第33話「ふざけた訪問者」

 日付を越え、真夜中。悠は人のいなくなった夜――午後七時くらいにトイレから移動し、三階の教室で仮眠を取っていた。


 場所は明石が殺害された教室の隣。


 柵を越え、上った先は綺麗なもので明石の教室周辺だけが柵で覆われていた。だが、隣の教室は普通に使用しているらしく、そこまでは柵に覆われていなかった。おかげで、二階の階段前の柵と三階の柵と二回柵をよじ登る羽目になった。


 ちょうどいい疲労感で心地よく眠ることは出来たが、損した気分だ。


 夜の教室、椅子を並べ眠っていたが、悠が目を覚ますとすでに夜中の二時になっていた。


 椅子から起き上がり周辺を見回すが月光が教室に差すだけで、明石はまだ戻ってきていないようだった。


「ちゃんと戻って来るんだろうな……」


 あの三人の幽霊――芹沢、河合、明石の中では彼女が一番結のことを心配している――いや、執着していた。さすがストーカーと言うべきかもしれない。なので、結が死なないためにしているこの撮影にやって来ないというのはあり得ない。


 だから、大丈夫なはずだった。だが、幽霊といえど人間の心に絶対というものが存在しないことも悠は幽霊を通してよく知っている。


 それだけに一抹の不安はあった。


「教室に行くか」


 時間までは三十分以上ある。余裕をもって教室に入っておこう。


 悠は寝ていた椅子を元に戻し、教室を出る。身体が変な風にバキバキになっている中無理やり動かす。椅子で寝るものじゃない、と若干後悔する。


 廊下は真っ暗だった。その中で赤いランプだけがぽつん、ぽつんと二つ光っている。まるで血のようで気味が悪い。除霊師なんていう特殊な家系でもなければ、怖くてしょうがなかっただろう。


「さて、と。もう一回超えるか」


 悠は真っ白な鉄製の柵。自分の身長よりやや低いそれを悠はよじ登る。向こう側に降り立ち、教室に向かった。


 あんな柵でもなければ殺人があったなんて誰も思わないだろう。それこそ数年後には普通に教室として使われているんじゃないだろうか。それとも、この学校はお金はあるから完全に潰す可能性もある。


 悠はかつて明石が殺害された教室の引き戸を開け、中に入った。


 教室で一人の人間が死んでいることを知っているせいか、教室はやたらと妖し気に見えた。教室内に降り注ぐ月光が妖しさに一役買っている。


 教室中央まで行くと――


『そこで撮るのか?』


 ふいに後方から明石の声が聞こえ、悠はびくっと肩を震わせた。一瞬にして跳ね上がった心臓の音を無視し、悠は後方を振り返った。


「一体、どこに行っていたんだ? 随分遅いじゃないか」


『結のところと剣道場を少し……。みんな元気そうでよかった』


 死後は生前よく知っていた場所や知っている人物の場所に行きたくなるのだろうか。分からなくもないが理解は出来ない。幽霊となった身で行ったところで、自分の居場所などなく空しくなるだけだ。


「ふーん……。まっ、いいや。さっそく撮影しよう。時間もちょうどいい」


 スマホをの時間を見ると、すでに時刻は午前三時近くを表示している。


「撮影開始だ」


 悠は神崎に対する最終警告のため、八月二十七日のこの時間、『幽霊告発』の最後となる動画の撮影を開始した。



 毎日の様に悠は警告文を神崎に送っていた。


『黒須結を標的にするのはやめろ。殺せばお前も死ぬぞ』


 似たような文を毎日を送っているが、結果は芳しくない。『殺人鬼を告発します3 ~最終警告~』と題し、動画も投稿したが、果たして神崎のもとに届いているのか。


 動画のURLを警告文と一緒に送っているが、見ているのかは怪しい。なにしろ一切返事がない。うんともすんとも言わないのだ。


 じりじりと焦燥が悠を包んでいた。いつ、神崎がまた家に侵入してくるか分からない。結に手を掛けるのか、その準備をしているのか――芹沢たち幽霊から結と神崎が遊んでいる様子を聞く度にひやひやだった。


 かといって結を神崎と遊ぶなと言うことも出来ない。表面上、悠と神崎はなんの接点もない。それこそ駅で話しただけの関係になっている。そこに何か話したことを匂わせれば、結のことだ、神崎に問い詰める可能性がある。そしてその行動は神崎にとって絶好のチャンスになりかねない……。


 そんな八歩塞がりとも言える状況で、ついに神崎が家にやってきた。しかも、結に誘われるという形で。なにがどうなったら、つい先日まで侵入することしか出来なかった家の住人に誘われて入ることが出来るのだろう。


 窓の外は曇天だ。今にも雷雨が来そうな気配をひしひしと感じる。そんな中で悠はベッドに座り、ぼそりと呟いた。


「つくづく惜しい人材だ。大人しく従ってくれれば有益な存在だったのに……」


『お前、なに言ってるんだ。早く神崎を止めろ。本当に殺されるじゃないか』


 慌てた様子で明石が悠の部屋にやってきたのがつい五分ほど前。そのすぐあとに家のチャイムが鳴った。


 結の楽しそうな声と神崎の声が聞こえ、結の自室に入ったのが分かった。今は、神崎一人が部屋の中にいるようだが。


「そうは言っても、ここで出て行って何を言えばいいんだ。『こいつは殺人鬼なんだ』って言うの? 僕の方が頭がおかしいと思われる」


 そうなってしまえば、ますます神崎の凶行を止めるのが難しくなる。やはり、確信的な行動に出るまでは待つしかない。それまではすぐに助けられるようにしておけばいい。


「僕はすぐに助けに入れる準備はする。君達幽霊は、神崎が殺そうとする行動に出たら止めろ。それくらいの力はある」


『……助けなかったらお前を呪い殺すからな』


「そんなことはできないよ。姉さんが死んだら、生きている意味がない」


 暗に自殺することを仄めかすと、明石は「ふんっ」と言って、結のもとへと戻って行った。


「神崎は今日殺すつもりなのか……?」


 すでに警告は三度出している。細かいのを合わせるともっとだ。ここまでやってダメなら殺すしかないだろう。


 神崎は悠のことを子供だと侮っている。まさか自分を殺そうと思っているなんて気付かないだろう。


 悠は来ているパーカーにそっと折り畳みナイフの刃を忍ばせた。神崎も人間だ。決してその身体まで化け物なわけじゃない。足を刺せば動けなくなり、喉を刺せば致命傷になる。


 神崎を殺害するイメージを膨らませていると、隣の部屋の扉が開いた音がした。少しして、二人分の声がしてくる。


 悠はそっと部屋を抜け出し、結の部屋の扉に耳をつけ、中の様子を探る。


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