第17話「剣道少女は知らない」

 まだ放課後になっていない校舎内は静かなものだった。一旦どこかに隠れなければならない。


 いくら保護者といえど授業中の校舎内を歩いているのはいささか怪しい。裏口からすぐ近くにあった女子トイレに入り、中に籠る。


 ポケットに突っ込んでいたスマホを取り出し、時間を確認する。


 十四時五十分。そろそろ小学生が下校する時間が近い。今回の標的である明石――中学生が下校する時間はそれから三十分程あと。明石の場合はそこからさらに部活があり、終わるのは十九時前後だ。


「ちょっと長いわね……」


 発見を遅らせるため、明石は部活終わりに教室へ呼び出してある。依頼主経由で手に入れた電話番号を公衆電話から非通知で掛けたのだ。


 別の場所に呼び出すことも不可能ではなかったが、普段と別行動を取り、怪しまれるのはまずい。彼女の行動範囲の中で、なおかつ呼び出せる場所。それでいて、雪が侵入し殺害も出来る場所。


 結果的に殺害場所は学校に決定した。


 明石はよほどストーカーしていることがストーカー対象にバレたくないようで、バラされたくなければ、という簡単な脅しにも屈した。


 放課後、明石は雪の言う通り、誰にも見られないように自分の教室にやってくるはず。


 ただ、時間が長い。あと五時間はある。


 雪は息を潜め、長い長い潜伏を開始した。



 数度の鐘が校舎内に響き、トイレ内も暗くなってきた頃、ようやく時間は十八時四十分になっていた。


 何度か人が入って来たが今はいない。個室トイレの中で時間を見たスマホをポケットにしまい、立って伸びをする。


 暇つぶしに電子書籍で小説を読んでいたが、一冊丸々読み終わってしまった。生徒や教師の声は聞こえるものの基本的に静かな環境で思いがけず読書が進んだ。


「さて、もう来てるかしら?」


 いつもの折り畳みナイフはパンツのポケットに入っている。殺害予定場所である明石の教室には彼女を呼び出し済み。準備は整っている。あとは殺害するだけ。


 雪はトイレ内に人の気配がないことを確認して、扉を開けた。


 ここからはなるべく目撃されないことが望ましい。いくらマスクを付けていると言えど、この時間に保護者がいるのも少々変だ。かと言って教師のふりも無理がある。最悪の場合は目撃者を殺すしかないだろう。


 殺すこと自体はいいのだが、後始末が面倒なのと時間のロスに繋がるため、出来るだけ避けたい。本丸の前に時間を食ってこの機会を逃してしまっては面倒だ。


 雪は慎重に歩を進める。トイレから廊下に顔を覗かせると長く薄暗い廊下が続いていた。時間が時間なためか人はいない。


 胸が高揚する。誰かに見つかる危険性は高い。暗闇だからすぐに顔の判別はつかないだろうが、挙動不審になると一気に怪しくなる。


 校内の地図は頭に入っている。この廊下を真っ直ぐに進んで突き当りを右に曲がり、渡り廊下を通り、別校舎に移って廊下をさらに奥まで進む。そこからさらに三階まで上に階段を進んでようやく到着だ。この校舎大きすぎるのだ。


 静かな廊下をもくもくと歩く。夕闇の中を進んでいくと、生徒の声があちこちからし始める。上の階にはまだ生徒がいるらしい。あとは外か。


 人はいない。きゅきゅとリノリウムの床を歩く音が廊下に響く。


 廊下の一番奥まで到着する。あとは右に曲がって真っ直ぐ。曲がり角の前の階段に隠れ、様子を窺う。生徒が一人いたが、階段を上ったのか姿がなくなる。またいつ誰が通るか分からない。


 雪はすぐに廊下を進んだ。


 渡り廊下に出て、外の風が雪の身体を包む。生温い肌に纏わりつくような風。幽霊でも出てきそうだ。


 もし幽霊が出てきたら、すぐに呪われるだろう。今まで殺してきた人数を考えれば当然だ。気付かないだけで、肩には大量の幽霊が乗っているのかもしれない。


 雪は自分の想像にくすっと笑う。大量の幽霊を肩に載せ、新たな殺人をしようとしている女性――まるで死神だ。


 明石にとっては間違いなくそうだろう。


 別校舎に入り、外の声――部活生の声が遠くなる。シン、とした廊下が雪を出迎える。


 雪は淡々と廊下を進んだ。こうもまったく人と会わないと、別世界に飛んだような気分になる。


 廊下奥に到着し、階上の様子を窺う。階段が一番の難関と言える。なにしろ隠れる場所がない。とくに踊り場はどうしようもない。


 ……音はしない。雪は階段を上り始めた。


 二階――三階――と上り、ようやく目的地に到着する。教室の扉は開いていない。


 上を見ると『三年一組』のプレートが見える。明石の教室だ。


 雪はためらいなくガラッと、教室の扉を開けた。中に人はおらずわずかな夕陽が教室を照らしている。


 いくつも並んでいる机と椅子。ホワイトボードがあり、教壇がある。後方にはロッカーがある。広い教室、懐かしい雰囲気だ。雪の頃と違い、黒板ではなくホワイトボードなのは新鮮味があった。今時の教室を雪は興味半分で眺め、中央に移動する。


 スマホを取り出し、時間を確認すると十八時五十九分だった。ちょうどいい、そう雪が思っていると――


 ガラッ、と教室の扉が開いた。


 扉の方を見ると、意志の強そうな女子生徒が立っていた。明石瀬里奈、これから殺す対象だ。



 制服姿の明石は目を鋭くさせ雪を睨んだ。何も言わずにいると、明石は教室の扉を閉める。後ろ姿が見え、ポニーテールが揺れてるのが目に入った。


 彼女は再び雪の方を振り向くと険しい顔で様子を窺う。


 先に口を開いたのは雪の方だった。


「明石瀬里奈さんね」


「はい……」


 不満そうな顔で彼女は頷く。


「こっちへいらっしゃいな」


 雪は教室中央の椅子に座った。立ったままでは襲いにくい。剣道部だというのだから、運動神経は悪くないはず。やり方を間違えると返り討ちにされる可能性もある。


「あの、なんで、私がその、結のことを尾けたり、物をコレクションしていることを知ってるんですか」


「座ってくれたら話すわ」


「……分かりました」


 渋々と言った様子で明石は雪の方へやってくる。正面の椅子を引き、座った。


 雪はマスクを取った。これから運動になる。マスクしたままでは動きにくい。


 向かいに座った明石は警戒している様子だった。当たり前な話ではある。こんな時間に、しかもどう考えても部外者が学園の中に入ってきているのだから。


「誰の保護者なんですか?」


「え? ああ、これ?」


 首に掛けていた保護者証を持ってふりふりと振る。


「偽物よ。私はこの学園の関係者じゃないわ」


「は? じゃあ、勝手に入ったってことですか?」


「当たり前じゃない。関係者でもない人間が正面から入れると思う? 常時警備員だっているようだし。強引になら出来なくもないけど、そんなことしたら、ここであなたとはこうして会えていないわね」


 明石はますます警戒心を強めたようだった。身体が少しだけ遠ざかる。


「……昨日、電話してきた内容、どうやって知ったんですか」


「どうやってだと思う?」


 意味ありげに笑うと、明石は眉間に皺を寄せ、不快そうになる。


「知りませんよ」


「ふふっ、正解は私も知りませーん」


「はっ? ふざけてるんですかっ」


 どうやって自分の悪行を知ったのか、彼女にとっては余程大事らしい。立ち上がり、雪を睨む。


「どうどう、落ち着いてよ。明石瀬里奈さん。理由を説明してあげる」


 明石は素直に座る。


「私もどうやって知ったのかは本当に知らないのよね。なにしろ、頼まれただけだからね」


「誰にですか?」


「さあ、私は名前も性別も知らない。ネットの極めて薄い繋がりだもの。私は面白いから乗っかているだけ」


「……っ」


 雪意外にも自分の秘密を知られてる、と知って、明石は苦しそうだった。唇を噛み、忙しなく手を組んでいる。


「その相手は何を望んでいるんですか」


「ん?」


「私が何かをしないとバラスすのでしょう?」


「んー、まあ、そうね」


「もったいぶらずに早く教えてください。あなたもその為にわざわざここまで来てんですよね」


「ええ、そうよ――」


 雪が立ち上がると、ビクッと明石の肩が震える。その反応は正しい。今から彼女を殺そうとしているのだから。ポケットに両手を突っ込む。彼女から見えないように折り畳みナイフを取り出し、背中でナイフを取り出した。


 ひんやりとした感触が手に伝わる。


「あなたになら簡単に出来ることよ」


「簡単に……?」


 明石は何をすることになるのか戦々恐々としているようだった。まったく想像がつかないのだろう。


 思い付きはしないだろう。殺されることなど。


 考えるためか明石がわずかに下を見る。雪はそれを見逃さなかった。素早く腕を動かし彼女の肩を掴むと――驚く明石の喉を横からナイフで刺した。深々と肉を裂き、ナイフが彼女の喉に刺さる。


 手が噴出した血で染まり、汚れる。


「これくらいはしょうがないわね」


「な……」


 見開かれた目が雪を見る。驚愕、恐怖、不安――色々な感情が明石の瞳には見て取れた。死の間際というのは、ジェットコースターのように感情が変化するらしい。最後まで落ち着いている者を見たことがない。


「これが依頼内容なの。あなたを殺すようにって。罪状はストーカーって言ってたわ。心当たりあるでしょ? そのせいで私の前までノコノコやってきたんでしょうから」


 明石の目が開かれたまま動かなくなる。


「あら、もう死んじゃったの。残念」


 ナイフを刺したまま彼女の背後に回る。身体を机に突っ伏せさせ、ナイフを抜く。噴出した赤黒い血が机を濡らし、垂れて床に広がる。


 雪の仕事はまだ終わりじゃない。


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