降り積もる太陽の中で
朝村伊織
観覧車
観覧車に乗って12秒後。
動いている実感がない観覧車に、私たちは座っている。
私から見えるのは、莉子と優月。クレープ屋さんの屋根のピンク色が、二人の隙間から見えていた。
最後に観覧車に乗ろうよ、という優月の提案で、私たちは遊園地の最北にあった観覧車までやってきた。いいね、と莉子が優月に返した時点で、私に拒否権などなかった。
高いところは苦手だ。落ちる想像が容易にできてしまう。ジェットコースターの、空へ高く高く上っているときの緊張感に似ている。
はやく降りたい。
右手で手すりにつかまりつつ、ちらり横を見るとこの観覧車が動いていることを体感した。
観覧車独特のわずかな揺れが、心臓をぎゅっと握っているみたいで落ち着かない。
「手すりってつかまって意味あるの?」
莉子が私を見てそういった。
「意味はないかもしれないけど、単純に怖いから」
「そうかなぁ」
「そうだよ」
「莉子にはわかんないや」
そういった後に、莉子の目はきらりと色を変えた。青いカラコンをいれたその目は、外のイルミネーションに照らされて、幼い頃に集めていた水色のビー玉と同じ色をしている。
「見て見て、きれい!」
ビー玉のほうが色は薄いのに、莉子の目が一瞬そう見えたのが不思議だ。
「ね〜」
優月は先程から私たちの会話には首をつっこまずに、ずっとスマホで写真を撮っていた。まだ地上とそこまで高さは変わっていない気がするけれど。
ゆっくりと観覧車が上がっていく。
外にいる人達は、誰も私たちを見ていない。
「私たちのこと、誰も見てないね」
コップから水が溢れ落ちそうになるのを防ぐように、私は少し前のめりになった。同時に自分のコップからは水が溢れていないことに気づく。
今のは私の声じゃない。優月だ。
優月と私は時折言葉がシンクロする。おそらく見えているものが似ているから。
「そりゃあそうでしょ、優月ってば変なのー。」
「そうだよね。」
優月が答えた後、しばらく沈黙があった。
沈黙を埋める固体がなにもないゴンドラの中で空気だけが雪のように降り積もる。
観覧車に乗って3分後。まだ沈黙は続いている。
外の景色に夢中になっている二人の横顔は同じ向きを向いていた。優月側はミニチュアのように並んだハリボテの家々と、電飾で彩られた木々がよく見える。莉子は莉子側の景色には興味がないらしい。当然だ。そっちははっきり言って、優月側より“しょぼい”。
莉子はきっと死ぬまで優月側しか見ないんだろうな。
きらきらと装飾された服とか、誰かが運んできてくれる料理とか、完成された舞台とか。
でも、装飾された服より、その服を作る過程の方が輝いている。
運ばれてくる料理より、試行錯誤の最中にある料理の方が美味しい。
本番で披露される劇より、全員が台本を持ちながら通される劇の方が見応えがある。
人間が完成させる前のものは、美しい。
その美しさを蔑ろにできるほどの純粋さを、私はもう持っていなかった。
莉子は一生知らなくていい。
良い側面しか見られない莉子の目は、それだけで透き通った煌めきを見せてくれる。
でもその反面、自分の瞳の色には気づけない。人工のイルミネーションより綺麗な天然の光を、彼女は見ることができない。
それを見ることができるのは、こちら側に生まれた者の特権だと思う。なんだかとっても、皮肉だと思った。
「もうすぐ一番上だ」
優月は興奮して言った。
私は自分の思っていない言葉が発せられてびっくりした。ジェットコースターが下に降りる。
「すっごいねー!めっちゃきれい!」
「二人ともこっちむいて〜」
優月が私と莉子の方にレンズを向ける。
「莉子、深雪のほうに移動〜」
優月側から私たち二人を撮ろうとすると、舞台裏が映る。それを察知して莉子はこちら側に来た。彼女はそういうことには敏感なのだ。
「はい、チーズ」
4秒。
「ありがと〜!」
莉子は嬉しそうだ。
「私、二人のこと撮るよ」
優月と目が合う。
「え、いいの?」
だって撮ってほしそうな顔をしてるから。
コップから溢れ落ちそうになる水を手で受け止める。
「いいよ」
「やったー」
莉子が元に戻る。優月からスマホを受け取る。
「はい、チーズ」
3秒。
「いいね、二人とも綺麗だよ」
「ありがとー!」
気づけば観覧車は下がっていた。地面に近づくにつれ、クレープ屋さんに近づく。
「もう帰る時間だー。早いなぁ」
「莉子、明後日の宿題やった?」
「やってない!ってか宿題なんてあったっけ」
あ、私も忘れてた。
「私もやってないやぁ」
「深雪も?しっかりしなよ〜。数学のプリント、明後日までだよ」
「優月はやったの?」
「うん。昨日終わらせた」
「優月って毎回そういうの早く終わらせるよね。深雪は意外とギリギリだけど」
「なんか早く完成させたいんだよね。空欄が埋まってないと気持ち悪いの」
「うえー、それで宿題できんのやば!ねね、深雪さ、明後日学校早く来て一緒にやろうよ」
ちょっとめんどくさい。
「あぁ、いいよ」
「やった!」
純粋でかわいいなぁ、莉子って。
そんなことを話していたら、いつの間にかドアが開く。がらがらがら。
「ありがとうございましたー!」
優月が出て行く。
莉子も続く。
私は店員さんを見る。こんなに明るい声で、笑顔なのにその顔が異質で気味悪い。店員さんはイルミネーションに背中を向けているから、観覧車本体と舞台裏しか見えないんだろうな。そんな人に莉子と優月は、気づかないんだろうな。あるいは気づいていて、見たくないから目を背けているのかも。
私は背けない。
「ありがとうございました。」
観覧車から出てくる人を迎える仕事、大変ですね。お疲れ様です。私はそう思いながら、お辞儀して観覧車から離れた。
次の更新予定
2024年12月1日 12:00
降り積もる太陽の中で 朝村伊織 @asamurasyo-toke-ki
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