鎮車歌

オダクニオ

第1話 散歩


二十年前、ここは賑やかさに溢れた新興住宅地だった。当時以降、順調に街は成長を遂げ、今では住民の多くは高齢となり街そのものが高齢化を迎えている。鉄道駅から近かろうが遠かろうが、当時の建物が残っているところもあれば、建て替えが進んだ地区もある。駅から離れるにつれて、集合住宅は小さくなり数を減らし、一軒家が増えてくる。軒先に車を置いた家が増えていく。


駅から十分も歩けば最後の集合住宅は通り過ぎ、屋根は低くなり空は広くなる。当時は有り余っていた自然はとうになくなり、造成された自然は貯水池を隠すためだけのために存在が許されている。苦労して家を建てる者がいる中で、家屋より広い農地が転々と散らばっている。昔の名残でもあるが、土地を持て余した地主の静かな贅沢だ。


新古参者でさえ高齢化を迎えつつある。それでも高齢な者は数の割には街に目立たない。体力も気力も衰えてくれば出歩く時間も少なくなる。人生を謳歌するために建てられた新築の住居たちはこれまでの思い出とともに肌に骨に寄り添い最後まで添い遂げようとしていた。


この街には子どもたちの声がある。新たな住民は増えている。地域社会も古い歴史を持たないだけに、住民間の境目は少なく近隣付き合いの量は各々が決めている。核家族化という言葉が意味をなさなくなってきた近年において、子どもたちの声だけがある街は風物詩を生み出すことさえなくなってきている。


こんな街にも太陽は規則正しく昇り、規則正しく沈む。何度目か、いつから数えればよいのかわからない太陽は今日も律儀に顔をのぞかせる。昇り始めたときの朝焼けは正に毎朝の一瞬でしかない。昇り始めた太陽が空を青く照らし出し朝焼け色の霧がかかる頃、彼の一日が始まる。


駅から伸びるバス通りを歩き右側へ道路一本入った脇道沿いに、バス通り側に向けて建てられた二階建て六部屋の賃貸住宅が建てられたのは5年前だ。彼が住む103号室は一階の駅側にある。一人で暮らすには持て余すワンルームだ。子どもがいなければ、夫婦でも余裕をもって暮らせると仲介の不動産屋の担当者が案内していたのを彼は覚えている。他の五部屋も埋まっていてお互いの顔はわかっている。タイミングが会えば挨拶を交わしていた。


彼の103号室には生活臭だけが満ちている。朝に目を覚ませば一時間もせず広いワンルームから出てくる生活を続けていた。スーツに着替え玄関を通り、背伸びをして首から肩の凝りを順番にほぐしていきながら、自宅隣りにある駐車場に向かい、車にカードをかざし解錠して乗り込んだ。フロントガラスから見える目の前の道路は、わずかに朝焼け色を残した霧と曇ったガラスを透して、触れば柔らかな粉となりざわめきを与えてくれる。運転席に沈み座った彼は運転する準備ができていないことを自覚しつつエンジンをかけて背筋を伸ばした。ハンドルに手を掛けても、車外の空気を全く感じられず車は他人行儀然として彼の肌に一体化しなかった。暖房をかけ、より深く腰を沈める。エンジンをかけたときからフットブレーキに置いたまま右足をより強く踏み込むがまだまだ上げることができなかった。車内に暖気が満ちてくれば膨らんだ車内の冷ややかさも徐々にその大きさを落ち着かせてきた。


助手席前の収納棚の上には、カードほどの大きさの空の菓子包みが残っていた。三つか四つだろうか。片づけるべきものが残っていることは珍しかった。幾人もが使用している車だが、皆が律儀に清潔に使っていた。拾いきれない細かなゴミや土埃は御愛嬌だが、ゴミ箱に投げ込める大きさのゴミが残されているのはいつぶりか彼には思い出せなかった。助手席に座っていた人は日頃はこの車に乗らない人だったのかもしれないと思った。マナー違反も久方ぶりなら気にならない。鞄から取り出したプラ袋に片づけて、シートやミラーを調整して発進の準備を進めた。


発進の気運を高めつつ予定を見直した。今日の行き先は最近週に一回は行く現場になっている。運転時間は運が良ければ一時間、渋滞に嵌まると二時間かかる。その日の予定は家を出たときから頭の片隅にはあるのだが、いつも出発直前に一度は確認している。玄関の鍵を意識して閉めるように、行き先も出発前には意識して確認していた。この習慣を身に着けてから、到着してから勘違いに気がつくことはなくなった。無上の価値を生み出しているのだ。到着時間には十分余裕がある。車体が肌に張り付いてきたことを感じてようやくブレーキから右足を持ち上げた。





現場での遅い昼食を終えれば、帰路につく時間になる。このまま帰れるのだが、せっかくなので朝の菓子包みの中身を拝みに行くことにした。寄り道になるが家から往復することと比べれば行程の膨らみは僅かでしかない。運転していれば、ひと乗り感覚を超える距離ではなく、気にするほど時間はかからない。ついでに入れる予定は人生を豊かにすることが彼の信念だ。


菓子包みの店に行ったことはなかったが、店の存在は知っていた。最近は街中で広告を見かけた。シンプルなケーキの店だが、この包にケーキは入らない。チェーン店ではあるが個性的な店構えのはずだ。人気のケーキはチーズケーキだったはずだ。


小一時間の運転で店には着いたが道路沿いの店周りには駐車場は見当たらなかった。近場から観光客が来る場所だが歩いてくるのだろう。店が多い観光地ほど駐車場は離れたところにあるものだ。車を流してコンビニエンスストアの広めの駐車場を見つけたので少々拝借することにした。自己弁護のためにコンビニエンスストアで買い物をしてから目的の店まで歩いて向かった。気づけば暖かい時間であり、涼しくなるまでまだ数時間かかることに感謝した。


店に入ってみると、十席ほどテーブルがあり喫茶室の内装だった。ケーキ屋でもお菓子屋でもある店で、店内で食べていくこともできるようだ。駐車場を間借りしたことを後悔した。持ち帰りで買うしかなかった。車は不便だ。しっかりと駐車場に止めれば費用は高くはなってもじっくり店内の雰囲気も楽しめた。贅沢は買うもので、車が高価な道具ということを改めて思い出した。車ぐらいは費用を考えるに使えるようになりたいと思った。定番のチーズケーキを頼んだ。助手席前に捨てられていた包みの菓子を見つけたので、ティッシュ箱二つ分ほどの大きさで整えてもらい店を出た。日差しも弱くなりだしてきたところで、さすがに今日はこのまま帰ることにして駐車場に戻った。






朝に出発した駐車場に車を戻した。しばらく車の予定は入れていない。また明日以降は別の誰かがこの車を使うのだろう。車内を片づけて念のため後部座席も覗き込む。皆が清潔に使っている中で槍玉に挙げられてはたまらない。毎度ながら後部座席の広さに新鮮さを感じた。実際に座れば狭いのかもしれないが、ほとんど使わない空間を運んでいたことを思い出させられた。後部座席の空気は塊となって彼に押し寄せてきた。


隣の駐車区画では、男女二人が車に乗り込もうとしていた。彼の住む賃貸住宅の隣人ではないが、何度か見かけたことがある。そろそろ一気に日が暮れるが今から出かけるようだ。少々楽しそうなのは羨ましいが、彼らには彼らの人生が、自分にも自分の人生があると大げさに考えた。二人の乗り込んでいる車も自家用車ではなかった。彼も運転したことがある車だ。彼らは遠くに出かけるような荷物は持っていないし、乗りなれている様子がうかがえた。この時間からどこへいくのだろうか。明日からは週末だが泊りがけという様子でもない。実家へでも出かけるのだろうか。それよりは気軽な雰囲気ではあるが。遅い夕食にでかけるだけかもしれなかった。


二人が乗り込んだ車は、彼が今日運転したものと同じ車種だ。車内に2人が座る様子を見ると、後部座席は空いているのだが、車が満たされた印象を受けた。彼は後部座席だけでなく自分の隣の助手席も空いていることに改めて気がついた。助手席は荷物を置く場所ではなく人を乗せる場所なのだ。彼は他人の人生と比べても仕方がないと考え自室に帰ることにした。急ぐ帰宅でもないから彼らを先に行かせようと思い、エンジンを切ってライトを消した。彼らもこちらの様子を伺っていた。二人の車が動き出した。会釈をされたように感じたため、前を通って良いと手で促した。気づけば日は完全に落ちていた。車外の気温も冷え込んできていたが、少し暖かく感じられた。出発するときだけでなく、一日を終わるときにもクールダウンが必要だ。 


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