第13話 桃色の山茶花

 「燈花とうか様、朝ですよ起きてください」




 小彩こさの声が響く。寝不足で頭がまだボーッとしていたが、体は昨日よりも断然軽く感じた。


 「もう、熱はすっかり引いたようですね」


 小彩こさは私の額に手を当てるとホッとため息をついた。


 「ええ、昨日よりもだいぶ楽になったわ」


 「すぐに、お粥を作ってまいります」


 「ありがとう」


 小彩こさは幾人かの侍女を呼び厨房へと行ってしまった。戸の隙間から朝のひんやりとした風が入ってくる。冷たい空気を何度か吸い込むと頭がスッキリした。


 そう、今日こそ大王にご挨拶に行かなければいけない。何があってもあの日の侍女が自分だとバレてはいけない。きっと大丈夫。何もかも上手くいく。自分に言い聞かせながら、もう一度目を閉じた。

 





 大王のやかたでは一人の臣下が朝から大王の寝所を訪ねていた。


 「大王様、中に入ってもよろしいですか?」


 「入りなさい」


 「はい」


 ゴトゴト、ゴトゴトゆっくりと戸が開いた。


 「大王様に拝謁いたします」


 臣下の男は部屋へと入ると、静かに膝をついて挨拶をした。


 「まだ朝食を取ったばかりだぞ、朝早くからどうしたのだ?急ぎの用か?」


 大王が少し不機嫌そうに言った。


 「いえ、、急用ではないのですが、その、昨夜、部下より報告がありましたので、念のため朝一番で参りましたが…また出直してまいります」


 「構わぬ、せっかく来たのだから申してみよ。で?」


 大王は朝食を取り終わったばかりの口を布で拭きながら言った。


 「実は、昨日部下が龍王ヶ湯のあたりを見回っていた時に湯を囲む石の陰に落ちていたものがありまして…」


 そう言うと臣下の男はゴソゴソと衣から手巾を取り出しくるまれていた中の指輪を見せた。


 「ん?指輪?近くに持ってまいれ」


 「はっ」


 臣下の男は指輪と手巾を大王にそっと手渡した。


 (橘の刺繍?…しかもこの指輪…)


 「この指輪をどこで拾ったと?」


 「はい、先日大王様がお倒れになったあの湯でございます。大変高価な石ですし、大王様のものかと思い、持って参りました」


 「さようであったか…私の他にもあの湯に行った者がいるのでは?」


 「いえ、あの日以来、石が崩れ落ちてしまい湯も濁り危険な為、立ち入りを禁じております。誰も近寄ってはないはずですが…」



 「ふぅーん、、なるほど…ではこれは私が預かっておく。下がってよい」


 「はっ」


 臣下の男は丁寧に拝礼すると部屋から出て行った。


  (似ている…この指輪は確かに…)


 大王は暫くその指輪を眺めると、部屋の外にいる別の臣下に向け叫んだ。


 「おい、誰かそこにいるか?山代王を連れてまいれ!」


 「はっ」


 そして、また翡翠の指輪をじっと見つめた。

 

 トントン、トントン


 「大王様、お呼びでございますか?」

 

 山代王の声だ。


 「入りなさい」


 「はい」


 ゴトゴトと戸が開き、山代王が部屋に入ってきた。


 「大王様に拝謁いたします」


 「堅苦しい挨拶はいらぬ、こちらに来なさい」


 「はい」


 大王は山代王を目の前に座らせると、さっそく手に握っている翡翠の指輪を見せた。


 「はっ⁉︎」


 指輪を見た山代王は一瞬驚いた表情を見せた。


 「これは、そなたの指輪ではないのか?」


 大王が優しい声で尋ねた。


 「あ、兄上それをどこで⁈」


 山代王の顔は若干青ざめているようにも見える。


 「やはり、そなたのものであったか…いや臣下が龍王ヶ湯の側で見つけ、今朝届けにきたのだ」


 「龍王ヶ湯、、」


 山代王がポツリと言った。


 「やはり、そなたもあの湯に行ったのだな。そなたと共に行けば転んで怪我などしなかったはず…」


 大王が残念そうに言った。


 「……えぇ、、」




 (この指輪は確かに私のもの、いや先日燈花とうかに渡したものだ…)


 山代王は両手をギュッと膝の上で握った。


 「この指輪は、そなたが母君から貰った大事な形見だろう?唯一無二の代物だぞ。二度と落とさぬように気をつけなくてはならぬぞ」


 大王はそう言うと、山代王に指輪と手巾を手渡した。山代王は指輪を受け取ると静かに言った。


 「はい、以後気をつけます。なんと御礼を申せば良いのか…」


 「何をいう、そなたとは母親こそ違えど実の兄弟だ、水くさい事を申すな」


 「感謝いたします」


 ちょうどその時、コンコン、コンコンと部屋の戸を叩く音がし、側近の三輪みわが現れた。


 「大王様、私です。よろしいですか?」


 「どうした?」


 「はい、只今橘宮たちばなのみやより、燈花とうかと申す女官とその侍女小彩こさが挨拶に参っておりますが、どうされますか?」


 「そうか、丁度良かった。通しなさい」


 大王が待っていたかのように興奮気味に答えた。


 「では、兄上、私はこれで失礼いたします」


 山代王は急かし気味に言い立ち上がった。


 「何を慌てているのだ?もう少しここにいなさい」


 大王はそう言うと山代王を引き留めた。


 「…はい」


 山代王は静かに頷くと再びその場に座った。

 部屋へと案内された私はとても緊張していた。大王と最後に会ったのは、小墾田宮おはりだのみやの蹴鞠以来だ…いや、違う…数日前に湯で会っていた…しかも…仕方なかったとしても、、事実、大王の唇に触れている。


 顔が熱くなっていくのが自分でもわかった。けれども覚悟を決めてシラを切らねばならない。強い緊張と共に部屋の中へと入り、いつもより深く拝礼をした。



 「大王様に拝謁いたします」


 「顔を上げなさい」



 ゆっくりと顔を上げた先にうっすらと笑みを浮かべる大王とその隣にうつむく山代王の姿が見えた。


 ハッ、山代王様もいらっしゃる⁉︎気まずい…


 ただでさえ緊張しているのに、さらに心臓の鼓動は早くなり身体中に油汗が出てきているのがわかった。


 「燈花とうかよ、実に久しぶりであるな、しばらく床に伏せていたと聞いたぞ。長旅の疲れが出てしまったのだな。で、体調は良くなったか?」


 大王が優しく聞いてきた。


 「はい、もうこの通り回復いたしました」


 精一杯の笑みを作り震える声で答えた。


 「そうか、良かった安心したぞ」


 「大王様こそ、体調が優れぬとお聞きいたしましたが…」


 緊張のせいか余計な話題を振ってしまったがもう遅い…




 「ハハッ、そうなのだ!女官達の噂は早いな」


 そう言うと、大王は大声で笑った。


 「お体はもう大丈夫でございますか?」


 「もう大事ない」


 大王は恥ずかしそうに頭をかき、少し顔を赤らめた。


 「安心いたしました」


 私が言うと、大王はコホンっと咳払いを一つし、少し間を置いて私を見つめて言った。



 「まぁ、念のため聞くのだが…そなた、龍王ヶ湯には行ってないな?」


 「えっ⁉︎は、はい私はここの宮に着き、直ぐに体調を崩した為、しばらく部屋で寝込んでおりました」


 たどたどしい答えに、その場からすぐに消え去りたかった。とにかく今までにない緊張感で頭がおかしくなりそうだった。


 「そうだったな。愚かな事を尋ねてしまった」


 大王は少し残念そうに言い小さなため息をついた。


 「まだしばらくここにとどまるつもりだ。その間、ゆっくり休みなさい。それと王妃がそなたに会いたがっているゆえ、午後にでも挨拶に行ってくれるか?」


 「はい、喜んで伺います。では失礼いたします」


 とにかく一刻も早くこの場から立ち去りたかった。軽くお辞儀をしたあと足早に部屋を出た。急いで部屋に戻りピシャッと戸をしめ寝台に倒れこんだ。まだ心臓がバクバクとしている。なんとかかわせたと思う…。


 「燈花とうか様!危機一髪でございましたね。緊張で手がビッショリです。生きた心地がしません」


 後から部屋に入ってきた小彩こさが手拭いで手を何度も拭きながら泣きそうな声で言った。


 「本当ね。よりによって山代王様までいらっしゃるなんて、バレてないわよね?」


 「はい、大丈夫かと思います。それにしても燈花とうか様、今日の山代王様はなんだか暗くありませんでしたか?なんだか神妙な面持ちだった気がして…」


 「うーん、、そうね…」


 と答えたものの、山代王を気遣う心の余裕が全然なかったのか、ついさっきの出来事なのに状況を全く思い出せない。でも、よくよく考えるとこの三日間、彼にはとても心配をかけてしまったようだし、改めてお礼に行かなければと思った。


 そして、彼からの指輪も早急に見つけ出さないといけない。でも、午後は王妃様にお会いする予定があるし、まさか古代でこんなドキドキハラハラな体験をするとは思っていなかったが、こんな波瀾万丈な人生も一つの醍醐味なのかもしれないと、なぜか同時に思った。 

 午後になると、王妃付の侍女が部屋の前まで迎えに来てくれた。支度を整え侍女の後について歩いた。ずっと寝込んでいたので、この大王の別宮をしっかり散策するのは初めてだ。改めてこの宮の敷地の広さに驚いた。


 冬の始まりのひんやりとした風が心地良い。しばらく歩くと広い中庭に出た。至るところに山茶花の木が植えられていて赤やピンクや白の可愛らしい花がまさに満開だった。他にも柿の木などがあり沢山の実をつけている。その中庭に面する所に小さな板葺の建物が見えた。建物の前には数名の舎人とねりの姿もある。警護の者がいるのだからきっと王妃の屋敷なのだろうと予想がついた。


 屋敷の前に到着すると、今度は玄関先で待っていた別の侍女に廊下に案内されそこで少し待った。小彩こさは興奮気味にキョロキョロと建物内を見回し落ち着きがない。廊下からは先ほど通り抜けた中庭が良く見えた。色とりどりの山茶花の花びらが風が吹くたびにパラパラと舞い、冬の空を彩っていた。


 さすが、王妃の庭だけあり手入れが隅々まで行き届いていて実に美しかった。


 「王妃様が、いらっしゃいましたので、どうぞお部屋の中にお入り下さい」


 侍女の声が響いた。


 「はい」


 緊張しながら部屋の中へと入り挨拶をした。部屋の中は花の良い香りで充満している。


 「王妃様に拝謁いたします。この度は行幸にお招き頂き感謝いたします。橘宮たちばなのみやより参りました燈花とうかと申します、隣にいるのは侍女の小彩こさでございます」


 「待っていたぞ、二人とも顔を上げなさい」


 上品で軽やかな声だ。


 「はい」


 ゆっくり顔を上げると、穏やかで優しい笑みを浮かべた色白の美しい王妃が高座に座っている。淡紅色の衣を羽織っていて肩から胸の部分には金色と赤紫色の糸で山茶花の刺繍が施されている。


 その色のグラデーションが見事で見入ってしまった。王妃の色白の肌にも良く映えている。髪も頭の上で綺麗に二つにまとめられていて、椿だろうか、、赤い花びらを何枚も重ねたような美しい花の髪飾りがさしてある。


 「緊張せずに、楽にしなさい」


 王妃が優しく言った。


 「数ヶ月ほど前であったか、皇子が高熱を出した時にはそなたから貰った葛根が良く効き大変助かったと聞いた。遅くなったが礼を申すぞ、何か欲しいものはないか?」


 「と、とんでもございません。卑しい身の私には身に余るお言葉でございます。先日負傷したときも大王様より大変貴重な薬を頂きましたし、此度の行幸にもお招き頂き、大変感謝をしております。欲しいものはございません。王妃様の優しいお心遣いだけで十分でございます」

 

 


 「ハハハ、そなたは欲のない女子だと聞いたが誠にそうなのだな。大王様が気に留めるわけだ。さぁ、今茶を入れるから、ゆっくり飲んで行きなさい」


 「はい、感謝いたします」


 不思議と王妃とは初対面にも関わらず、都の話やちまたで流行りものなど、リラックスして話が弾んだ。探し物をしに行かなければならないということは忘れていなかったが、王妃との時間がやけに心地よく、良い花の香りに誘われたのもあり、長居してしまった。


 「王妃様、今日はお招き頂き誠にありがとうございました」


 「私も話が出来て嬉しかったぞ、また来なさい」


 「はい、では失礼いたします」


 私達は丁寧にお辞儀するとすぐ部屋へと帰った。 


 まだ、間に合う。もう一つの重要任務を終わらせないと…


 「小彩こさ、今から龍王ヶ湯に行ってくるわ、すぐに戻ってくるから!」


 「もう日が暮れるというのに、今からですか⁉︎」


 「大丈夫よ、場所はわかってるし、すぐに戻ってくるから」


 「でも…」


 小彩こさの返事を待たずに部屋を飛びだした。


 「燈花とうか様!」


 背後から小彩こさの叫ぶ声が聞こえたが、どうしても今日中に解決したかったので振り返らずに無我夢中で走った。龍王ヶ湯に着いた時にはすっかり夕暮れ時で辺りの草木は橙色に染まっていた。人の気配もなく簡単に湯の側までたどり着くことができた。


 確か、このあたりで大王様がお倒れになって…この石の側に置いて…


 記憶を辿りながら探し始めたもののどんなにくまなく探してもいっこうに見つからない。


    ダメだ、、見つからない…


 すっかり辺りは暗くなり、見上げた夜空には一番星がキラキラと輝きはじめている。

 その時だった。ガサガサっと草むらから音が聞こえた。


       誰か来た?獣?


 思わず、怖くて地面に伏せてしまった。


 「…探しているものはこれか?」



      えっ・・・・



 恐る恐る顔を上げると月の灯りに照らされた山代王が目の前に立っている。


 「そなたが必死で探しているものはこれか?」


 山代王はもう一度言うと手に持っていた指輪を私の目の前にかざした。


 「や、山代王様…」



 思わず涙が溢れ出た。安堵の気持ちが一気に込み上げ涙が止まらない。張り詰めた糸は完全に切れその場にしゃがみこんだ。気がつけば大声で泣き出していた。山代王は私の突然の泣き姿に驚いたのか、おどおどと困った様子でいる。


 「燈花とうかよ泣くでない。泣かないでおくれ、脅かしてしまいすまなかった」


 と言い、私を優しく抱きしめた。突然のことに驚いたが突き飛ばす余力など微塵も残っていなかった。むしろ山代王の温かいぬくもりに不思議と心が落ち着いた。大人になって久しく泣いていなかったので、なんだか逆に心地よかった。


 「落ち着いたか?」


 うん、と頷いた。


 「これを探しに来たのであろう?」


 そう言うと山代王は持っていた翡翠の指輪と手巾を渡してくれた。


 「……」


 何も答えられない…山代王の様子からしてきっと全てバレている。


 「…ここで兄上を救った侍女は、そなただな?」


 「…はい…」



 「さようか…兄上はまだあの時の侍女をお探しになっている、むろん罰するわけではないのが…」


 「どうか、黙っていて下さい」


 「私はそなたの一番の友だ、そなたの言う通りにするよ」


 「感謝します」


 「さぁ、もう真っ暗だ。寒いし帰ろう。部屋まで送らせておくれ」


 山代王は優しく私の手を取ると月夜の中を歩き始めた。部屋に戻ると小彩こさは泣き腫らした私の顔を見て驚いたが、何も言わずに直ぐに厨房に行き温かい食事を運んできてくれた。


大王邸だいおうやしきでは



 コンコン、コンコン。夜遅くに戸を叩く音が聞こえた。


 「兄上、もう寝られましたか?」


 「ん?山代王か?入りなさい」


 「はい」


 ガタガタ、ガタガタ、、。


 「こんな夜更けにどうしたのだ?」


 蝋燭に火を灯しながら大王が聞いた。


 「このような時間に申し訳ありません、どうしても兄上に至急確認したいことがあり、失礼ながらやって参りました」


 「なんだ?」


 「兄上は、まだあの時の侍女をお探しですか?」


 「見つかったのか⁉︎」


 「い、いえまだですが…もしその者が見つかりましたらどうされますか?」


大王が静かに話し始めた。


 「今日、燈花とうかが挨拶に参った時に、ふと思ったのだ…一縷の望みをかけて、あの時の侍女がこの者であれば良いのに、と…。なれど違うとわかり、正直落胆した。わかっていた事なのにやけに残念に思ってしまったのだ…」


 大王は寂しそうに笑った。


 「そうですか…」


 「山代王よ、もう侍女を探さずとも良い。未だに名乗り出ないということは私には大して感心がないのであろう」


 「…承知しました」


 「さぁ、早く部屋に戻って休みなさい」


 「はい、兄上、失礼いたします」


 山代王は帰り道、今までにない不思議な気持ちを感じでいた。大切な友である燈花とうかには幸せになって欲しい。大王の側室にでもなれば一生安泰で暮らせるはずだと…でも、同時に燈花とうかを失うと思うと、胸がズキンとひどく痛んだ。明らかに複雑な感情に戸惑っていた。





 翌日は、朝からとても暖かく秋晴れだった。


 「燈花とうか様、この宮の侍女の話だとここから道沿いに東に向かって半刻ほど歩くと野原と雑木林があるそうです。今の季節だとドングリや、クルミとかの木の実が沢山拾えるそうです。中宮様へのお土産にしませんか?」


 「良い案ね!今日は風もなく暖かいし、行きましょう」


 私達は急いで支度をし屋敷を出た。小道は沢山の落ち葉が積もっていて歩く度にカシャカシャと音がした。まるでふかふかの絨毯の上を歩いているようだ。しばらくすると目の前が開け林が現れた。


 「燈花とうか様、この辺ですねきっと、ほらドングリが沢山落ちています…胡桃もありますよ!」


 小彩こさはきゃっきゃっとはしゃぎ夢中になって木の実を拾いはじめた。


 子供のようにはしゃぐ小彩こさの姿を見ていたら、ピクニックでも来たようで楽しかった。日差しも暖かいし最高の日だ。


 私達は時間も忘れて無我夢中で木の実を拾っていた。


 「燈花とうか様、私の籠がもう一杯です~」


 小彩こさの籠はあっという間に沢山の木の実で一杯になった。


 「欲張りね」


 汗びっしょりの小彩こさを見て笑った。


 「屋敷から林檎を持ってきたから少し休んで食べましょう」


 「はい!」


 林の少し離れた場所に山茶花の木が一本生えているのが見えた。花びらは全て桃色で冬の林の中で一際色鮮やかに目立っていた。


 「あの山茶花の木の下で休みましょう」


 「はい」


 よいしょ、よいしょ、と重い籠を掲げて木の下までやってきた。


 「ふぅ〜暑い!汗でびっしょりだわ」


 季節は冬だがずっと歩きっぱなしだし夢中で木の実を拾っていたので、二人とも汗が吹き出ていた。近くで見る山茶花は濃い赤や薄いピンクや白も混ざっていてマーブルのような花びらをしている。可愛らしいのに、凛とした美しさもあり、冬の寒さの中に咲き誇る姿が美しかった。


 「きれいね…」


 「燈花とうか様、汗が止まらないです」


 小彩こさはまだフーフー言い真っ赤な顔をしている。


 「仕方ないわね、私の手巾を使って…」


 と、衣から手巾を取り出した時だ、一瞬ビューっと風が強く吹き手巾は空高くヒラヒラと舞い上がり、そのまま山茶花の木の枝に引っ掛かった。


 「あぁ、、引っ掛かってしまったわ。小彩こさ、なにか長い枝を探してきてちょうだい」


 「あっ、はい」


 小彩こさがすぐに近くに落ちていた木の枝を見つけ持ってきた。


 「これはどうですか?」


 「良さそうね、貸して」


 渡された枝の端を掴み、ぐっと背伸びをして手巾に向かって振り回したが、ダメだ、届かない。思ったよりも高い所にひっかかっている。


 「小彩こさもう少し長い枝を探してきてちょうだい」


 「はい、わかりました!」


 次に渡された枝も、その次に渡された枝も、もう少しの所でなぜか届かない。ヤキモキしてきた私は覚悟を決めて言った。


 「仕方ないわ、登ってみる」


 「えっ⁉︎登るのですか⁉︎」


 小彩こさが目を丸くして聞き返した。


 「そうよ、子供の頃から木登りは得意なのよ!」


 衣の袖をたくし上げながら、手前の枝を掴んだ。


 「子供の頃からですか⁉︎」


 小彩こさは、まだ驚いている。


 「そうよ東国では子供はみな木に登るのよ!」


 段々嘘にも箔がついてきたと思いながら必死で枝をつかんだ。丁度つかみやすい位置に枝が生えていた事もあり、わりと簡単に手巾の側まで登ることが出来た。


 地上から3メートル位の高さだと思うがいざ登ってみると随分高く感じた。下を見た瞬間に足がガタガタと震え始めた。


  下を見てはダメよ、あともう少し…もう少し手が伸びれば…掴んだ!


 その瞬間に、体が宙に浮いた。



     あぁ、、落ちる…



 「キャー!」


 その時、下から誰かに抱き止められた。スローモーションのように山茶花の桃色の花びらが何枚も何枚も散り宙を舞っている。


 花びらの先に見えたのは、、、、 

 

  茅渟王ちぬおうだ。


 ドサッ、私は勢いよくそのまま地面に落ちた。


 「イタタ…だ、大王様大丈夫ですか⁉︎」


 下敷きになっている大王に向けて叫んだ。


 「私の方が痛いぞ」


 大王が苦しそうな声で答えた。


 「大王様。申し訳ありません!お怪我はありませんか⁉︎」


 私は慌てて起き上がり言った。


 「大丈夫だ。なれど燈花とうかや、そなた見かけによらず重いのだな」


 大王は起き上がると腰をさすりながら私を見て笑った。

 こんな時に不謹慎だと思ったが、まじかで見る大王の笑顔が妙にキラキラしていて少しだけ胸が高鳴った。


 「も、申し訳ありません、、」


 顔から火が出るほど恥ずかしかったが、なにせ相手は大王だ、必死で謝った。


 「冗談だよ」


 大王は笑って私を見たあと、私の胸のあたりをじっと見つめた。視線の先には翡翠の指輪がキラキラと光り揺れている。


 私は大王の視線に気づくと慌てて指輪を胸の中にしまった。何故見ていたのかもわからなかったが彼はこの指輪を知らないはずだし、この時は気のせいだろうとだけ思った。


 


 (何故、山代王の指輪をそなたが持っているのだ?…いや、市場にも似たような指輪はあるだろうし、私の見間違いやも…)


 大王は目をつむり頭を横に振った。




 「あっ、大変!大王様、足から血が出ています!」




 「ん?ただのかすり傷だ、気にとめずとも良い」


 大王は軽く答えたが、結構出血している。持っていた手巾を取り出し傷口をギュッと押さえた。


 

 (橘の刺繍の手巾?…指輪が包んであったあの手巾だ、間違いない。やはり、そなたがあの時の侍女であったのか…)

 

 大王の心の中は喜びで満たされていた。

 


 


 大王は何故か手当てをしている私を黙ったままじっと見つめている。なんだかおかしな空気で気まずかった。


 

 少し離れた所でこの様子を王妃と山代王が見ていた事にも全く気が付かなかった。




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