ブルキラ怪文書

あかつきマリア

春田 美空という物語

#ディープブルーにキラめいて

#ブルキラ

ブルキラ現行未通過‪✕‬‪✕‬‪✕‬

END OUTER HEAVENへと繋がる春田 美空という物語

HOアイドル視点の本編ネタバレ怪文書、ほぼ小説

[天国の外側へ葬られた偶像の話をしよう]



春田 美空という少女は、1990年代に栄華を誇ったアイドル『獅童 晴美しどう はれみ』と、同じく1990年代に一世を風靡したバンド『クラスター』のギタリスト『春田 礼努はるた れど』の電撃的な熱愛を経て生まれた一人娘でした。



彼女は玉のように可愛らしく、無邪気で、奔放で、とても前向きな子に育ちます。



物心付いた時には父が愛用していたギターを抱え、それを弾く様子を動画に納め、世界へと発信する日々を送る、所謂、天才的な素養があったのです。



両親は自分たちの趣味によって、彼女が心揺さぶられ、酸いも甘いもこの世にはあるのだと、ゆっくりゆっくり、彼女に諭していきました。



良く芸能界の人々にも出会ってきた美空は数多くの経験を積み、その才覚を発揮して行きます。



しかし、彼女はどこか自分の中に空虚なものがあることを察していたのです。



自分には『自分らしさ』というものがない。



誰かの『気持ち』を理解することがとても難しい。



それでも、自分の振る舞いに誰かが応えてくれることが嬉しくてたまらない、良いことをすれば褒めてもらえる。



それだけが確かなこととして、自分の在り方を決めました。



機械の中の歯車を見た彼女は、その様子にとても共感したと言います。



彼女は、望まれたことを望まれたようにすることが、酷く当たり前になっていきました。



それが彼女にとって『正義の味方』のように映ったのです。



彼女は『正義の味方』、『英雄』、あるいは『勇者』、物語の主人公への強い憧れと同時に、彼らへの理解を深めようと、サブカルチャーの物語に惹き込まれて行きました。



そんな彼女には得意な才能があります。



一般的な言語には存在しませんが、それを彼女は後に『分割思考』と称することになる、『自分以外の身近な人間の思考パターンを模倣出来る』という才能です。



彼女は共感性の低さを、相手の思考パターンを読み取り、相手が何を求めているのかだけを抽出して応える、という動作を精密に繰り出せました。



同時に、その思考パターンを保存し、一時的に自己暗示を掛けることで、短期間ながら、他者に成り代わるような行動も行えるようになったのです。



ある意味で、彼女にはサイコパスのような素養を持っていました。



ただ、それがたまたま悪い方向に行かなかっただけ。



自分すらも俯瞰出来てしまう彼女はますます空虚になっていきました。



「私の中に私は居ないが、それもきっと私」



そんなことを思いながら、彼女は淡々と日常を過ごしていたのです。



『サブカルチャーを楽しむオタクという属性を持つ少女』、そのような存在であると周りに示すよう、そうであれと自身に暗示を掛けて、空虚さを埋めようとしていたのが、春田 美空という少女でした。



しかし、与田 かすみの前では、それも霞んでしまった。



いつが切っ掛けだったのかなど、彼女もとうに思い出せませんが、幼い頃から気にかけてくれ、遊んでくれ、大人ではない彼女だから出来る導き方をしてくれた彼女に、美空は恋をしてしまったのです。



「かすみちゃんのために生きたい、かすみちゃんだけの正義の味方になりたい」



美空は強くそう思うようになりました。



恵まれた才覚はあれど、それが両親を超えるものではないにも関わらず、素直にそれを褒め、驚き、賞賛してくれる無邪気な彼女が、美空は大好きなのです。



だから、美空という歯車は彼女の前ではいつだって空転してしまう。



彼女の前だけでは、美空は歯車であることを辞められました。



1人の人間として、純粋に、傍に居られることを尊んだのです。



そんな彼女も14という歳になり、与田かすみの傍で幸せを噛み締め続ける日常の中で、彼女は幽谷きららに曝されてしまいました。



瞬間、美空という歯車は酷い誤作動を起こしました。



強制的に、自分の意志ではない何かに思考を狂わされた衝撃は、彼女にとって新鮮で、恐ろしい程の蜜の味がしたのです。



与田かすみの傍に居られて、それなりの音楽活動が出来れば人生なんてそれでいいやと、そんなことをぼんやり考えて生きていた美空は狂わされてしまった。



歯車の狂った機械は、その衝撃を、音を、再現しようと試みます。



結果から言えば、とても簡単なことでした。



それだけの才能が彼女にはあったから、という単純明快な理由。



そしてあのクリスマスライヴ。



美空がかすみに頼まれ、ファンレターを幽谷きららへのプレゼントボックスに送りに行く際、『アレ』に出会ったのです。



深町 みつる。



それそのものに興味はありません。



ただただ、ファンの信用を揺るがすような割り込み行為に彼女は、反射的に彼の投函した明らかに怪しい荷物を手にしてしまったのです。



正義の味方であれとする歯車は健在でした。



しかし、やはりと言うべきか、深町 みつるはそれを察し、美空へと詰め寄ります。



不正行為を強く糾弾した美空は、そのダンスの才を遺憾無く発揮し、なんと深町 みつるを拘束してしまったのです。



そこにやってきたのが城木オーナー、後に上司となる、まだ優しいアイドルバカであった彼でした。



事情を聞いた彼はすぐに警備を呼ぶも、黒いレインコートの集団に囲まれ、深町 みつるを拘束し続けることが困難となり、美空はみすみす悪人を逃してしまいます。



彼女はこれを酷く後悔した様子でしたが、城木が諭してくれたこともあって、興奮を治め、そこに合流した与田かすみが改めて彼を紹介することになりました。



この時、美空は与田かすみが社長に向ける視線が、自分が与田かすみ向ける視線であると、瞬間的に察知します。



美空は初めて、嫉妬を覚えました。



「この気持ちは普通ではないから、いつか与田かすみを諦めなければならないかもしれない」



そんな太い針が心に突き刺さったように、子供と大人の間にあった美空の歯車が空転します。



「どうして、好きな人が自分以外に向ける恋心を応援なんかしてるんだろう」



そんなことを想いながら、茶化してみせて。



道中で出会った儀間 貞人を頭の片隅に起きながら、熱気渦巻くライヴ会場に赴きます。



さぁ、そして遂にあの事件は起きました。



『幽谷きらら硫酸事件』



会場の誰もが動けず、彼女の歯車も、まるで楔を打ち込まれたように固まってしまいます。



屈辱。



大事なサブカルチャーの、文化の真髄を穢す卑劣極まりない行為を誰が許すことが出来たでしょう。



ダムの水が放流されるように、動けるようになった彼女は幽谷きららの元へ駆けたのです。



「間に合わなかった、助けられなかった」



そんな想いを胸に、せめて悲惨な姿になった偶像に、彼女は上着を掛け、その身を案じます。



刹那、幽谷きららと目が合いました。



その赤い瞳が、血の色に染まった瞳が、酷く脳裏にこべりつき、何も出来なかったという後悔を置き去りにするように、彼女は舞台袖へと運ばれて行きます。



それからしばらく──



何本もの太い針が突き刺さった美空に追い討ちを掛けるよう、あの動画が公開されました。



美空は初めて自死を考えます。



しかし、その手は我が子のようにギターを抱え、パラサイトブルーの音を掻き鳴らしました。



ただの歯車であった彼女に初めての意志と決意が宿ります。



──報復、幻肢痛。



塞ぎ込んでしまった与田かすみに反して、彼女は修羅をその身に宿したのでした。



「私の存在意義にも等しい、神聖なる文化を穢した悪意に、私は報復する


この痛み、一時足りとも忘れるものか」



子供と大人の狭間にあった彼女は、無邪気で無垢である思考を封じ、より歯車としての精度を高めて行きました。



瞳に映りこんだ幽谷きららの幻影ゴーストが、美空の背を押し、美空は、幽谷きららの幻影と共にアイドルになることを誓います。



そう、それはきっとあの幻影にとっては些細なことだったのでしょう。



歪んだ歯車の報復心など、いつでも呑み込める、それは事実でもありました。



しかし、美空はそんな火種を胸に、幽谷きららの幻影から彼女の思考をトレースしていきます。



それは悪意に満ちたギフト。



そうだったとしても美空は、手を伸ばしていたのです。



『世界一のアイドルって何?』



「流行、流れ行く時代の中で浮き沈みを繰り返しながらも、その存在を刻み込めるのが、世界一のアイドルだと思う


常に一位で居続けたら、つまらないでしょ?」



幽谷きららは困惑していました。



しかし、それも些事。



彼女はどうあれ、望む結末に向けて美空だけに見える幻影として、美空の中に潜み続けたのです。



──それから三年。



美空は遂にアイドルとなりました。



春田 美空ではなく、かつてアイドルであった母の名を冠した、『獅童 美空』として。



この三年間で、彼女の分割思考が大きく精度を上げました。



人格はそのまま、1人の人間である春田 美空は、誰かが望む偶像である『獅童 美空』という『英雄的な思考パターンを持つ偶像』を創り上げ、強い暗示によってそれを切り替えるようになったのです。



スイッチのサインは、『右のこめかみを右の人差し指で3回叩く』ことと、『素数を2から13まで数える』ことの二つ。



どんな状況でも、思考の停止を防ぐために、彼女は強い自己暗示を掛ける方法を編み出しました。



「演じるのではなく、成り代わる、擬態する


春田 美空という人間は、サインを通じて獅童 美空という偶像に擬態する」



彼女はこれを役割ロールとし、自分の能力を十全に使うための偶像を自分の思考パターンとして用意したという訳です。



さて、それが初めて強く発揮されたのは、初ライヴの直前でした。



黒見 麗奈に衣装を裂かれた時のことです。



美空にとって、黒見 麗奈は偶像的存在のサンプルの1つであり、同時に敬愛する文化の象徴そのものでした。



幽谷きららが現実の世界に存在しない以上、美空は現実に存在する偶像である、黒見 麗奈を先輩として追い、深く深く、愛情を注いでいたのです。



黒見 麗奈もまた、幼い頃からの美空を知っていて、彼女に魅了されていました。



運命は残酷に、衣装を引き裂くと同時に、推し合う二人の仲を裂いてしまいます。



「貴女が城木などに属さなければ!」



「私はここでなければ意味がない」



その場に居た与田かすみと稲光 晴音に、二人の姿はどう映っていたのでしょう?



それは、やはり知る由もありません。



ただ、きっと美空と黒見 麗奈は互いに敬愛を失ってなどいなかったでしょう。



いずれは友として、肩を並べる日が来ることを、どこかで望んでいたかも知れません。



少なくとも、美空はそうでした。



愛する与田かすみが作り上げた衣装を引き裂かれてなお、美空は冷徹にライヴを続けられるかどうかを精査します。



代わりの衣装があるか、修繕が間に合うか、或いは、衣装なしでも舞台に立つか。



与田かすみの涙も余所に、獅童の名を冠した美空は会場に集まった観客へのパフォーマンスを優先するのです。



それ程に、彼女の心は鋼鉄でした。



──結果として、白鳥市内のライヴハウスにて行われた獅童 美空の初ライヴは大成功を納めます。



デビューを飾った第一の使徒は『アウターヘヴン』。



幽谷きららの死を憂い、尊び、そして、報復を誓った美空の決意が詰まった子玉の一。



大成功を納める自信は確かにあり、それは現実となりました。



しかし、反するように、美空はある核心に気付きます。



「あぁそうか、既存の継ぎ接ぎですらこうなのか」



アウターヘヴンは、彼女の知る創作作品のテーマをただ単純に継ぎ接ぎにして創り出したものだったのです。



──和ロックをやるアイドルなんて居ないだろう。



それを核抑止をテーマとした作品の歌詞に乗せよう。



そしてこれは、幽谷きららを尊ぶものとして継ぎ接ぎにする。



そういった経緯があったからこそ、凄まじい速度で、この楽曲は創られました。



自信の有無ではなく、彼女の計画はこれ幸いと続けられることに安堵しました。



「この路線で行ける


これなら思考に使うリソースを最小限に抑えて、多くの楽曲を乱立させられる


それでいて、やがてこれが獅童 美空の色になっていく」



確かな楽しみと、冷ややかに俯瞰した報復の計画は、彼女にとって最早、ある意味片手間でこなせることを知ってしまった。



これは、後の美空にとって、幽谷きららの姿をした幻影が、自分でないことの証明にもなったのです。



「なるほど、じゃあ、踊るしかないな


同じ阿呆なら踊らにゃ損損、だ」



相棒とまで呼び親しんだ幽谷きららの幻影をどうすれば切り離せるか、そんなことを彼女は考え始めました。



そんな折、初ライヴの夜。



美空は城木プロの策略により、城木社長の自宅へと誘拐されました。



何をされるか、など、考えるまでもない。



役割をこなせば良い、ただそれだけ。



美空は今も抱き続けている与田かすみへの恋心を閉ざす準備をしながら、部屋の様子を探ります。



置いてあるノートPCに届いたメールを読んだ美空はあることを思い出しました。



儀間 貞人。



「あぁ、そうか、思い出した


あの時の彼だ」



この不審なメールの送り元、強大な機関からの出資、それが美空には報復の根源に映りました。



やがてやってきた城木にベッドへと押し倒された美空は、自身のあられもない姿を写した写真を見せられたとしても、茶化しながら彼を煽るのです。



もっと綺麗に撮ってよ。



せめてコスプレとか。



そういうコンテンツに私がどれだけ使ってるか知ってる?



そのどれもが、春田 美空の武器でした。



獅童 美空のために、春田 美空という思考は、尊厳の自死を選ぼうとしている。



「こんな貧相な身体でごめんね社長


まぁでも、早いとこヤることヤっちゃおうか」



役割をこなす、報復の為に。



彼に対する同情と、深い憐れみもありました。



この三年で起きたことを想像すれば、社長がどんな様子になっていても不思議ではなくて。



ふと、与田かすみの顔が脳裏に過ぎる。



やだなぁ、こんな時に思い出しちゃうなんて。



思い浮かべた景色にノイズを掛けて、美空は美しい想い出と恋心に蓋をしようとしていました。



さようなら、私の初恋の人。



もう二度と恋なんて出来ないし、しないと思うけど。



きっと今の彼が、与田かすみの恋した優しい彼でなくなっていたのだとしても、彼は彼女の憧れだから。



彼に抱かれる理由など、それで十分過ぎるほど。



「じゃあ、一応常套句だけど言っておこうか


初めてだから、優しくしてね」



わざとらしく、可愛らしく。



淡い恋心に決別の儀式を終えて、完全なる修羅となった美空は城木を受け入れる──



さぁ、抱きしめて、貪って。



それが、あなたと、あなたの家族のためになるのなら、生贄になることも恐れはしないから。



春田 美空の意志と思考は、この時完成したのです。



──さぁ、大人になってしまった二つの美空の物語を続けよう。



不意に、部屋の扉が突き破られる。



そこに居たのは、稲光 晴音だ。



大人になったばかりの美空の思考が、一時停止した。



しかし、状況の精査も始めている。



ビデオゲームで言うところのローディングタイムというやつだ。



稲光 晴音が啖呵を切っている。



悲しいことに、美空はそれに興味が持てなかった。



──共感性が低い美空にとって、城木と晴音の間に交わされる感情の稲光は、美空の理解の外にあった。



頭に浮かんだのは──



「そうか、もうこの手は使えないのか」



では、どうするか。



美空は頭に血の昇った城木の隙を着いてベッドから抜け出し、晴音の胸ぐらを掴んだ城木の背後へと回った。



そして美空が次に取った行動。



晴音にも、きっとそれは予想の外だ。



城木のネクタイを掴んだ美空はそれを背後へと回し、全ての体重を乗せて、背負い投げを決めて魅せた。



「これが、CQCだ──」



思わず恍惚な表情を浮かべる美空、呆気に取られる大人二人。



美空を心配する晴音にようやっと応えた美空だったが、その気はずっと社長にあった。



ふと見てみると、城木の様子がおかしい。



こんなことをされていても、城木への情は消えていない。



不思議なものだ、でも、それもそうか。



だって恋心は、さっきやっと分かったから。



嫉妬はなくなっていた。



恋心は愛情に変わっていた。



大切な人が恋した人だもの、きっと、この人のことを好きになっている。



恋ではないけれど、大切にしたい人。



家族のような人。



助けなきゃ。



美空は、与田かすみに加えるように、彼と、その家族である城木プロの皆のために正義の味方になることを選んだ。



しばらく城木を介抱していたが、彼の眼窩に小さな穴が空いていて、そこからの出血が見られると、晴音が診断した。



城木の記憶も混濁し、日付けを聞いてみれば、彼は三年前に居るらしい。



晴音が救急車を呼ぶ準備をしていると、突然、城木は錯乱し、暴れ出し、部屋を飛び出してしまった。



──それからしばらく、二人は社長には会えずに居た。



二日後、美空は衝撃の事実に直面する。



黒見 麗奈の死だ。



事務所で流れるその報道を聞いた美空は、人生で初めての動揺を覚えた。



そして、悲痛な叫びを挙げる。



強靭、最強、無敵、完全無欠で鋼鉄の女。



そういう認識だった彼女の生の感情が噴き出した。



少なくとも、ありのままの感情など、血の繋がった家族や与田かすみ以外に晒したことなど一度もない。



思考に変換していた春田 美空という少女が息を吹き返したように、その屈辱に吼えていた。



こんなことすら予見出来ず、浅はかに、警戒を怠った無力な自分を恥ながら、彼女はぽつりぽつりと、小さく言葉を漏らした。



「2、3、5、7、11、13……」



スイッチサイン。



美空は瞬時に、思考パターンを切り替えた。



そして、改めて決意する。



これ以上犠牲は出さない。



その為にやれることをする。



美空は数多くの提案をした。



社長や社員に対し、自分や城木の餌食となったアイドル達への自責を使って、指揮を取るように、良心を思い起こさせるように。



その思考を振り絞って、社員達へ対処を依頼した。



──それから時は流れ、半年と少し。



12月に入る。



獅童 美空の活躍は目覚しく、デビューから間もないというのに、白鳥ドームでのクリスマスライヴが決定した。



デビューから二年という歳月で幽谷きららが登り詰めた舞台に、獅童 美空はその四倍の速度で彼女に追い付いたのだ。



不気味にすら思える。



しかしながら、黒見 麗奈に続く犠牲者は出てしまっていた。



未然に防げたケースもあったが、二人の死者が出た。



いずれも、美空を批判するコメントを出した者達であったが、美空はこれも配慮が足りなかったとして、深くこの事実を胸に刻み込む。



「お前達の無念も、私が一緒に連れていく」



まるで同志を想うように、美空は報復心をより燃やしていた。



その身を焦がす程の炎が、美空の中で渦巻く。



もう後戻りなど、することはない。



──とある日、テレビ番組の収録をこなしていく美空。



ニュース番組のコメント、ドラマの撮影。



そして最後に、都市伝説をテーマとしたバラエティ番組で、運命は訪れた。



儀間貞人との再開である。



報復心を隠しつつ、彼の用意した余興に応え、番組は無事終了した。



そして、楽屋で帰り支度をしていると、彼は美空を訪ねてきた。



美空は、内に宿る炎のざわめきで、会話の内容のほとんどを覚えていないが、これだけは確かに覚えている。



彼が秘密を知っているという核心だ。



彼はいずれ美空と晴音に話を設ける機会を用意すると言い残して去っていった。



それから、明くる日。



2025年12月23日。



白鳥ドームでのライヴが翌日に迫った日の夕刻、かの約束は果たされんとした。



儀間貞人から、晩餐会への招待である。



決意を胸に、美空と晴音の二人は儀間の待つ、彼の屋敷へ向かった。



食事もそこそこに、彼からの情報提供があった。



──メモリーフィッシュ。



人の精神に巣食う、ミームの寄生体。



それが、美空に巣食っているのだと、彼は告げた。



美空の感情にノイズが走る。



逃げろ、逃げろ、逃げろ。



酷く慌てた様子で、美空の身体を強ばらせる。



コレが、美空にとってはある種の核心となった。



幻影はやはり、私の意志ではない。



美空は右のこめかみを、右の人差し指で三度叩く。



春田 美空の思考は、儀間の言葉に耳を傾けることを決定する。



ノイズ混じりの感情を抑え込むように、儀間貞人の声を、提案を聞く。



彼は美空と晴音にこう告げた。



メモリーフィッシュに寄生されているかの精査と治療。



そして、明日のライヴを諦めること。



到底、首を縦には振れない提案だ。



「では、交渉は決裂ですね」



視界が暗転する。



二人の口と鼻に布のようなものが押し当てられ、微かな刺激臭と共に、意識は途絶えた。



──夢を、夢を見ました。



「私の身体ァッ!


アンタに貸すぞ相棒ォッ!」



「こんな星空をまたみんなで見よう」



「おかえり、社長」



「春田 美空はね、かすみちゃんだけのアイドルだよ」



「今の、私の初めてだから、大切にしてね」



「拝啓、この歌を聞いている先輩へ


見えているよ


忘れてないよ


あなたの後輩より」



「──ばーん」



『──騙していたのね?』



世界が割れる。



黒に呑まれる──



目を覚ましてみれば、美空の様子を心配そうに伺う晴音の姿があった。



こめかみを三度叩いて、思考パターンの確認をする。



──記憶も、意志も確かだ。



現実で間違いない。



二人でお互いの安否確認をして、そんなのもそこそこに状況の確認をする。



どうやら儀間邸の処置室のようだった。



部屋を調べてみると、儀間機関の様々な記録を知ることが出来た。



あぁ、やっぱり。



嫌な予感とは違うが、儀間貞人はただ、人類を救う為にこれまで尽力していたのだと。



美空は強く、深い敬意を覚えた。



彼こそが、彼の行いこそが人類への愛に違わず、正義の味方そのものだ。



私が目指して、憧れた、英雄が戦ってきた歴史がここにはあった。



誰にも理解されずとも、誰にも賞賛されずとも、彼は孤独に戦っていたのだ。



美空は迷いを振り切っていた。



報復心は正しい対象を見定めていた。



メモリーフィッシュ。



人の感情を蝕む怪物。



人の意志を葬る寄生体。



そんなものは、美空の望む世界には不要なもので、幽谷きららという偶像の尊厳を壊した無用の長物だ。



焼き尽くそう。



夢の中で決意したように、改めて。



相棒、アンタはもう不要だ。



少ししてやってきた儀間が、これまでの経緯と状況を説明し、三人の意見と方針は合致した。



しかし、だ。



怪物は不意に現れた。



そして、それは美空の意志を封じ──



無数の子らを産み出さんと動き始めた。



──次に美空が意識を取り戻した時、黒いレインコートを着た誰かが晴音にナイフを突き立てて居た。



あぁ──



そんな、馬鹿な──



見間違える筈なんてない──



だって、彼女は美空の愛した──



与田かすみその人だったのだから。



「クソッ、趣味悪いぜ、女王様よォ!」



『えぇ〜、そんなことないよ〜?』



身体はまるで鉛のよう。



指1つ動かせないが、辛うじて声だけは。



与田かすみの凶行は明確だった。



ロッカーからはみ出る、警備員だったものが3つ。



あぁ、そうかよ。



黒見 麗奈を殺したのも、アンチ2人も。



晴音さんのしているインカムから漏れる大音量から、深町みつると思われる白骨遺体発見の報せ。



どうしてだ、なんてことは思わない。



全部、全部、美空の為だと、彼女には分かってしまった。



例えメモリーフィッシュに歪まされた結果だったとしても、その意志全てが嘘偽りである筈もない。



分かっていた。



この呪いを振り撒いてしまったのが美空自身であることも。



彼女は、何かのせいには出来なかった。



精一杯、美空は子供の頃のように叫んだ。



息を切らせながら、晴音が与田かすみの身体を傷付けていく。



最後の拳が放たれ、与田かすみは遂に倒れ伏した。



──美空の意志は再び途絶える。



気付けば、美空は舞台に立っていた。



幕開けまでもう少し、残る時間はあと僅か。



メモリーフィッシュは何を思ったのだろう。



儀間が手渡していたであろう、2つの針が晴音の手の中にあった。



まだ、チャンスは残っている。



「焼き尽くしてやるよ、女王様


さぁ、頼むぜ、相棒──」



晴音はダイバーとなり、私の意識が閉じていく。



不意に、ハッキリと目が覚める。



ドロドロに溶けているが、そこにある地面、美空の目の前には幽谷きららの姿をしたメモリーフィッシュ。



そして、彼女の隣にはいつものように晴音が居た。



やることはただ1つだった。



「さぁ、まず一発目はコレだ!


突撃ラブハートォ!」



美空が歌い、晴音がメモリーフィッシュへ有効打を加える。



『何この歌!?


私の知らない……!』



「獅童 美空が版権曲を歌うのはNGだがな


今ここでなら反則するくらいでちょうどいいだろ!」



美空が歌い、幽谷きららの幻影が歌い、晴音が舞う。



幻影は徐々に零れ落ち、その姿をおぞましい怪物に変える。



そして、晴音の手にした光の剣が、幽谷きららだったものを貫いた。



──メモリーフィッシュが崩れていく。



もはや幽谷きららですらない、蟲は、あぶくのように散り、美空の水底へと溶けていく。



『──何度だって私は』



不穏な言葉だ。



でも、それは美空の不敵な笑みを誘った。



──幕が上がれば、美空はアコースティック・ギターを手に舞台に立つ。



美空の弾くギターが奏でたのは。



パラサイトブルーのイントロであった。



No.0:パラサイトブルー。



全ての始まりである0、パラサイトブルーのアコースティックギターアレンジを美空は0曲目として選んだ。



少しだけテンポを落としたパラサイトブルーを、噛み締めるように、美空は歌い上げる。



揺らめくサイリウム、煌めくサイリウム。



幽谷きららの呪いに、美空は応える。



「拝啓、この歌を聞いている先輩へ


見えているよ


忘れてないよ


あなたの後輩より」



確かな返礼と共に、パラサイトブルーという呪いが祝福へと向かっていった。



そして、0を歌い終えた美空が感傷に浸る。



その刹那、彼女の頬を1発の弾丸が掠めた。



──儀間貞人、人類の防人。



1度退けたとはいえ、メモリーフィッシュが完全にこの世から消えることはない。



そう語る儀間の声にも美空は振り向かなかった。



やがて儀間は美空の背後から、彼女を拘束する。



美空が抵抗することはない。



儀間から銃をこめかみに突き付けられた美空は、儀間にだけ聞こえる声でこう言った。



「獅童 美空というアイドルはあと半年も保たないんだ


私は──


獅童 美空はスキャンダルによって消える」



困惑する儀間、美空は続けた。



「私は──


そう、春田 美空はね


獅童 美空のために連続殺人鬼になった、ドジでおっちょこちょいな、与田かすみっていう女をどうしようもなく愛しているんだよ


そんな彼女と獅童 美空が獄中結婚なんてしたとしたら


どうなると思う?」



儀間が乾いた笑い声を挙げた。



──スキャンダルは確かにアイドルにとっての最大のタブーと言える。



そんな処女性を重要視するアイドルという存在が、獄中結婚というタブーを、それも同性というタブーまで重ねたとあれば、禁忌中の禁忌に他ならない。



しかし、それは同時に福音であると美空は考えていた。



伝説的アイドルが、自身のために凶行を犯した者と結ばれるなど言語道断、話題になど、挙げられよう筈もない。



認めてしまえば、次が生まれる、だからこそ認めてはならない。



逆説的に考えれば、だ。



一度結ばれてしまえば、獅童 美空の存在そのものがタブーとなり、燃えて、朽ちて、消えていく。



彼女達以外の全てを残して。



しばらくは、芸能活動をする者達へ多大なる影響を与えるだろう。



だが、それはメモリーフィッシュからの感染を受けていない者達によって、やがて復活する筈だ。



徐々に獅童 美空の存在は忘れられ、世界はありのままの姿を取り戻すだろう。



それはまさに、儀間機関が喉から手が出る程欲しい、完全なる勝利となる。



獅童 美空は、幽谷きららの幻影が美空という水底に沈んだのと同じように、自らの炎に焼かれ、燃え尽きて、朽ちる。



感染源である春田 美空が曝露されない限り、少なくとも、メモリーフィッシュの感染は防げるだろう、と。



「儀間さん


あなたはもう、銃を捨てていいんだ


ただの人間、貞人として生きていいんだ


私はあなたの、人類を守るという使命を遂行する英雄として在ろうとする意志を尊敬している


だからこそ、私は


最後に残る獅童 美空を、私自身の手で焼き尽くさなきゃいけない」



儀間の表情がどうだったか、背を向けていた彼女は知る由もない。



ただ、彼は銃をおろし、その場を去った。



「良いでしょう、好きにしてください


私もあなたがライヴの続きをするのであれば


配信で見ることとします」



ただそれだけを言い残して。



──会場に残った観客を前に、美空はまだ立っていた。



最初で最後、記録にすら残せない、獅童 美空の渾身の1曲目が始まる。



パンデミックレッド、大流行感染の紅。



──燃え盛る炎の音で始まるイントロ、掻き鳴らされるエレキギター、獅童 美空の真骨頂である超ハイトーンロングシャウトから始まる王道ロックミュージック──



美空がやがて朽ちる晩鐘を鳴らす。



幽谷きららのパラサイトブルーをインスパイア、そしてアンサーソングとして産み出された美空の全力全開。



美空が最も得意とするアップテンポのロック、響き渡るエレキギター、縦横無尽に叩かれるドラムス、荘厳に紡ぐベース、その全てをまとめるキーボード。



美空は再び口を開き、歌い出す。



「さぁ、始めよう


勝利の運命をこの手に掴む為に」



10秒程の間奏、エレキギターが唸りを挙げ、Aメロに突入した。



「呪いは祝福に


空は奈落より来たる


燃え盛る炎の如く


この声は天を貫く」



「偶像は天使に


勝利の女神ニケは我が手の中に


紡ぐは紅きこの意志センス



「Call me!Call me!」



美空がコールする。



「Watching!Watching!」



観客が応える。



それ3度繰り返し、更にBメロと紡ぐ。



「揺らめく炎、輝く魂


嘘も矛盾も飲み干して


駆け出すは、獅子の如く」



「拡がる熱、煌めく想い


悪も偽善も引き裂いて


その手を伸ばし、掴み取れ」



絶頂を迎えるように、美空は目を瞑り、サビへ。



「吼えろ!


紅き夢は瞳の奥に、我が往くは永遠の彼方へ


この魂は不滅の炎、焼き尽くせ


燃え残った全てを、銀河の果てまで」



──そして。



「さぁ、始めよう


勝利の運命をこの手に掴む為に──」



雄々しく、勇ましく、猛々しい、獅童 美空というアイドルを体現したような1曲。



熱が冷めやまぬまま、少しの息継ぎ。



美空は過去を遡るように、これまで発表してきた11の楽曲を、時を遡るように披露し、後に彼女は吠えた。



「ラストナンバー、アウターヘヴン!」



13曲目、アウターヘヴン。



言わずと知れた獅童 美空のデビューソング。



獅童 美空の、伝説の始まり。



15秒程のエレキギターによる強烈なイントロから10秒に及ぶ超ハイトーンロングシャウトで始まり、BPM240という滅茶苦茶にアップテンポなリズム。



メインの旋律は美空によるエレキギターだが、その脇を三味線と尺八で構え、まるで雷鳴を轟かせるような完成度の高い和ロック。



「ここは天国の外側


遺された者が立つ鉄の孤島


俺達はあの痛みを知っている」



喉に血が滲むように、焼けるように、激しく。



「在りし日の伝説を


決して海の藻屑にしたりはしない」



決して後悔はない、彼女も伝説の一部に慣れたのだから。



天国の外側より水底へDear blue from outer heaven


俺達は家族だ


お前の伝説を抱いて俺達は戦場へ往く──」



最後のお別れ、美空は、静かに首から下げたドッグタグを握りしめる。



ドッグタグには、かつての伝説が刻まれていた。



それを力一杯に引き千切り、美空は掠れた声で小さく呟いた。



「──伝説は


もう、要らない──」



舞台に小さな音が二つ鳴る。



美空の足元には、ドッグタグとギターピックが重なり合って落ちた。



天国の外側を象徴するこの曲を、追放者の数字に当て嵌め、彼女のライヴは幕を閉じる。



報復者 獅童 美空もまた、ここに生涯を閉じた。



残ったのは、メモリーフィッシュの女王体感染者、春田 美空だけだ。



……END OUTER HEAVEN。

春田 美空、生存。

稲光 晴音、生存。

儀間 貞人、生存。



獅童 美空、焼失。



──メモリーフィッシュはやがて根絶されるだろう。



春田 美空と与田かすみという、天国の外側へ自ら歩み進んだ、誰にも知られてはいけない禁忌となった二人によって。



緩やかに、密やかに。



ただ一つの煌めきもなく。



水底に沈むように。



焼き尽くされた灰のように。



いずれ世界はありのままの姿を残し続ける。



憧れは誰にも止められない。



新たに生まれた偶像はきっと、地平線から昇る太陽のように輝く。



世界一のアイドルって何?



うん、答えは出たよ。



──誰も傷付かない、誰も傷付けない、誰もが憧れる、そんな優しい世界に生まれたアイドルさ──

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る