第5話 中宮との出会い


 下り坂を降りきると、とまっていた馬車に乗り込んだ。馬夫の掛け声と共に馬車はゆっくりと音を鳴らしながら水田の中を進み始めた。見渡す先に朱色に輝く建物が見え、その少し奥にも大きな塔が見える。その光景があまりにも鮮やかで美しくて、終始言葉を失い見惚れていた。


   なんて美しい都なんだろう…


 「起きてください、着きましたよ」


 優しい声で肩を揺すられ、目を覚ました。いつの間にかウトウトと眠ってしまったらしい。


 「中宮様のお屋敷に着きました。さぁ行きましょう」


 「えっ?えぇ…」


 少女に手を引かれ、恐る恐る馬車を降りた。


 目の前にはまたしても大きくどっしりと構えた門があり、その両側には二人の守衛らしき体格の良い大男が無表情で立ってこちらを見ている。胸の高さまである塀は土で出来ていて、屋敷の周りをぐるりと囲み、奥の竹やぶの方まで続いていた。


 すぐに身分の高い人間の屋敷であることが分かった。少女の後ろを重い足取りで歩き始めた。大きな門を抜けるとすぐに広い中庭に出た。その庭を囲むように平屋建ての家屋がコの字で建っていた。


 中庭の中央には大きなイチョウの木が一本生えていて、一面黄色にそまっている。


 立派なお屋敷ね、警備も厳重だし…中宮様って誰かしら…


 中庭を通り過ぎると、コの字に建つ家屋の奥にもう一つ、瓦屋根で出来た建物が見えた。少女は真っ直ぐにその建物に向かい進んでいく。私も遅れないように彼女の後について歩いた。建物の前まで来ると少女はピタリと足を止め振り返り言った。


 「こちらの建物にお入りください。入ってすぐに廊下がありますのでそのままお進みください。その先で豊浦大臣とゆらだいじん様がお待ちしてると思いますので、大臣様の指示に従って下さい」


 少女はそう言うと軽くお辞儀をしてまた中庭の方へと引き返して行った。


      豊浦とゆら大臣?


 ドクドクとさらに早く脈打つ心臓に手を当てると深く深呼吸をし、建物の中へと入った。中は薄暗くしんとしていたが、竹藪から流れてくる澄んだ空気が不思議と心を落ち着かせてくれた。薄暗い廊下の先に男の姿がちらっと見えた。


      あの人が大臣?


 廊下がとても長く感じたが、歩みを進めるうちに男の姿は近づきはっきりと見えた。小太りで髭の生えた中年の小男だ。位が高いのか深紫色の上着と帽子を身につけ、ジロジロと疑うようにこちらを見ている。私は男の前で立ち止まと小さく会釈をした。小男はエヘンと咳払いを一つすると、小さな声でボソボソと呟いた。


 「今からそなたを中宮様に会わせるが、失礼のないようにしなさい。床に膝を着いてご挨拶し、中宮様からの指示があるまでは決して顔を上げてはならぬぞ」


 「はい…」


 急に底知れぬ緊張におそわれた。喉はカラカラになり唾も出ない。どの時代に来たのかは確かではないが、場合によっては振る舞い一つ、発言一つで即処刑されてしまう。十分に気を付けなければならないと思った瞬間、体がガタガタと震え始めた。


 本当の事を言うのはやめよう…


 私は元来とても正直で真面目な性格だか、何故かこの時は真実は話すべきではないと思った。


 「部屋の中に入ったら下を向き小股で十歩ほど進んだ後、床に伏せなさい」


 小男が続けて言った。


 「はい…」


 私は覚悟を決め、ぎゅっと手を握った。男は静かに戸を引くと、先に部屋の中へと入っていった。


 部屋の中は薄暗く板の床はひんやりしている。私は言われた通り十歩進み静かに座ると、額を冷たい床につけた。


 「中宮様、この者が昨日道端に倒れていた女人でございます。武器等は所持してはおりませんが、どこのものなのか出自がわからず疑わしいです。女よどこから参ったのだ、申してみよ」


 小男が言った。


 「はい。…私は遥か東国からやって参りました。途中何故か意識を失い、この地に迷いこんでしまったようです。厄介であれば直ぐに立ち去ります、どうぞお許しください」


 震える声で精一杯丁寧に答えた。


 「そなたは…」


 「えっ?」


 しわがれた老女の声を聞き思わず顔を上げてしまった。まさか簾の奥から女性のそして年老いたしわがれた声を聞くとは想像もしていなかったからだ。


 「こら無礼であるぞ!」



 「す、すみません」


 慌ててまた頭をさげたが、大臣らしき小男は声を荒げて言った。


 「そなた、この中宮様が何者か知らぬのか?この都をおさめる天皇の炊屋姫様であるぞ!!」


 えっ天皇?炊屋姫って…まさか推古天皇すいこてんのう⁉︎


 胸の鼓動が一気に高鳴り、冷や汗が身体中に噴き出しはじめた。


 嘘でしょ?もし本当ならば、私、今、飛鳥時代にいるってこと?


 パニックで心臓はバクバクと鳴り、今にも外に飛び出しそうだ。床についた指の震えも止まらずに、カカタカタと小さく床を叩く音が鳴り響いている。額から冷や汗がぽとりと床に落ちた。


 「おびえることはない、顔を上げなさい」


 優しくかすれた声で中宮が言った。


 「しかし…」


 大臣の小男が慌てて言った。


 「構わぬ、顔が見たいのだ」


 中宮はやや強い口調で小男の言葉をはねのけた。


 「はぁ、承知しました…では女よ、顔を上げよ」


 「…はい」


 緊張で破裂しそうな心臓を落ち着かせながら、ゆっくり顔を上げた。かすかな外からの光と蝋燭の灯りだけの薄暗さだったが、真正面は高座になっていて白い薄い絹布で覆われている様子がわかった。そしてその奥にはうっすらと小さな女性の影が見えた。


 老女はしばらく簾越しに私を見つめ言った。


 「簾を上げなさい」


 「えっ、中宮様、しかしですな…」


 小男が慌てて答えた。


 「良いのだ、その女人を見たいのだ」


 中宮が合図を送ると両側にいた侍女達がゆっくりと簾を上げた。


 高座には白髪の年老いた老女が座っていた。顔には深いしわが何本も刻まれているものの、老いてもなお凛とした気品と聡明さを兼ねた姿をしている。端正な目元は切れ長で美しく、口元はきゅっと締まっていてるが、とても穏やかな表情だ。


 「もう少し近寄りなさい」


 「…はい」


 少し戸惑ったが中宮から言われたとおりそばに寄った。中宮の顔は一瞬曇ったようにも見えたが、直ぐにもとの穏やかな表情へと戻った。


 「…はるか、かの地より来たとは、さぞかし大変な旅であっただろう。心配はいらぬゆっくりと休みなさい。名はなんと?」


 「燈花とうかと申します」


 「燈花とうか…良い名だ、大臣すぐに侍女の小彩こさを呼んできなさい」


 「承知いたしました」


 小男はバタバタと部屋から出ていくと廊下でなにやら叫んでいる。


 何故かしら、推古天皇すいこてんのういや中宮様に初めて会った気がしないわ…とても懐かしくて…この感覚なにかしら…


 また戸が開き、大臣らしき小男が少女を連れて部屋の中へと戻ってきた。少女は下を向いたまま歩き、私の数歩後ろに静かに座った。



 「中宮様、小彩こさでございます。お呼びですか?」



 「ああ、小彩こさよ、この女人は燈花とうかと申してな。はるか、かの地から参った私の大切な身内のものだ。誠心誠意仕えてほしいのだが、よいか?」


 少女は顔を上げ私を見ると驚いたように言った。


 「も、もちろんでございます!!」


 よく見ると今朝、たらいの水を運んでくれた少女だ。少女は興奮気味に答え私を見てニコッと笑った。私も何故かほっとして微笑み返した。


 「良かった。では、頼んだぞ…ゴホッゴホッ」


 「中宮様大丈夫ですか!?」


 小彩こさが叫んだ。


 「大事ない、もうじき日が暮れる。そなたらは屋敷に戻りなさい。では燈花とうかまた近いうちに会おう、ゴホッ…」


 中宮は咳き込みながらこちらを見ると少しだけ寂しげに微笑んだ。

「おい!誰かすぐに侍医を呼んでまいれ!中宮様を直ぐに寝所にお連れしろ」


 大臣らしき小男は慌てて中宮のそばまで来ると大きな声で叫んだ。


 「おまえたちはもう戻りなさい」


 数人の侍女達に抱えられながら中宮が部屋を出ていった。


 「燈花とうか様、宮に帰りましょう」


 部屋を出ると辺りはもう日暮れで、空は赤く染まりはじめていた。遠くでカラスの鳴く声が聞こえた。


 「中宮様は大丈夫かしら…」


 私が呟くと小彩こさが静かに言った。


 「数年前に東宮聖王とうぐうせいおう様を亡くされてから、めっきり落ち込んでしまって元気がないのです。それに中宮様もお年ですし、季節も冬に向け寒くなっているので、ここ数日体調が優れぬご様子です。でもお側には優秀な侍医がおりますし、きっとすぐに良くなるはずでございます。さぁ、外は冷えますから馬車に乗って下さい」


 「えぇ…」


  東宮聖王とうぐうせいおうって竹田皇子たけだのみこの事かしら?でも史実では、早世されたはず、別のご子息かしら…


 一瞬そんな疑問を抱いたが、とても疲れていた上に馬車に早く乗るように小彩こさにせかされたので、それ以上考えを巡らせる事は出来なかった。


 帰りの道、飛鳥の都は月明かりに青白く照らされとても幻想的で美しかった。生まれて初めて月の光こんなにも明るく、夜がこんなにも暗いことを知った。橘宮たちばなのみやに着くと、安心したのか激しい疲労に襲われた。


 「燈花とうか様、私はお隣の部屋におりますので、何かあれば直ぐにお呼び下さい。あと簡単なお夜食をお持ちいたしますね」


 「ありがとう…私何も覚えていなくて、これから色々迷惑かけると思うけど、宜しくね…」


 「いいえ、とても嬉しくてワクワクしております。中宮様のとても大事なお方ですから、心を込めてお仕えいたします」


 小彩こさは茶めっけたっぷりに笑った。


 「ありがとう、とても心強いわ。あ、後、あの紫の帽子を被っていた方は誰なの?お偉い方?」


 「豊浦大臣とゆらだいじん様のことでしょうか?」


 「豊浦大臣とゆらだいじん?」


 「はい。大臣の蘇我毛人そがのえみし様です。中宮様の側近で朝廷の大臣です」


 背筋が凍りついた。まさか、さっきの大臣が蘇我蝦夷そがのえみしだとは思わなかった。


 「そ、そうなのね…」


 私がドギマギと言うと、


 「燈花とうか様、大臣様をご存知だったのですか?」


 小彩こさが目を丸くして言った。


 「いえ!まさか、勿論知らないわ!ただ気になったものだから…」


 私が手を振りながら誤魔化すと、


 「そうですか…ではゆっくりおやすみ下さい」


 小彩こさは少し不思議そうな表情をし、私を見たあと軽くお辞儀をして部屋を出ていった。


 …あの悪名高い蘇我蝦夷そがのえみし?…ダメだわ。何も考えられない、クタクタだわ…とにかく今日は色々あったし長い一日だった…また明日考えよう…


 とても空腹だったが、寝台に横になったとたん死んだようにそのまま深い眠りに落ちてしまった。あんなに空腹だったのに、小彩こさの呼び掛けにも起きられず、わざわざ運んでくれたお粥にも口をつける事が出来なかった。


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