~猫と空を飛んだ日~(『夢時代』より)

天川裕司

~猫と空を飛んだ日~(『夢時代』より)

~猫と空を飛んだ日~

 俺は猫と空を飛んで居た。遠くの空には茜雲が舞い降りて何時(いつ)も見て居た軒先の風景が色取り取りに発光しようとする頃、何処(どこ)かで見て、聴いた事の在る鳥の声、否、夏の声が大きく木霊して、又、俺の背中を軽く押した儘微かな余韻の内へと酷く癇癪を起した陽炎の球が転がり果てて、俺は何時(いつ)もの様に唯、空を見上げて居た。心象の内で何時(いつ)も見る様な筑波嶺(つくばね)の実(み)が秋落(しゅうらく)を思わせて居り、軒先から燻し潰されて漂う栗の木が仄かに匂うのを知って居た。闇から遠方(とおく)では未(ま)だ祭の様な音を醸し出しており、わらわらとやって来る白い活気が黄土色へと染まり切る頃、俺は自分の傍(そば)まで来た猫の魅力という物を不意に知ったのだ。猫は女である。女は猫である。栗の木は仄かに香る女の象徴で、陽炎とは遠くを奏でる女の色香(いろか)の様に唯一つで火照っているのだ。俺はこの猫に心奪われながらもずっとグラウンドの隅で仲間の優しさを敬遠して居る様に冷たく成って居り、野球をする時でもナインを一人で背負って、バットとグローブの両方を持って白球をフェンス際迄、フェンス越し迄追い掛けて居る。黒い人影を残してふと、唯突っ立って居るのだ。もしも彼女が密かに、仄かに俺の傍(そば)へ来て微笑みをくれさえしたら、あの人影達もきっと輝いて突拍子も無い内輪で以て我が憧憬を打ち鳴らしたろうにその狼煙は一向に挙がらず、故郷の冷たい風さえ我が心が保つオレンジへのサインにはほとほと脈略も無い表情を保っている。茶色い机、緑の狸、黄色い星、群青の人の心、下らない人との戯言とも思える命の動きが如何しても此処(ここ)で止まずに、もう何億年も繰り返し、今我(われ)が見て居るのと同じ憧憬の音、でも在る牧場の風を覗くようであり、自然の持前の黒が次第に又ぴとんぴとんと赤く、白く、灯り出す。一時(いっとき)の〝お陰〟も儘成らないで、次第に時は動き出し、最後かも知れない〝究極の列車〟があの〝オレンジ〟を目掛けて走って行くようであり俺は急いで、慌てて、跳び乗って行く。空の仄かな、茶色い音色が淡い草叢から聞えて来て、何処(どこ)か綻んだ旧城の真昼を覗かせていた様でもあった。〝もっと自由に、もっと快活に、もっと脈略も無く、もっと自然に、構築する事こそは自然の打算に依り出来た物であって、人が構築した試験の範囲程馬鹿げた事も、声も無い、球場に灯した万声(ばんせい)の活気にやがて白が灯り出す頃、君の記憶は一瞬何を空映(そらうつ)しにするだろう。遠退いた宮廷の列車は次第次第にすけこまし野郎に見る訝しい病(やまい)の眼(まなこ)に時代の垢の沈澱を保(も)ち、程好く白さに、程好く形に、又程好く悟りの境地へとその身を招いて、屈託無い空の極輪を描いて戯れる猫の四肢を白いあの雲の様に哀しく燃やす事だろう。きっと照準の違った硝子・ケースには何処(どこ)と無く淋しそうな目をした醜女(しこめ)と老人との寸劇が表象されて居て、悉く倒れた儘の俺の感覚、詰り無意識が持つ落第をこの薄皮の身を借り、急ぎ足で賄い歩いて、あの町、この町へと、自分の身の程の低さを或る方程式に隠した儘で呆(ぼ)んやりするのである。あの〝猫〟と〝究極の列車〟とは訝しく、誘わない穏便に観た刹那をカモフラージュに着せて、やがてやって来る〝運命論者〟的な歯車の内でこの我が身の誠実を砕いて行くのだ。何処(どこ)へ行こうとその横暴に変りは無く、言葉を大切にする者、しない者、全く違う表現を試みる者、一定の表現しか見せない者の内に紛れる形であの一点集中の記憶に張った蜘蛛の巣が、今、我(わ)が集中の果てへと落ちて行く。何処(どこ)へ行こうか、今日を迷うても、何時(いつ)か絶える親の命に免じて、私は又、ひたすら或る自尊を以て現実と呼ばれるロープの上を闊歩して行き、撓(たわ)んで眠たい、〝狂い〟の内へと強かに滑って行った。

 光が見えた。誰が何を言おうと「光」である。これは満足行くものなのか、と問えば致し方無し、全員が全て悉くの両刃を以て理性という理性に刃(やいば)を立てて突き進む、一匹の動物を見る事だろう。しかしこの極輪の内にも影を潜ませる忍者を知った様に、初々しい闊歩で、まるで人工の落し穴の内から見上げて居るゲッセマネの主(あるじ)を現実の刃(やいば)へと向けた儘、勢いの在る箴言を以て、次は蟻地獄の巣へと埋没して行くようであり、灰燼と起(き)した猫の顎の強さは渋さを知って居り、又弾力を以て跳び撥ねて、白と黒の翅に柔らかさを添え、生活の内で満ちて行く。丁度鉛筆の芯が削られて行く様に、譬え二Bの芯でも五Bの芯でも露と消えて仕舞う呆けた魔法使いの呪文が一ダースの傀儡達を引き連れて、弱い規制を吐いて善人達の性根を正そうとする。通り一遍に見た新宿のオブジェは蜂の巣を突(つつ)いた様で、〝オリジナリティ〟等と呼ばれる無重の胴体をひらひら揺らし、身元を唯落ち着けないで、主(あるじ)を忘れた網羅と実(むす)んだ赤身を人差し指の付け根に落して来た。硝子の中で浮いた屍が笑っては蜃気楼の内へと再度消えて行って、夜空に光る無根の魂に人が持つ各々の揺らめきを昇華させる迄には越えられぬ現実が又姿を変えて行く。此処からでは全てが感じられて理解に苦しんだ〝生命〟が解け込まない野獣への駆逐が見知らぬ程に作られて在り、人はその体(からだ)に乗って広く黒い航海へと舟を出すのである。解け入らない変調体(へんちょうたい)とは何時(いつ)ぞや先細りに成った友好的な調子を真似て自然と自身との融合を見知らぬ内にも脳裏の内で憶えさせ、又無重の快楽迄へと若者と少年の野性と理性とを押し込み、その無数の正体を引き籠らせる。闇に迄知れ渡った天然の台地では怒涛の如くバウンドとリバウンドが推し量られた後、針の穴の向うで大地が裂け、母性に目を晦まされ、男は女の、女は男の、体好(ていよ)く置かれた温(ぬる)い枕の裾にまで精進を重ねた虚空に寒暖を置き忘れられ、次第に解け込む浮世を捩り始めた夢想の白熱は人の心に訪れて、温(ぬる)い生来を順序良く響かせる一室の内壁に同化して行く。〝猫〟はやがて地に落ちて人と成り、水と火にはその猫の躍動が描かれ始めて生命が生れ我が身を大きく騙す程に、魂は自然な融合と共に葉の裏側で解け込み始めて、生来の夢を見る。見知らぬ者のモンタージュは威勢良く死人の肉を包括した後、一歩下がった〝テレビドラマ〟の望遠が又一つ、二重の波文(はもん)に寝かせた〝人の輪〟を知らせた。滾々(こんこん)と、虫達が哀歌を唄う夏から秋への夜だった。唐突な命の行く末を按じながら、黒いテレビ画面の奏でる緑風(りょくふう)の畝(うねり)が我が肩に乗って来る「当面の安心」へと力任せに〝正門〟の扉を開け放ち、一歩前に出て指折り付いて来る人の子の家来に成ろうと努めて居た。しかし大空を跳び撥ねて行く大海原の様な重い夏風は新風を吹き入れて行く夢の在り処を見、この世だけを見果てる精進の恰幅から大きく後退した儘、俺が喜ぶ表情(かお)を知ろうと、通り一遍の憤悶をその手に、脚には見知らぬ無数の枷が付けられ、全身を挙げたその活動には一つ小火(ぼや)から始まった動物のスタートが在る。何時(いつ)ぞや見知った妃の花婿は、幽閉されて異国の地へ抛られながらも又何時(いつ)還って来るか知れず、深い緑色した心地良いシルクのネグリジェが付けられ、所々に発光を持った乙女は、孤独に食み出る人物であり、行者(ぎょうしゃ)の如く俺を初歩(いろは)のチャンピオンへ迄押し上げたあの肉体である。路傍に降り注がれた妃は菊原麻衣と言い、豊沃な体(からだ)を呈してつい開(あ)いた口へ甘い林檎と男性を啄む嘴とを放り込み、男の情熱を忙(いそが)しく、熱く、夢中にさせる人力を心得た手中の主(あるじ)に身を絆され、薄い花嫁と姿を変えて無効に成った純情を幾ら男が吐いても又すっと男の口は開(あ)けられた儘で、男は次第次第に腕力も天性さえも弱り果てて行き、やがては小宇宙を呑んだ、闇の力を味方に付ける立派な泉と化すのである。もう既に同じ街には住まない筈の菊原麻衣は宇宙から或る目的を拾って還った様に透き通った体(からだ)と正体とをぶら下げて、密室の中へ俺を引き摺り込むような体(てい)でずっとその嘴を割らず、鉛筆で赤、白、青、A、B、C、一、二、三…、等と狭く相知(あし)らった算数の問題を仕切り飛ばしに書き染め、あっと言う間に祭壇の様に、大皿に盛られた天変地異迄をさっと平らげて行く。孤独の覆いを着せられた男性とはこの女の前では決して無力ではないのに、言動を追わず、欲望の塊が大振りの蛹の殻を大きく拡げてまるで「物的な空虚の傀儡」がその羽根(はね)を休めない様(よう)に青にも赤にも灯る最新の技工を臨んでは、又一瞬の弱性から活性が炎を捥ぎ取る様に、後(あと)からお仕舞までを詳細に活動写真の空気へと収めて行って、お得意の〝穴倉生活〟へと逆戻(まいもど)って行くのだ。Writerから出る程好い小さく頼り無く、しかし確かな威力を持った炎は一端(いっぱし)の性分を書き始めて、新しい女と地球とをその手在る凌駕の内へと押し込めて、当然に努力して行き、やがて象った井蛙(せいあ)の宇宙をその手中へと収め、吐き溜(だ)めて、苦しく集った無数の蜻蛉達をその気にさせた儘で還って行く。菊原麻衣は遥か宇宙に登場して居ながら連立して自然法則を説(と)き明かそうとして居る夜雲を擦り抜けて又、一瞬で我が目前に現れる。刹那の内に快楽の洋奏(ようそう)を奏でるその手中では、私の本体でも在ろう逡巡の咽びが春の到来を待って居たのか、つい夕鼓に打つ火の手をその手で納める事にほとほと尽力した様子が在り、改築に疲れた不死鳥はやがて凡庸の麓へ置き文をしてその様装(ようそう)を変えて行った。向こう岸を渡るその女の登場に自然は「菊原麻衣」を起用したようで、瞬く間に奏でた孤高の浪曲は、段々遠ざかって行く慣例の様な俺の繊細へと真っ逆様に、静かに、落ち入(い)った。〝白色とは自然の事である〟、〝固められた刹那の秋の味覚とは、今此処でその熱さを正すべきである〟、〝凋落した勇者とは君の事か、私の事か?〟、〝最後の仕上げは徒労の様に甘く伸し上がった執着の表れに、此処へ来て固陋に漂うスパイスを掛けられて、鈍い春の藻屑を乗せた修行の奈落へとその身を絆されて行くのである。〟一端の孤独を吐く前に、我はその無茶振りを一度あの女(ひと)に見て貰わねば成らぬと頻りに憤段して居り、初歩(いろは)の鎌首を曝け出した徒労の〝勇者〟は何時(いつ)しか仰け反る雨音の中を走って行く一匹の蛇の傀儡に迄この身を落して行ったのだ。

 菊原麻衣は、俺がその猫と程好く仲裁して居るその姿を見ながら激しく憤って居た様子であり、開(あ)けられた口へはお決まりの苺と毒蛇が飲み干す絵柄の付いたスープとをその両手に持って淑やかな態(てい)でやって来て、始めにこやかに、次第に空虚を弄ぶかの様(よう)にして正に子供の体(てい)でも在り、その刹那の快楽に我が身を安心させて孤独への門を勝ち取ろうとして居た様だったが、何処(いずこ)迄走り過ぎて飽きて帰って来た我が毒蛇の生命が老若の落石を乗り越えて、やがて見果てぬ零落の極致へと彷徨う権利の様な物を我の頭上が纏った為、女神は一瞬にして身を翻し、孤独な顔して銀河を映す天の川の畔(ほとり)へとその身を逆戻(まいもど)らせた儘、遂に我が正体に気付けずに居た。バイブルと炎とを地と天へと翳した菊原麻衣は、命辛々逃げ果(おお)せた洋装の検問所で俺の行く末を気にして居た様子で、束の間嫌味に片目を閉じたりして居たけれども、如何にも成らない俺と仔猫ちゃんとの逢引の邪魔は出来ぬと見知って、挙句の果ては尻尾を巻いてスープから遠ざかって行った。奏でられたアコーディオンの音色(ねいろ)は通り一遍に辺り一面に木霊したが誰の為に鳴らされた物かも知れず、何時(いつ)ぞや見知った検問所からの出発の日時を少々早めようと俺は猫と共に大空へ飛び立つ事を計画し、その両翼に猫ちゃんも乗せようとして居たが飛べず、その時は、仕方無し、と一旦諦めて、又消極の彼方へと祭壇を置き遣った。

 それにしても仲良くやってる俺と猫の姿が見えて仕舞う麻衣には或る頃から一種のスタンスが芽生え出し、その両翼を担う俺の猫への愛着心の断片を具えた、悉く荒々しく燃える嫉妬の計画が耳を揃えて燃え出していた。白面を奇麗に縁取って行く背面の斜傾に、ふっと宙に浮いた鼓動を上手く掬い取るワンダラーが一匹要(かなめ)を味気にすぱっと飛び立ち、それに乗じて共に飛び立とうとする俺達の斜め向こうに、黄色い、否、黄土色したスーツを着た菊原麻衣が無鉄砲な有様を徐に曝け出して、まるでその姿は俺と自然とに発破を掛ける様にして並んで居り、一寸した「味気」に少々の美味を加えようとも、その豊満なヒップには魚籠(びく)ともしない位の堂々の連歩を醸し出し、俺達の空飛ぶ行く末を唯々、ひたすらに按じ続けて自然の消滅を狙った鋭く醜い女の奈落が映っているのを、俺と仔猫は既に感じて居た。故に、その頃から、俺は密かにこの仔猫の醸成をあの菊原麻衣のスレンダーなヒップに見立てる振りをしながら実は一端(いっぱし)のプレイボーイの様に女を誑かそうと躍起に成ってるシティボーイを気取り、マドモアゼルに映した白い腕の細い徒労とも終りそうな暗雲の呼吸が醸したミス・キャンパスの零落を早くも誇張し始めた、あの菊原麻衣の真摯の業火にその身を火照らす事を、何処かで期待しつつ、又、純情な記憶に押し込める事で、その際に見た憧憬の数々を眠らせようと試みて居たのであった。菊原麻衣は終ぞ、その事を知らなさそうにして、唯、ほくそ笑み、まるで天の隙間からでもずっと覗いて居た様な不動の体(てい)でこの身を按じて居た様(よう)だった。

 菊原麻衣は、その黄土色したスーツを我々から覗けるタイミングを計らえ得る場所、場所、へと移して行き、とうとう仰け反って見ようとする迄に、この俺の情熱の火照りは収まる処を知らずに妬み嫉み、遂には睨(ね)め付ける様にしてその猫越しの菊原麻衣の肢体を撫でさせられる体(てい)を取らされて下り、唯、菊原麻衣はそのスーツを脱いだ後のベストに付けられていた背中のファスナーが如何しても一人では締められない様子であって、その時ばかりは仕方無く、彼女の父親に頼み、締めて貰って居た。その様子を全て覗き見る事と成った私は早速仔猫の手足を借りてその麻衣迄の距離を縮めようとは試みるのだけれども、終ぞ哀しくも、その距離とは矢張り一向に縮まらないものであるのを猫からふと教えて貰い、不意に出掛けた言葉の数々は事も在ろうか、菊原麻衣に告げる為の愛情から生れた様な痴言の数々であって、これを好く思わなかった、奈落の底へ既に落されて居た仔猫は一旦その嘴を挟む様(よう)にして私と菊原麻衣との愛情のテリトリーへと参上した様子で、太陽が燦々照る下(もと)、雨降り天気を忘れたかの様に二人の麓へとその身体(からだ)を立ち寄らせては見たらしいのだが、矢張り幸先も好くない様子で、仔猫は一旦、電話口で受話器を置く様な体裁を採り、菊原麻衣の下(もと)へと帰宅して行く。

 壺から出て来た小宇宙とはまるで男の全宇宙を掌握するかの様な錯覚をその仔猫と男性とに想い巡らせ、一寸はにかむ仔猫は泥濘(ぬかる)んだその小宇宙の手懸けの渡航で男を待って、遂に来ない男の純情を見知る形でその自身を成長させて行く様子であった。男は男で手に手を取ったお下がりのスポーツ・タオルを指に巻きつつ、菊原麻衣の象徴との小旅行に於ける、竹節虫(ななふし)が跳び撥ねて死ぬ迄の一(わん)カットを傍観する様に楽しんで居た様子で、如何しても中々一つに成る事が出来ない四肢(からだ)の脆弱(よわ)さをその四季の一方的な往来の孤独な強さの内に知って居た。男とは無能な生き物だ、と見知ったのは男にとってその頃が始めである。

 背中に置き遣られた父親の手を軽く指で摘(つま)んで退けた後、出掛けに巻いたスポーツ・タオル成らぬスカーフの山吹色が目に鮮やかで、オレンジの空模様には原色の赤と青が灯り始め、滔々と光り始めた寸での大蛇(おろち)は雲隠れをして、全くその姿は隠された物と成って仕舞った。一度、菊原麻衣は父親からの背の温もりを以て後(あと)へと引き下がって、我々の前からその姿を消して行った。

 辛うじて助かった「一旦隠れて始終の様子を窺って居た仔猫」ことリトル・ガールは、暗い密壺の内から這い出て来て辺りに散らばった灰燼の様な散弾の粉を舐め廻し、挙句奇麗にした後(あと)、又我(われ)の後(あと)へ付いて次は本当の宇宙への旅行を計画しようと、本気を呈する様(よう)に我(われ)の麓へ陣取って居た。深い奈落から這い出て来たご褒美だ、と俺は在るだけの猫用の糧を両者の目前(まえ)へひけらかし、太陽にも見せるように、と貪り付いてる最中(さなか)のその仔猫を教育して居た。彼女は猫ながらに体(からだ)は黒く、人にも化ける事が出来る能力を持って居り、一瞬だが、俺を驚かせた。その新種の器量は遠くに居ながらにして、でも充分判る細やかさを成して居り、譬え逆光の内に在ってもその深淵を縁取る堀の深さは人一倍、否人百倍も柔軟な物であり、俺はこんなに豪勢な猫が自分の要所に居てくれた事に誇りを持つと同時に嬉しく成って、何かに、誰かに、感謝したい気持ちで溢れて居た。何時(いつ)ぞや過去に於いて見知って居た栄子と理想の女とを丁度二割、八割、程で埋め尽くされて仕舞える可愛らしさを伴う猫であり、絶対手放したくないと思いながらも、つい何か、虐めて遣りたくも成って仕舞う猫であった。ほとほとの体(てい)を保ちつつ、我々は宇宙旅行の計画を温(あたた)めて何時(いつ)でも出して話し合えるようにと、或る程度の構造を図る為に、俺の最寄りであるE教会に行き、中へ入って、その三階に陣取って、あらゆる工作をしようと目論み始め、丁度そのE教会の一階から三階へ上(のぼ)る迄に備え付けられていた階段で、俺はこの少女を、猫を抱く様(よう)にして背後から両脇を持って抱き抱(かか)えて居り、しかしその親愛成る猫である筈の野性を、同時に、唯、恐れて居た。その教会の一階から三階へ行く途中で何人か人影を見たが、皆見知って居るようで判然としない、曖昧なフランス人形の様な人影ばかりで、俺は或る程度その人影達を無視して渡り歩いて行った。しかしその人影の内に、さっきまで目前で表れて居た菊原麻衣と、その父親、そして菊原麻衣の弟が居た事は何か暗黙の内に了解して居た。俺はひたすら〝理想仕立て〟に仕立て上げたまるでオーダーメイドのその仔猫と未だ仲良くして居り、何時(いつ)、菊原麻衣が又目前に立ち表れて、しっちゃかめっちゃかに怒涛の波動を「この街中からエネルギーを集めた塊」に乗せて撃って来るか知れないその状況の内でひたすら、未だ彼女の親父が立ち表れない孤高の環境(まわり)を観察しながら、唯不安そうな体(てい)を保(も)ち、焼噛み半分に振舞って居る。卓上では早くも宇宙旅行への計画手順を書いた用紙が拡げられ、二人とも最早、純情な様子を捲(まく)し挙げつつ、何時(いつ)か崩され果て生(ゆ)く〝弱輩のムード〟に既存して居る。

 俺は次にその猫に対する御機嫌取りを始めたらしく、ムードもオーラも細かな、淑やかに済む筈の自分の言動にも細心の注意を払い始めて、躍起に成って居たあの体(てい)を取り込もうとする〝取り込みモード〟を少しでも抑えようとして、矢張り純朴で居る事を心掛けた。しかしその頃から猫は如何いう訳か中々俺の真摯に取り入(い)ろうとはせず、外角(あさって)の方ばかり、透明色した窓の外ばかりを気にして居る様(よう)で、時おり部屋の窓硝子に反射する照明の白球に反応してはそれへ目掛けて跳び付いて、ご自慢の奇麗な爪できりきり音を立てて引っ掻き、男はその硝子と猫の爪とが擦(す)れ合う音には全く斬新(あらた)な不快を覚え、中々自分に靡いて来ないこの猫の性質を次第に、段々と、疎ましく邪魔に思い始めて居た。

 ポラロイドに写された猫と俺は〝その光景〟に見惚れて仕舞い、猫がその時鳴ったシャッター音とフラッシュへ内包されて、俺は「何時(いつ)も撮られて居るがついこの猫と二人して撮られた際には遠い愛着の泉に辿り着きたい」と言う一心に絆されても在り、二人して、そのポラロイドの世界へ気が済むまで埋没しようと何処かで微かに決心して居た…。

 俺は、自分が昔、実家近くの車のぽんこつ整備場で友人伝いに拾って来た「ちび」という愛犬の事を思わされて、その同じ場所で彼女を拾った様な錯覚に陥らされた。その実家からより近くに在る小学校の周囲を取り囲む細く暗い犬の散歩道を彼女の肩を抱いて歩いて居り、何処(どこ)か遠くで昔に見た友人達の木霊を聴きながら〝夜の音だ〟と一人決め込んで、矢張り、彼女とのデートに夢中に成って居り、彼女は彼女で一緒に連れ添って歩いて居るこの如何でも好く成って来た男が最後の叫び綱、何か凄い事でもしないか、と最後通達を思わす命綱を彼の首に巻き付けて居り、それがよもや切れて仕舞っても、彼女にとっては如何と言う事は無く、唯早くこの退屈な夜道を華やかな薔薇の道にでも変えて欲しいなんて、そんな少女が想う様な地道に奏でられた夢想に目を向けて居た。だから彼はそんな彼女の如何でも好い様な「無神経が発する苦味」に一寸ばかり苛立ちを憶えて仕舞い、夜雲と手を繋ぎながら又彼女の肩を抱く事だけは忘れずに、「一寸待ちなよぉ、今飛んで見せるから」と在り得ない想像を口走って何とかその場を丸く収めようとした。そこが夢の世界ながらに「虚構」を写す枠に嵌ったポラロイドの幻影が織り成した神秘と手を繋いだ為か、男は、彼は、本当に、少しだが空を飛ぶ事が出来、彼女をその頭上から軽い気持ちで見下ろす事が出来たのだ。その「少し」が段々本格的な段階を踏み始めて、遂に彼女をその気にさせる事に成功した彼には、もっと大きな、〝自身の為に大空を飛び廻り、この大きな虚空を自分の物とするべく飛び廻る。この宇宙を大旅行してやる〟、といった半ば野心に近い様な、先程の友人達の木霊をその天空に置いて聞く事が出来始めた無力の勝利に手が届きそうな興奮に、一瞬彼女を如何でも好く思える程の有力が身に沁み始めて居たのだ。こう成っては女とは、放って置かれると碌でも無い行動に走って仕舞う生物で在るのか、空中を浮遊する男の力を半ば凄いと思い始めて、その「凄い」と思い立った気持ちに次第に恋愛が織り成せる熱情とでもいうのか熱気が灯り始め、女は男の冒険に於けるアシスタントでも良いから使って欲しい…とも言って仕舞える主従の結束が出来た様子で、女も遠くで木霊した男の友人達の木霊は他所耳に置いた儘にして、唯、今自分が置かれた男とのシルエットに夢中に成れていた。彼女は男に下りて来て貰って、今度は自分の主張や夢を男に対し半ば本気で語り始め、しかしその内容は段々熱気を帯びて来る様(よう)に、男にとっては無理難題ばかりの様(よう)に成って来た。決して無理では無かったが大した労力を要するものである。しかし、一つの大きな勝利を手に入れた男は気取る様(よう)にして又彼女の柔らかい肩を抱いて、その無理難題を少々遠目の目標に置いて、一緒に飛ぶ事を誓った。

 猫は、俺が飛んで行こうとする背中に縋り付いて乗り、きゃっきゃっとはしゃいで、その空中辺りにだけはぽっぽっ、とランプが灯る様に明るく成った。薄暗い小学校の運動場で、俺達は試運転をする様(よう)に、低空から高空飛行を楽しみ、一つずつ成功する毎に彼女はきゃっきゃっと、俺は次のタスクを読み取る眼差しを横顔で以て猫に見せ、内心、彼女と同じ位に喜んだ。そうしてゆっくりしっかりと飛ぶ事を楽しんで居る最中(さなか)、ふと下方のグラウンドを見下ろすと、又、菊原麻衣が少々他人の顔を装って我々の直ぐ側(そば)まで近寄って来て居り、女ながらに遠慮勝ちで別に邪魔する訳でも無く、しかしその場所から暫くは動きそうに無い様子で、女にとってとても苦しい選択を突き付ける様な眼差しを以てずっと空を見上げて居たのである。

 「一寸待っててや~」と俺が言いながら、先程きゃっきゃっと言って居た彼女の難題の一つ、高度百メートル辺りを自由に飛び廻るというタスクを、彼女を背に乗せた儘、せっせと踏ん張り掴んだ彼は、菊原麻衣の憐れな姿を見た途端にそれ迄のスキルを忘れさせられたのか、自由に飛べなく成って仕舞い、遂に、ほんの何センチか足が地面から浮く程度の低空飛行しか叶わなく成って仕舞った。菊原麻衣の表情も、又猫の表情も変らず、猫は相変らずきゃっきゃっとはしゃいで居り、何時(いつ)かは必ず自分の言う事を聞いてくれる、と男に信頼の様なものを寄せて居た様子で、未(ま)だ離れずに居り、麻衣は麻衣で又何時(いつ)か自分の麓迄この人は辿り着いてくれると真摯に受け止めて居る様子で、彼との距離を微動だにして空(あ)けて居ない様(よう)だった。不安定な飛行を続けて居る内にまるで意図しない儘に男の体(からだ)は宙高く舞い上がり、目前に夢の様な既成の夜景と、何時(いつ)もよりも大きく見えるお月様が表れた為猫の喜びは極度に達し、菊原麻衣が今度は少し離れた位置に自身を置いて召使いの様な様相を以て此方を覗いて居た。その姿は遠くで遊ぶ「友人の群れ」とは暗闇の内の対極の様(よう)に在り、暗い内に一人大きな月明かりを受けて此方を見て居る何とも頼り無い少女の様(よう)にも象られ、男の内に光った本能(ちから)はその「麻衣の姿」を暗闇(やみ)の内にて小さく浮べた髑髏にして活き抱き締めて、その頃から「奈落の心」を麻衣の方へと預けて行った。

 飛び廻って居る内に、菊原麻衣が帰って来た。暗闇からまるで抜け出た様な月明かりを全身に大きく浴びたその反射は彼女をビクトリアの様に母性を正した正義の使者の様に見せ、生来の体躯はその豊満を更にビルド・アップしたかの様な〝固い強さ〟を装い、俺の精神(こころ)に隙を呈さず、〝仔猫〟を掲げる幼い果実は忽ち彼女の闇へと紛れ、悪に呈する傀儡(どうぐ)の厚さを幾様(きよう)に見る迄、唯の動物に戻る事を誓わされて行った。俺は始めから、この菊原麻衣の豊満な肉体に惚れ込んで居り、如何しても肉欲の断片の一つ一つに描(えが)かれた〝麻衣〟のネームが入った幻覚に視点を奪われ、心を引かれ、四肢が操られて、全く休む間も無く女特有の照射に体(からだ)を焦がされて居たのだ。まるで黒く成ったその焼印には、元の白身に戻る兆しが窺えないで、彼女の喜怒哀楽といった〝微動〟に居ても立っても居られぬ程の孤独が織り成す原動力を植え付けられて走らされ、始めからあの幼児を俺に打(ぶ)つけて来た事は彼女の計画に恐らく組み込まれて居たのじゃないか、等と思える迄の妖艶極まる節も在り、俺は結局、彼女の範囲から抜け出す事は出来ずに居た訳である。しかし、彼女の出で立ちが一瞬でも月に照らされた「太陽」の様に見えたのだから、「それはそれで良いか…」と言う自身も確実に居た訳である。

 麻衣は怒って居た。一時(いっとき)でも自分から視点が外された事に怒って居る様(よう)で、矢張り、動物に心奪われて居た男に対して怒って居た様であり、その怒調(どちょう)の波はしかし何処(どこ)か緩やかで、忽ちにして炎を自在に消せる、といった一種の許容の様なものを有して居た。麻衣が俺に近付いた頃には動物は少し離れた闇の内で独りでに遊ぶように成って居て、それまで遠くで何をして居たのか分らないが遊んで居た黒い友人達が側(そば)まで寄って来て、俺と麻衣とに話し掛けるように成って行った。その友人の内何人かが麻衣の周りに集まり始めて、麻衣の背後から俺に向かい、「一緒に飛ばせて貰え」と催促したのである。私はそう言われて一瞬緊張の糸が薄く張り巡らされ、体(からだ)は敏感に成り、抑揚の付いた体調を以て麻衣の体(からだ)に近付くと、その体内を構築していたサイケデリック模様に恵まれた心境の肉塊が一気に微動から震動へと変わり出し、もう幾年も悩まされ続けて来た麻衣の妖艶を曝(さら)ける肉塊が〝哀れ〟を伴い降って来るのを、俺の精神(こころ)にひたすら待ち生(ゆ)く体裁を見た。

 友人達は又途端に暗闇の内でマネージャーの様に成り、遠くで遊んで居る猫の所までそのマネージャー達は行って、「猫に対して平等に評価したいから、あの猫に、男の恋の相手をさせてやってくれ」と柔らかではあるが人を騙す笑顔を以て訴え掛け、猫は相変らずの遊びに興じる笑顔だったがいざその様に訴え掛けられると急に何かが惜しく成るのか、少々渋った振りをして、仕方が無い、と言った風に受け入れて居た。その承諾を聴いてから俺は「麻衣と絶対の絆で結ばれて居た恋人同士だったんだ」等と頑なに受け入れた儘、何処(どこ)かでやっていた貸本屋へ行き、自分の嵐が上手く収まった後の澄ました顏をしながら黙って本を読んで居る麻衣の姿を横目でちらちら見て居た。別段二人の間で何が進展したのか良く判らないで居たが、唯、人が認めてくれたという〝公認〟を盾に採り、女を手中に収めた事の喜びで俺は精一杯だったのだ。見るからに麻衣の身体(からだ)は流石に豪勢であり、正に喰うのに余る程のエネルギーが漲っており、光っており、俺がこの女を好きに成る理由を赤裸々に挙げていた。そうして居る内に何処(どこ)で嗅ぎ付けたのか猫が入って来、不愛想と人懐こさとを無鉄砲に表しながら俺に体を摺り寄せて来て、次に猫の習性なのか、麻衣にも凭れ掛かった。俺は嫌がる振りをしながらも内心温(あたた)かく、二人の光景を唯按じて覗いて居た。しかし俺の麻衣を見る目と猫を見る目とは違ったものだった。

 暗闇の友人の内から蛍が飛び出し、一斉に発光し始めた際に、まるで国から勲章の様な物を貰える事を約束する〝錦(にしき)〟が俺達の中央(まんなか)に在り、特に友人達よりも俺達三人に関係している功績の様(よう)で、俺はその〝錦〟を心中に掲げた儘で燻して置くか、と自身に問うた。

 俺が麻衣と一緒に跳んだり歩いたりしながら人工的なハーモニィを奏でて居ると、その様(さま)を見た猫がまるで俺達の飼い猫であるかの様にして近付いて来て、猫は、麻衣の背後に俺と奏でた家庭的な取り巻きと別の猫の姿とがはっきりと見て採れて、かなりのショックを被った様(よう)であり、猫は先ずそんな俺に愛想を尽かして誰も知らない所へよちよち行って仕舞った。俺はお構い無しに麻衣の人より三倍程大きな尻とぼよぼよに太った両太腿を揉み拉(しだ)き、麻衣の秘部(尻の穴)を割って、麻衣が発情するのを待って居た。麻衣は、人妻のようで在った。

 まるで理想を自分で裏切った儘で、俺は俗に女が呈する女肉に敗(ま)けた気がした。又同時に、何時(いつ)もながらに誰かに見張られている気がして居た。

 俺はこの範囲で見た一部始終を夢の内で携帯電話に記して保存して置こうと思って居たが、一度目に起きた時に見た部屋の明かりは消えており、その暗がりの中で発光しない携帯電話に対して「何時(いつ)もこういう時に役に立たないもんだ」と憤りを覚えながらも未だ眠り続ける…。


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~猫と空を飛んだ日~(『夢時代』より) 天川裕司 @tenkawayuji

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