弱者転生〜異世界では英雄に〜

@Hisui_51

プロローグ

 俺は17歳の男子高校生。現在目の前で怒っているリンチに頭が追いついていない状況だ。

 さっきまで中庭で購買で買ったパンを食べていたはずなのだが、気付けばこんな状況だ。

 ……いいや、嘘だ。頭はスッキリしているし、知っててここにきた。

 俺の学校では現在、イジメが起きている。

 イジメの被害者は比較的大人しい一人の少女だった。俺からしたら顔だって整っているし、頭もいい。だからなぜこんな少女がいじめられているのかわからなかった。

 ただひとつ言えることは、俺もイジメを行っている一人であるということだ。

 

 最初はそんな気なんてなかった。周りがちょっとちょっかいを出していたから、俺も彼女の筆箱からのペンを一本パクった。それだけだった。それだけだったはずなのに、日々罪悪感が増え続けるのと並行して、彼女へのいじめもエスカレートし続けた。

 やめたかった。けれどそんなことが許されない雰囲気に俺は流され続けた。

 現状が変わるのが嫌だったのだろう。俺はいつも現場に赴き、彼女に1発だけ蹴りを入れた。傷がつかないよう、本当に優しく。

 だがなぜだろうか。俺はこんな日常に満足していた。




 今日は雨が降っていた。朝から学校が終わった今まで降り続け、傘があっても濡れてしまうほどの雨量に悩まされながら帰宅していた。

 乾いていた靴は段々と雨が染み込み、とても不快な感覚をこちらに与えてくる。


「はぁ……最悪。まだ家まで遠いってのに」


 俺の家は学校から歩いて行ける距離にあるものの、30分程度かかるので微妙に登下校がめんどくさい。

 現在は学校から出て10くらいしか経っていないのでまだ三分の二残っているということだ。


「はぁ、無駄遣いなんて言わずにバスで帰れば良かった……」


 節約癖は俺の悪い癖だ。最初はいい癖だと思っていたが、その分ドケチだと周りによく馬鹿にされてからあまりよく思えなくなってしまった。


「みゃー、みゃー」

「猫? ……捨て猫か」


 とぼとぼと歩いてあると、道端の草の陰からの何かの鳴き声が聞こえた。

 最近また増えたと思う。前まではほとんど見ることはなかったのだが、最近やたらと見るようになった。


「なんだ、二匹いるのか。すまんなーうちは飼えないんだ」


 俺は草をかき分けると猫の入っているダンボールがちょうど雨に濡れないように傘を立て掛けた。

 傘ごときでこの猫が幸せになるはずはないだろうが、少しでもこの猫たちが幸せに生きてくれるのならば、俺は喜んでびしょ濡れになろう。


「あーでもこれだとまだ寒いか。なんかタオルあったかな……」

「どうぞ、これでいいですか?」


 俺がカバンを漁っている時だった。突然しゃがみ込む俺の横からタオルを持った絆創膏だらけのスラリとした手が向けられた。


「ああ! ありがとうございます! 本当にいいんで、す……か……」

「ええ、もちろん」


 雨粒が傘に当たる音が聞こえなくなるほどに、俺の心がざわめいた。

 なんせ、俺にタオルを差し出してくれた少女は、俺のことを恨んで止まないだろうイジメられている少女本人だったのだから。


「優しいんですね」

「……」


 俺は彼女と話す資格なんてない。

 ただ今すぐ逃げ出したい気持ちを押さえつけて、彼女から差し出されたふわふわと甘い香りがするタオルを雨水に濡れる猫に被せるようにおいた。


「可愛いですね」

「……」


 本当に。

 俺は動物が好きだ。家では犬も鳥も飼っている。だが母親が猫アレルギーのこともあって猫だけは飼えなかった。


「……」

「……」


 気まずい時間が流れる。

 彼女は今何を考えているのだろうか。

 イジメの加害者の一人である俺の隣なんかしゃがみ込んで、何も言わずに俺を傘の中に入れて。


「今日は寒いですね。もう冬らしいですよ」

「……ごめん」


 俺は傷だらけの手で自分を摩る彼女にそれだけいうと、立ち上がる。

 こんな状況で彼女になんて声をかければいいのかなんてわからない。

 ただ謝っても許してはもらえない。許されなくて当然ということだけは知っていた。


「待って。私、本当は貴方と話がしてみたかったんだ」

「なんで! 俺は君に酷いことをしたはずだ! なんでそんなに優しく俺を傘に入れるんだ!」


 歩き出そうとすると手首を掴まれた。強く、しっかりと。

 意味がわからなかった。何を言われたのかわからなかった。話がしたい? 脅しだろうか。そんな考えが頭をよぎり、否定する。

 そのとき、差し出された傘が俺に当たるはずだった雨粒を弾く。傘から出た彼女は濡れて、俺は濡れなかった。たかがそんなことがきっかけだった。俺は気付けば全て吐き出していた。


「なんでって。貴方はいつも私に優しくしてくれていたじゃないか」

「……!? ……違う、違うんだ! 許されないことをした。今更許してなんて言えるはずもなくて、俺はただ自分が傷つきたくなかっただけなんだ」


 彼女は汚れたブラザーの裾を払う。あの汚れの中に自分がつけた汚れもあるのだと考えると余計に自分がしたことの重大さに押しつぶされそうになった。

 だから謝った。必死に、先生に悪いことがバレた小学校低学年のあの頃のように。


「知ってるよ。でもそれをしてくれるのは貴方だけだったんだ。それに、初日、君が盗ったペン。あれ新品に変えたでしょ」

「いや……それは、ちが——」

「——くないでしょ」


 俺は何も言えずに黙る。彼女はこんなに強い人間だったのか。初めて見た彼女の一面に驚かされる。

 俺よりも、ずっとずっと強かった。当たり前だ。彼女は今日まで耐え続けてきたんだ。


「私の話を聞いて?」

「……」


 わかった。そう言うように、俺は首を縦に振った。




「どうですか学校は。楽しいですか?」

「……いや楽しくはないな」

「あ……すみません嫌な質問でしたね」


 俺たちは猫たちと別れ、二人歩いていた。

 彼女の家の場所はわからないが、案外近いのかもしれない。

 歩きながら話した彼女はさっき俺を引き留めた強気の彼女とは思えないほど丁寧で脆そうで、いつも見る彼女だった。


「謝らなきゃいけないのは俺の方だ。いつもいつも、俺は流されてばっかだった。言い訳にしかならないが、怖かったんだ。現状が壊れるのが」

「日常が壊れるのは怖いものです。しかもひとつ間違えただけで自分の立場が地に落ちるとなればなおさら」


 やってきたことは事実でしかない。

 彼女も俺を本当は殴りたいのだろう。だが、それでも俺に共感して、俺の立場をわかってくれている。だからこそ怖い。俺はこのまま何も償えないまま彼女に許されてしまうんじゃないかと。


「でも決めたよ、俺はもう決して君に害を加えない」

「……ありがとうございます」


 だから彼女と話して決意した。

 もう逃げるのはやめようと。たとえこの際俺がどうなろうと、この決断は後悔しないと。

 けれどひとつ気がかりだった。

 少し黙って感謝を述べた彼女の顔は、ひどく悲しみに溢れていて、それでも感じられる嬉しみがごちゃ混ぜになっていた。

 そんな顔に、俺はそこはかとない嫌な予感を感じた。




「では、私はこれで失礼します。最後、貴方と話せて良かったです。さよなら」

「ああ、さようなら」


 あれから5分程度を無言のまま歩いた。

 俺も彼女も黙って同じ速度で。

 結局、彼女は大通りにかかる歩道橋の半ばで歩みを止めた。

 なぜ半ばでと少し疑問に思ったが、黙っていたために切り出すのが気まずかったのだろうと勝手に結論づける。

 多少違和感のある彼女の口調に疑問符を浮かべながら、俺も彼女にひらりと手を向けて踵を返した。

 明日が億劫で仕方がない。明日隕石降らないかなとありえないことを口走るほどに。


「最後、か。これで彼女との関わりはきれるんだよな」


 気付けば雨は病んでいた。

 多分かなり前から止んでいたのだろう。だけれど彼女は傘を閉じずに歩き続けた。俺に傘を半分譲りながら。

 彼女の言葉が喉元で引っかかる。これで良かったのだろうか。彼女はなぜ俺に話しかけてきたのだろうか。最後、となぜあんな突き放されたのだろうか。なぜ歩道橋の上で……


「…………まさか?!?!」


 崖から突き落とされたような緊張感が体を貫いた。

 頭の中でまばらに打たれた点が最悪すぎる結論として繋がってしまったからだ。

 俺は咄嗟にカバンを投げ捨て、彼女と別れた歩道橋まで走った。




「杞憂であってくれ、杞憂であってくれ!」


 出せる全力で走った。

 間に合わなくては行けなかった。


「!?」


 杞憂であって欲しかった。全部自分の勝手な妄想であって欲しかった。彼女は強い、そう思い込んでいた。

 だがそんな幻想は歩道橋の柵の上に立つ彼女を見て一瞬で砕かれた。

 俺は走った。全力で。階段を転びそうになりながらも駆け上り、傷だらけの彼女の手を掴もうとした。

 だが、俺の手は空を切った。彼女が俺に気がついた時、すでに彼女の体は空にまっていた。

 

「ダメだ! ここで死んじゃ! 俺が助ける。絶対に!」


 俺は飛び降りた。なんの躊躇もなく。彼女の手をつかむことだけを考えて。

 俺が彼女を救うことを自分の贖罪になると何の疑いもなく信じて。


 それからの事は記憶にない。ただ次に地の感覚がした時には、俺の身体は動かなかった。

 ただ空にかかる虹を寝転んで見たことはなかったな、なんてメルヘンなことを考えていた。

 寒かった。体の力がどんどんと抜け、熱が奪われていく。

 

 あーこれは死ぬな。もう痛くもない。

 なんて馬鹿なことをしたのだろう。彼女を助けるどころか俺まで落っこちるとは。これも神罰か。

 やばい……もう意識が……


「……丈夫……救急……」


 駆け寄ってきてくれた人だろうか。もう声が途切れ途切れで聞こえなくなってきた。

 ああ、最後に家族にだけでも謝りたかったな


 そして、俺の意識は完全に飛んだ。最後に見た光景は雨の後の快晴にかかる虹で、皮肉にも俺の心情とは真反対なものだった。

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