第13話 槍を捨てろ -三木城兵糧攻め-

 秀吉からの火急の報せを受けた秀長は、新たに秀吉の居城となっている姫路城へと入った。

「兄上!ただいま到着いたしました。何があったのでございますか。」

「秀長!えりゃあことになったぞ!」

「えらいこととは一体なんでございましょう。」

「三木の別所が寝返りおった。」

秀吉は秀長以上に癖の強い尾張弁を話した。いくら出世してもその癖は変わらないようであった。

「なんですと!別所の主はまだ若い長治。しかも聡明であるとお見受けいたしておりました。中国に攻め入ろうという時分に何故。」

「おそらく長治じゃにゃあな。」

秀吉は恨めそうな表情で窓の外を睨みつけていた。

「長治でないとすれば、まさか?」

「そのまさかじゃ。長治の叔父である吉親が裏で手を引いておるに違いにゃあよ。」


「そうおっしゃいますのは?」

「それがの、先月に加古川で開いた軍議でちと口論になっての。吉親が勝手に陣を引き払って帰ってしまったのよ。」

「また兄上が余計なことを言ったのでございましょう?」

「いいやそんなこたあねえ。先の戦からもう三月も経っているっちゅうに兵が出せんち言ってきたんだで、軽く叱ったら出自のことを引き合いに出して言い返してきおった。そっからはもうお互いに覚えてねぇくれぇの罵り合いだわ。」


 秀長は沈黙した。自らの兄の精神的な未熟さと、それが招いた別所家離反という事態に、心を平静に保つのは困難であった。

「兄上、いかがするのでございますか。」

「うむ。別所は東播磨の土豪らほとんどを味方にして三木城に立て籠った。これから攻めるつもりじゃった毛利がその支援をしていると聞く。ここは我ら羽柴隊と摂津の荒木隊で播磨を制圧し、その間に備前の宇喜多殿に毛利の動きを止めてもらうつもりで考えちょる。」

「私を呼んだのは播磨の制圧をいち早く終えるべく部隊を分けるため。」

「さすが秀長だで。策が決まったからにはすぐ動く!佐吉!城内の全将に出立の触れを出してまいれ!」

 部屋の前で待機していた一人の小姓が駆けていく。

「あやつは最近長浜の近くの寺でもらってきたんじゃ。使える男じゃよ。」


 天正六年三月、別所家征伐戦が始まった。事前に播磨全域制圧の策を練っていた秀吉の動きは速かった。秀吉自ら率いる軍勢が加古川城、野口城を落とし、東から侵攻した荒木村重の部隊が魚住城を制圧。わずか二週間にして、西国の畿内を結ぶ西国街道を取り返すことに成功した。その結果、毛利から別所への支援は海の通してのみとなり、別所に味方する東播磨の有力国衆のほとんどが三木城へと入った。


 三月二十九日、秀吉率いる羽柴軍二万七千、荒木村重率いる三千が三木城を包囲した。

「秀長、これより信長様からの援軍二万がこちらへ来る。到着し次第力攻めしようと思うがどうじゃろ?」

「兄上、それは得策ではないかと存じます。これから今上月城を取り囲んでいる毛利主力との直接対決も控えております。むやみに兵を損じることはその戦にも影響を及ぼします。」

「それもそうじゃな。では兵糧攻めということで良いか?」

「その通りでございまする。」

「ならばその差配は秀長に任せる!わしの本隊は油断しちょる毛利軍を急襲して上月城を救う策を練るとする!官兵衛、おるか!」


 自陣へと戻った秀長は、三木城の包囲を盤石にするべく家臣らを集めて軍議を開いた。

「兄上から兵糧攻めの差配を任された。ここまでの城の兵糧攻めは私も初めてだ。皆の考えを聞きながら必ず成功させようぞ。」

 秀長の一言に家臣らは応える。主の手柄のために燃える秀長家臣団は、いつにもなく気合が入っていた。

「良慶、敵の現状をどう考える?」

「三木城は孤立しておりながら、別所の者らの士気は高く籠城をすると考えまする。されど城内には別所の兵だけでなく東播磨の国衆や女子供、さらには一向門徒も入っているいわば諸籠りの状態でございます。毛利や本願寺からの支援は海上からのみでござり、もって半年と心得まする。」

横浜良慶が表情を変えることなく答えた。

「うむ。我らの役目には自軍の兵糧も賄うこともある。正次、どのように差配する?」

「はっ!此度は一つ策がございまする。」

これまで秀長の部隊の兵糧の管理を担ってきた小堀正次は、企んだ笑顔を見せた。


「ほう。策とは?」

「藤堂高虎が栃谷城を落としたこと、殿のお耳にも入っておられますかな?」

「うむ、先ほど使いの者から聞いたところだ。」

「高虎はただいまこちらへ向かっております。高虎にこの戦の武具・兵糧の一切を任せるというのはいかがでしょうか。」

「高虎は戦の表舞台で結果を出した。次は裏方で修行をさせよということか。良き案だ。正次はそれをしっか支えてやってくれ。」

 正次は笑顔を浮かべた。他の者から見れば自らの仕事を若手に任せただけに見えたが、秀長は正次の高虎への高い期待を感じ取っていた。


 到着した高虎は、すぐに秀長と面会した。

「此度の城攻め、まことに見事であった!」

「ありがたきお言葉にございます!」

「すぐにもここに来てくれて有難い限りだ。早速だが高虎に任せたい仕事がある。」

「は!なんなりと!」

「うむ。此度はそなたに武具・兵糧の調達・管理を任せたい。仔細は正次から聞き、教わりながら仕事をしてくれ。ここで言っている武具や兵糧はわが部隊だけのものではない。この城を取り囲んでいる織田軍全体のものだ。頼んだぞ!」

 秀長は軽やかな口ぶりで言い残し陣を離れた。


 高虎は開いた口が塞がらなかった。戦場で再び結果を残したのだ。この別所家との大戦、必ずや槍働きを任されると思っていたのだ。砦や支城の攻略、あるとしても諜報活動であろうと思っていた。

ここに来て再び槍を手放し裏方へ戻るのか。秀長さまは自分の学際を認めたうえで槍働きに加えたのではなかったのか。様々な思いが錯綜した。


 高虎はひどく落ち込み、肩を落としながら自陣へと戻った。

「兄上!いかがされたのですか?ひどく落ち込まれておられるようですが。」

「すまん良勝、我らは前線ではなく後方で物資の補給と管理を担えとのお達しだ。」

「なんと!」

「功を立てる場を作ってやれず申し訳ない。」

「いいえ違いまする!また新たに兄上の才が芽生えるということではありませぬか!我ら家臣団にとっては願ってもないことでございます!」

 良勝は真っ直ぐな笑顔で高虎に訴えかけた。高虎は反省した。自分の可能性を狭めていたのが自分であることに気付かされたのだ。そして、いつも良勝に助けられてばかりである自分を嘆いた。


 覚悟を決めた高虎は、見事に城攻めに参陣した織田軍の兵五万を賄う武具・兵糧の差配に成功した。その差配は同じ役目を担ってきた正次も目を見張るほどであった。


 包囲開始から半年が経過した。良慶の目論見通りとはいかず、三木城はまだ落ちていない。兵糧の補給路が上手く断たれていないことは明々白々であった。

 そんなとき、城の包囲に加わっていた荒木村重が突如として離反。陣を引き払い居城有岡城に引きこもったのだ。一月前には秀吉が上月城を泣く泣く捨て、有岡城へ説得に向かた秀吉の軍師黒田官兵衛が帰らないという度重なる艱難により、織田軍に暗雲が立ち込め始めた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る