魔法剣士と隻眼の姫

いとうゆきひろ

第1話 始まりは些細なことから始まる

始まりは些細なことから始まる



マルテンサイト王国。

ここは、リルブライト大陸の南西に位置する小規模の国家で、幾つかの町と多くの村を有している、

大自然の恵みに富んだ国だ。

リルブライト大陸内にある幾つかの国の中では比較的平和だと言われているが、今の時代ではこの大陸内においての戦争は起こっていない。

過去、どの世界にも共通して言えることは領土の拡大のための戦争は必ず起きていると言うことだ。

無論、この大陸においても同様の戦争が起きており、戦乱の世は長く続いたが、そのような時代にはお約束のように争いを終結させるための力が用意される。

そして、これもまた必然なのだろう。

平和も長くは続かず、大規模ではないまでも、ちょっとした神の悪戯によって運命の歯車が狂っていくのだった...


時は過ぎ、マルテンサイト王国の郊外にある山間の奥深くでは、冬が終わりを告げ、春を思わせるような暖かい日差しが、生い茂る木々の間から降り注いでいる。

こんな日は、何も考えずにゆっくりと時間をかけて散策をするのも良いかも知れない。

そんな気にさせるような穏やかな陽気だ。


だが、その穏やかな気分を覆すように、木々の間をすり抜けるように疾走する少年がいた。

ソフトレザーの軽装に身を包み、腰には大人用の大きく長い剣を差している。

その少年の顔には焦りが見え、すでに息も上がり汗もかなり掻いているようだ。


その焦りの正体は、おそらく彼の後ろから猛スピードで追い上げてくる二人の事だろう。

追っ手は二人、一人は青い髪を短く揃えた男性。

もう一人は茶色のロングヘアを後ろで結んだ女性。

二人ともハードレザーの軽装に鋼鉄製の胸当て、腰には剣を携えている、いわゆる冒険者スタイルだ。


そして、二人は一気に距離を詰めると、

男の方が追い抜きざまに少年の肩を叩く。


「ほら!! カイル、捕まえたぞ!!」

「くそっ! 捕まった… わ、わゎっ!!」


男は笑いながら手を上げ、女とハイタッチをする。

少年は悔しがりながら体制を崩し転倒すると、地面を転がっていく。


「はぁ… はぁ… もうダメ… はぁ… はぁ… ちょっと、休ませて…」


少年が地面の上で大の字になり、荒く息をしている。


「だらしないですね、カイル。これでは訓練になりません」


女は、カイルと呼ばれた少年の隣に立ち、やれやれと言った顔で見下ろしていた。

見たところ、息も上がっていないし汗も掻いてない、むしろ涼しい顔をしている。


そう。少年らは訓練をしていたのだ。

少年の名はカイル。男はカイルの父親のガゼル、女は母親のマリア。

ガゼルとマリアは現役の冒険者であり、冒険者ギルドでもそれなりに名の通った夫婦だ。

彼らの息子であるカイルが12歳になったので、お祝いとして「一人前になれる訓練を受ける権利」をプレゼントしたのだ。


「はぁ… はぁ… ねぇ、父さん。今更だけど、何で訓練がプレゼントなのさ? 普通なら子供には玩具とか遊べるようなものを送るんじゃないの?」


未だに荒い息をつきながら、ガゼルに尋ねる。


「そりゃあ、今まではお前の腰の剣とか、魔法を使うための魔法書とか、便利アイテムをプレゼントしてきたけど、剣も魔法もそれなりにできるようになったじゃないか」

「剣と魔法が使えるようになったら、次は体の動かし方です。いいですか?」


と、マリアがカイルに話し始めた内容は、剣術や魔法を本格的に学ぶ前に、体の動かし方そのものを鍛錬しないと効果が無い、と言う事だった。

つまり、剣も魔法も使うにはイメージが大事。

そして、自分のイメージ通りに体を動かすには、この「鬼ごっこ」が一番良いのだそうだ。

なぜならば、相手に追われながら逃げる場合、常に相手の動きを予測しつつ、思考を働かせながら逃げ道を確保しないと、すぐに捕まってしまうからだ。

特に、平地に比べて山の中では起伏が激しい上に木々が立ち並び、木の根が地面から出ていたりする。

そんな自然の障害を躱しつつ相手の動きを読みながら、瞬時に判断し行動に移さなければいけない。


それは、戦場でも同じことが言える。

敵の動きを見定め、状況を瞬時に判断し行動しなければ、生き残る事も任務達成もできない。

それらを培うために、ガゼルとマリアが長い時間をかけて研究し、辿り着いた訓練方法が「鬼ごっこ」なのだと自慢げに話していた。


「それに、こんなプレゼントは滅多にない。他の人なら絶対に羨ましがる」

「もうそろそろ休憩は終わりで良いんじゃないか? あまり休み過ぎても逆に疲れるだけだぞ?」


マリアが人差し指をカイルに向けてまじめな顔で話し、ガゼルが笑いながら手を差し出す。


「はぁ…分かったよ。俺が普通の12歳じゃないこともね。 ...よいしょっと」


出された手を握り返し、起き上がるとカイルがふと疑問を感じた。


「ねぇ、父さん、母さん。冒険者になるって事は、こんな感じで逃げ回らなくちゃいけない事もあるの?」


冒険がロマンに満ち溢れている事だけじゃないのは知っている。

カイルは、ガゼルやマリアから、昔話としてたくさんの冒険の話を聞いてきた。

聞いた事しか無かった神秘を初めて自分の目で見た時の感動と興奮。

強大な魔物や敵をやっとの思いで打ち倒した時の喜びや達成感。

宝物などの話を聞き、古い資料を読み漁って目的地に辿り着き、それを見付けた時の高揚感。


聞いててワクワクする話もあったけど、中には大切な仲間との別れや裏切り、失敗、絶望。

そんな悲しく辛い話があったのも覚えている。


「もちろんです。あなたも知ってると思いますが、全てが楽しい事だけではありません。どちらかと言えば辛く苦しい方が多いと思います。…でも、」


『希望があれば、勇気があれば、どんな苦難さえも乗り越えられる。あとは自分次第』

冒険者として活躍してきた二人が、長い年月をかけて導き出した結論だろう。

マリアとカイル、二人で同じ言葉を口にする。


(…そうだ、この言葉があるから冒険者になろう、って決めたんだ)


いつからかは分からないが、カイルの心は「冒険に出たい」と強く感じるようになっていた。

誰かが自分を待っていてくれるんじゃないか? ずっと、そんな気がしていたからだ。

だから、早く一人前になれるように、厳しい訓練だって頑張ろうと自分の心に誓ったのだった。 

カイルは握った手に力を籠めると、マリアを見て微笑んだ。


「迷いが晴れた顔になりましたね。なら、訓練の再開です」


マリアも微笑むと、さっきの訓練が再開された。


この鬼ごっこだが、ルールは簡単。

カイルは、ガゼルとマリアに捕まらないように逃げればいい。

カイルがスタートして10分後にガゼルとマリアがスタートする。

逃げ方の手段は問わないが、30分を1ゲームとして朝からお昼まで目一杯に使う。

捕まった時の罰は、その日の家事全般をカイルが行う事。

ただし、何回捕まっても1ゲーム内に一回でも二人から逃げ切れればカイルの勝ちとなる。

審判は当然、ガゼルとマリアだ。


そして…

カイルは今、高い木の上にいた。

気配を消し、辺りの様子を伺っているのは、何も逃げ回るだけが策じゃないと考えたからだ。


この戦法が通じるなら、逃げ回っている最中でも体力の回復ができるようになる。

長期戦になる事は最初から決まってるのなら、どこかで回復しないと絶対に体力が持たない。

なら、まずは体力を回復する方法を見付けようと思った行動の結果だった。


今のカイルが本気で気配を消せば、野生動物でも簡単には気付かれたりしない。

狩りの時に役立っている技の一つで、ちょっとは自信があったずなのに…


「気配は消すのではなく、周りと同化するものだと、父さんから教わりませんでしたか? この大自然の中では気配の無い方が、逆に違和感となります。つまり、バレバレです」


いつの間にこんなところに来ていたのか気付きもしなかったが、カイルの隣の木の上でマリアがガゼルをじっと睨んでいた。


「あれぇ? 教えたはずだけどなぁ…」


更に反対側の木の上でガゼルが苦笑いしながら、マリアの視線から目を背けていた。


(…まずい。これは墓穴を掘ったか!? これからは気配の隠し方でも訓練が入りそうだ…)


項垂れるカイルは、訓練の追加を覚悟するのだった。


そして鬼ごっこが再開され、全力疾走していると、ふと思い付いた。

そう言えば、攻撃については何も言われてない。

ルールは捕まらない事だから、接近されたら捕まらないように攻撃を加えながら逃げればいいんじゃないか? と、カイルは我ながら良いアイディアだと思った。


そして、前方から走ってくるマリアに挑もうと、腰の剣を抜いた瞬間。

走ってくるマリアの姿が突然消えた。 


「え? 消えた?」


と思ったら、ポン、と後ろから頭に手を乗せられた。

そして、マリアがニコニコしながらカイルの頭を撫でている。

恐る恐るカイルはマリアの方に向き直るが、その笑顔が怖くて目を合わせる事ができない。


「逆転の発想として、挑もうとする勇気は大いに評価します。ですが… 相手が悪かったようですね… まさか、私なら相手になると思ったんですか?」


撫でられていた手の動きが止まり、今度はギリギリと頭を掴まれる。


「おいおい、評価したんなら、その辺にしといてやれ。そんなムキになるなよ」


カイルは頭を握りつぶされるような痛みに悶絶していると、ガゼルが笑いながらやってきた。

ガゼルの言葉にハッとしたマリアが手を放して開放する。


「今のあなたでは何もできない、と言うことは自覚しなさい。いいですか? 今は、私たちから逃げ切る事だけを考えるのです。全てを同時にやろうとしても、絶対に身に付きません。逃げる以外の事は別にやりますから、安心してください」


そして、連戦連敗で捕まった回数を数えるのも諦めた午前の訓練が終わり、昼食となった。

だが… 食べたくない。いや、食べられない。

あのような全力疾走を長時間、しかも何度もさせられたら、体が食べ物を受け付けない。


「何だよ、ちょっと情けなくないか?」

「私の作った料理を食べないとは、随分といい度胸をしてますね。遅めの反抗期ですか?」


食べたいけど食べられず、テーブルに突っ伏してると、両親が平気な顔で昼食をモリモリ食べながら挑発してくる。


「...ごめんよ。今は挑発にも乗れないや…」

「まったく、あなたは体の他に内臓も鍛えないといけませんね」


マリアが、やれやれとため息を吐いた。

そして昼食後、午後の訓練はガゼルかマリアのどちらかを先生に、剣と魔法の基礎訓練を行う。

実践形式ではなく、剣の素振りや魔法力を高めるための精神集中と言った、基礎の基礎だ。

それから、たまに近くの村へ行き、冒険者のように仕事の依頼を受けたりしていた。

その他には、薪割りや狩りなどの日用作業も訓練の合間にするようになり、カイルの総合技術も訓練に応じて日々高くなっていった。


そして、鬼ごっこでの罰として、毎日の家事全般をこなしていくことで、家事スキルも順調に上がっていったのだった。


(料理だけなら、母さんにだって負けてないような気がする…)


両親が美味しそうに、カイルの作った料理を食べているのを見て、包丁を握るカイルは複雑な気持ちになっていたのだった。




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どこかの城の大広間を思わせる広大な空間の中央には、大きく重厚な椅子が一つだけ置かれていた。

壁や床、天井を含め全ての面に豪華絢爛な装飾や彫刻が施されているのだが、この部屋には出入り口は無く、家具もポツンと一つの椅子があるだけでタンスやベッドすら置かれていない。


やがて、椅子の近くの空間が歪んだように見えると、霧が晴れていくように一人の女性が現れた。


腰にかかるほどの金色に輝く髪に加え、細身のその体には薄い衣のようなものを纏っているだけで、

装飾品などは一切身に付けてない。

そんな質素な姿とは裏腹に、神々しさを醸し出していて、20代ほどに見える女性の楽しそうな微笑みが、無邪気さと恐れを感じさせる。


その女性が椅子に座ろうと腰を降ろしかけた時、辺りに老人を思わせる声が響いた。


「お待ちしておりました。始まりの女神様、ご機嫌麗しゅうございます。此度はお探しの器を見つけましたので、ご報告を兼ねてご足労いただきました」

「ありがとう、今回は随分と時間がかかったようだけど、やっと見つかったのね? じゃあ、早速だけど見せてくれるかしら?」

「畏まりました。どうぞ、こちらをご覧下さい」


ゆっくりとした動作で椅子に腰掛けると、床の一部が輝き出し、どこかの城の子供部屋と思われる、

実に女の子らしい部屋の様子が映し出された。


そこには、フワフワした淡いピンク色の髪の少女が、侍女たちと楽し気に笑っていた。

その太陽のように輝く笑顔は、見ているだけで微笑ましさを感じるようだ。


「あらあら、随分と楽しそうに笑う子だこと。うふふ …本当に素敵な笑顔ね。気に入ったわ。次はこの子にしましょう」


この少女が始まりの女神の転魂の際に、魂を受け入れるための器に選ばれた。

転魂とは、魂を宿す肉体を交換する事を指し、始まりの女神は数百年に一度の転魂を行っている。

今回も時期が近付いてきたので、己に相応しい器を探していたのだ。


「左様でございますか。この者のいる場所ですが…」

「場所に興味はないわ。早く舞台の準備を始めてもらえるかしら? ここのところ、舞台が全然面白くないのよ。これじゃあ、すぐに飽きてしまうわ。だから、今回はしっかりと私が楽しめるような舞台にしてちょうだいね」


老人の声は、始まりの女神によって遮られる。


器として選ばれた者を、器に相応しい状態にするためには決められた状態にする必要がある。

これは、始まりの女神が転魂をする上で、自ら誓約した事だ。

本来は誓約など必要ないのだが、時間を持て余している女神達にしてみれば、このような誓約を遵守する手間でさえ楽しみの一つなのだ。


「始まりの女神様、お言葉を返すようですがすぐには進めずに、少し様子を伺った方がよろしいのでは? それに、既に数人使い物にならなくなっております。やり過ぎは「あの者」に気付かれるかも知れません」


始まりの女神は誓約を遵守するにあたり、楽しさと興奮を抑え切れずに加減を間違え、幾つかの器を壊してしまった。

それが大陸全土を混乱させる規模の出来事になってしまったため、「ある者」の目に留まり監視されるようになったのだ。


だが、その監視も始まりの女神には直接干渉できないため、外に対して警告し、助力するに留まっている。

だから、始まりの女神にとっては監視でも何でもない、ただの退屈な存在なのだ。


(…せめて、もう少し私の邪魔をしてくれると楽しさも増えるのに…)


警戒すら必要の無い相手に無い物ねだりをしても、意味が無いしつまらない。

それならば手を出してくるまで無視するに限る。


「構わないわ。私が退屈でどうしようもない時に、あの娘は私に見つかった。それだけのこと。そしてそれはとても些細なことなの。だって、そうでしょ? 退屈な時に楽しそうな玩具を見つけたら、まずは遊びたくなるじゃない。…今度は壊れないように気を付けなきゃ」


気にした素振りなど微塵も見せず、些細なことだ、玩具遊びだと言う。


「それに、壊れちゃった子たちだって、みんなが楽しめる玩具になってくれるもの。誰も文句なんて言わないわ。「あいつら」だって、本当は楽しんでいるのよ? なら、私も楽しまなくちゃ。うふふっ、この子はいったいどんな顔をしてくれるかしら? とても楽しみだわ」


そして、始まりの女神の顔は喜びに歪み、その視線の先には可憐に微笑む一人の少女の顔が映し出されていた。


「さぁ、始めるために終わらせましょう。全ては終わりから始まるのだから…」


始まりの女神は「うふふ」と微笑むと、霧の中に入っていくように姿を消した。


「…全ては、始まりの女神さまの仰せのままに…」


そして、少年と少女の運命の針が動き出した。

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