第3章「満たされた殺人鬼」
第20話「不思議な目」
七月下旬、雪は結の家の前にやって来ていた。夜とはいえ生温い風が頬を撫でる。芹沢を殺した時と同様に、深夜のランニング姿だ。上はジャケット、下はショートパンツに七分丈タイツ姿。靴はランニングシューズ。
あの時と同様に荷物は何もなくポケットに忍ばせた折り畳みナイフとスマホだけ。他には何もない。
「この家も大きいわね……」
既視感のある光景だった。芹沢を殺した時のことを思い出す。もっとも今日は誰かを殺すつもりはない。ただ情報を探りに来ただけだ。
白く真四角な家。なんの偶然か家の形まで似ている。この家が流行っているのだろうか。
すでに家の電気は点いているのが窓からも分かる。芹沢の時は呼び出して招き入れてもらったが、今回はそれが出来ない。かといって、空いている扉もない。
しかし、事前の調べで一箇所だけ開いている場所がある。どういう習慣なのかは知らないが、トイレの窓だけは開いているのだ。中の人間が起きている時だけであるが、格子もない窓は入り込むのに充分だった。
道路から門扉を越え敷地内に侵入する。
監視カメラもあるため、迂闊には近付けない。特に玄関は映り込む可能性があるため、端の方から回り込む。家と塀の狭い間を通っていくと――目論見通り半分ほど開かれた窓があった。
上下に回る回転扉、普通であれば入り込むのは困難だが、雪には不可能ではなかった。
窓の下まで行き、ポケットから革袋を取り出し、手に嵌める。雪の身長よりもわずかに高い場所にある窓にしがみつき、そっと中の様子を窺う。誰もいない、入るなら今の内だろう。
胸が少々邪魔だが行けないことはない。猫のようにしなやかな身体で雪はするすると入って行く。胸がつっかえるが大きく息を吐き出し胸を凹ませる。通りきったところで息を吸い、トイレの蓋にゆっくりと手を付き、身体を支えながら降りて行く。
全身が出たところで身体を曲げ、ストっと床に足を付いた。
侵入成功。あとは結の部屋に行かなければならない。
トイレの扉、そこにそっと耳を付ける。誰の声も聞こえない。結と悠くんが帰って行くのは見ているため、中に居るのは分かっている。それに、彼らの父親と母親は長らく家を空けていることも。
雪はそっと扉を開ける。
今まで侵入した家と異なり間取りまでは把握していないため、結の部屋がどこにあるのかも分からない。逃げる時のことを考えると、二階から順繰り見て回った方がいいだろう。最後には玄関から出て行けばいい。家の中に長居すればするほど、雪自身の集中力も切れ、見つかりやすくなる。逃げやすい場所は最後の方がいい。
トイレの真正面にはちょうど二階へ上がる階段がある。雪は足音を立てないように素早く階段を上っていく。一階は人の気配はしなかったが二階は違っていた。
二階に上がると扉が三部屋並んでおり、扉の隙間から明かりが漏れいている。手間の二部屋には誰かいるようだ。
一番奥の部屋から探ろうと二階の廊下で歩を進めると――手前の部屋の扉ががちゃ、と開いた。
運が悪い。しかも逃げ場がない。戻ることも進むこともできない。どうしたものか。
「……お姉さん、誰?」
出てきたのは結の弟――悠だった。小学生の男の子。さらり、と女性のような艶やかな髪を揺らし、ぱちぱちと大きな黒目を雪に向けている。
殺すのは色々と面倒がすぎる。せっかくの楽しみ――雪を殺害するというのが難しくなる。今日、結を殺すつもりはない。そういう気分ではない。
「――君のお姉さんのお友達なんだけど……、悠くん、だよね?」
「うん。姉さんのお友達?」
「そう。お友達。悠くん、ちょっとお話ししたいから部屋の中に入ってもいい?」
雪は屈んで悠と視線を合わせる。すると、ふいっと視線を逸らされてしまった。男の子にしては可愛らしい見た目の通り、引っ込み思案なのかもしれない。目が伏せられ考え込んでいる。
あまりここで長居すると結が出てくる可能性がある。雪はじりじりとした思いで悠の返答を待った。
「……いいよ」
悠が部屋の中に戻って行く。
雪はふう、と息を吐いた。こんなに上手く行くとは思わなかった。かなりラッキーだ。怖がって泣かれるか、騒がれるか。最悪の想像もしたのだが、取り越し苦労に終わったらしい。
雪は悠の後を追って彼の部屋に入った。ベッドに勉強机、ローテーブル、ぬいぐるみ……。男の子にしては簡素で散らかっていない。ぬいぐるみがあるのも、この位の男の子にしては珍しい。
クローゼットもあるがその前に段ボール箱があり、あまり使った形跡がない。服とかにはあまり興味がないのだろうか。
パタンと雪が部屋の扉を閉めると、悠が部屋の鍵を閉めた。その行動に雪は微かな違和感を覚えるも、すぐに消える。
「――お姉さん、強盗?」
ベッドに座った悠は雪の目を見ながら、堂々とそう訊いてきたのだ。
「なに、言っているのかな? 悠くん」
「あれ、僕の名前言ったっけ」
「お姉さん――結ちゃんから聞いたのよ」
「ふーん……。ねえ、なんで靴履いているの? それになんで僕の部屋に入りたかったの?」
中々鋭い所を付いてくる。不審者同然、というか不審者そのものなのだから、当たり前な話ではあった。しかし、ここまで分かっている子供がなぜ、部屋の中に入れたのだろう。
誤魔化してもバレバレなのだから、本当のこと言って逃がしてもらうか。今回は間が悪すぎた。今までが上手く行きすぎたのだ。
「悠くんは賢いねえ。そうだよ、私は強盗犯。でも、悠くんに見つかったからね、逃がしてくれたら何も盗らないよ」
じっと、彼の黒すぎる瞳が雪を見つめる。なんだか悠の瞳は他の人間の目と違い、深く感じる。次の瞬間には吸い込まれそうになる。不思議な目だ。
「……本当?」
「本当、本当。まだ、何も盗んでいないからね。でも、私も捕まりたくはないし――ここで警察やお姉ちゃんを呼んだら、お姉ちゃん殺しちゃうかもね?」
「お姉ちゃん」という単語に悠は肩をビクッと震わせる。顔を俯かせベッドから降りる。雪の近くまでくると服の裾を掴んで、顔を上げた。その目は涙で濡れている。
「姉さんは、だめ」
「うんうん。だから、私を逃がしてくれれば――」
コンコン。悠の部屋の扉がノックされる。
「悠ちゃーん。部屋に入れてー。少しお話ししたいんだけどー」
紛れもない結の声だった。声自体を聞くのは電車で偶然彼女を知って以来。
「……ちょっと待って」
悠は雪を見上げたままだ。
「本当に殺さない?」
「もちろん。見逃してくれたら、私はさっさと逃げるからね」
「――分かった」
決意の籠った目で悠は雪の提案に乗った。随分と姉想いな子らしい。姉も弟も可愛らしい。ペットにしたくなる。
「お姉さんはそこのクローゼットの中に入って。僕は姉さんがこの部屋に入って来ないようにするから。あとは上手く逃げて」
「ありがとう悠くん」
雪は感謝の意味を込めて彼の頭を撫でると、パシンと叩き落とされる。彼の容貌や雰囲気とあまりにかけ離れた動作に、一瞬呆然とする。悠の目は子供とは思えないくらいに雪を睨んでいた。
「僕に触んないで」
「ああ、ごめんね。悠くん。あ、お姉ちゃんが泣いてるよ」
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