第3話 月 日 (人体実験)
これは一つの人体実験である。文章を書くのは楽しい。今までも様々なテキストSNSに書いて楽しんできた。それらは残念ながら終わってしまった物件も多い。
仕事とか諸々のことで今日はとんでもなく疲れている。小さい虫が頭の周りを飛んでいるだけで憎しみを禁じ得ない。この心身ともに萎えて気怠い身体。偏りのない中立な判断力が一切ない状態で文章を書いてみようという試みなのである。
一方、普段はどれだけ腹黒いアイデアが思わず降ってきても基本、平和主義である。なので普段は、度し難い、目を背けそうな題材を扱うことは殆どない。世界と社会はもしかすると平等でなくとも、自ら闇の井戸に落ちて、テントを張ることはない。
青い空が好きなのである。
それにしても仕事場に差す暖かい日差しは忌々しい他なかった。矛盾に満ちたこの感情はひょっとすると文字を編む原動力になっているのではなかろうか、とすら感じる。
時間が経つと落ち着くのだろうか。シャワーを浴びてふくらはぎをマッサージしたり爪を切ったりしたところで、体全体に影響はない。好転もしない。
大好きな音楽をヘッドフォンで聴いている。横になって聴いている。全身が弛緩して思わず寝そうになる。それはまずい。タイマーかけないと。朝が弱い僕はタイマーを三つほどかけないと起きられないのである。
音楽を聴いてじわりと落ち着いてきた。これは、そうだ。身に降りかかった痛手の詳細を忘れつつあるのだ。忘れるという人間が持つ作用は素晴らしい。「止まない雨はない。明けない夜はない」みたいな格言風の言葉は、間接的にそういうことを語っている。
スマートフォンでニュースか何か読もうか。テレビでもラジオでもネットでも、ニュースといえば対処が困難で手に負えない厄介なコンテンツが溢れ吐き出されている。もっと、にっこりで円満なニュースはないものか。
「今日、東京都中野区XX丁目のコンビニの裏にフワフワの赤ちゃん猫が日向ぼっこをしていました」
アナウンサーがこういう記事を読み続けてくれれば、ささくれだった民衆の多くは丸みを帯びるに違いない。少なくとも僕はそうなる。
時計の針が日を跨ごうとしている。誰の許可を得て跨ごうとしているかと思うが、時間と時計に罪はない。
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