催涙

aki

第1話 街

 カラスが一羽、私の元に降り立った。ペタペタと弱い足取りで足元を跳ねる。でも、よく見てみるとカラスではない。鳩だ。ここらじゃ白い鳩は見慣れたものだが、黒い鳩というのは初めて見た。

「随分弱ってるわね。死にかけ?」

 まるで死に場所を探すかのように、視界がぼやけてるようなふらつきかただ。私はそっと掬い上げ、自分の住処へと手に包んで持ち帰った。とは言っても、私は浮浪者だ。立派な住処を挙げるとするならば、廃病院くらいか。私は人が寄り付かない路地裏の段ボールハウスまで戻り、パンくずと粉ミルクを溶かしたものを、そいつに少量与えた。これは気まぐれに似た行為で、別に育ててあげようなんてことはこれっぽっちも思っていないかった。

「少しは元気出た?何?懐いてるの?そんなんじゃ生きていけないよ。」

 さっきまでフラフラしていたのに、食料をあげただけで少し元気になり、手元まで擦り寄って来た。ただ翼に若干の切り傷があり、上手く飛べないようだ。でも、そこまで施しを与える必要はないだろう。そもそも私にも余裕がない。食料を分け与えてただけでも親切が過ぎる程だ。

「ほら、どっか行きな。さよならだよ。しっしっ。」

 私は今日の「仕事」に向かうため、路地から出て鳩を地面に置いて反対側に歩いたのに、未だおぼつかない千鳥足で足元に寄って来るのだ。軽く足で払いもしたのにも関わらず、そこだけは強かに付いてくるのだ。

「分かった。ここに居て?それでいい?」

 いつまでも着いてきて鬱陶しいので、私はまた掬いあげ、住処まで帰ってそこに置いてそう言った。言葉が通じるとは思わなかったが、意外にもそこに留まり、萎れた段ボールの陰に入って行った。放っておけばよかった。

 私の仕事は依頼者からの依頼をこなすことだ。具体的には、運送や傭兵と言ったところか。仕事などと呼んでいるものの、実は大層なものではない。そもそも、ここは不穏な街、「ハイエッジ」だ。ほとんどの店や交通機関は息をしておらず、死んだ街と言われても反論ができない。ならず者が集まり幅を利かせているため依頼を出す奴も真っ当さの欠片も無いというわけだ。今回の依頼は「流し」だった。何でも、麻薬の密輸ルートを確保したいらしく、本来流せない場所に私を中継して流すことでそれを可能にしたかったそうだ。私は先日「カート区」という場所にアタッシュケースを数個持ち込み、怪しい連中に引き渡した。(私が今いるのは「フィレ区」、大体街の南東に位置する。)

 今日の私はそこに赴き、依頼料の請求と次の依頼を受けることだ。流した大本と繋がりはあるらしく、視察も兼ねて受託側に行ってくれというのが理由であるため依頼元には行かないのだ。まあ、私にとっては麻薬がどうなろうが知ったことではないが、情報というのはこの世界において命に値することは間違いないため請け負うことにしていた。この区は比較的平和な場所で、もっと荒んだ所に比べれば庶民的と言って差支えない治安だ。

「どうも。また陰気臭い所だわ。他になかったの?」

 街の人気のない所を闊歩していたら、取っ散らかった廃家から声を掛けられ、その中へと私は入っていった。前も同じような場所で取引を行っており、例に漏れずだった。日の関係か辺りは見えづらい。

「やあ、「ヴェミネ」。この辺りの商売は勝手に踏み入れちゃいけないのを知らないのか?」

 奥のテーブルからこちらを見据えている誰かに声を掛けられた。テーブルの上にはランタンが置かれ、その場所はそれなりに明るかった。さっき私に声を掛けた者も、玄関横の階段に座り貧乏ゆすりをしていた。こいつらは前の取引相手ではない。それに、友好的でもなさそうだ。階段の横の男がナイフをこちらに向けで進むように促したので、それに従った。

「あんたらは?私、行くところがあるんだけど。ナンパなら他で。」

 リビングに行き着いたところで見渡した。この、前に居る男も顔に覚えはないし、二、三人周りにいることからも組織的で、私が会う予定の者ではないことは明白だった。

「俺は「アデン」。カート区の西商業区域を任されていてね。不届き者は制裁する方針なんだ。おい。」

 アデンが一人に声を掛けると、そいつがクローゼットを開いた。中からは血まみれに成った麻袋が二つ出てきた。あーあ、お得意様が。

「で?帰ってもいい?報告しに帰らなくちゃ。」

 乱闘の予感がしたので私は後ずさり、距離を取ることにした。すると、男たちがにじり寄って来たので傍の花瓶を一人の顔面に叩きつけ、玄関に向かって走った。

「逃がすな。汚い鼠は駆除する。」

 全員が私を追う。袋の鼠とはよく言ったものだ。玄関先にも護衛はいたし、どうするものか。囲まれて勝つなんていうのは都合が良すぎる話だ。

「邪魔。」

 私が玄関先まで行くと、当然男がブロックしてきた。私はポケットから砂を取り出して目つぶしに使い、置いてあったタンスを段差にして男の予想しない方向から首筋にナイフを刺した。私は思いの他、易しく外に出ることができて、こいつらのやり方が杜撰であることが分かった。私は走り、距離を置きつつ手ごろな建物を見つけた。

 こいつらは頭が回らないのか、ビルに入って行った私を逃がさないため、手分けして探そうなんて言う愚策を取り出した。そうなれば、六、七人なんてのはお茶の子さいさいで、一人ずつ誘きだし、報告される前に始末した。結局、残り二人になって事態の深刻を理解して固まったようだった。

「相当な馬鹿ね。この始末…あんたら、下っ端も下っ端の組織でしょ?街のルールを語るなら、生き方のルールを覚えた方が良いわね。」

 血濡れた手を奪ったスカーフで拭いながら、私は姿を表すことにした。慢心ではなく、確実な勝つ算段があったからだ。

「やるぞ…くそっ。」

 アデンもナイフを取り出し、横の男に声を掛けた。用心棒には持ってこいの大柄な奴で、二人を相手にすることになったが、大男の胸部を何度か刺して絶命に至らしたので、彼は戦意を喪失したようだった。

「待ってくれ。あんた、話と違う。ただの鼠って話だったのに。ああ、待て。頼む。依頼金の数倍の金を積むから、見逃してくれ。」

 逃げようとし、走り出したが私は直ぐに追いつき、周りこんで脛を蹴って転ばした。走りには自信があった。男は転んだまま涙を流し、死の局面に恐怖していた。

「鼠よ。あんたらが頭悪すぎるだけ。最初からタコ殴りにしてれば勝てたのよ。そうね、私に金の話をするのは良いこと。結構うるさいから。」

 私はナイフをまた拭きながら寄って行ったが丁度良い場所で止まり、会話を試みることにした。

「本当か?!いくらだ?謝礼金も含めて持って行ってくれ。」

 男は胸を撫でおろし、金の話を始めた。絵に描いた小物だな。なぜ目をつけられたのか不思議になってくる。

「まあまあ、聞きたいこともあるから。その後で良い?誰の依頼?」

 屈んで目線を合わせ、圧を加えた。この街だけでも派閥は幾重にも分かれていて、辿っていけばかなり大きな組織が絡んでいたりもする。小さな組織程、利用される頻度は高い。

「それだけは言えない。殺されちまう。他の事だったらなんでも。」 

 あまり留意すべき存在でないことは知ることができた。依頼者を明かすことは重罪で、情報が命よりも重いなんて言われてる一つの所以でもある。

「ふーん。ごろつき?後、あんたらは今回の事と繋がりがあるの?」

 誰かに差し向けられたことか自ら企てたことかはどうでも良くなってきていた。殺伐とした殺し合いは日常的だし、問題があるとすれば今後私が狙われるかという事だけだった。

「いや、統括は為されている所だ。それ以上は言えない。手に掛けたのは、一応、こちらとの独占契約をしていたのが理由だ。だから関係はある。」 

 どうも私が見通すべきものは別の私怨が働いてるであろう依頼者に対してみたいだ。何も聞かされていないし、問い詰めたところで出てくる情報は雀の涙だ。

「おっけー、財布出しな。これで全部ね。ありがと。もう行っていいよ。」

 震える手で財布を渡され、私は金を抜き切り、地面に投げた。男は怯えた表情で向こう側へ走ろうとした。しかし、私は背後からナイフを突き立て、声も殆ど挙げさせず死に追いやった。生きる上で大事なこと。それは思いやりでも、誠実さでもない。答えはシンプル、冷酷さだ。今だって、そのまま帰せばタダとはいかない。ここはそういう世界で、道端に倒れている人間に寄り添うような奴は必ず生き血を啜られる羽目になる。いや、それは教訓に過ぎないな。常にリスクを最小限に減らし、それに伴う仕事上の信頼以外は度外視する。それが私で、それが生き方だった。

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