黒黴は脳に広がり剥がれない

悪本不真面目(アクモトフマジメ)

第1話

 京都のとある駅についた小学4年の野次郎は燥いでいた。大阪から京都、夏休み期間ということもあってちょっとした旅行気分だったのだ。意味もなく柱をぐるぐる回ったりもした。


 一緒に来ていた母は、これを良しとはしていなくどこか不機嫌に見える。そんな燥いでいる野次郎をなんとか静かにさせたかった母はとある店を発見し、それを指さしながらこう言った。


「私があそこよく行くから、アンタは行くな!」

そこはコーヒーを売ってるんじゃなく、空間を売っているでお馴染みのカフェチェーン店だった。後に愛と勇気とコーヒーだけが友達となる野次郎だが、小学4年の野次はまだコーヒーは飲めず、「別にいいけど・・・」と思った。


 しかし、そう思うと同時に「何故今そんなことを言ったんだろう?」「そもそも私が行くからアンタは行くなと言うのは息子に対していう事なのだろうか?」とにかく真意が分からずもやもやとし、吐き気をおぼえるほど気持ち悪くなり、自然と野次郎はまた俯いてしまった。


 後に大人になった野次郎も正直この時の母の真意は分からず、おそらく燥いでいた小学4年の野次郎を静かにしたくて言ったということで何とか飲み込むことが出来た状態であった。もしこれが全然違う理由だとすると恐ろしい。


 野次郎は電車内でも俯き続けていた。それは少ない車内でのびのびと座れたのだが、その中母がずっと話続けていたからだ。母の話は小学4年、いや後の野次郎にとっても退屈かつ聞き心地悪く、とにかくしんどいものであった。それで車内ではずっと俯き続けていたから、外へ出た時に解放感故、燥いでしまった訳なのである。


 確かに母はここに遊びに来た訳ではない。これは母が電車内で喋っていた内容につながる理由で、これはこの時の野次郎にとって最大の苦痛であり悩みであり汚点でありみっともなく恥ずかしいものであって、誰にも相談など出来ないことで、とにかく野次郎はただただ耐えるという選択しかできなかった。しかし、後の野次郎は親に逆らうという頭がなく、所謂バカだったからだという結論をしてはいる。それ故に現在はいい年しても野次郎は我がまま放題になってしまった。ある意味リバウンドみたいな状態である。


 母は地図を広げイライラしていた。母も別段土地勘がある訳でもなく、目的地の場所も住所だけが分かってる状態で、どっちの方向に進むかもイマイチ分からない状態だったのだろう。後に野次郎は理解していて、母はよく「こうであるからこうでこうだ」という喋り方をするが、その組み立ては欠陥住宅であって最初っから破綻していた。つまりは馬鹿である。


 母が見栄を張りまくったハイヒールをカツカツさせ、その圧力に押され野次郎も動き出す。カツカツ、とぼとぼ、カツカツ、とぼとぼ。


 母の後ろを着いていく野次郎は自分のつま先と母のかかとを見ていた。どうしても顔を上げる気にはなれず、なんだか母に鎖に繋がれ歩かされている気分である。


 あまり営業されてない商店街をカツカツと歩く母は突然大きな声を出した

「あ、カメラ!」

野次郎はビックリした。そして怖かった。たとえカメラを忘れて言ったとしても声量もキーも音圧全てが常軌を逸していた。幸い周りに人がいなかったが、その先に入るカメラ屋さんの主人には聞こえていたのではないかと思う。


 「あんた、お母さんがカメラ持っていくっていってたやんか!なんで入れてくれなかったんや!本当にアンタは人の気持ちが分からない子やな!!」

野次郎は母から一番言われた言葉は「アンタは人の気持ちが分からない」であった。後の野次郎は「それを言っているお前は僕の気持ち分かってはないな」と思っている。とは言え、これは全くのデタラメではなく、他の人にもこの類のことを言われたりするので、後の野次郎はこの言葉を言われるたびに自分は沼にいるんだなと実感していた。


 何故か母は野次郎に使い捨てカメラを渡して持たした。母が地図を見ているんだから、お前も何かしろ、タダメシ喰らいが!とでも言いたいかのように・・・・・・


 そもそも、この人とは別居していて一緒に暮らしてはなかった。だから育児も家事もなんなら母は働いてもいなく、後に野次郎はこの人を母と思う根拠がないということに気づいている。


 母は再びイライラしていた。持っていた地図をくしゃくしゃにして破く勢いだが、そんなことをすれば辿りつけないのでさすがにそれを自制するだけの冷静さは持っていた。とは言え、普段は父に包丁を向けて「もう死ねや」と言う人なのでどこで暴れるかは分からなかった。


 イライラした母はこのまま自分が持てば地図を破くかもしれないと悟ったのか、野次郎に地図を渡して「今どこにいるか?」と聞いてきた。小学4年の野次郎には難問で正直そんなの分からなかった。しかし「分からない」という回答をすればキレるというのは目に見えていたので、なんとか地図を見て一応考えるフリをするが、結局分からないので「分からない」と答えた。


 「なんで分からへんねん!役に立たへんな!」

案の定キレ、イライラしながらも母は地図を奪うように取り、再び見だした。そんな時、たまたま母より若い女性が通ってきたのでそれをチャンスだと思った母は野次郎に向かって、

「アンタ、あの人に道聞いてきてくれんか?」

と言い出した。この時、いや今も割とそうなのだが、野次郎は他人に道を聞くのが嫌いで、聞くくらいなら道に迷った方がいいと思っていた。とは言え、母の命令には生まれてから逆らえないだろうという固定観念が染みついていたので、一応その人に近づこうとするが途中で足が止まってしまう。そんな野次郎を母は怒る。

「何してんねん、早よ聞いてこいや!」

そんな母が息子に怒鳴っている様子を憐れんでか、その若い女性から聞いてくれた。

「何か困りごとですか?」

すると、母は外面モードとなり、それとなくここへ行きたいんですけどなどと丁寧な口調で聞き、それなら始めっからお前が聞けよと野次郎は思った。


 ここの近所の人で目的の場所も、地図に赤いペンまでして書いてくれたので、どんな馬鹿でもこれなら辿り着ける。そういえば、この間に野次郎は何も飲食をしていなかった。


 目的地に着くと、母はカメラを野次郎から奪った。ここは母曰く、「私のことが好きな男性」がOPENするお店だそうだ。


 母曰く、私を好きな男性はたくさんいておるそうだ。その男性によって、某有名アニメーション映画のプリンセスが変わるそうで、Aの男性では私は人魚姫でBの男性では私はガラスの靴の姫という感じだ。後に野次郎はこう思っている、それは「アウチ」である。


 故に母が小学4年、正確には3年の秋から6年の三年間に野次郎が学校から帰ると、何故あの人が私のことを好きなのかを丁寧に解説する話や父の悪口、そして野次郎の悪口など言われ、想像する自由もなく体育座りをして俯きながら聞くのが日常だった。大体家に戻るのは10時を過ぎてからで、そこから食事をする。もちろん母は食事を作らない。この話相手の間で許される自由はトイレとカーペットのゴミを指でいじることぐらいである。想像する自由もない。というか想像が出来ないほどの脳へのダメージが大きいのではと後の野次郎は思っている。


 「バシャバシャバシャ!!!」

母はOPEN前のBの男性のお店を何故か何かに取り憑かれたかの如く撮り続けていた。

「バシャバシャバシャバシャ!!」

別に綺麗に撮ろうとしている訳でもなく、何かを盗む泥棒のような犯罪臭を感じる。

「バシャバシャバシャバシャバシャ!!」

なんだかあの建物が可愛そうになってきた、もはやセクハラとすら感じる。ほとんど同じ構図で同じ角度で、同じような写真を何枚も何枚も、単純にツマラナイ。


 そもそも母はそんなにカメラで写真を撮る人ではなかった。なのに、母は何故このようなことをしているのだろうか?そして野次郎は何のために付いてきたのか?何故一人じゃダメなのか?なんでこんな狂気を見せられなければならないのか?この時野次郎は、もちろん以前からもそう言われればそうなのだが、生まれて初めて母に狂気を感じた。


 写真は真実を写すと書いて写真と言うが、正にそうだった。撮っている人の真実が野次郎の目に脳に黒黴のように一生残る程広がり続け濃く残っている。剥がそうとしても剥がれることはない。そして、帰る時も野次郎はまた俯きながら帰ったのであった。そして今日の自分が何をしたかを考えこの時は答えが出なかった。後の野次郎はこの出来事を「ストーカーの付き添い」だったと思った。

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黒黴は脳に広がり剥がれない 悪本不真面目(アクモトフマジメ) @saikindou0615

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