第33話 友と鉄砲

 盛政と勝政は狼狽えた。美濃へ向け経ったばかりの秀吉軍が目の前にいるという現実を理解するには時を要した。

 このからくりには天の恵みが大いに関わっていた。美濃へ織田信孝の蜂起を鎮圧するために秀吉軍だったが、季節柄降り続いた温かい雨によって氾濫した揖斐川の手前にて大垣城付近で足止めされていた。元の予定ではすでに岐阜城に着いているほどの速度の行軍であったため、この足止めは柴田方・羽柴方のどちらにとっても想定外のものであった。

 佐久間盛政による砦攻撃の報は足止めにより頭を抱えていた秀吉に届けられ、流れが変わったように雨がぴたりとやんだ。

「我らは中国大返しを成した。それはわずかに一年前のこと!此度もできぬはずはない!やるぞ美濃大返しじゃ!」

 大垣から木之本へ戻る十三里の道をわずか五時間で走り抜けた。秀吉は勝利を確信した。


 秀吉本隊と向き合った佐久間盛政隊と柴田勝政隊の士気は急激に低下した。砦を複数奪い、有力な諸将の首をとってきた鬼玄蕃に対する評価も無双から暴走へと変化していった。西からの丹羽隊・桑山隊、南からの秀吉本隊に挟み込まれる形となり、多くの柴田方の兵卒は四散し、ほぼ壊滅状態に追い込まれていった。

 

 その状況を田上山の秀長の陣から見た高虎は拳を力強く握りしめ、天へと衝きあげた。この後は久方ぶりに戦場で結果を出したいと強く思った高虎は、一年前の結成以来実戦での出番がないものの、鍛え上げてきた鉄砲隊に出撃の準備を命じた。秀長から許しを得た後、一時的に部隊の統率を担っていた良勝から軍配を引き継ぎ、一気に田上山から駆け下った。

 高虎隊五百が完全に山から下りきったころには、すでに敵勢は余呉湖西岸から北へ逃げるように下がって行っていた。それを追いかける秀吉の本隊という構図であった。

 その最前線に立つ八人の若武者が高虎の目に入った。高虎が有子山に移る前日に自邸を訪れた八人であった。中でも一番戦働きが不得手であるとみられていた石田佐吉、元服して名を改めた三成が最前線に立っていることに高虎は驚いた。撤退する部隊の側副を突くことを考えていた高虎であったが、彼ら八人が手柄を立てることを願い、逃げていく部隊を待ち伏せする作戦に切り替えることにした。


 その頃、近くの茂山に陣を置き戦況を見守っていた柴田方の前田利家は決断を迫られていた。村井長頼や篠原一孝といった前田家重臣はあくまで主の意見を尊重することを力強く訴えると、利家は覚悟を決めた。劣勢の見方に加勢することも、はたまた寝返って幼馴染の秀吉率いる舞台に加わることもせず撤退したのだった。それに呼応するように秀吉から事前に調略を受けていた金森長近も陣を払って撤退。

 激戦の渦中にいた勝政・盛政はその様子を見て膝から崩れ落ちた。最前線で大軍に飲み込まれる寸前であった勝政に灯っていた僅かな闘志の火は消え、八人の小姓の一人脇坂甚内安治によって討ち取られた。一方の盛政は憤慨し、勝政の仇を打つべく進路を南へ反転させた。

 しかし、その思いは潰えることになった。北に回り込んでいた高虎の鉄砲隊が盛政率いる残り僅かな部隊に一斉に打ちかけたのである。放たれた大量の鉛玉の一つが盛政の肩を貫いた。刹那の沈黙の後盛政は落馬した。大将の負傷で精彩を欠いた盛政隊は瓦解。高虎隊の突撃によって壊滅し、鬼玄蕃と謳われ数多くの首を挙げてきた猛将佐久間盛政は高虎によって捕縛された。


 前田隊・金森隊の撤退、勝政隊・盛政隊の壊滅を見た勝家は敗戦を悟った。居城北庄城で出陣前に、妻市と言葉を交わした後で直感した思いは見事に当たっていた。天下を狙うというのは還暦を過ぎたこの老体にはもう厳しかった。ただここで秀吉に下るなと問うことは考えられるはずもなかった。前田泰を追うように北へ退くことが勝家にできる唯一の選択であった。


 勝家の撤退を見た秀吉は、木之本に諸将を集めて軍議を開いた。この賤ヶ岳での勝利で終わるわけではなかった。高虎も秀長に伴って木之本に入ると、最前線で戦っていた小姓たちが言い合っているのを見た。各々がどのような首をとったか、誰が一番槍かなどで言い合っている中、高虎から見れば一番槍に見えた石田三成は静かに空を眺めながら何かを算段しているようであった。それもそれで高虎と心を許し合った男らしさともいえるものであった。

「佐吉。ついに首を挙げたそうではないか!」

「そなたまでそのようなことを言うのか。私はこののちのことで頭がいっぱいだ。そなたもであろう?」

「この後のことは俺も気になるが、今日のところは自らの戦果を祝うというのが武士という者ではないのか?」

「それもそうか。」

 三成は笑った。笑顔を見せることが少ないと評判の三成の笑顔は高虎を励ました。羽柴の天下が今日の勝利で確実なものに近づく中でこの男が、さらに武器を活かして活躍していく姿が高虎の目に浮かんだ。共を作ることが少ないこの男と親しくなれた自分は誰よりも幸運だと思うとともに、三成にも同じ思いをしてもらいたいと奮起することにもなった。



 三日後、前田利家は正式に羽柴方に加わり、三万の軍勢が勝家の居城北庄城を取り囲んだ。最後まで勝家に付き従った千の剛の者が最後の抵抗を見せるが、多勢に無勢であった。勝家は家老中村文荷斎の介錯で自刃し、三人の娘を逃がした市もそれを追うように自刃した。十年前に憧れた浅井長政・市の夫妻がついに天へ上ったことに高虎は心を痛めたが、彼らの想いを成すべく天下安寧に尽くすことを改めて誓ったのだった。

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