第19話 支えられる戦
実際に攻撃を受けたことで高虎ら羽柴勢は小代大膳率いる小路比村に立て籠る人々を“一揆勢”と断定し、武力攻撃による攻略に向け動き始めた。しかし、高虎は大屋村への撤退時に股を負傷しており本調子ではなかった。
「兄上、お怪我の具合は?」
良勝は心配そうに尋ねた。高虎は苦しげな表情で答えた。
「重くもなく、だが軽くもなくといった感じだそうだ。だがここで足を引っ張るわけにはいかぬ。さっそくにも軍議だ。」
「ご無理をなさいますな。」
「いや、ここを押さえねば秀長さまの但馬統治は完成せぬ。急ぎ鎮圧するぞ。」
高虎が軍議のために陣に入ると、満面の笑みの男がいた。
「高虎!待たせたな!安心せい!儂が来たからにはもう負けはない!」
意気揚々と語ること男は秀長家の筆頭家老羽田正親。筆頭家老がわざわざ小規模な一揆の鎮圧に足を運ぶのは大変珍しいことであった。
「羽田様!何故ここに?」
「儂自ら秀長さまにお頼みして来させてもらったのよ。もともとは儂がやるはずだった仕事、私事で断った上に高虎に負担がかかっているようではいたたまれぬでな!」
「ご子息はもうお生まれになったので?」
「あぁ!この年になって遂に初の我が子。じっくりと可愛がってやりたかったがまずは成すべきことを成さねばな!」
高虎の心情は複雑なものであった。苦戦を強いられる中で正親が援軍に来てくれて助かったという思いと、自分の不手際のせいで初の実子が生まれたばかりの正親にご足労をかけてしまって情けないという思い。陣の近くを流れる川の音が大きくなるのを感じながら、高虎は力強く下唇を噛みしめ、軍議の席に着いた。ここでは高虎が大将であるため上座に、正親は床机を挟んで高虎の反対側に座った。
居合政煕は不安げな表情で虚空を眺めていた。自分が裏切った大膳らが勝ったらどうなるのか、そんなことを考えているような表情で、もともと垂れていた眉がさらに垂れており、まるで目と直角に交わってしまいそうな勢いであった。
正親は明るい表情をしているが、ほかの将や土豪らには暗く重い空気が漂っていた。そんな空気を吹き飛ばすべく大きな声を出して軍議を開始した。
「もはや小路比村の者らは一揆勢である。必ずや鎮圧し新たに織田家の手で治めねばならない。」
高虎は強い覚悟を持って語った。
「これよりは武力に訴えるほかないかと存じます。どのような策を講じまするか。」
祐善は正親を一目見た後高虎に問いかけた。
「誰か策のある者はいるか?」
「ここは正面から攻め入るほかないかと存じます!敵の数は我らよりも少ないのです!しかも相手の多くは武士ではありませぬ。必ずや勝てまする!」
良勝がハキハキと答えた。それが本気なのか、それともほかの者が反駁の策を言いやすくする為のこけおどしなのか。高虎には後者であることがすぐに分かった。
「それは厳しいかと存じます。」
政煕が小さな声で異論を述べた。良勝の狙い通りであった。良勝がニヤリと刹那に笑みを浮かべたのが高虎には見えた。
「居合殿、策をお聞かせ願いたい。」
「正面から攻めかかっても奴らの心はおれませぬ。なぜなら奴らは土豪と百姓。それは私も同じ立場ですので分かっております。」
「ほう。」
「奴の心を折るための策はただ一つ。兵糧と財をすべて奪うことにことでございます。」
高虎は感嘆の声を上げた。高虎は元より頭が回る方ではなかったが、秀長の命で兵法や策略を学んでいた。しかしそれは武士の策。民衆のたてる策に造詣が深いわけではなかった。
「なるほどな。しかしどのように奪うのだ?」
「私は一揆勢の元で兵糧と財の管理を行っておりました。管理している場所も、そこへ向かう隠し道も把握しております。」
「しかし、そなたがこちらについたと知れているはず。場所や隠し道も変わっているのではないか?」
政煕は待ってましたとばかりに笑みを小さく浮かべた。
「私がこちらに来る前に、すぐに動かせる金子はすべてこちらへもってきております。新たな兵糧蔵や隠し道を作る資金はないかと存じます。」
「素晴らしい!さすが居合殿じゃ!」
祐善が感嘆の声を挟んだ。
「ではさっそくにも動いてくれ!」
「はっ!そこで一つお願いが。」
「なんだ?」
「私が兵糧蔵に火をかけたら、おそらく大膳らは南門から陣へ打って出てくるかと存じます。そこを迎え撃っていただければ北が空きます。そこを私と栃尾殿の部隊が攻めまする。」
「まさに良き策じゃ。その南門での迎撃部隊を正親殿にお頼みしたい。」
「相分かった!」
「我らが藤堂本隊は別働の一揆勢が入っている蔵垣村に攻め込む!」
最初は暗かった軍議の雰囲気が一転し、皆士気に満ち溢れた表情に変化していた。
日が変わって天正九年七月二十三日未明。高虎率いる羽柴勢が行動を開始した。まず最初に小路比村の兵糧蔵から煙が上がった。政煕の見立て通り場所は変わっておらず簡単に作戦の開始の狼煙が上がったのだ。
追い払った翌日に攻撃をされるとは想定していなかった一揆勢は動揺した。心穏やかに眠っていた大膳は跳ね起き、枕元の刀を手に取って部屋を飛び出た。兵糧蔵から上がる火の手を確認すると、含みのある笑顔を浮かべ屋敷を飛び出した。
「お待ちあれ!鎧を、鎧をお付けくださいませ!」
「鎧などいらぬ。もう死ぬだけじゃ。何人と共に逝けるかのぉ!覚悟のある者のみついてまいれ!あの世で信長の首をとる!」
政煕の目論見通り、大膳に率いられた一揆勢は北門から飛び出した。兵糧蔵に火がついてからわずかに四半刻後のことであった。一揆勢は正面に立ちふさがった羽田隊とぶつかった。雪崩の如く迫ってくる一揆勢に一度押された羽田隊であったが、数と鍛錬の差が歴然であった。はじめ二百程いた一揆勢も千の羽田隊に飲み込まれ、残った数は二十もいないほどであった。
すると後ろから栃尾隊が一揆勢を急襲した。後ろを振り返った大膳は全身から血を流しながら跪き、目を大きく開いて自ら命を絶った。享年五十四。改革を恐れ、常に古き良き但馬を守ってきた男の最期はあっけなくもあり凄みのあるものでもあった。
一方その頃、本体を率いて蔵垣村の一揆勢を攻撃中の高虎は、自ら馬に跨り最前線で指揮を執っていた。一揆勢の数が戦前の見立てよりも多く、相手に囲まれては打ち払う、の繰り返しであった。
交戦中、高虎の髀臼に強い痛みが走った。前日に負った傷が痛んだのだ。高虎は痛みに耐えかねて姿勢を崩し、ついには落馬してしまった。好機とばかりに数人の敵兵が高虎の元へ駆けてきた。高虎は立ち上がろうにも痛みで立ち上がれない。
万事休す、高虎はそう思った。
するとその前を一人の騎馬武者が通り、一揆勢を偏になぎ倒したのである。
「藤堂さま、ご無事でございますか?」
声の主は栃尾源左衛門であった。
源左衛門は祐善の次男である。高虎が大屋村に入って初の軍議の場でも同席していたが、ほとんど高虎と眼を合わせることなく不愛想にふるまっていた。なるべく味方に付いた全員と懇意にしたいと考えていた高虎であったが、源左衛門とだけは上手く対話を図ることが出来なかった。それ以降、度々軍議の場で高虎が意見を求めても、そっけなく返すだけで話が深まることはなかった。正直自分は源左衛門に嫌われているのだと高虎は思っていた。
そんな源左衛門が突然目の前に現れ命を救ってくれた。しかも源左衛門は父祐善と共に小路比村攻めを担っていたはず。高虎目の前で起こっている現状がつかめず唖然としたままであった。
「父より許しを頂き、藤堂さまの援軍に馳せ参じ申した!」
「俺のことが嫌いではなかったのか?」
「嫌い、、?嫌いどころか私は藤堂さまに憧れていたのでございます!それゆえに態度がそっけなく伝わってしまったのならば申し訳なく思いまする。」
高虎は苦笑した。昨日まで人を見る目があると思っていた自分が情けなくなった。
「そうか。ありがたい。」
「一度兵を退きましょう。もう今頃には小路比村が我らの手に落ちている頃でありましょう。」
「分かった。」
高虎は源左衛門に肩を預け戦場を離脱した。
陣に戻るとすぐに報せが入った。伝えたのはシュウであった。
「小路比村が落ちたぞ。それを知ってか蔵垣村の者らも降伏すると言っていた。」
高虎は情けなくなった。また自分の手で勝利を得ることが出来なかった。いつでも誰かの実力に支えられての結果。しかも自分の武器である槍働きすらまともにできない体たらく。ついには小さくぼやいてしまった。
「もう限界かもしれんな。」
「何がでございますか?」
源左衛門が問いかけた。
「すべて自分の力でないのに結果だけが出てくる。もうこれ以上前に進むのが怖くなってしまってな。」
「それでよいのではないですか?」
源左衛門は優しく語りかけた。
「どういうことだ?」
「藤堂さまの実力はすべてが藤堂さまおひとりの者ではございませぬ。だれかが支えてくれる。その支えられるということもまた、藤堂さまの実力でございまする。」
高虎は眼が熱くなるのを感じた。誰かに支えられることを悪と捉えていたことに初めて気づいたのだ。高虎はさらに熱くなる目頭を押さえた。
「藤堂さま!もしよろしければ私を家臣の末席にお加えくださりませんでしょうか!」
高虎はむせびながらうなずいた。源左衛門は笑みを浮かべて高虎に深々と頭を垂れた。
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