誕生日を共に
みーこ
8歳①
夏生まれだなんて、似合っていない。それくらい自分でも分かっている。
燦々と照り付ける太陽の下よりも、それによって作り出される濃い影の中にいる方が落ち着くし、自分にお似合いだ。日の光の中で動物を追いかけ回したり、珍しい植物を探したり、それらを気のすむまでバラバラにしたりするのは好きだが、どうも他の奴らはそんな事をする私が嫌いらしい。私だってそうやって私の事を疎ましそうに見てくる奴らが嫌いだ。だから奴らがいない陰の中にいるのが一番いい。誰にも邪魔をさせるものか。
……いや。“誰にも”は言い過ぎた。
「ねぇ、おにーさま。ご本読んで!」
「……」
こんな私に話し掛けてくる物好きが、一人いる。妹だ。去年交わした約束通り、屋外の目立たない場所にいる私を見つけた妹は、小さな身体で大きな本を大事そうに抱えている。
(何で本なんだ?)
私の沈黙を否定と受け取ったらしい妹は、こてんと首を横に倒し「……だめ?」と呟いた。次第に表情も物哀しいものになっていく。
「駄目ではない。その本を読めばいいのか? 貸してみろ」
細かい疑問はさておき、私が答えると妹はすぐに表情を明るくさせた。
「ありがとう、おにーさま!」
日向にいた妹がとてとてと歩いて日陰に入り、抱えていた本を私に渡すと、すとんと隣に腰を下ろした。
「最初から読めばいいのか?」
「んとね、わたしとおにーさまのお話を読んでほしいの」
「いや、これは……」
念の為手元の本を確認すると、これは日記帳ではなくこの国の神話について書かれた本だった。
「……これに書いてあるのは、お前とワタシの話ではなく、女神のスティル様と英雄のロクィルの話だぞ?」
「でも、お名前が同じだよ? だから、わたしとおにーさまのお話なんでしょ?」
またしてもこてんと首を傾げる妹。前に一度読んだ時にも、この二人とは名前が同じなだけで私達とは関係の無い人物で、これはただの神話で、私達の話ではないと説明したはずだ。しかしまだ妹には理解できなかったようだ。ならば今回は、私達の話ではない事の説明も付け加えて読み聞かせる必要がある。同じ事が私達の身にも降りかかると思い込まないように。
私は目的の箇所を開き、妹にも見やすいように膝の上に本を置いた。子供向けに分かりやすく書かれたこの本には、登場する神や英雄達の姿も描かれている。妹が一際美しく描かれた女性を指して「スティル様だ!」と声を上げた。おまけに何かを期待するような眼差しを向けてきた。
「そうだな。それはスティル様だ。でもいいか、スティル。確かにお前の名前はスティルで、ワタシの名前はロクィルだ。でも、この話はワタシ達の話ではないし、絶対にこうはさせない」
「……どうして?」
「それは後で教えてやる。まずはこの話を読んでからだ」
こうして私は、夏の日差しの届かない陰の中で、この国における太陽の神の物語、その一節を、神と同じ名前の妹に読んで聞かせた。
○
勇敢なる騎士達は、魔王ディサエルから女神スティルを見事に救い出しました。しかし怒った魔王はスティルを奪い返そうと、また騎士達を攻撃し始めました。騎士達はカルバスの指揮のもと、魔王を倒す為に、ある者は剣を、ある者は槍を、ある者は魔法の杖を構えました。
騎士達はまたしても勇敢に戦いました。それでも魔王はとても強くて、戦いはすぐには終わりませんでした。
戦いの最中、魔王がスティル目掛けて魔法を放ちました。危険を察した騎士の一人が身を挺してスティルをかばいました。そのおかげでスティルは無事でしたが、魔法をくらった騎士は死んでしまいました。後にカルバスはこの騎士の勇気と献身を称え、スティルの名前を一部拝借しロクィルという名前を与えました。
○
「ね? おにーさまもわたしを守ってくれるから、わたしとおにーさまのお話でしょ?」
妹が純粋無垢な眼差しを向けてきた。まだ幼いから仕方がないのかもしれないが、話の半分も理解できていなさそうだ。特に騎士の身に起きた事を。
「……お前は、ワタシがお前を守った結果、ワタシが死んでもいいと思っているのか?」
「……?」
やはり“死”というものを理解していない。祖母が亡くなった時、妹はまだ二歳だった。身近にいた人物とは言え、突然いなくなった事の理由を――いや、そもそもいなくなった事さえ理解していなかったかもしれない。
私はどうすれば妹が理解できるか考えながら口を開いた。
「ワタシがお前といる時に、急に何も話さなくなったらどう思う?」
「え? おにーさま、わたしとおしゃべりしてくれないの?」
「ああ」
妹が顔を顰めた。
「いやだよ」
「そうだろう? そしてそのままお前の前からいなくなったら?」
「いやだよぉ……。何でおにーさまは、さっきからそんなイジワルなこと言うの?」
「っ……」
しまった。妹が涙目になってきた。そんなつもりじゃなかったのに。私は慰める為に慌てて妹の頭を撫で始めた。
「ご、ごめんなスティル……」
「うっ……ぐすっ……おにーさま……いなくならない?」
「ああ、いなくならない」
「じゃあ……ぐすん……なんで、あんなこと言ったの?」
「あれは、その……お話の中の事なんだ。このお話の中に出てくるロクィルは、スティルの前からいなくなって、そのままずっと会えなくなるんだ」
「……ずっと? ずっと会えないの?」
「ああ、ずっとだ。……嫌だろう? そんなの」
私が問うと、妹は涙を拭いながらこくんと頷いた。
「それが死ぬって事なんだ。神話の英雄ロクィルは、スティル様を守った事で死んでしまったから、スティル様にはもう二度と会えない。同じようにワタシがお前を守って死んだら、お前とは二度と会えなくなってしまう。そんなのお前だって嫌だろう? ワタシだって嫌だ。だから、これはワタシ達の話じゃない。分かったか?」
すると妹は、泣いて赤くなった瞳で寂しそうに訴えてきた。
「……じゃあ、おにーさまはわたしを守ってくれないの?」
「そ、そうは言ってないだろう!」
妹を泣かせてしまった事や、不安にさせてしまった事への焦りと後悔と自己嫌悪に押しつぶされそうになりつつ、私は何とか言葉を紡いだ。
「ワタシは、何があってもお前を守る」
「でも、守ったらいなくなっちゃうんでしょ?」
「いなくならない! 絶対に!」
「でも、お話だと……」
「だから、それは……」
ああ、どうしよう。一体どうやってこの誤解を解けばいいんだ……。
「いいか。この本に書いてある事は、ずっとずっと昔に起きた話で、名前が同じなだけでワタシ達の事が書かれている訳じゃないんだ。ワタシは騎士でも英雄でもないし、お前だって女神じゃない。そうだろう?」
「でも、おかーさまはわたしのことを“わたしの女神”って言うよ?」
「うう……」
何て事を言ってくれるんだ、母さんは。
「おとーさまも、おにーさまに“騎士になれ”って言ってるよね?」
「ぐう……」
父さんは私に対して、ロクィルという名前に恥じない人間になれ、という意味合いでそう言っている。だが、今の妹に説明しても理解し得ないだろう。
「それにね、おにーさまはいつもわたしを守ってくれるし、いろんなことを教えてくれるから、わたしだけの英雄だよ!」
「そ、それは……ありがとう」
満面の笑みで言われては反論のしようがなかった。それに妹にそう思われている、というのは純粋に嬉しい。頭を撫でてやると、妹はえへへと声を漏らした。
「でもな、スティル。この話はワタシ達の話じゃない。これはワタシがお前を守らないって意味じゃないぞ。この話みたいに、お前の前からいなくならない。そう言いたいんだ。ワタシなら、お前を守って死ぬよりも、お前を守りながら生きる方がいい」
妹の目を見ながら言うと、妹は恥ずかしそうに身体をもじもじさせた。
「ありがとう、おにーさま」
「ああ」
私の言葉の意味を理解してくれたのが嬉しくて、照れ笑いする妹が愛おしくて、私は妹を抱き締めた。腕の中の妹も、私を抱き締め返す。
「おにーさま、だーいすき」
「……ああ、ワタシもだ。ありがとう、スティル」
今度は何だか私が恥ずかしくなってきた。急いで話題を変えようと思って、必死に頭を働かせた。
「そ、そうだスティル。知ってるか? 英雄ロクィルのロクィルという名前は、この本に書いてある通り、死んだ後にカルバス様から与えられたものなんだ。だから、本当はこの名前じゃないんだ」
「そうなの? じゃあ、なんてお名前なの?」
妹が私から離れ、驚いた顔で問う。
「本当はな、ロクドトって名前だったんだ。だからもしスティル様をかばわなかったり、かばった時に死んでいなければ、名前はロクドトのままかもしれなかったんだ」
「じゃあ、おにーさまのお名前もロクドトになってたかもしれないの?」
「そうかもしれないな」
「ふぅん。なんか、へんなの」
「でも、英雄ロクィルはスティル様をかばって死んだから、その勇気と献身を称えられたんだ。もしかばってなかったり、死んでなかったりしたら、英雄と呼ばれなかったかもしれない。そうしたら、ワタシの名前はロクィルでもロクドトでもない、別の名前になってただろうな」
貴族が生まれてきた子供に神話の神や英雄の名前を付ける事は、特段珍しい話ではない。私達兄妹が揃って英雄と神の名前を付けられたという事は、そうではない名前を付ける気が無い証左である。
私のそんな話を聞いて、妹は何かを考え込むように俯いた。
「じゃあ、じゃあ、もしおにーさまのお名前がちがうお名前だったら……わたしを守ってくれないの?」
「そんな訳あるか! 妹を守るのは兄の役目なんだから、ワタシの名前がロクィルでもロクドトでもなくても、お前の名前がスティルじゃなくても、ワタシはお前を守る! 言っただろ、お前を守りながら生きるって!」
「わたしの名前がディサエルでも?」
「もちろんだ! ……でも、さすがに魔王の名前をつける事は無いだろうがな」
柔らかな笑みを浮かべながら「そっかぁ」と呟く妹。その頭をそっと撫でると、更に口角が上がった。周りの大人達は、お前は“ロクィル”なんだから“スティル”を守れと言う。だがそれでは名前に縛られているみたいで私は好かない。私はただ、この笑顔を守りたいだけなのだ。
無邪気で、純粋で、太陽の様な笑みを、ずっと自分にだけ向けていてほしいだけなのだ。
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