴は厳罰に処されていたさ」


 王が皮肉めいたように苦笑った。


 「さようですか…ではあの兄弟達は?」


 「…私の兵が行方を追っている」


 「彼らをかくまって下さるのですか?」


 私が言うと、王の表情が一気に暗くなった。


 「…見つかり次第、刑部省に差し出す。それがそなたの解放の条件に含まれている」


 「そ、そんな…」


 「小彩こさから、詳細を聞いた。そなたは正義感が強く誰に対しても慈悲深い。そなたの優しさゆえの行いであったかもしれぬが、奴婢などごまんといるのだ。いちいち目を向けていたらキリがない」


 王が吐き捨てるように言った。


 「…もし私を救うために少年らを差し出すのであれば、お止め下さい。あの者たちには何の罪もなく無実です。巻き込んでしまった私の責任です」


 「何を言うのだ!!そなたの命にかえられるはずがなかろう。酷な言い方だが、あの者たちは下層民だ、もとより奴婢で生まれた以上長生きなどできぬ。なぜそうこだわる?」


 王が私の肩をつかみ、必死で諭すように言った。


 彼の考え方はこの時代では常識だ。彼にはなんの非もない。でも……

私は床の汚れた藁を手に取りじっと見つめた。


〝天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず。人間は生まれながらに平等であって、貴賤・上下の差別はない…″


 誰の言葉だったっけ…この時代どんなに平等をうたったところで聞き入れてなどもらえないのはわかってる…けど…


 私は出かかった言葉をのんだ。



 「頼む燈花とうか、明日は必ず大臣達の前で謝罪をするのだ。それがそなたを救う唯一の手段なのだ」


 王は懇願するように言いそっと私の体を抱き寄せた。彼のぬくもりから、その優しさと愛が伝わる。


 「それと、小彩こさが用意した着換えだ。受け取りなさい」


 私が衣を受け取ると王は立ち上がり寂しそうに私を見つめた。彼は戸口の横で立つ男と再び小声で話をすると、もう一度私を見て微笑し小屋から出て行った。


 彼の後ろ姿が驚くほど弱々しく見えて、心底胸が痛んだ。大切な人達をこんなに苦しめている事に深い罪悪感を覚えたが、



 それでも、やっぱり私の選択は正しかったはず…


 私は大きなため息をつき、藁の上に寝転がると兄弟の無事を祈った。



 またあの夢を見ている。私はふわふわと宙を浮きながら、もう一人の自分を上から見ている。


 なぜこんなに暗いのだろう…星もなく、ただ風の音だけが聞こえる。とてつもない不安に押しつぶされそうだ。前を歩く誰かを必死で引き留めているが、その人は聞こえないのか、気が付かないのか、あるいは呼び声を聞きながらも無視をしているのか、いくつもの灯籠に照らされた道を大極殿に向かい真っすぐに歩いていく…


 「行かないで!行かないで!駄目よ!」


 この言葉は夢の中で何度も言った。その瞬間、泣き崩れるような自分の姿がパッと消えた。いつもだとここで目が覚めるのだが、どうやら今日は違うらしい…


 その瞬間、私はその人の後ろに立っていた。


 「ちょっと、ちょっとあなた…」


 思い切って声をかけると、男は歩みを止め振り返り私を見つめた。


       ハアッッッ!!


 猛烈な勢いで起き上がった。激しい鼓動に体が震えている。小屋の中には早朝の薄日が差し込み、ひんやりとした秋風が戸の隙間から入ってきた。私は両腕で膝を抱えその上に額をつけた。



      …林臣様だった…


 なぜ彼が夢に?…自分でもわからない。けれど、胸が張り裂けるような苦しく切ない思いだ。私は途方に暮れながら外の朝焼けを見つめていた。


 しばらくすると、ガヤガヤと小屋の外が騒がしくなった。ザッザッザッと大地を歩く音が聞こえ、ギギィーと小屋の戸が開いた。


 「さぁ、時間になりました。審議が始まりますので、ついてきて下さい」


 昨晩、王とひそひそと話していた若い男が再び現れると穏やかな口調で言った。


 私は小さく頷き立ち上がった。小屋から二十分程歩くと大きな門が見えてきた。門の向こうには広場が見え、そこをコの字に囲むように平屋の建物が立っている。広場は平たい石が敷き詰められ中央には一畳ほどのゴザがひかれていた。若い男はそこに座るように手を向けると物陰に下がっていった。


 しばらくすると、数名の高官らしき男達と刑部省の責任者らしき男が現れた。その後ろに書記官らしき男が続き目の前に座った。薄日は消え空はどんよりとした雲に覆われている。


 中央に座った責任者らしき男は咳ばらいをし口を開いた。


 「では、そなたの昨日の騒動の審議を開く。そなたは昨日市で騒ぎを起こした上に数名の兵を負傷させた。間違いないな?」


 「…はい…」


 「兵に負傷を負わせたことは重罪であるが、そなたは時期、山代王の側室にもなることからその身分と立場を鑑みて、一つ選択肢を与えることとする。昨日のそなたが犯した過ち全てを今この場で心より謝罪し奴婢らを引き渡せば、昨日の件は水に流しお咎めなしとする」


 男は素っ気ない態度で淡々と言い終えると私を見た。私が黙ったままでいると、男はコホンと咳払いをし再び言った。


 「今この場で、そなたの犯した罪全てを認めれば…」


 「謝罪するつもりはありません」


 私は静かにそう答えた。


 「んん⁈」


 予想外の返答に驚いたのか責任者の男は目を丸くしている。


 「なれど、そなた、人を殺めておきながら謝罪なしとは、どういうことなのだ?」


 隣に座っていた大臣らしき男が眉を細めて言った。


 「巻き込んでしまった兵は気の毒に思いますが、証拠もなく何の罪もない幼い子らが殺されたのも事実です。まずは先に、濡れ衣を着せられ無念の死をとげた幼い命に謝罪すべきではないのですか?」


 「な、な、なんと無礼な物言いなのだ!」


 責任者の男がものすごい形相で立ち上がり私を睨んだ。私は握った拳にもう一度力を込め話を続けた。


 「この件は、市で偽物の薬草を売りつける不正が発端です。朝廷の官吏と商人が裏で結託し、偽物を貧しい民に売り、その利益を荒稼ぎしていたのです。商人達の取引は外薬寮で保管されている帳簿を確認すればわかるはず。高官の皆様はまず帳簿を査閲し不正を正すべきではないのですか?」


 「ええ⁈そうなのか?」


 事の真相を知らぬ大臣と高官が互いに顔を見合い騒めいた。すると一番端に座っていた大連らしき男が立ち上がり怒鳴りだした。


 「そなたは時期側室になる女人だからと、こちらも譲歩してやったのに。黙って聞いていれば戯けた事を申しおって、いくら山代王様の後ろ盾があるからといってもかような虚言許されぬぞ!」


 大連の顔はみるみる赤くなり、激怒している。


 「では、虚言ではなかったら大連様も裁きを受け幼い子らに償ってください」


 私はひるむことなく言い放った。


 「人を殺めた分際でよくも!!命が惜しくはないのだな。では思う存分罪を償ってもらうとしよう」


 大連は握った拳をブルブルと震わせたあと、私を指さした。私は深呼吸をし冷然と返した。


 「犯した罪からは逃げられません。覚悟の上でしたことですので、何なりと処罰してくださって結構です」


 「な、生意気な…」



 大連が目配せすると責任者の男は頷き言った。



 「罰として鞭打ち三十回を申し渡す。今晩亥の刻に百済大寺の境内にて執り行う。当番の者は鞭打ち五回ごとに鐘を鳴らすように」


 責任者の男が兵に命じ私は再び縄をかけられた。私はゆっくり立ち上がり来た道を歩き出した。遠くでゴロゴロと雷が鳴る音が聞こえる。あたりはますます暗くなり風が強く吹き始めた。



 北上之宮きたかみつのみやの門を使者の男が叩いた。門が開くと男は王の屋敷へ向かい一目散に走った。


 「嘘だ、そんなはずがなかろう。何かの間違いだ。賢い燈花とうかがそんな愚かで無謀な言動をするはずがない」


 使者からの報告を聞き王は顔を青ざめた。隣で聞いていた王妃や白蘭はくらんも想像もしていなかった結果に呆気に取られ言葉を失っている。


 「す、すぐに事の真相を確かめに行かねば。冬韻とういん、馬の用意を!」


 王が叫び冬韻とういんを見たが、彼は唇を噛みしめ黙ったままだ。


 「冬韻とういん、聞こえぬのか?すぐに馬の用意をしろと言っているのだ。何がなんでも燈花とうかを救い出さねばならぬ」


 冬韻とういんが苦痛の表情を浮かべ口を開いた。


 「王様、僭越ながら申し上げますが、誠に刑部省で決定された事ならば王様とて覆せません。まだ、時間はあります。私がもう一度出向き事実かどうか確認してまいります」


 その時、ちょうど部屋の戸が開き


 「お、王様、誠の話でございます」


 側近の文屋ふみやが青い顔で飛び込んできた。


 「王様。誠の話でございます。刑部省で既に決定された事でございます。その場に居合わせこの耳で聞きました。刑は今晩、亥の刻に百済大寺にて執り行われます」


 「そんな、馬鹿な…」


 王が信じられないというようにその場に崩れ落ちた。


 「ど、どうすれば良いのだ…すぐに助けに行かなければ…」


 「なりません」


 文屋ふみやもまた苦痛な表情を浮かべ顔を横に振った。


 「何故だ!」


 王が睨み嚙みついた。


 「こうなった以上、刑部省の決定に従う他ありません。もし逆らえば法に背くとして、逆賊扱いされてしまいます。うまく刑を取り消したとしても朝廷からは批判の声が上がり我らの立場が危うくなるでしょう。末端の官吏とはいえまだまだ軽家は力のある豪族です。今敵に回すと、王家に反感を持っていた下級役人達が彼らに便乗し、躍起になり責め立ててくるはずです」


 「ではどうしろというのだ!我々は王家だぞ!」


 王がうなだれた。静まり返った部屋の中で沈黙を破るように白蘭はくらんが口を開いた。


 「王様、僭越ながら申し上げます。王様のお気持ちは十分お分かりいたします。なれど、文屋ふみやが申したことも事実です。先帝が亡くなり朝廷が発足してまだ一年足らず。政もまだ安定しておりません。朝廷での王様の権力は強靭とはいえ、敵意をむける派閥も未だ少数残っており、王様をその座から引きずり落そうと虎視眈々と狙っています。今こそ慎重に行動されるべきかと」


 王はフゥーと鼻息を漏らしたあと王妃を見た。


 「……王妃、そなたは?」


 王妃も青ざめながら言った。


 「はい、私とて燈花とうかを救いたい気持ちは山々ですが、文屋ふみや白蘭はくらんが申したとおり、慎重な判断が必要かと…」


 王は視線を床に落とし、最後に冬韻とういんに尋ねた。


 「冬韻とういん、お前は…」


 「私も、皆様と同意見です。都中の不満と批判の的にさらされ徒党を組まれたら、我々とてなすすべがありません。まずはお子様たちに危険が及ばぬようにする事が最重要事項かと…」


 「何故こうなってしまったのだ…どうして…」


 王が頭を抱えしゃがみこんだ。


 「しかし王様、刑罰のむち打ち三十回をこなせば罪を償ったものとみなされ、地位も名誉も回復でき無事王家に戻れるそうです。しかし…三十回のむち打ちは強靭な男の体でも大変だと聞きます。女子の身となれば…どうなるのか…」


 文屋ふみやが困惑気味に言った。


 「なれど王様、まだ策はあります」


 白蘭はくらんが何かを考えるように呟いた。


 「刑で使用される鞭ですが、従来のものを柔らかい素材のものにすり替えるのはどうでしょう?多少体に傷はできるものの命に別状はないかと…再び阿椰あやを遣わしましょう」


 「なんと、妙案だ!!まだ時間はある、急いで鞭を作らせろ!」


 王はぱっと目を見開き、一縷の希望の光を見たかのように声高らかに叫んだ。


 「はっ!」


 冬韻とういんは会釈をすると、部屋を飛び出した。


 「燈花とうかにこの事を伝えにいく」


 王が言った。


 「なりません。決定が下された今、あの牢屋に足を踏み入れるのは、厠に付き添う下女以外何人たりとも禁止されています。燈花とうか様は刑が終わるまでは罪人の身でございます。残念ですが今はただ、刑が終わるまで見守る事しかできません。燈花とうか様は強いお方です、きっとこの難局を乗り越えましょう」


 文屋ふみやが諭すように諫めた。


 「…くうう、なんて不甲斐ないのだ。必ず守ると誓ったのに…」


 王は途方に暮れながらうなだれた。


 「王様、王様。よろしいですか?」


 部屋の隅でこの様子を黙って見ていた小彩が一歩前にでた。


 「私が下女の恰好をして燈花とうか様のいる牢に近づきこの事をお伝えいたします。私は後宮に入りまだ日が浅く、顔が割れていないのできっと上手くいくはずです」


 「確かに妙案かもしれません…」


 文屋ふみやが王を見た。


 「…そうだな…用心してくれ、頼んだぞ」


 王が顔をしかめた。


 「承知しました」


 小彩こさはお辞儀をし部屋を出ると、すぐに薄汚れた麻の衣に着換え馬車に乗り込んだ。王妃の合図で馬車は風のように屋敷を飛び出した。


  燈花とうか様待っていてください…


 小彩こさはぎゅっと唇を噛みしめた。



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