第43話 黒田の禍根
九州の島津を屈服させ、天下統一目前に迫った豊臣秀吉には悩みがあった。自らを二十年弱に渡って支えてきた軍師黒田官兵衛の存在である。播磨の小領主の身分から秀吉に引き立てられ、ついには天下一の軍師とまで称されるようになった官兵衛は、他の家臣や秀吉の一門と対立することが増えていたのだった。ついには秀吉が最も信頼を置く弟秀長にも牙をむくようになり、秀吉は頭を抱えていた。
さらにその不安に追い打ちをかけるかのごとく、官兵衛が秀吉死後の豊臣家を牛耳るために秀吉の甥秀次に近づいているといううわさが耳に入ったのである。秀吉は決断を迫られ、意見を聞くべく秀長の元へ向かった。
「兄上からこちらへお越しになるとは珍しいですな。戦も終わり急なようなどありますまいに。」
「急な用事ではにゃあだが、すぐにも動かねばならぬやもしれんことや。」
「何事にございましょう。」
「官兵衛のことよ。」
「黒田殿でございますか。今は九州で戦後の仕置きをしておられる頃でしょうか。黒田殿がいかがなされたので?」
「官兵衛が秀次と仲良うしておって、儂がのうなった後の豊臣家を乗っ取ろうとしちゅうらしいんや。」
「私もそれはどこぞかで聞きましたがただの噂でございます。気に留めることもありますまい。」
「いや、それがそうとも思えんのよ。近頃の官兵衛の態度は目に余るとは思わぬか?そなたにも言い返したりするようになっての。そなたも苦々しく思っておるのではないのか?」
「軍議の場での黒田殿との言い合いは建設的な“議論”にございますれば、私は何とも思っておりませぬ。黒田殿の素晴らしき策があってこその豊臣家にございます。今我らがここにおるのも黒田殿のおかげといっても過言ではありませぬ。煙すら立っていない軋轢をこちらから作るなどはもってのほかにございます。
「しかしのぉ。官兵衛にはここらで。」
「なりませぬ!どなたの入れ知恵にございますか!利休殿ですか、それとも義姉上でございますか。私は断固として黒田殿には生きていてもらいとうございます!」
「誰も殺すとは言っておらぬ!」
二人の意見が割れることは今まで多くなかった。意見が割れたとしてもたいていの場合秀長が一歩譲歩して場が収まっていた。しかしこればかりは秀長も譲れなかった。感情で政を行うなど甘い国ではないのだと兄に分かってほしかったのである。じっくりと頭を悩ませた。
「兄上。ならば一つ提案がございます。」
「なんじゃ?」
「黒田殿には加増をするという名目で遠方に違法とするのはいかがでございましょうか。」
「遠方というと?」
「仕置きが終われば九州で良いでしょうし、違法を天下統一が成せた後とするならば関東や陸奥でもよろしいかと存じます。加増という形であれば黒田殿も正面切って断ることは死にくいでしょう。」
「なるほどの。遠方に追いやれば必然的に秀次と会う機会も減り安全というわけか。」
「天下を統べれば当然戦はなくなります。官兵衛殿が名を挙げる機会も必然的に減ってまいりましょう。」
「いや!あ、」
「いかがいたしましたか兄上。」
「いいや、何でもない。その案で進めよう。移封は早い方がよいで、官兵衛には九州に移ってもらうとしよう。仔細はそなたと佐吉で詰めておいてくれ。」
秀吉は口を滑らせようとした動揺を隠すことが出来ないまま秀長の部屋を後にした。秀長が秀吉の野望を知るのはまだ少し先のことである。
九州での仕置きを終え畿内へ帰還した官兵衛は、移封の噂を聞いて動揺した。実際に秀吉から移封の話を聞いた時には心の準備が出来ていたため動揺を見せることはなかったが、焦りと不安を感じていた。今まで豊臣家(羽柴家)のために心血を注いできた自分が遠方に追いやられるという事実が受け入れられなかった。城下の屋敷に向かう道中では、今までの秀吉との思い出がものすごい速度で脳内に映し出されていた。
官兵衛は考えた。自分のことを心から信頼しているであろう秀吉がこのような仕置きをするわけがないと考え、裏で糸を引く者の存在を明らかにするべく頭を巡らせた。思いついた人物は三人いた。
まず一人目が千利休であった。利休は堺の商人であり茶人で、信長と秀吉という二人の天下人から熱い信頼を寄せられ、秀吉の政策顧問のような役割を担っていた。しかし利休の線はすぐに消した。官兵衛自身も利休の弟子であり、日ごろから気にかけてくれている利休が自分を畿内から追い払うような策を立案することはないと思ったのである。
二人目は徳川家康であった。直近で大納言まで昇進し、実子のいない秀吉の次の天下人は自分であると方々で言いふらしているという噂が官兵衛の耳にも入っていたのだ。そのため自分のような秀吉恩顧の者を畿内から遠ざけようというのは理に叶った行動であると思ったのだ。しかしその線もなかった。秀吉は家康を強く警戒しているのは官兵衛も知っており、家康の提案を簡単に飲むとは思えなかったのである。
そして三人目。秀吉が素直に策を受け入れ実行に移せる立案者。秀吉の弟豊美秀長に間違いはないと官兵衛は確信した。そして秀長自身に敵意がないことを察していた官兵衛は、秀長の立身のために秀長をけしかけた者がいると考えた。思い当たる者が一人いた。
官兵衛は嫡男長政を呼び出し移封のことを伝えた。
「さすが父上!豊前十二万石とはまことに殿下は父上のことを大層信頼しておられるのですな!」
「馬鹿者!その逆じゃ!」
「逆と申しますと、殿下は父上を信頼しておられぬと?」
「正確に言えば殿下はどうか分からぬ。ただ確実に儂らを遠方に追いやりたいと考えて殿下に入れ知恵をした者がいると私は思っておる。」
「それはどなたなので?」
「大和大納言さまだろうな。」
「大納言さまが、何故でございます?」
「正確に申せば大納言さまの立場を守りたいその家臣らが大納言さまに働きかけたのであろうな。」
「しかし大納言さまは豊臣家の御一門。我ら黒田家とは一線を画しまする。父上が大納言さまの保身に関わりがないことは赤子でもわかる理屈にございましょう。何故父上を遠ざける必要があったのです?」
「お主が申す理屈がわからぬ者もおるということよ。」
「具体的に誰なのでございましょうか。大納言さまの家臣の不届き者は。」
「そこまでは儂にもわからぬ。分からぬがなんとなくこの者でないかと思う者はおる。」
「誰ですか!」
「藤堂佐渡守ではないかと思っておる。城持ちになり、昇殿したばかりのあやつなら、わしらを排除するという愚行に走っても不思議ではない。」
長政は床を強く叩いた。
「藤堂高虎!許せぬ!」
「落ち着け長政。我らにできることはないのだ。正直に従って豊前に行くが最良。こののちの戦で功を立て畿内へ戻していただけるよう頼んでみるとしよう。」
長政は唇をきつく縛って力強くうなずいた。
一連の流れを露ほども知らない高虎は、居城となった粉河城で頭を悩ませていた。
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