デイドリーム
昨日は殺風景なゲストルームだった。
同じ部屋にいるはずなのに、白い壁紙やベージュのカーテンまでキラキラと輝いて見えた。
カーテンの隙間から差し込む太陽の光で目覚めてから、朔良は、かれこれ三十分くらいベッドの中で何もせずにいる。
自分とは違う、もう一つの体温に大切なぬいぐるみのように抱かれていた。
今日まで人間は抱きしめるのに適した形じゃないと思っていた。いま朔良の身体は、隙間なく隣のナツにくっついている。ステージに立っているナツは、いつだって細くしなやかで華奢に見えていたが、実際は無駄な肉を落としているだけで、しっかりと付くべきところに筋肉がある。きっと、普段から歌やダンスのレッスンで鍛えているのだろう。
朔良だって演劇部だったし肺活量を高めるためと、ある程度は鍛えていた。けどナツの引き締まった身体と比べたら朔良の身体なんて、ふわふわの柔いクッションだ。
(気持ちよさそう、だなぁ)
ナツの細い赤茶の髪がサラサラと頬をすべった。カーテンから差し込む朝日に照らされて頭の上には天使の輪ができている。スヤスヤってオノマトペが頭の上に見えそうなくらい、ナツはよく眠っていた。
春といっても朝方は気温が低い。お互い裸で相手の体温が心地よいのかもしれない。
ヘッドボードに置いている灰色のデジタル時計は、朝の八時。そろそろ起きなければ、と時計からナツに視線を戻したときだった。さっきまで気持ちよさそうに眠っていたナツの目が開いて、朔良をじっと見つめていた。
「ッ! ぁ、な、なつ」
「おはよ朔良。よく眠れた?」
朔良の背中にあった手が腰の方と滑った。
思わず口から喘ぎが漏れ、顔を真っ赤に染めてしまう。
「は、はい」
「ずっと目は覚めてたんだけど。起きたくなくて、寝たふりしてた」
「え、起きてたんですか」
「うん。起きてた起きてた。朔良が俺のこと見てる~って思いながら、薄目で見てた」
「も、もう……は、恥ずかしい」
隣で朔良がナツを観察しているのと同じように、ナツもこっそり朔良を見ていたらしい。
「ね、朔良、俺の顔、そんなに好き?」
ベッドの中でアイドルを独り占めしている。そんな夢みたいな状況だった。朔良は口を開けたまま、馬鹿みたいな顔でナツを見つめ返す。
「……す、すき」
「嬉しい。朔良が、そう言ってくれると、この顔で生まれてよかったぁって思うよ」
「ナツって自分の顔、嫌いなの?」
「うーん。嫌いっていうか、自分の顔だな、って感じ。でも遺伝って不思議だよね。確かに父さんと母さんのパーツが全部自分の顔に入っているのに、両親は特別、容姿でもてはやされたことがないし。普通にどこにでもいるおっちゃんとおばちゃんだよ」
「そう、なんだ」
ナツは話しながら、するりとベッドから降りた。
「姉ちゃんも妹もそう、そりゃ身内から見たら世界一可愛い姉と妹だけどね。家族で俺だけ違うから、昔はそれが嫌だったかなぁ。なんか仲間はずれみたいで」
昨日と同じように、ナツの白い背中に、おもわず生唾を飲み込んでしまう。その音がナツに聞こえやしないかと内心ドキドキしていた。恋仲になったからといって、そういう邪な感情が、なくなるわけじゃなかったらしい。むしろ、もっと欲深で切実になっていた。すでに寝た仲なのに全然慣れない。
初めて尽くしの恋で、多分、浮かれている。
(あぁ、こんなんじゃダメだ。嫌われる! はやく煩悩、捨てないと)
ベッドの上に正座して頭を横に振ったタイミングでナツが後ろのベッドを振り返った。
「朔良、俺の家族の話、聞きたい?」
「う、うん!」
勢いよくこくこくと頷くと、ナツは寝起きだというのに爽やかに微笑む。
「朔良のことも、もっと教えてよ。――なんか、昨日は浮かれてはしゃいで、色々すっとばしちゃった気がするし。ホント……煩悩だらけで恥ずかしいなぁ」
「煩悩……ナツが」
「うん、煩悩だらけ。こんなだと朔良に、すぐに幻滅されそうだ」
頬を少しだけ赤く染めて「いつも、昨日みたいにスケベなわけじゃないからね」と言い訳するナツを見て、幻滅どころか底なしの推し沼に落とされていた。
(これが、ギャップ萌え?)
身支度を済ませてキッチンへ行くと、ナツはトースターの前に立っていた。朔良は仕事用のスーツだが、ナツは首元が大きく開いたロゴ入りのカットソーにシンプルなパンツを着ている。
「パン焼いてるよ」
「あ、ありがとうございます」
昨日ナツは『明日のパン買わないと』って言って、スーパーで四枚切りのパンを買っていた。ふと、それ思い出し思わず笑ってしまう。
「コーヒー、僕が作りますね」
「うん、お願い。で、なんで笑ってるの? 朔良」
「ナツが『明日のパン』焼いてるなぁって思って」
キッチンに二人並んで立ち、朔良はコーヒーメーカーに豆をセットする。しばらくすると香ばしい香りがキッチンに漂ってきた。
――同じマンションに住む、アイドルとその代理マネージャー。突然、恋人同士にはなったけど、いわゆるルームメイトみたいなものだろう。キッチンで並んだ瞬間、一瞬、同棲って言葉が一瞬頭をよぎったが、慌てて頭の奥に追いやった。幸せボケで、つい調子に乗りそうになる。
「明日のパンって、ホントに言わない? 訛りは東京に来て矯正されちゃったけど、そういう関西のオトンオカンから受け継がれたものは、抜けないなぁ」
ナツは家族の話をするとき、目元が特別優しくなる。きっと、大事に育ててもらったんだろう。
「仲、良いんですね。家族と」
「うん。両親は実家で飲食店やってる。ここ数年、俺は仕事ばっかりだし、なかなか会いに帰ってないけどね」
「ナツ、家族についてプロフィールで公表してないですよね」
「まぁ物騒な世の中だし家族に何かあったら怖いでしょう。あとはイメージに合わない部分は、事務所が徹底的に消してる。俺は、別に実家が庶民でも全然いいと思うんだけど。働き者だし自慢の両親だよ」
家族の話を聞くたび、段々とナツという人物が浮き彫りになっていく。自分だけがナツの秘密を知って、他のファンを思うと抜け駆けみたいで、申し訳なさもあったが、それでも幸せの方が大きい。
誰かと話すのが心から楽しいと感じたのは、ナツが初めてだった。
「――それで、家族仲良かったからさ、姉と妹が俺に秘密で芸能事務所に書類送ったときは、泣いちゃって」
「え、泣いたんですか」
「そ、二人とも俺のこと嫌いなの! って、家追い出されるみたいに感じて。今思うと、笑えるんだけど、本気で嫌われたんだと思ってショックでさ。妹さ、朔良と少し似てる。国宝級の美形のお兄ちゃんを世界が知らないなんて! とか言ってたし」
「なるほど。そっか、家族がナツの一番のファンだったんだ」
「そう。でも、一人で東京に出てきて、寂しかったなぁ。いつも賑やかな家だったし。最初は、ここに、水谷さんも住んでたんだけどね」
「え……一緒に、水谷さんが」
思わずコーヒーを注ぐ手が止まった。ここは水谷の持ち家で寮扱いだと聞いていた。確かに高校一年生で関西から東京に出てきたナツが、すぐに一人暮らしなんてするはずがない。公のプロフィールでは、十八まで芸能科のある高校に通っていたと書いているし、てっきり、その寮に入ってるんだと思っていた。
「僕、ナツは高校の寮に入ってると思ってました」
「最初は寮に入る予定だったんだけど、水谷Pに、お前が寮暮らしなんて刃傷沙汰になるとか言われてね」
胸の奥で少しもやっとしたものが渦巻いた。
「――確かに、恋愛絡みで事件になりそうだけど」
「朔良は知ってると思うけど、俺、仕事以外じゃ全然芸能人オーラないのに、なんか安全のためって言われてこのマンションに住むことになって。それで、大学入学してからだったかなぁ、水谷さんは出て行ったけど……って、どうしたの? 朔良」
急に隣で静かになった朔良を不思議に思ったのか、ナツは朔良の顔を覗き込んできた。
「……ナツと暮らしてて、水谷さん血迷ったりしなかった、の」
恐る恐る言った朔良を見て、ナツは目を丸くした。
水谷はゲイじゃないと分かっている。分かっていても頭に浮かんでしまう。
疲れたら、ふにゃふにゃになって、甘えたになってしまう愛らしいナツを見て、邪な気持ちになったりしなかっただろうか。家族と離れて暮らす寂しがりなナツが、水谷に擦り寄ったりは、しなかっただろうか。
血迷ったから、水谷は家を出たんじゃないか、なんて極端な思考回路になってしまうのは、多分、朔良がナツに対して特別な気持ちを持っているから。
違うと分かっていても想像してしまうのは、それくらいナツを好きだからだ。
「あ、もしかして、妬いてる」
「それは……好き、だし。昨日だって、水谷さんと親しげだったから」
もごもごと嫉妬を口にしていた。ナツと一緒に暮らしていた水谷は、ナツのことを知り尽くしている仲なのだろう。
「嬉しいなぁ、けど、水谷さんは、俺みたいな手のかかる餓鬼が大嫌いが口癖だったし、あと巨乳が好きみたいだよ。よく部屋に女の人連れ込んでたし。もう若い青少年が、どれくらい隣の部屋でドキドキしてたかっていうと――」
この家に女を連れ込んでいたと聞いて眉を顰めてしまう。自宅なんだから別に水谷を非難できない。
「ナツが無事で良かった」
この年までナツが悪い年上のお姉さんの毒牙にかからず童貞だったのは、奇跡とか神様のご加護があったからなんじゃないか、なんて思った。
*
昨日のうちに、朔良のスマホには今週のナツのスケジュールと業務連絡が入っていた。例の葬儀のとき一度だけ顔を合わせたASKETのマネージャーが優秀なのか、あるいは朔良が信用されていないのか、移動にかかる所要時間や、各種交通手段、仕事相手のプロフィールが、きちんと引き継ぎされていた。
十時頃、地下駐車場の社用車に乗って、ナツと撮影スタジオに向かった。
朔良は当たり前のように運転席に座り、ナツを助手席に乗せたが、走り出すまでナツは助手席でそわそわと落ちつかない様子だった。
「ね、朔良、本当に、運転任せていいの? 無理してない?」
「うん。車にナビ付いているから、大丈夫」
「なんか意外っていうか。運転得意なんだ? 俺、免許持ってるけど、知ってるところじゃないとダメだなぁ。あと都内とかはタクシー呼んじゃうし、あと、バスとか電車の方が好き、時間通りに来るから」
そういえば昨日、ナツは路線バスに躊躇なく乗っていた。
「僕は車の運転全然抵抗ないよ」
「へぇ朔良が運転上手で助かる。普段も乗ってるの?」
昨日はナツの大学について行っただけだったし、送迎で、やっとマネージャーらしい仕事が出来て安心した。
「うん、あと休みとか、よくハワイで運転してたよ。だから知らないところでも、全然平気」
「ねぇ……それ笑っておいた方がいい? 『ハワイで親父に』って奴ですか?」
某推理アニメで主人公が得意げに言っていたシーンが浮かんだが、実際ハワイによく連れて行ってくれるのは母親で、父親には何も教わったことがない。よくある家庭料理などは、いつも母と一緒にマンションに顔を出していた崎田に一通り教えてもらったが、得意かと言われると人並み程度だ。
「ウケ狙いじゃなくて本当。親父に教わってもないよ。ハワイは母親と長期休みとか、よく行ってて」
「なるほど。いいなぁ俺もハワイ行きたいなぁ、一人で行っても楽しくないし」
「ASKETのメンバーと旅行したりしないんですか」
「うん。お仕事だけ、仲はいいけどプライベートは関わってない。でも”ケイ”と”エディ”は、いつも遊んでるから羨ましいよ。言ったことないけど、いつもASKETの末っ子は、寂しく思ってる」
「ナツは末っ子ポジなんだ」
「そ、メンバーに大事に可愛がられてる。みんなと、もっと仲良くしたいって思うけど、そこは、まぁ、お仕事だから、寂しいけど線引きしてる感じ」
「そっか」
「そうだ、ね、今度一緒に行こっかハワイ。そのときは銃の撃ち方教えてよ朔良」
ちょうど信号が赤になり隣を向くと、ナツに冗談めかしてウインクされた。
やっぱり、ナツには自然に自分のことを話せていた。 本当の自分を伝えても、一歩引かれたり、逆に過剰に興味を抱かれることもない。
「ご期待に添えず申し訳ございませんが、拳銃は撃ったことないよ。昨日も思ったけど、ナツって、もしかして漫画とかアニメ好き?」
「うーん、世間一般の日本の男の子が好きなエンタメは一通り好き。部屋に漫画とかゲームもあるし。昨日も一緒にプレステしたかったんだよねー。今日、仕事終わったら一緒にどうですか?」
「僕、下手だよ。怒らない? 友達と家でゲームとかしたことないし」
「怒らない怒らない。二人で遊ぶのが楽しいの」
ナツといるのが、楽しくて、幸せ過ぎて怖くなり、思わず大きく息を吐いた。
「はぁ……ホント、僕、車の運転得意で良かったな」
「どうして?」
「だって、僕、代理マネージャーだよ。ここに何しに来たかわかんなくなる。幸せ過ぎて、怖い」
つい忘れそうになる。自分が吐いている嘘や、水谷の仕事でナツのそばにいること。本当は、この仲だって綱渡りのように不安定で不確実なものだってこと。
「朔良、推しと寝に来たみたいに思ってる? 俺といるのが後ろめたい?」
「そ、そうじゃなくて。……いや、そう、なん、だけど」
「耳真っ赤」
「だって……」
信号が再び赤になって止まったときだった。助手席から朔良に顔を寄せ、そっと耳元で囁かれる。
「ねぇ、朔良、また、昨日の続きしようね」
「き、昨日の、つ……づき」
「うん。エッチなこと、俺、ちゃんと勉強しとくから」
「え、ナツが……えっちなことの勉強。だ……だめ。待って、は、鼻血出る」
「えー何、想像してるの? 大袈裟だなぁ。男同士は勉強要るでしょう」
「ぜ、全然、大袈裟じゃないよ! 大したことだよ! あぁ〜〜僕、運転得意なのに、事故起こす!」
「事故起こしちゃうくらい、俺のこと好きってことかー」
「喜ばないでください! もうナツ、着くまで何も言わないで。心臓破裂するから」
「えーどうしようかなぁ」
ハンドルを握っていた手に力がこもっていた。手のひらには、じわりと汗が滲んでいる。
ミラー越しに幸せそうに微笑むナツが見えた。
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