水晶の見る夢2
自室で勉強をしていると、ドアをノックする音がした。
「はぁーい。サツキか」
数学の参考書を開いたまま返事をした。
窓の外はすっかり暗く、心地いい風がカーテンを揺らしている。
てっきりサツキが夜食を持って上がってきたのかと思った。
すこしして、ふたたびドアをノックをする音がした。さっきとまったく同じだ。
ぼくは、手を止めて椅子から立ち上がり、部屋のドアを開けた。
廊下には、だれも居なかった。
階段の下から、野球中継の音声と母親が台所で食器を洗う音が聞こえる。
1階のリビングに行くと、風呂上りのサツキがアイスを口に頬張りながら壁にむかってパンチやキックを繰り出していた。
「なにやってんだ」
「見てわかんないの。シャドーボクシング」
「へぇー、運動会でやる創作ダンスかと思った」
「アイスが冷凍庫にあるよ。ソーダ味。お兄ちゃん好きでしょ」
「さっき、ぼくの部屋をノックしたか」
「勉強のしすぎで寝ぼけてんじゃない。ずっと下にいたけど」
「おかしいな。空耳か」
リビングを後にして、自室のドアノブに手をかけた。
空気が澱んでいるのを感じる。気配の足跡は、冬の白い息のように消えた。
ついさっき何者かがここに居て、部屋のドアをノックしたのだ。
ぼくは、とても大切な約束を忘れている気がする。
上着の袖に腕を通すと、ポケットにスマホを突っ込んだ。
Uターンで階段を駆けおりて、玄関で靴を履く。
「コンビニに行ってくる」といって家を出ると、自転車に乗って学校を目指した。
◇ ◇ ◇
学校の裏手に自転車を停める。LEDライトを外して、駐車場横の壁をよじ登った。
「まるで泥棒みたいだな」
静まり返った校内を足早に歩く。校舎の灯りはすべて消えている。人の気配がまったくない。
まるでホラー映画の登場人物になった気分だ。コールドスリープから覚めたら、人類が絶滅していて無人の街にひとりだけ取り残される。あれに似ている。
中庭をショートカットして、第一体育館の脇にある石段を登って、野球部の練習グラウンドを斜めに横切る。見えない力によって引き寄せられるように、ぼくの意識と足が古墳にむかう。
雑木林の入り口に着いた。
真っ暗な細い道が、森の奥深くへと伸びている。
昼間とは、べつの顔を見せる。こちらが本性だと告げるように、人を寄せ付けない圧を感じる。空は厚い雲が覆って星ひとつ見えない。森は暗闇の加勢を受けて勢力を増してる。この場を逃げ出したい気分になる。
右手に握りしめたライトの小さな灯りを頼りに歩く。
樹々の葉が風によって擦れてざわめく。自分の足音がやけに大きく聞こえる。
(この道、こんなに長かったか)
とても心細い。
古墳のある広場まで5分もかからないはずなのに、30分以上歩いている気がする。
だれかがぼくのすぐ後ろをついてきてるような気がして、後ろを振り返ろうとしてやめた。
よけいに怖くなるだけだ。
出し抜けにぼくの頭上で、得体の知れない鳥がけたたましい鳴き声をあげる。警戒か、警告か。おそらく後者。
黒く蠢く樹々をライトで照らすと、翼を羽ばたかす音を立てて枝から飛び立つ。ぼくは、その鳥の姿を見ることはできない。
冷気が流れてきて、足元の低い草をなびかせる。
雑木林が切れて、霧の立ち込める広場に出る。
見下ろすように黒くて大きな半円形の影が鎮座する。昼なら、雲海に小さな島が浮かんでいるような幻想的な景色が見れたはずだ。観光スポットみたいにライトアップされていればいいのにと、ぼくは思う。
周囲を見て回ろうとして、まぶしい光に照らされて視界が真っ白に変わった。
「遅い! 事故にあったかと思って心配したじゃない!」
「沙織!? どうしてここに?」
突然、沙織が出てきて、ぼくはびっくりした。マジでお化けかと思った。
例の水色のパーカーにスキニージーンズ・白のスニーカーの格好で、右手に大きな懐中電灯を持っていた。たぶん、家にあった防災用のやつを引っ張り出してきた。
「呼び出したのは、将樹でしょ。幽霊でも見たような顔して」
「ぼくが?」
「どうせなら、もっとロマンチックな場所にしてほしいわね」
沙織は、スマホの画面を見せてくれた。
LINEに、ぼくからのメッセージが届いていた。しっかりと古墳を指定してある。
(勉強しててスマホを触ってないし、沙織にメッセージを送ってないぞ)
ぼくは、そのことを説明した。
不思議そうな顔をしていたが、すぐに納得した様子だった。
「こっちから連絡しようと考えてたし、ちょうど良かった」
「もしかして、中を調べるとかいうつもりじゃないだろうな」
「決まってるじゃない。鍵を持ってきてる」
「あのなあ。わざわざこんな夜中にしなくても」
「昼も夜も変わらないでしょ。テーマパークじゃないんだし」
「こんな薄気味悪いテーマパークは、どこにもねーよ」
沙織のことだから止めても無駄だ。
それにぼくの目的でもある。このまま帰るという選択肢はない。
「自転車で来たのか?」
「ううん、バス。帰り送って」
「いいけどさ。サイクリング部にでも入部するかな。こんなところにひとりで物騒だな」
「ここは、私たち以外はだれも近づけない。ずっと守られてる。そんな感覚、将樹にもない?」
ぼくは「そっち系に興味あるのは知らなかった」とはぐらかした。
ライトで周囲を確認する。
うっそうとした雑木林。そのすぐ脇には青いペンキのはげかけたベンチがたたずんでいる。ついさっきまで、だれかがそこに座っていたみたいに。
雑木林と古墳とぼくと沙織。それに青いベンチだ。
「開かずの金庫を開けるテレビ番組があるのを知ってる? 昔から続く旧家に、開けていない金庫があって、中になにがあるのかだれも知らないの。だいたいは、借金の証書とか土地の権利書なんかだけど、たまに歴史的な価値のある物や、亡くなった人にとって大切な手紙なんかが入ってる。それと似てるかも」
「期待しても、なにもないと思うけどな」
ぼくはやんわりと予防線を張った。
ずーっとおかしな夢を見せられていて、ついにその答えがわかるのだから、沙織の気持ちがはやるのもわからなくはない。なにもないと知ったら、落胆するだろうなと心配した。
古墳の正面にある入り口に立つ。ところどころが赤茶けた分厚い鉄製の扉。太い閂が刺さっていて、頑丈な南京錠がぶら下がっている。すごく古い。昭和初期の物だ。
ヤガミ少尉たちが戦時中に慌てて埋め戻してから一度も開けられることがなく、森の奥深くでひっそりと80年近く時間が流れた。そのあいだ、だれもこの中に入っていないし、だれも見たことがない。そこだけ世界から完全に切り離された。
「準備はいい?」
ポケットから鍵を取り出す。
鍵はライトの明かりで鈍く輝いていた。雨風に晒され続けた南京錠とは別物のようだ。
「ヘンゼルとグレーテルみたいだよな。グリム童話の。あれも夜中に森の中をさまよって、魔女の家を見つけるだろ。なんとなく似てないか。雰囲気とか」
「いまここでいうこと? 調子狂うわね」
沙織はジロリとぼくを見た。
南京錠の鍵穴にぴったりと収まる。
軽くひねると、重みのある音がして錠が外れた。
あっさりと、ほんとあっさりと鍵は開いた。
「出番よ」
ぼくを見て、あごをしゃくるように動かす。
「ほんといい性格してるよな。こういう仕事だけぼくに押し付けて」
冷たくざらついた取っ手を握りしめると、指に錆びの粉がこびりつく。
力を込めて引くが、ドアは微動だにしない。さらに体重をかけて、体ごと後ろへと引っ張ると、長い年月の間に固着した鉄が剥がれるような低く不快な音が響いた。
わずかに開いた隙間から、冷たく澄んだ空気が頬をなぞる。
「ぐぎぎぎ。めちゃくそ重てーぞ」
地面に両足を踏ん張って歯を食いしばる。
ようやくドアがゆっくりと動き始める。
最後の一押しでドアを開けると、地底に続くような漆黒の空間が目の前に広がった。
「ミイラはいないみたいね」
ぼくを押しのけるようにして、懐中電灯を使って中を覗く。
光の環が壁をかすめ、影が生き物のように後退する。短い通路の先に、白っぽい灰色の岩で囲まれた行き止まりの部屋が見える。
「いるわけないだろ。ピラミッドじゃないんだし」
ぼくは手をはたいて錆びを落とした。まだジンジンと痺れている。
「想像はしてたけど、殺風景ね。思ったより広い」
教室の半分ほどの空間。通路より天井が高くなっている。四方の岩は平で、隙間はわからないほどピッタリと組まれている。指で触れるとざらざらとして乾いている。床には細かな砂がわずかにある。それ以外は、匂いや湿気もない。雨宿りをするのにちょうど良さそうな空間だ。
ぼくの知っている古墳は、自然石を加工せずにそのまま積み上げている。お城の石垣に近い。デコボコで、隙間には小さな石を詰めて崩れないようにしている。
文字もなかった時代に、平らな岩(それもかなり大きい)を切り出す技術があったとは思えない。
(夢の中で見たまんまの部屋だ。この壁に寄り掛かって、ヤガミ少尉がいた)
背すじがゾワゾワして、圧迫感を感じる。
暗闇の中からだれかに見られているような感覚。
すぐそこにヤガミ少尉がいるような気がした。
「こわくねーのか」
「ぜんぜん。死んだ人間より、生きてる人間が一番怖いのよ」
「へぇー、はじめて聞いた。だれの言葉だ」
「クマ」
「クマって、動物の熊のことか?」
「冗談よ」
「すげーなぁ、ほんと」
「おかしい。ここにあるはずなのに」
正面の壁を照らす。その場にしゃがんで、触ったり叩いたりしていた。
横の壁や天井に懐中電灯の光で当てて、くまなく調べる。
「あるって、なにがだよ」
「扉。その先に地下に降りる階段がある。ぼーっとしてないで、将樹も探して」
「そういわれても、なにもないみたいだけどな」
ぼくは、自分のライトを使ってぐるりと見回した。
これといっておかしい点はない。しいていうなら、こざっぱりしているというか、不自然なほど調和が取れすぎている。いつの時代に建てられたのかわからないが、雨水が染みてカビやコケが出来ていてもおかしくないし、経年劣化で岩が変色したり欠けるみたいな、そういう時間の痕跡があっていいはずだ。蜘蛛の巣どころか虫一匹いない。つまり、当然あるべきイレギュラーな物がない。時間が静止して、石室そのものが完璧な状態で保存されていたみたいだ。
あと、すごく静かだ。話し声がよく反響する。
「どこかにスイッチか隠し扉があるはず。もしかして合言葉で開くとか」
「山といえば川みたいな。忍者屋敷じゃあるまいし。だいたい、そんなのがあったらヤガミ少尉がとっくに見つけてるはずだろ」
「見たのよ、この目ではっきりと。水晶の柱がある部屋に続いている」
「これでわかっただろ。全部、ぼくらの見込みちがいだったんだ。たまたま似たような夢を見た。沙織の夢にぼくが出てきたのも、祭りの夜に会って印象が強く残ってたからで」
「まだ気づいてないの。あれは、夢じゃなくて――」
懐中電灯で、ぼくの顔を照らす。
真剣な顔つきでなにかを口にしようとした瞬間、金属のかたまりが激突するような衝撃音がして、ぼくと沙織はビクッと全身をこわばらせた。反射的に出口を振り返る。
こちら側とあちら側を断絶するように、出口の扉が閉じていた。
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