幕間 ハスパエールちゃんコスプレショー


 ホラーソーン滞在中のある日のこと。


「ねぇハスパエールちゃん!」

「んぅ……にゃんだにご主人。こんな朝っぱらから……」

「お昼だよ!」


 現在時刻午後2時32分。完璧な真昼間である。とはいえ、ハスパエールは気まぐれな猫さながらに、特に何も予定が無ければ惰眠を貪るのが趣味であるため、昼だろうが夜だろうが睡眠欲が赴くままにいつだって眠っているので時間なんて関係ない。


 そんなわけで今日も、赤蛇亭のベッドの上で夢の世界に飛び立っていたところだけれど、いつも通りにうるさいご主人様に起こされてしまった。まったくもって、眠っているこっちの身にもなってほしいと思いながら、めんどうくさげにくしくしとハスパエールは顔をこすりながら体を起こす。


 それからふわぁとあくびを一つ。猫である。


 そんな子猫な彼女が大きく伸びをしてから、ご主人様ことシュガーは、ハスパエールを起こした用件を言った。


「お洋服屋さんいかない?」

「んにっ?」


 お洋服屋さん、というのはもちろん防具屋の暗喩ではなく、文字通りそのままお洋服屋さんである。そんな気さくな誘いに対して、ハスパエールは――


「嫌に」

「えぇ!? なんで、なんで!!」


 清々しいまでにきれいに断った。


 というのも、実を言えばあまり服には頓着のないハスパエールである。彼女の趣味嗜好はどちらかと言えば人間的な三大欲求に偏重しており、外出するのなら身を着飾る洋服よりも、洋食を食べに行きたい気分なのだ。


 けれど、相手は仮にもご主人様。奴隷と主という関係性である以上は、その誘いを断ることは避けるべきだ。ただ、ハスパエールはこう思う。


(命令、じゃにゃいにねぇ……)


 何度も言うようだけれど、ハスパエールは奴隷でシュガーは主だ。命令すれば、有無を言わさずハスパエールは言うことを聞かざるを得ない。けれど、そんな強権をシュガーが振るってきたことはない。いや、自分が振るわれないように立ち回っているというのもあるのだろうけれど、それでも馬車馬のように扱わず、人間として、友達として接してくれる。


(嫌だとは言ったにけど……断りにくいことこの上にゃいにねー……)


 だから、調子が狂う。

 あまりこういった好意に対して慣れていないハスパエールであった。なにしろ、彼女は幼少期に人攫いに誘拐されてから、人間社会の裏側に潜む秘密結社に教育された身であり、その秘密結社に所属する上で闇社会に肩まで浸かっていた。


 ただし、シュガーは今までハスパエールが居たような世界には居なかったタイプの人間である。お調子者で俗物的。人間らしく、人間らしい。わがままだけど優しくて、底知れないほど恐ろしい。人間みたいに、人間のよう。


 そんな彼女と一緒にいると、闇に汚れ切った自分の手が、少しは綺麗に思えてしまう。


「……まぁ、付き合ってやらんこともないに……」

「言ったね! 言質とったかんね! んじゃま、しゅっぱーつ!!」

「んに!? ちょっと、着替え……」

「行った先で着替えれば無問題!」

「にぃー!!!」


 起きたばかりで寝間着のハスパエールは思う。


(やっぱり、碌な奴じゃない……にぃ!!)


 事あるごとにセクハラしてくるし、こういう時に限って強引なシュガーに対して、心の中で彼女は叫んだ。本当であれば、声を大にして訴えかけたいところだけれど、白昼の往来を寝間着で連れ出されてしまった自分が衆目の目に晒されたとなれば、羞恥心で死んでしまう。


 なので、静かに、心の中で。願わくば、隣でうっきうきで爆走しているご主人が注目を集めないことを祈りながら、泣く泣く服屋まで連れていかれるハスパエールであった。




 さて、服屋到着。


「一生恨むに……」


 なぜ寝間着で連れてきた。そんな風にシュガーを睨むハスパエールであったけれど、服屋に来たテンションからかその言葉を聞き逃したシュガーは、さっそく一着目を持ってきた。


 少女趣味全開でハートがあしらわれた、ふりふりのスカート衣装である。


「んにっ!?」


 普段のハスパエールはホットパンツに軽装スタイル。へそ出しスタイルなその姿は大変シュガーに好評なのだけれど、今回シュガーが持ってきたそれは、その真逆を行く魔法少女チックな衣装であった。


 いや、なんでこんなものが置いてあるのさ。


「私が作りました」

「余計にゃことを……」


 どうやらシュガーの手作りらしい。おそらくはゲームの補正全開で作った代物だろうけれど、衣装としてはしっかりとした出来栄えである。だからこそ、余計にハスパエールは後ずさった。


「そ、そんな少女趣味全開な衣装……わちしに似合うわけにゃいに! 悪趣味にご主人、そうやって笑いものにするつもりにね!」


 改めて言うけれど、彼女は裏社会を生きた少女である。けれど、そう言った憧れが決してなかったわけではない。ないが……ハスパエールは既に成人間近。こんな少女趣味に塗れた服を着るのは憚れるし、そもそも似合うとは思えないほどに痛い。


 きっとこのご主人は、似合わない自分を笑いものにするために用意したに違いないとハスパエールは確信した。そしてその予想は半分正しかったりする。


 『恥ずかしながら衣装を着るハスパエールちゃんが見たい!』これがシュガーの欲望である以上は、半分以上は当たっているだろう。


「くっ、嫌に! わちしは絶対にきにゃい!!」

「ご主人命令発動! ハスパエールちゃんよ、この服を着なさい!」

「うにゃー!!!」


 うびびびびびびび。


 命令拒否の電撃を浴びたその後で、ハスパエールは渋々と少女趣味なメルヘン衣装を身に着けるのだった。


 更衣室から出てきたハスパエールは言った。


「笑うなら笑うに」


 それはもう、羞恥と屈辱に塗れた顔面で、トマトもここまでは赤くはないだろうという程に赤面した表情で。そしてシュガーは言うのだ。


「エクセレント……」


 そしてそのまま、シュガーは気を失った。


「ご主人? ご主人!?」

「はっ! いけないいけない。ハスパエールちゃんの衣装が良すぎて気を失っていた……」

「とりあえず着たからすぐに脱ぐによ!」

「ああ、せめて撮影を……!」

「させるかにぃ!!」


 ハスパエールの雄姿(少女趣味全開衣装)を形に残そうと端末を構えたシュガーに対して、全力の〈猫パンチ〉を繰り出したハスパエールは、そのまま急いで更衣室へと戻っていった。


 しかし、着替えようにも寝間着しかない。もちろん、この服よりもマシではあるが……恥ずかしいことには変わりない。はてさてどうしようか。そう思ったその時、更衣室のカーテンから一着の服が差し出された。


 もちろん、差出人はシュガーである。


「……くっ!!!!」


 無言で差し出された服を受け取ったハスパエールは、背に腹は変えられぬとばかりに差し出された服に着替えるのだった。


「まあ……前よりはマシにけど……これ、何の服に?」

「チャイナドレス!」

「ちょっとスリットが気になるにね……」


 差し出されたのは紺色のチャイナドレスだった。もちろんこれも、シュガーが夜なべしてチクチクと裁縫した代物である。なお、しっかりと防具としてのステータスもあり、彼女のチートなジョブと合わさって凄まじい性能になっているのだけれど、それはまた別のお話。


 さて、チャイナドレスを着たハスパエールだけれど、意外にも気に入った様子だった。もちろん、動きやすさでいえば何時もの服の方がいいのだけれど、先程の少女趣味全開と比べればやはり此方の方に軍配が上がってしまう。


 もちろん似合っていないわけでもない。むしろよく似合ってる部類だ。


 肩からお腹、お尻にかけてほっそりとしたスレンダーなハスパエールの体躯にチャイナドレスはよく似合っていて、スリットからのぞかせる健康的な肢体は黄金比のバランスで調和を保っている。また、チャイナドレスの紺色が、群青色のハスパエールの髪色によくマッチしていた。


 最初のアレさえなければ、ハスパエールもシュガーのことを褒めていたことだろう。


「んーでも、ちょっと露出が多い気も……」


 ただし、気になるところがないわけでもない。なにせ、シュガー作のチャイナドレスは露出度が多い。ノースリーブの肩回りからして布地が少なく、普段なら腰までの長さのマントで覆っていることもあって露出していない背中が、この衣装ではあけっぴろげになっている。なんだか落ち着かない。


「なら、此方はどうでしょう!」

「よくもまあ次々と替えの衣装が出て来るにね……」


 呆れながらも衣装を受け取ったハスパエールは、布地の多さに安堵しつつ更衣室に戻っていった。それから、着替え終わって一言。


「まあ、これにゃら文句はにゃいにね。少し動きにくくはあるにけど」

「お褒めの言葉付き頂きましたー!」


 次に受け渡されたのは、紳士的なイメージが浮かべられる燕尾服であった。メイド服と悩んだシュガーであったが、どちらかと言えばかっこいいハスパエールちゃんが見てみたいと舵を切った結果の燕尾服である。


 こちらも、すらりとした足長のハスパエールにはよく似合っている。それこそ、髪型や化粧などを工夫すれば、男装の麗人と言っても差し支えないだろう仕上がりだ。ただ、ハスパエールとしては手首から足先までかっちりと覆われていることもあってか、動きにくいのがマイナスポイントなようだ。


「ねぇねぇ、ハスパエールちゃん」

「なんだにご主人」

「お嬢様って言って?」

「……頭大丈夫ですか、お嬢様?」

「きゃー!」


 ふむ、罵倒したはずなのに黄色い悲鳴が上がっている。彼女はMなのだろうか。


「ふぅ、満足満足。はい、何時もの服」

「にゃ……持ってたなら先に言うに!」


 さて、なにに満足したのかは知らないけれど、コスプレファッションショーが如き着せ替えゲームが終わりを告げた頃に、ようやくハスパエールは何時もの服を手に入れることができた。


 まさか、本当に自分を着せ替えするだけが目的だったとは。相変わらずな自分の主様の思考回路にあきれ果てつつも、彼女はいつもの服に袖を通した。


 胸元を覆いつつ、肩回りの動きを阻害しないように余裕のあるシャツ。足回りの動きを重要視した結果、丈の長さを切り詰めたホットパンツ。それに、拳を保護する指抜きグローブにベルトを装着。マントを羽織って、ブーツを履く。


 最後に、お気に入りのシルクハットを被れば、何時ものハスパエールの登場だ。


「……」


 なんとなく、シルクハットを手に取るハスパエール。それから、シルクハットを裏返して、中に書かれたそれを彼女は確かめた。


「忘れないによ、絶対に」


 ただそれだけ呟くと、改めて彼女はシルクハットを被り直す。

 それから、更衣室を飛び出してシュガーへと言った。


「この分の補填はあるによてご主人!」

「もちろんだよハスパエールちゃん! この後ばっちり、前にも行った食べ放題のバイキングを予約してあるぜぇい!」

「ならすぐに食べに行くに! やけ食いに!」

「お供しますぜ!」


 そうしてこうして、今日も奴隷とご主人様の関係は続いていく。


 とはいえ。


 この二人のどちらも、お互いのことを奴隷とも、或いはご主人様とも思ってはいなさそうだ。

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