第15話「カッターナイフ」
夕方を通り過ぎ、窓の外はすっかり暗くなっている。経理部のオフィスに咲季の泣き言が響き渡った。
「雪さん、すみませーん」
「いいのよ。ここで待たない方がいい?」
「いえ、あの近くで待っていただけると仕事が捗る気がします」
「そう……、飲み物買ってきてからでもいいかしら」
「大丈夫ですっ」
咲季は血気迫る勢いで、PCに立ち向かいキーボードを打っている。彼女曰く、ゴールデンウィーク中に溜まった仕事数日掛けてこなしたはいいものの、その分通常の仕事に影響が出たらしい。表向きは土日をきっちり休むこの会社――休日である土日に出勤し、仕事をこなす者はいる――咲季は月曜日までに済ませないといけない仕事があるらしい。土日にその仕事を残したまま、飲みに行くのは嫌だったのだとか。
気持ちはわからなくもない。どうせ飲みに出掛けるのならばスッキリとした気分の方がいい。
雪は咲季の席以外は真っ暗なオフィスを出て、暗い廊下を進む。経費節約のためか、夜はすぐに電気が切れてしまう。その中を煌々と明かりを照らしてる自動販売機まで歩く。
それにしても困った。咲季の仕事は今日中に終わるだろうか。依頼主には今日中に殺すことを明言してしまっている。だからといって、咎められるわけではないのだが――一度決めたものをひっくり返すのは、己の能力不足を問われているようで、気分がよくない。
自動販売機に辿り着き、雪と咲季二人分のブラックコーヒーのホットのボタンを押す。ガコン、という音ともに二本の缶が取り出し口に落ちてくる。
二本の缶を持ちながら、雪は思った。
ここで殺してしまおうかしら。
缶はやや熱いため胸と腕で抱えつつ、経理部に向かう。
経理部には、今、咲季以外には誰も残っていない。オフィスに監視カメラがあるわけでもない。しかも時代遅れなことに廊下にすらないのだ。
仮にここで咲季を殺害したとして――警察に疑われないだろうか。
警備員もいる。しかし、結構ざるだったはず。真面目にやっているようには思えなかった。しかも、一人しかいない。
「いけるわね……」
雪は一度会社を出ている。咲季と会社ではなく、外で待ち合わせしていたのだ。本来の時間になっても来なかったので、連絡すると残業に苦しめられていたのだ。なので、遅い時間に戻ったのだがちょうど見回りだったのか、警備員の人間とはすれ違っていない。
状況は奇跡的とも言えるほどに噛み合っている。それに警備員に見られたところで殺してしまえばいい。さほど問題ではない。
凶器は例の折り畳みナイフが本当は良いのだが、家に誘い込んでから殺そうと思っていたので持ってきてはいない。だが、手袋をして会社のハサミやカッターで殺せば問題ない。
あれこれ考えているうちに、経理部のオフィスに辿り着く。
真っ暗なオフィスで咲季の席にだけスポットライトのように明かりが点いている。彼女は必死に業務こなしているようだが、雪には一種の舞台にしか見えなかった。舞台の上で劇をこなす主役。これから始まる物語は彼女の死に様だ。
「咲季ちゃーん。はい、これ差し入れ」
「あ、ありがとうございますー」
今にも泣きそうな表情で彼女がコーヒー缶を受け取る。
「ふふっ、大げさね」
「いえいえ、ものすごく助かります。何も飲まないと気付かない内に眠ってそうで……。カフェインは有り難いです」
「気持ちは分からないでもないけどね……。どう、進んでる」
「はいっ。あと一時間程度で……。申し訳ないんですけど、雪さんそれまで待ってくれますか?」
「もちろん、いいわよ。それくらい。今日は咲季ちゃんと飲む気分だったんだもの。あなたがいなきゃ意味ないわ」
「雪さん……」
「さあ、早くやっつけなさいな」
「はいっ」
咲季は威勢のいい返事をすると、ごくっとコーヒーを飲んだ。そして、そのままPCに再び向かい始める。
雪はじっと咲季の様子を窺いながら考える。すっと立ち上がるが咲季はとくに雪を見ない。雪は経理部のデスクをそれとなく眺める。
咲季の斜め後ろのデスク――丸い文房具立てにカッターナイフが入っているのが見えた。
雪は咲季の方を見つつ、カッターナイフのあるデスクに移動する。咲季は業務をこなしている。すっとカッターナイフを手に取り、スーツのポケットに入れる。
パラパラと窓に当たる雨音に気付き窓の外を見ると、ビル群の明かりを背景に雨が降りしきっていた。
殺人には雨が似合う。雪が殺人をする時には、決まって雨が降ることが多かった。雨音にかび臭い匂い。最初に両親を殺した時にも雨が降っていた。さらに言えば雷雨だったのを覚えている。
雪は舞台に躍り出た。スポットライトの様に光る蛍光灯の下――咲季の背後に回る。ポケットの中で、音を立てないようにカッターナイフの刃をカチ、カチ、と出していく。
雪はカッターナイフを取り出し――その鋭利な刃を咲季の首筋に突き立てた。カッターナイフを持っている手ごと空いている手で覆い、飛んでくる血を防ぐ。
「かはっ」
声にもなっていないゴポゴポとした音が咲季の口から漏れる。
「あら、意外と元気ね。もっと刺した方がいいかしら」
咲季の手がカッターナイフを持っている手に触れようとする。雪はそれを冷たく見下し――さらに強くカッターナイフを押し込んだ。ずぷずぷと刃が彼女の中に埋まっていく。
だらん、と咲季の手は垂れ下がる。
まだ息はあるように思えた。どうせならひと思いに殺して上げた方が苦しまなくて済むんだろうが、雪にとってはどうでもよかった。
「いい感じね」
ぽつり、とそう漏らすと、雪は咲季にカッターナイフを刺したまま彼女の身体を椅子から下す。べったりと椅子に付着している血に触れないようにしながら、床に寝かせる。
「よっと……」
驚愕に見開かれている目が雪を捉えている。
人間とは存外丈夫なものだ、と雪は感心した。この状態になっても彼女はまだ生きている。
「ごめんねー。咲季ちゃんが痴漢しちゃったからこうなってるんだけど――早く死んでね。あっ、でも私も殺そうと思ってたし、いずれ死ぬ運命だったんだよ、咲季ちゃん」
雪の話が聞こえているのかいないのか、咲季はひたすらに雪を見ている。
視線を受けながら、雪は咲季の首筋に手を当て、カッターナイフを引っこ抜いた。ぎゅるっと咲季の目玉が動き、口から音が漏れた。これで、血を被らなくて済む。床に頭を寝かせるとドクドクと赤黒い血が床に溢れ出していった。
しばらくこのフロアは使えないだろう。特殊清掃の業者にでも頼むのだろうが、後始末は大変だろうな、と雪は他人事のように思う。
「さて、と。えーと……」
雪はとりあえず彼女のスーツをはだけさせ、シャツだけの状態にする。この程度なら刃が通るだろう。
狙いを定め、カッターナイフを咲季の心臓側の胸にずぷりと突き刺した。衣服が裂け、肉を抉っていく感触が手に伝わってくる。昔から幾度となく繰り返した行為。これは一種のマーキングだ。ありふれ過ぎてなのか気付かれたことはないが。胸にナイフや包丁などの鋭利なもので一刺し。今まで殺してきた人間には必ずやっていた。
最初に人を殺した時の肉を抉っていく包丁の感触が忘れられないのもある。こうしていると懐かしい気分になっていき――達成感が湧いてくる。今日もここまで実行できた、と。
「よし。で、今回はどこだったかな」
血の付いていない方の手でスマホを取り出し、依頼主からの文面を見る。
「今回は――手ね。カッターナイフで切れるかしら」
雪は刺しっぱなしのカッターナイフを抜き、彼女の手首を見る。肉は切れても骨を断つのは難しそうだ。その場合はしょうがないだろう。殺したのには間違いない。
いつの間にか咲季の呼吸は止まっていた。胸が上下していない。目を見ると雪を見たまま固まっている。口からはだらだらと血液を垂れ流している。
「やっと死んだわね」
雪は嘆息し、ひとまず血で濡れている手を洗うべくトイレに向かった。カッターナイフもついでに洗うことにする。
真っ暗な廊下には変らず誰もおらず、雨音だけが響いている。今回も満足度は高かった。咲季が残業するというイレギュラーのため会社で殺害することになったが――これはこれでスリルがあって面白い。実に愉快だった。
雪はトイレに向かいながら暗い廊下で一人楽しく笑った。
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