第15話 「陰と陽の交錯」

 1.「無意識の光」


 静香は、病の花魁を抱え、仲の町をひた走り、華玉楼に戻ってきた。


 大勢の者達が呆然と外を見つめ、逃げることすら忘れている。

 その中に見知った、華玉楼の禿かむろを見つけ、静香は再び

 玉響たまゆらに気持ちを切り替えた。


「これ禿、何してるでありんす。この花魁を連れて、早く逃げおし」


「は、はい」

 禿は、いま正気に戻ったように慌て始めた。


 炎が衰える様子はない。

 逃げ惑う遊女たちの声を聞き、玉響は、北を向くと迷わず走りだした。


 陽炎の力を惜しみなく使い、自らを守る。

 着物に火が付いた者達には、体を預け消し、

「急いで、南の大門の方へ行くでありんす! 」

 と次の行動を指し示す。


 逃げ遅れた人がいれば、更に体を硬くして建物に突っ込んだ。

 煙で目が痛み、肌は火傷で腫れ上がっている。それでも、

「まだ、奥に人がいる……」


 満身創痍まんしんそういの玉響はボロボロだが、その不屈の姿は、

 気落ちしかかっている吉原の人々の心を打ち、希望の光となっていた。


 激しい咳き込みをして、息も荒くなり、大きく息を吸った

 その時ふと、炎が何かに乗って流れている……


 (あれは神楽院真央の使った「影」! あれで操っていたのね)


 その「影」は西に向かっている。

 避難が終わっているか確認しつつ玉響は、


「逃がさないわよ。あんたたちの思い通りにはさせない! 」


 真央との戦いで「影」を霧散させたイメージを思い出し、

 両手両足に気を込めて、拳を振るったその瞬間、


「中国軍管区情報! 敵大型3機、西条上空を…… 」

 突如、耳の奥で声が鳴り響く。目の前が真っ白に染まり、

 あの巨大なきのこ雲の映像が現れる。目の前で街が粉々に崩れていく映像。

 幼い頃に見た、圧倒的な力の恐ろしさと、その後に続いた廃墟。


 (いや、違う……その力は……)


 自分の力もそれと同じものを引き起こすのでは、と震えを覚えた。


「メリメリ……」

 建物が軋む音が、不吉に響いた。


「ドーン」


 目もくらむ閃光を放って炸裂し、解体用の鉄球ほどの火玉を作り、

 京町二丁目と角町もろとも吹き飛ばした。


 (どうして……こんな力……)


 周辺では阿鼻叫喚の様相を呈し、逃げ惑う人々が

「なんでぇ、吉原は天国のあと地獄を見せるとこなのかい」

 と恐怖の声を漏らす。


 静香はもう動けなかった。

 無意識に「陽炎の力」を強く引き出してしまったのか、恐れと後悔が

 胸を締め付ける。もう体の中が空っぽになっているのを感じ、目を閉じた。


 結果的に建物を吹き飛ばした事により、それ以上の延焼が起きなかったが

 それは意図したものではなかった。


「姉さん、姉さん、おっと、玉響、大丈夫ですかい? 」


 爆発を聞きつけた火消し達に紛れて、下っ引の六が駆け寄ってきた。


「心配無用っす、あっしが町に連れて行きやすぜ」


 手拭いで玉響の髷を包み、火消しの半纏を被せ、背中に背負った

「しっかりしてください、姉さん……」

 人目を避けるように、吉原から出る。


 見返り柳でこんな光景を見るとは、誰も思っていなかった。



 2.「闇の密議」



 薄くはべるように立ち込める霧が川面に漂う中、ギィギィと櫓を

 漕ぐ音が近づいていく。時折、湿った風が月を呼び出すごとに、霧に浮かぶ

 人影が浮き彫りになる。


 小太郎と半次は頷き合い、月の光に照らされぬよう、距離を取りながら

 付いていく。しばらくすると、岸に二人、大八車がうっすら見え始めた。


 最後の荷を担ぎ上げ、荷車に歩き出したその時、

 小太郎と半次は影に溶け込み音もなく近づき、その無防備な腹部に

 拳を埋め込み、反動で下げた首に手刀を食らわせた。


「うっ! 」


 あっけなく気絶した男と、悶絶する一人。

 それを見ていた船頭たちは、慌てて水の音を立て、霧に紛れていった。


 まだ意識のある男に、小太郎が話を聞き出そうと振り向いた瞬間、

 生ぬるく甘い風が幾重にも渦巻き、目では追えぬ一撃。


「曲がって……? 」


 小太郎は耳元に来た攻撃をクナイで防ぐも、あまりに重いその蹴りに

 意識ごと体を飛ばされた。


 半次の拳は確かに敵の腹を捉えた。だが

「なっ」

 沈み込むはずの腹部は、鋼のように堅い。その男は豪腕を振るい、一発で

 意識を飛ばす拳を、的確に顎に当てていた。


 族は何事もなかったように、大八車を動かし車輪をゴトゴトさせ、

 その場を去って行った。


「半次、あいつら、普通じゃねぇな 」

 小太郎は頭を振りながら、低くつぶやいた。


「へい、まるであっしの影と戦ってるようでした」

 半次は顎を摩りながら苦笑いをした。



「まだそう遠くには行ってねぇはずだ。行けるか? 」


「何とか。荷車に付けて置いたあっしの香木が、かすかに残っていやすね」

 半次は顔をしかめた。


「この風に消えねぇ内に追うぞ」


 ぐらつく脚に力を入れながら二人は、後を追い始めた。


     ◆


 霧に包まれ和船で運ばれた茶箱は、薄らと水滴が覆い、月に照らされ

 車輪の上下に合わせところどころ反射している。


 小太郎と半次は息を殺し、回復を優先して屋根を避け、暗がりに紛れ込み、

 大八車の後を追う。


 焔影一族の男達は時折不審な気配を感じて、立ち止まっては周りに目を

 配っていた。二人は凍り付いたように動きを止め、月の光が雲に隠れる

 瞬間を待って、少しずつ距離を詰める。

 その荷はどんどん明るい方へ、賑わいが遠くに聞こえる場所に向かって

 いるようだった。


 歌舞伎の興行が終わり、余韻を楽しむ人々を避け、表通りから

 露地へ曲がり暗がりに進んだ時、


「きゃー、勘三郎よ! 」

 取り巻きに守られながら、神楽院勘三郎は艶やかな仕草で扇子を開き、

 流し目で歓声に応える。


「よっ! 神楽院! 」


 その姿は誰もが振り返り、当代一の女形、神楽院を継承する厳しさとは

 裏腹に、艶冶えんや凜然りんぜんを併せ持つ希有けう

 魅力を持っていた。


 はぁ~、というため息にも似た喜びに満ちあふれた者達を背に、歩き出す。


 玉響と対峙した時と打って変わり、町では神楽院勘三郎こと真央まお

 の存在はそれ自身が舞台であり、彼に触れる者は全て演者と成り代わる。


 花道からけるように、露地に入った時、パタンと扇子が閉じられる

 音が響く。ほんのわずかだが口元に冷たい狂気が浮かんだように見えた。


 屋根上からの追跡に変えた小太郎と半次は、神楽院勘三郎が焔影一族に

 近づくのを見て驚いた。


「若! 今、丁度運び終えたところです」


 と声をかけると、


「お前ら、付けられたな? 」


 顔を上げた神楽院勘三郎は、先ほどまでの華やかさを完全に失っていた。

 その横顔は月明かりに照らされ、能面のように無表情。歌舞伎役者の

 柔らかな物腰は影も形もない。唇の端が不気味に釣り上がり、漆黒の瞳は

 屋根の上の忍を捉えた。


 真央の足元からヌラヌラと黒光りする影が滲み出すように広がり始め、

 その影は蛇のように地面を這い、瞬く間に建物の壁を這い上がる。


 やがて、小太郎と半次の足元に滑り込むと、まるで黒い油が染み込むように

 絡みつく。じわじわと体を締め付けながら上へと這い上がってくる。

 二人は必死に抵抗するが、影に触れた部分から力が抜けていく。


「どこのネズミだ? 俺を見たからにゃ、消えてもらおうか 」


 その殺気は影に伝わり、きつく縛られた二人はその禍々しさに、

 魂を吸い取られ、言葉通り消えてなくなってしまうのかと思った。すると、


「ドーン」


 爆発音が響き、吉原の方角で轟音と共にキノコ雲が上がった。

 振動が地面を揺るがし、それにこだまするように波動が

 神楽院真央にも及んだ。


 真央の影が痙攣するように火花を散らし、蛇が苦しむかの如く暴れ出した。

 制御は乱れ、二人を締め付ける力が一瞬、緩んだ。


「さあ、今のうちだ」

 と小太郎が低く叫び、半次も

「へい」

 と応えると、二人は影の残響を払い除けるように駆け出した。


 必死に走る二人を見た神楽院真央は、眉間にしわを寄せ、影に意識を戻そう

 とするが、焦げたような異臭を放ちながら揺れている。


「ちっ」


 爆発の影響が、玉響に邪魔された時と同じ反応だったことを思い出し、

 激しい怒りを覚え苛立ちが募った。


「若、見つけ次第始末しますんで、ここは気を静めて

 荷を見てもらえやすか? 」


 その言葉に真央の表情が僅かに歪んだ。


「ヤツの陽炎の力さえなければ……」


 歯噛みしながら、茶葉屋の戸を開ける。

 重い空気が茶の香りを沈め、あの甘い香りが微かにこの先を誘い

 さらに闇深くに導くのだった。


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