第20話 Began at the time(20)

「どういう・・こと?」



香織は思わず声が震えた。



「10日くらい前に。 休みの日に突然・・元の嫁さんが暖人を連れてウチに来て。 再婚することになったからこれからは暖人をここで育てて欲しいって・・」



樺沢は元妻の言葉を思い出しながらそう言った。



「再婚って・・」



「相手の男。 子供嫌いなんだって。 付き合ってるときから子供を自分の母親に預けながらだったらしいから。 プロポーズされたけど、子供とは一緒に暮らせないって言われたって・・」



樺沢はつらそうにそう言ったうつむいた。



「・・そんな、」



「もちろんあいつは・・暖人と一緒に暮らしたかったけど。 結婚するにはそうするしかないって。 ヨメのお父さんが2年前に脳梗塞で倒れて、身体が不自由なんだ。 その介護があるからお母さんには頼めないって言うから。 親権のことも家裁に申し立てて、おれにして。 おれの籍に入れて育ててもらいたいって、」



香織は



同じ女としてその選択をした樺沢の元妻に



言いようのない怒りを覚えた。



あんなに小さな子を手放してまで



自分の幸せに走るの?



「おれも。 暖人がそんな思いするなら。 自分のところで育てたいって思った。 にしても、3歳の頃に別れたから、暖人もなかなか懐いてくれなくて。」



樺沢は苦笑いをした。



「会社に行ってる間はどうしてるの・・?」



「とにかく急だったから。 この近所のウチのお袋に頼んだんだけど。 ウチ、商売してっから。 蕎麦屋やってて。 オヤジもオフクロも忙しくて、とっても暖人の面倒なんか見れないから。 区役所に頼んで、とにかく保育園を探し回って。 でもなかなか空きがなくて。 とりあえずは実家の世話になってるけど。 暖人はほぼウチの両親とも初対面だから。 生まれてからこっち来たの、赤ん坊の頃一度だけだったから・・」



香織はそこに置いてあったかわいい通園カバンを手にした。



名前の所に



『えんどうはると』



と書いてある。



きっと今まで使っていたものだろう。




もうそれだけで



大人の事情に振り回される5歳の子供の気持ちになってしまった。



「まだまだ・・母親が必要な年なんだけど。 おれじゃあ、母親の代わりができるかどうか。 いまだに自信がなくて。」




すると隣のドアが開いて



「・・おかあさんはおらん。 ぼくには・・おらん!」



さっきまで蚊の鳴くような声しか出せなかった暖人が



大きな声でそう言った。



「ハル・・」



樺沢は息子の言葉に呆然とした。



母親に手を離されたときの



この子の気持ちは



どれだけの絶望だったのか。



香織は遠い遠い記憶が蘇ってきた。


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